オッサンでもわかる記号論入門
俳句の快楽2
なんと素晴らしい人であることか、
稲妻を見て、
『生ははかないものだ』と思わぬ人は!
(稲妻にさとらぬ人の尊さよ)
実は、こちらの方の句は、仏訳がどういうものであるか、最初からわかっていた。"HAIKU Anthologie du poeme court japonais"((C)2002 Edition Gallimard)に掲載されているからである。実は本稿を思い立ったのは、この本を読んで、「なるほど、フランス人が俳句を訳すとこうなるのかあ」と思ったからである。
上の芭蕉の句の仏訳は、
Devant l'eclair____
sublime est celui
qui ne sait rien! (半角字数53)
となっている。そのまま逐語訳すれば、
稲妻の前___
すばらしいのは彼
なにも知らない人!
である。さて、ロラン・バルトが、見た仏訳は、上記のようであったかどうかは、まだわからない。とにかく、バルトに掲げられた仏訳を見て、宗左近は、上のような訳にしたのである。
元禄三年(1690年)、芭蕉46才の時の作。前書付き。
ある智識ののたまはく、なま禪大疵(おおきず)のもとひ(ゐ)とかや、いとありがたく覚(おぼえ)て
稻妻にさとらぬ人の貴(たふと)さよ
芭蕉は、仕えていた武家の主人が夭折したのち、「浪人」の身分となり、江戸へ出る前に、禅寺にいたらしい。そこでは、食うことも学問することもできた。だから、深い教養も、禅への知識も、そこで身につけたと考えられる。
もしかしたら、掲句には、旅先で稲妻にあったとき、青春時代の思い出がよみがえったのかもしれない。
ここで言う「ある智識」とは、もしかしたら、その禅寺の住職であったかもしれず、あるいは、旅先で、出会った僧が、芭蕉の禅への深い造詣を知らずに諭したのを、皮肉を越えたところで、初心に帰ったのかもしれない。
さらに、稲妻という情景をも詠み込む、ある光景の描写でもある。この句のなかには、稲妻が走る瞬時の時間も含まれている。そして、そういう状況には、なにか、悟ったような気にもなるのだが、そんなものは妄想で、ただの稲妻は稲妻としての美しさをそのまま享受すべきである。ちなみに、ホメロスのテクストでは、稲妻は、当然、ゼウスの啓示である。だから、人々は、そこに何かを「読む」のである。しかし、日本人にとっては、ただの自然現象であり、花や風を享受するように、その光をそのまま享受するのである。
上の蕉句を私が仏訳するなら、「稲妻の前(Devant)」とはせずに、「稲妻の中(Dans)」としたいところだ。「稲妻の中でさえ……」というふうに。
Meme dans l'eclair
Il n'entend rien
Donc precieux (半角字数43)
逐語訳は、
稲妻の中でさえ
彼は何も理解しない
ゆえに貴い
つまり、日本語というのは、たった一字の漢字や助詞の中にも多くの意味が込められる言語であり、芭蕉はこれを知り尽くして、さまざまな哲学を盛り込んだのである。もちろん、そこには、元禄という時代のコードも含まれている。それを21世紀に記号的に解読するのは、興味深いものである。
ところで、本稿は、「オッサンでもわかる記号論入門」であった。先に、「プリミ系オッサン」について書いたが、それより少しマシなオッサンで、「前近代系オッサン」というのが認知される。このオッサン(個人をさしているのではないが、あるサンプルから思いついたものである概念であることは否定しない)には、「多少の学」がある。それは、禅や俳句の知識だったり、哲学だったりする。しかし、いかんせん、アタマも体も「前近代」なので、新しいアプローチができない。だから、本稿を、西洋人が俳句について解説した書について書いたものだと勝手にとって、いろいろ異論をネットのBBSという場所で述べている。しかし、バルトはべつに、俳句を解説しようとしたわけではなく、ただ記号論の題材として選んだだけである。
それも、謙虚な態度ならまだしも、「おまえは何も知らん!おれは知っている。正解はこうなのだ!」という態度である。こういう「前近代系」オッサンの特徴は、マッチョでえらそうな態度である。曰く、
「女が俳句をやりはじめてから、俳句ちうもんは、ほっまに堕落したね」(BBS「あねっくすΩ」の「梵@舌下の黙々」)
ひぇ〜〜〜!!! 本気で言ってるのかねー?と、みなさんはお思いでしょうが、彼としては、マジもマジ、心底の本音なんです。たとえば、そこで採取した「エクリチュール」はこんなもんです。
「ついでいっておくと、たかがロラン・バルトが俳句をみていったいなぬがわかろうというもんじゃわの。阿呆のぱろーるゆえにロラン・バルトのぱろーるを宗左近訳であろうが、原書であろうが、おっかけたとて、くそにもならぬわい」(同前)
この「たかが」って、どういうところから来た言葉なんですか? これには、自分はロラン・バルトより大物という意識が言外に含まれているんですかね(笑)?しかし、ま、えらそうであるけれど、上の文章は、「プリミ系オッサン」ほど、めちゃくちゃの文章ではありません。これはこれで、りっぱな批判にはなりえています。ただ、先ほども書きましたように、「前近代」なんです(笑)。
だから、次のようなことにもなるんです。
「ニーチェは詩人である。ゆえに、そのある意味じゃあ、その意味は、仏教ちうもおこがましい、禅ちうのんもおこがましい、その意味に於いて、まことに意匠とは駆け出しではあるが、その表現において、人はひっかる。そういう、ニーチェを遅れて出てきてぱろっちょる、仏蘭西ぱろーるなんぞは、それ以下じゃ、という認識もなく、ぱろーるのぱろーるをしちょる仏蘭西紊学者のものいいなんぞをみると、まことに……」(同前)
あんまり長いんで、途中で切りましたが。このオッサンの「口調」ってのは、ニーチェを理解してる人の口調じゃないです。これは、それより以前、つまり、絶対的な自己=超越者が存在したと考えられた時代のものです。このオッサンは超越者になりきってものを言ってるんです。おのれだけが悟っていて、ほかは「バカ」なんです。
しかし、上記のような言い方で言えば、ニーチェは、ショーペンハウアーを「ぱろっちょる」んです。そしてこの、「そういうニーチェを遅れて出てきて」って、まるで、その後の思想家が、ニーチェのエピゴーネンみたいに言ってますが、たとえば、1844年に生まれて、1900年に死んでしまったニーチェのあと生まれた、フロイト(1856_1939)やソシュール(1857_1913)が、思考している意識そのものや、思考の道具である言語そのものを疑っても、べつに、ニーチェの真似ではないし、逆に、彼らによって、ニーチェが見直されたとも言えるんです。思想の流れというのは、常に、後から来たものが、それより以前にあったものを評価するんです。事態はすべて逆なのに、こういうオッサンどもは、どうも、あんまり自分のアタマでものを考えようとしていないせいか、それとも、他者を受け入れる謙虚さが欠けているせいか、どうも物事の結果から考えて、しかもその結果には、自分はまったく関与していないのに、エラソーにしてしまうんですね。これも、前近代のマシズムそのままにのっかっているからですかね。
でもさ、考えてみれば、だからといって、このオッサンが、ニーチェの妹のエリーザベトの霊でも乗り移ってるのか(笑)、親戚でもないのに、ニーチェが「現代思想」の原点であるからと言って、えらそうにすることないのにねえ。
「仏蘭西ぱろーるなんぞは、それ以下じゃ、という認識もなく」:これ自体が、すでに不勉強の言説なんです。だいたい、ニーチェを「評価」したのは、「仏蘭西ぱろーる」なんです。それに、このオッサンの得意な「禅」も、実は、お仏蘭西が先(ダルマから始まる禅の歴史を見ればわかること)で、「仏蘭西ぱろーる」なんか、もっちろん、道元なんか読んでるに決まってるじゃないですか。
しかし、ま、このオッサンのぱろーるは、それなりに「反論するに足るぱろーる」ではある。しかし、このオッサンにとっての最大の不幸は、このオッサンの「活躍する舞台(=BBS)」では、よく読んでみれば、それなりに「味」のあるエクリチュールを、理解する人はほとんどいないであろうということである。このオッサンの「とりまき」のオッサンに至っては、ほとんどニーチェの「猿」状態である。合掌して、この章を閉じる。
(つづく)
(2004/9/6)