萩尾さんと、博多に、劇団四季の『美女と野獣』を観にいった。これは、彼女に頼まれて、なんと、5月にチケット購入していたものだ。それだけではもったいないので、その後、(公演はマチネーだったので)『バウンド』という映画を観た。これは、女二人のハードボイルドである。登場人物も「場所」も極端に少ない。アタマも性格も悪い男はいらないよ、というやつである。やっぱりこれからは、レズなのかなー・・・。
なんかの雑誌にも、書かれていたが、レズの男役、コーキー役の、ジーナ・ガーションがかっこいい。レズのイメージを変えるだろう。
朝から食べた物は、劇場のロビーで、シュークリーム一個とお湯のようなコーヒー。映画館で、ポップコーンとインスタント味のコーヒーのみ。時間がなくて、お店に入ることも、店で何か買って入ることもできなかったのだ。
小倉に戻り、デパートの地下で、そそくさと晩飯を買い込み、解散。
効率のよい二人であった。(途中、なぜか、二人でプリクラをやる。萩尾さんは非常に恥ずかしがっていたが)。
インターネットにおける、「日記」って、「なんだっけ、なんだっけ♪?」と思う、今日この頃である。「人の日記を覗くな!」と言いたいが、言われた方は、「じゃあ、公開するな!」だろう。
「日記」というネーミングが悪いのか。
「日記」というのは、フツーは、人に見せないことを、「暗黙の約束」として書かれている。だから、その「日記」に関して、「元気がないみたいですがいかがですが?」などと、メールをもらうと、「私の日記を読んだんですか?
あれは、公開してるわけだから、当然読まれることを前提として書いているんですが、でも、あなたにあてた手紙じゃないんです」と言いたくなる。
最低限、「日記」は、大声で人に宣伝する伝言板じゃないという、了解がないと、なんか、「日記」じゃなくなっちゃうのよね。みたいなのは、あると思う。なんて、ことを考えた。
N書店へ、営業に行く。(なんのことはない、置いてもらってる同人誌の清算と納品に行ったのである)。ここのKさんからは、いつもギョーカイの話を聞かせ(られ)てもらって、ホントにいろいろとギョーカイ通になってしまったが、それと、「書くこと」と、あんまりカンケイない。
同人誌の売上金の倍の本を買ってしまう。なかに、橋本治の新作(というのか)、「人は男に生まれない、男になるのだ」!
ついに、橋本治が「男の自立」を説いた、女にもためになる本。
『橋本治の男になるのだ』(ごま書房)買ってね!(などと、人に語りかけるところが、すでに、「日記」を逸脱しているのであるが、いいのだ、どうせ、「(メタ)日記」だから)
でも、この本、おかしいのだ、著者名の橋本治の上にわざわざ、「作家」とついている。まあ、これは、「ごま書房」の本を買うような読者に向って説明しているんでしょう。
で、そこから、さっそく、アフォリズムに収録させていただきました。
この本、まだ全部読んでないけど、たぶん、その言葉のくりかえしになると思う。
家計簿付け、洗濯、仏語のお勉強、本棚組み立て、半年ぶんの本、雑誌、整理。外は、嵐のような雨と風。
まあー・・・世の中には、自分と似たような状況を生き、似たような生活をし、似たようなことを考え、似たような時期に似たようなことを思いつく人間てものがいて、そういう人が目の前に現れると、反射的に憎んじゃったりする。でも、それは、他ならぬ、自分自身を憎んでいたのだ。
べつに真似したわけではないのに、ほぼ同時期に、同じこと「言ってたり」する。恐いものである。でも私は「反省」しています。まるで、母親に、「うっせーなー」って、言ってしまった後みたいに。
お話変って、「ふじたん」とやらは、なかなかやるのー。掲示板に「悪者」が現れたら、メールをあちこち飛ばして、「助っ人」を呼んで、そいつを「退治」(?)しちゃったみたい。
結局、なんのかのと言って、同年輩のオジサンには、「なんだ、あいつ」とか言われても、たくさんの女の子とお友達になっちゃった方が勝ちなのか。安全パイっていうのかねー・・・。あれでなかなかモテているのだ。
つづいて。この人は、ケッコー、いい男だったのだ。
「どこがだ!」って、少なくとも、「ふじたん」よりは、ねえ・・・。とか。なんか、ほとんど、勝手に遊んでるサイトになりつつありますが。
そういうきみには、仏文の先輩サイトを紹介しよう。あの大学の大学院を出られて、今は、フランスのポワチエ大学のD.E.A過程に留学してらっしゃいます。専門は、中世フランス文学、とくに、『狐物語』(←これは面白いんだよねー、読んでないけど)だそうです。
詩人の高岡淳四さんです。この方は、現代詩手帖賞を取られた方ですが、本名は、高名康文さんというそうです。
フランスにて、きわめて日本ぽいページを開いてらっしゃいます。サイトの題は、『やいとのサイト』。「やいと」はもちろん、お灸のことです。才気溢れる詩のほかに、「阪神タイガース」や、登山に関する項目もあり。
でも、ポワチエ大学って・・・どこにあるんでしょう?(もち、ポワチエにあるんですけど・・・。「ツール・ポワチエの戦い」とか、世界史にあったよねー・・・)
今日は、そういうことを書くつもりじゃなかったが、そうなってしまった。ついでに、「ふじたんサイトの事件」について思ったことを書いておこう。あれは、実は・・・
1、「助っ人」のなかに犯人がいた。
2、「ふじたん」が(女の子の気を引くために)自作自演していた。
・・・だったら、面白いがなー・・・と、ふと、思ってしまったのだ。ひまあーーー。
いやー・・・「恥ずかしながら」やっと、橋本治の『男になるのだ』を読み終えました。うーーーん・・・これは、ホントーにためになる「感動的」な本です。
結局、「努力の人」橋本治が説いていることは、「努力すること」なんですね。
そういう言葉は使ってないけれど、あと、「バカであることを恥じるな」です。
まさに、「ゴマブックス」にはぴったりの本。←すぐ使える、ということです。
カバーの見返しっていうんですか、そこの下の方に小さく、「『人は女に生まれない。女になるのだ』__ボーヴォワール」と入れてあります。
重要な言葉を、「アフォリズム」に収録しておきます。でも、買ってね!
世間のおおかたの人々とは反対に、週末になると、なぜか忙しい私である。仏語クラスが終った後、女3人でお茶して、デパートで「晩飯」を買おうかなー・・・と思ったが、なんか「べつにとりたてて、食べたいようなものもないし、これなら、『生協』へでも行った方が安上がりだな」と思って、帰りにバス停をひとつ乗り越して、生協の店(午後8時までやっている)へ行く。
「おかず」類が半額になっていて、おでん1パック50円、コロッケ3個100円、フルーツ・サンド(2個入り)75円で、やったー!である。なんか、得した気分。
こういうふうに、暮らしの段取りして、それがうまくいくと、気分がいい。←どーゆー生活してんだ、であるが。
今日は、なんか、他に書くことあったような気がしたが、忘れてしまった。
いや、ホントーに、ごくろうさまなことでございます。なに、橋本リンクを作製してらっしゃる、『デジタルももんが』の大和弘明さんのことでございますがね。なんせ、Web上で、誰かが、「ハシモト」と書いただけで、臭いを嗅ぎ付け、リンクしに来てくれるんですから。
自称、橋本治の一番弟子のこの私なんか、当然、橋本センセイについての言及は、他の人より多くなりますよね。いっそのこと、メニューに「ハシモト」という項目を作ってしまおうかしら、と思ったけれど、そこまで手を回してたら、やらなければならないこともできなくなるので、いまは、留めておきます。
で、その「デジもも」で、ハシモト著作リストをプリント・アウトして検討したんだけど、悪いけど、私は小説はほとんど読んでません。理由は、あまり買ってない(『窯変源氏物語』全14巻はべつ)から(センセイ、スミマセーン!)。私がハシモトを認めるのは、「思想家」、とくに、「啓蒙思想家」としてですね。
で、「入門者」は何を読めばいいか、と言えば、これが、前述の、『男になるのだ』に尽きるのです。新書サイズの軽い(でも、センセイのだけ、ハードカバーなのだ)装丁なれど、この本には、「橋本治のすべてがある!」と言ってもいいほどである。
とは言っても、私はやはり、この著作リストの半分は持ってますね(と言ってもべつに、エラかないが)。
ふんでもって、今日は、『ホワイトハウスの陰謀』なる映画を観る。なにやら、三流(B級という使い方は、微妙な、映画史的背景を必要とするので、私は、なるべく使わないようにしていますが)っぽい題名だが、わりとていねいに作られた、ミステリーであった。
大統領官邸で、若い女が惨殺された・・・。犯人は誰か? これが、『目撃』みたいになるのかなー・・・と思うと、そうでもなく、『ア・フュー・グッドメン』が思い出される「結末」となった。
主演は、「フツーの男」を演じられる黒人俳優、ウェズリー・スナイプスと、山下さんを思わせるダイアン・レイン。なかなかよい、組み合わせであるぞ。(ダイアン・レインも離婚したせいか、仕事に精出すようになった)
どーでもいいが、題名を忘れた予告編で、久々にミッキー・ロークを見かけたが、落ちぶれたー。もう主役を張れなくて、どーでもいいような映画の脇役だった。こないだのロブ・ローといい、なんか、スター稼業も厳しいねー。
本日のオマケ↓
