いやー・・・忙しいんだよねー、今月いっぱいは。だから小説更新は12月に入ってからと思っていたし、そのように「日記」にも書いて、メールにも書きました。でも「読んで」くれてる人がいるんだ、と意識すると、なんかその人のために応えたいとか思ってしまう悲しい芸人根性、「作家」というよりは。
この小説、少ないながら、愛読してくれている人が何人かいるようです。メールにそう書いてくれる人しか確認できないのですが。
その人たちに共通の感想は、この小説が「どこへ飛んでいくかわからない」からそれが面白いというものです。これは過分なお言葉というか、正直いって「うれしいです」。なぜなら、そのお言葉は、私に、「従来通りのちゃんとしたプロットや描写のある小説を書かなくていいよ」と言ってくれているからです。
こんなハチャメチャな小説でも、「ちゃんと楽しんでるよ!」と言ってくれているから。
「どこへ飛んでいくかわからない。その飛ばされていく感覚を楽しんでいる」とある方がメールで言ってくれました。そういう人がいてくれたら本望だなーと思いました。その思いが筆を、というかキーを打たせました。
そうだ、この小説は「どこへ飛んで行くかわからないんだ」。で、いつ「終る」ともわからないんだ。でも、「終りの記述」はだいたい考えてある、ということは前に言いました。
最初と最後があって、真ん中が「未定」というか、「無限」かもしれないんです。
そう思うとすごい感じがしてきたでしょう? これ以上のSFはないような気がしてきたでしょう?
・・・・と、まあ、今日はそこまでで、ごめん。
(数えてないけど、このへんで、四百字詰原稿用紙に換算して100枚ぐらいかなー。塵も積もれば山となるでしょ?
「書けない作家」のみなさんも、こうして少しずつ書けば、一年で100枚くらいは書けるでしょう。でも、それでは追いつかないよね、実際)
937年__________紀貫之、『土佐日記』・・・・人生の終盤を迎えたジイサンが女になりすまし、任地土佐から京へ帰るまでの道程を、あくまで「女性の視点」から、当時女性が使うひらがなを用いて書き綴った。その後、『源氏物語』『枕草子』等の作者に影響を与え、平安時代の女性文学を花開かせるもとになる。
1008年_________紫式部、『紫式部日記』・・・・・『源氏物語』の作者が中宮彰子に仕えた日々を綴る。貴族生活を鋭敏な感覚で写し取る。平安時代のバージニア・ウルフ。
10??年_____和泉式部、『和泉式部日記』・・・・華麗な男性遍歴を持つ和泉式部が、とりわけ愛した男との交渉を綴った。平安時代のアナイス・ニン。
1060年____菅原孝標女、『更科日記』・・・・地方に生まれた少女が、その波乱の人生を綴った。(しかし「少女が人生を綴る」というのも矛盾がある。もちろん、五十代の記述は、少女がバアサンになってからのものである)。平安時代は終りを迎える・・・。
194?年___アンネ・フランク、『アンネの日記』・・・・オランダ在住のユダヤ人少女が、ナチスの目を逃れた隠れ家で綴る「トリュフォーの思春期」。
そして、
1997年___山下晴代、『金色日記』・・・・無料でダウンロードしたNetscape
Navigator Gold3.xのエディタをほしいままに駆使して綴る(メタ)日記!
(の、宣伝でした!)
なぜだか知らないけど、ふわふわした鳥の羽根のようなショールを巻いて、パリの街を歩いていました。なぜだか知らないけど、高速道路の柱のようなものがあって、私はそこをジグザグ、見え隠れしながら歩きました。靴はピンヒールのハイヒールよ、わかるでしょ?
だからコツコツ、キツツキみたいな音がするの。
なぜだか知らないけど、私はある建物の階段を上っていった。何階か上ると、ドアがうっすら開いていて、どうぞ覗いてくださいと言わんばかりだった。当然覗いたわ。でも誰もいなかった。
ギギッとドアが動いて私を招き入れた。私は入った。なかは家具が全然なくて空き部屋だった。私は、「ふーん」と言って部屋中を見回した。まるでその部屋を、借りようかどうしようか決めるみたいに。そうやってしばらく、なんにもない部屋のなかを歩き回ったり、窓を開けて覗いたりしていた。
すると、開けたままのドアから人が入って来たの。「ごめんなさい」と私は言おうとした。でも声が喉にひっかかって、出なかった。私はその人をじっと見つめることになってしまった。その人も何も言わずに私を見つめた。頭の禿げかけた中年男だった。私たちはそうやって、お互い会ったばかりで、言葉も交わさず、じっと見詰め合うという道を選んでしまった。思えばそれはほんのちょっとしたタイミングのずれだった。
(さあ、何か声をかけるべきよ)私は私を促した。(でないと、なんかまずい雰囲気になっちゃう)
二十年の時が流れた。その中年男は死んだ。爺さんになったからではない。その後、「私」に刺し殺されたのだ。いや、違う。刺し殺されたのは「女」=「私」の方だった。なんで?
今ではもう、なんでか、わからない。あれは、二十年前のパリだった。なぜ、パリだったのか?
パリにはそんな雰囲気があったのだろうか? さすがに今は、そんなわけにはいかないだろう。いま、それがあるとしたら、それは、ブエノスアイレスだろう。なぜブエノスアイレスなのか?
それはなぜパリなのかという問に答えられないのと同じくらい、答えることが難しい。
「カップル」は中年男と若い女ではないだろう。若い男同士だ。それも中国人だ。「異国」で意味もなく性交し、意味もなく破綻する。性交とは、破綻の別名。そして全然関係ない男が、最南端をめざす。そうか、アルゼンチンの向こうには、南極があったのか。
「おいでませ、南極へ!」(もちろん、ペンギンより愛をこめて)
このせかいのあらゆる真実、それは、ほかならぬ、われわれが、「スポーツ紙」とか「タブロイド紙」とか呼ぶものに書かれている。あざとい見出し、荒唐無稽なホラ話、まるでありえないようなスキャンダル、それらに対して、われわれは、半ば関心を持ちながら、半ば本気では信じていない。第一そんなものを本気で「読んで」いるのがわかったら、人に軽蔑されかねない。常識のある人間なら。
しかし、わたくし、核物理学者の村佐木ヒカル博士は、このせかいの真実は、そういったものに書かれていると断言する。それゆえ、あれらの新聞は、派手な見出しや、あざといレイアウトを使用するのである。たいていの人間はそれを嘲笑い、無視するように。そして真実を知っている者のみがそれらから情報を引き出すのである。
"It wasn't an accident,sir"
私は国防長官に進言した。
「オタクは軽い新聞だから」
さるタブロイド紙記者である私の彼は、トラバーユしようとした先の全国紙の人事係にそう言われ、キレ、せっかくのキャリア・アップのチャンスを棒に振った。彼は、自分が、タブロイド紙の記者であることに誇りと愛着を持っていることを知った。
およそ世間の人が持つ「理科系」のイメージは、完全に間違ったものである。
私が関心を持っているのは、「誤差」「認識」「測定」「機器」「映像」・・・。
これが物理学を変えた。
この五つで、私は小説を書くことができる。
「誤差」は「機器」による「測定」の「認識」を目に見えるようにした「映像」なのである。
その日のうちに紹介された私の部下に私は少なからず、心惹かれた。
「核弾頭、十個望む男より、一個を欲しがる男の方が危険だわ」
・・・でもなぜ「男」なのだろう?
・・・そしてせかいは、せかいは、いったい何なのだろう?
(それはたぶん、タブロイド紙以外のなにものでもないだろう)
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↑私が「視覚化した」せかいモデル