われわれがこの星へ降り立った時、海は、まだ200度C以上の熱さだった。大気を構成しているものは、一酸化炭素と二酸化炭素と窒素だった。
われわれは、20億年ほど待つことにした。まだ隕石の雨が激しく降っていた。陸地がしだいにできあがり、大きくなっていった。大陸の形成は、大気中の二酸化炭素を減少させた。それによって、地表の温度は下がり、海も冷えていった。そして、海の中で、生命というものが生まれはじめた。だがそれは、何度も絶滅した。
まだこの星は、全然安定していなかったのだ。この星を形成するもとともなった、微惑星がさかんに降り続け、せっかく生まれた生命を絶やしたりしていた。やがてそんなこともおさまって、生命はなんとか生き長らえ、繁殖し、光合成することができるようになった。
これはひとつの、大きな、ステップであった。きみたちは、レキシに書いておくべきだろう。なぜなら、きみたち自身が、外界に影響を及ぼす存在へと変化したのだ。きみたちは、大気中の二酸化炭素と水から、有機物を形成し、不要な酸素を大気中に排出した。すでに、10億年が経っていた。
酸素はやがて大気中に留まるようになった。ちがう生物が生まれた。それはどんどん種類と数を増やしていった。
「人類」の誕生まであと少し。あと、数億年ほど・・・・。まだ、この星は静かだった。誰も、モノを作ろうとするものはいなかった。「感情」を、「言葉」を、「意識」を、持っているものはいなかった。自然がもたらす絶滅は存在したが、故意の殺戮はなかった。
ところどころで、放射能の雨が降る。危険で美しい流星の数々をきみに見せたい。不思議な生物、不思議な植物。
もう少しで、尾っぽを持ったあの動物が、「猿」のようなものに変化する。「猿」のようなものに。それは、視線が、三次元を結ぶもの。だから、その眼差しは、どこか知性を感じさせる。
そんなこともすべて忘れて、「猿人」は「原人」へと、「原人」は「旧人」へと変化した。やがて、きみたち、「新人」が生まれる。そして、そうだとも、こうした呼び名は、すべて、きみたちが名づけたものだ。レキシは、いつも、溯るように、名前をつけていく。
きみたちは、動かしがたいものであったはずの、環境をも動かすだろう。再び外部へ、その星の外へ、出ていこうとするだろう。そしてきみたちが、どうして生まれたか、探ろうとするだろう。そこに、微惑星の雨跡を見るだろうか?
だが、まだきみたちは、われわれが誰か、知らない。知ろうともしない。なぜなら、そこには、街があり、生活があり、きみたちの生があり、そういったものが、分厚い堆積層となって、われわれの存在を覆い隠しているから。
マリー・キュリーは、四人より多い兄弟の何番目かだった。ポーランド人で、マーシャとかポーシャとかいった、ロシア風の愛称で呼ばれる習慣があった。成長して、パリに出た。パリのアパートで、彼女の暮らしは貧しかった。食べるものは、パンの切れ端と水しかなかった。それでも彼女は、研究への情熱を失わなかった。
その後、彼女がどこでどういうふうに、夫になるピエール・キュリーと知り合ったか、彼女の夫がどんなふうに馬車に轢かれて死んだか。それは、「偉人」につきものの凡庸な伝記となって、私の関心の外側にぼんやりぶら下がっている。
その後、彼女がどうやってラジウムを発見したか、どんなふうにノーベル賞の式に臨んだか。そういったことも、私の心になんらかの影響を与えることはない。
ただ、私は、何度も、まるで「友人のように」思い出すのだ、彼女のパリのアパートでの暮らし、ポーランドから出てきたばかりの時分の貧しくも敬虔な暮らしが語られた、そのくだりを。
あれは、漫画形式の、偉人の伝記シリーズだった。小学校の図書館にあった。それが漫画であったがゆえに、私はそのシリーズのほとんどを読んだのだ。漫画であったがゆえに、私は、マリー・キュリーなる、100年も前の異国人を知ることができたのだ。
その後、私は、マリーの詳しい伝記、もっとちゃんとした伝記を読み直したわけではない。
確かに私は、マリーのように、パリで、何かしら科学的な研究生活を送りたいと考えたが。
ひとかけらのパンを持って、窓辺に座るマリー。その窓のガラスの曇り方や、桟に積もった埃のありようまで、まざまざと思い浮かべることができた。
その頃マリーは若い娘で、しかもパリでは、外国人だった。私は小学生で、そういうことを知ってしまったのだ。ある種の放射線を通さない鉛の箱。その元素は、もうかなり終りに近い方の元素だった。つまり、宇宙はすでに後半生に差しかかっていた。彼女は、そんなことを意識したろうか?
1898年12月26日、マリー・キュリー、ピエール・キュリーがラジウムの発見を公表。
1899年、ウラジミール・ナボコフ、帝政ロシアのペテルブルクに生まれる。
1899年、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ブエノスアイレスに生まれる。
1988年、ブルガリア生まれのジュリア・クリステヴァ、パリで、『外国人』("Etrangers
a nous-memes")を出版する。
キュリー夫人は、山ほどのラジウムを含んだ鉱石からラジウムを取り出すことに熱中し、放射能を発見するが、その放射能が癌を引き起こす原因になるということを知らず、白血病にかかって死んだ。当然のことながら、それはひどい病状であったらしい。
「しかしだからといって、あたしがそれほど不幸だなんて思わない」とマリーは言った。「考えてみればこの『宇宙』には、時間だって空間だってありゃしなかった。素粒子よりもっと小さなところに閉じ込められて、何かが始めるのを待っていた。そう、それが始まるのを。それはどんなふうに始まったかって?
きっとあなたは300年前の考えに洗脳されてるわ。ニュートンて人が考え出したことに。つまり、何か、『時間』という実体がそこにあるのだという考え。20世紀も終ろうとする今になっても、その考えを改めることができない。つまりあなた方は、概念を捨てることができない。
でも20世紀って、いったい何なの? 過去なの? 未来なの?・・・そう、それがどんなふうに始まったかという話ね。正確に言うと、それは『始まった』のではない。それは『始まりさえしていない』。なんかはぐらかしているようで、心苦しいけど、そういう回答しかできないの。
えっと、あたしのところにお手紙がたくさん来ています。いちばん多いのは、『宇宙人はいると思いますか?』という質問。これは質問する相手を間違えているとしか思えないわね。この質問をあたしにするなんて、お門違いもいいとこ。この質問はジョディ・フォスターにでもしてちょうだい」
キュリー夫人の肉体は癌細胞に蝕まれ、「生きている」状態をやめた。土の中で朽ち、いろいろな元素に分解した。それから先のことは、明言を避けた方がいいだろう。私に、知識が不足しているからだ。私がわからないことは、以下のことである。
1、元素は自然界でも素粒子に分解しうるだろうか?
2、そしてその先の分解は?
たとえそうでなくても、元素の中で、素粒子は運動を続けている。原子核の周りを電子は回っている。つまり「時間」が生成されている。彼女が「生きた」、この「地上」では。