(メタ)小説「私のように美しい女__あるいは、いかにして私は火星人を愛するようになったか」


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 崖っぷちに建つ、北イタリアの僧院で起きた惨劇は、修道院にお定まりの愛憎劇がもとになっていた。「修道院にお定まりの愛憎劇」とは、もちろん、男同士の愛情のことである。なぜなら、人間は、愛なくして生きることはできず、修道僧たちは、神に対して、終生の独身を誓わなければならないからである。
 刺すような寒さ、頭上に広がる中世の空の深い青さ。メルクのアドソは少年だった。彼はドイツ人で、ベネディクト派、師はイギリス人でフランチェスコ派だった。
 それは、1327年のできごとだった。その頃すでに、

 眼鏡
 葡萄酒
 貨幣
 磁石

 などがあった。
 そしてその修道院はすでに数百年続いていた。
 「昔は、今ほど風紀が乱れていなくて、信仰心というものも、もっと真摯だった」と1327年の老人たちは語った。
 本は、もっぱら、羊皮紙にラテン語で書き写されたものである。
 「古典」はギリシア語で書かれている。
 おそらく、エジプトのアレクサンドリアの図書館に残されているパピルス本が歴史最古の本だろう。
 「知」はすでに蓄積されてあった。
 それらの「知」を守り貯えるのが、修道院の役目だった。
 のちに、メルクのアドソは、年老いて、若き日のその事件のことを書き記す。
 ああ・・・私はまだその小説を半分も読んでないのだ。でも結末はわかっている。映画で観たからね。
 それは、クリスチャン・スレーターなる俳優を初めて見た映画だった。
 スレーター扮するメルクのアドソは、おどおどして、いかにも初々しい青年になりかかりの少年だった。その後、スレーターは、不良や、マフィアなんかも演じた。
 彼の師であるウィリアム修道士はショーン・コネリー。フランチェスコ派は地味がモットーの一派なので、ネズミ男のような衣類を身につけている。
 つまり、1327年にも、「いま」という瞬間があったのだ。
 たとえそれが、ウンベルト・エーコの「作り話」だとしても。
 彼らはシェイクスピアを知らず、マルセル・プルーストを知らなかった。
 「未来」はどのようになるのだろう? その「事件」が解決され、アドソがのちに一部始終を記録したとしても、ひとつの時代は消滅していく。

 実は中世は暗くはなかったと、書いていたのは、たしか吉田健一だった。

 それから私は中世に強く惹かれるようになった。

 中世とひとくちに言ってもいささかひろうござんす。800年代から1400年代まで、ざっと700年の幅がある。そしてアドソの生きた時代は「中世の秋」。古い価値観が崩れていく時代だった。ここでいう古い価値観とは、やっと「古代」を抜け出した果てに作られた、「新しい秩序」であった。

 崖っぷちに建った北イタリアの僧院、どことははっきり明かすことを控えられているそこ。ピエモンテ地方とリグーリア地方とフランスとに挟まれた場所に位置するとしか、言われないそこ。
 そこでは、いまも、雪が舞っている・・・

 (注:スタンダールはここを舞台にべつの話、もっと「明るい」話を書いた)


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 ↑あれから650年が経った。だがそれは、中世という時代全体に比べればまだ少ない時間だった。なのに、あの700年間に比べ、この650年間は、なんと、急激な変化に見舞われたのだろう。
 1990年、私は、カトリックの知人を介して、一人の神父を知った。
 彼の名前は、マコトちゃんといった(こんなこと書いていいのかなー・・・)。年は私と同じ。当然のことながら、独身であった。彼はデブで、煙草は吸うわ酒は飲むわ、のとんでもない男だった。佐木隆三の『復讐するは我にあり』の舞台となった行橋市(福岡県)の出身だった。父親は大工だったが、両親ともカトリックだったので、幼い頃からカトリックの神父と交わり、「あんな人になりたいなー」というあこがれを持ち、小学生にしてすでに将来の進路を決めてしまったのである。
 博多に、中学生くらいから入れる神学校があるそうな。マコトちゃんは小学卒業と同時にそこに入り、なんと、教会の金で、バチカンまで留学できたのである。俗にこれは、神父のエリート・コースである。
 バチカン神学校には、全世界から、若き神父のエリートたちが集まってくる。マコトちゃん曰く、アフリカから来ている神父はとくにエリートで、ラジカセなんかを持っていたそうである。
 進級試験はラテン語で行われる。彼によれば、少し前までは、日本でも、教会のミサ等で、ラテン語が使用されていたそうである。マコトちゃんがラテン語が得意かというとそうでもなく、だいたい先輩に口移しで教えてもらって、試験をパスするそうである。
 ある時、イタリアの片田舎の、小さな教会で、神父が留守で、急遽ミサのために、マコトちゃんが頼まれ、集まった村人たちに対して何か説教をしなければならなくなった。もちろん、マコトちゃんは、イタリア語が堪能というわけでもない。壇上に上り、何か言葉を求めてじっと彼を見つめてくる人々を見て、彼は困った。どうしよう!
 切羽詰まったマコトちゃんは、知っているかぎりのイタリア語をしゃべった。
 「愛は力だ!」(アモーレがなんたら・・・)
 信者たちの表情が一瞬止まった。「?」
 マコトちゃんは、くりかえした。そうするしかなかった。だって、それしか知らなかったから。やがて人々のなかにどよめきが起こり、
 「そうだ! 愛は力だ!」
 人々が繰り返しはじめた。
 「愛は力だ!」「愛は力だ!」
 ・・・マコトちゃんは、このエピソードをことあるごとに語る。短い交際期間(数ヶ月くらいかなー?)の間に私も二度聞いた。
 マコトちゃんは、ミサのあとの別室での説教の話題を、信者でない私のために、わざわざ選んでくれたようだった。紹介してくれた知人の家で、私が持っていった手作りピザの、私の食いかけを、「それをくれ」と言って食べた。
 それで、その知人との仲が気まずくなった。彼女は、「あんなにしてまで、女の気を引きたいのかと思ったら、彼に幻滅した」と語った。
 しかし、私はこんなふうに考えている。___ミサとは、キリストの最後の晩餐の再現である。その時、イエスは弟子たちと食べ物をわけあって食べた。ミサは、いつどこでも、「再現」できる・・・と、マコトちゃんが貸してくれた「カトリック入門」みたいなヴィデオにあった。つまり、それは、マコトちゃんなりの、「ミニ・ミニ・ミサ」であったと。
 マコトちゃんは、田舎の家を訪れたさい、仏壇があれば、手を合わせる、と言っていた。「ほかの神父が聞いたら卒倒ものだけどね」。
 彼は、たぶん、今頃は、エライ人になっていることだろう。
 酒場で、デブで、一見風采のあがらないアーティト風の男がいたら、それがマコトちゃん・・・山元神父さまである(アーメン!)。
 なんだか、チェスタトンの「ブラウン神父」のようである(笑)。
 私はもちろん、どんな宗教にも与するつもりは、いまもない。


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 映画『薔薇の名前』では、博学にして高潔な師、パスカヴィルのウィリアムの役は、初代007である、ショーン・コネリーが演じた。この役は、ありとあらゆる学問に通じ、事件の謎を解くために忍び込んだ文書館では、さまざまな時代のさまざまな本を手に取り解説を加えていく。かてて加えて、思慮深く、心優しく、その時代の新しい事柄や学問にも通じ、分析力も論理の力も卓越している。
 このような知的ですばらしい師を、かつてのアクション俳優が演じているのだ。
 しかし、映画を観、それからだいぶ後になって原作を読むかぎりでは、この役は、彼以外には考えられない。パウカヴィルのウィリアムは、なるほど知的ではあるが、まだ体力も気力も相当残っている初老の男である。いまだにセックス・シンボルといってもいい、精力ぎらぎらのショーン・コネリーが、一度として女人と交わったことのない修道士を演じるのは、なんともそぐわない感じもするが、やはり、あのくっきりとした目鼻だち、たくましい体あってこそ、この、書物で形作られたような陰鬱な物語は、不可思議な精彩を放つのである。
 一方、宗派は違うものの、彼の弟子であり、事件解決のアシスタントとなる、若き見習い修道士、メルクのアドソは、クリスチャン・スレーターが演じた(40章にも書いたが)。スレーターは今、なんの罪かよく知らないが、おそらく暴力事件か何かを起こして、刑務所に入り、罰則としての労働をこなしている。たぶん、罰金を払えば、免除になったのかもしれないが、スターである彼は、普通の若者のように、そっちの方を選んだのだ。
 ショーン・コネリーは、007を演じていた当時、すでに禿げていたにも関らず、カツラを付けて出演していた。それは彼の本意ではなく、007のイメージから、監督だかの命令でそうしたのだと、聞いたことがある。007を引退した時点で、彼は、カツラを取った。
 そんな二人が、中世の書物にまつわる事件の物語を演じる・・・『薔薇の名前』(東京創元社)下巻、90ページのあたりで、彼は、幾度めかの挑戦の文書館に忍び込み、迷宮のような部屋の本棚に詰め込まれた、古今東西の書物を検討していく。それはたぶん、エーコがお得意の分野で、当然われわれにはなじみのない、さまざまな言語で書かれた中世の著作が列挙される。
 二人は事件の謎を解くという「貫通行動」を忘れないながらも、次々出て来る宝のような書物に夢中になる。・・・果たして、映画『薔薇の名前』にそのような場面があったか、もはや覚えていない。しかし私は、この場面も、(ほかのどの場面もそうであるが)、例の二人の姿をありありと思い浮かべながら読んだのである。
 この、書物というものへの、オマージュであるといってもいい物語に、もはや、ショーン・コネリーとクリスチャン・スレーターの姿は不可欠である。
 この物語のなかで、彼らは、その頃の、ありとあらゆる知を検討する。テンポのいいミステリーであるというよりは、深く知的である本書。そこには、ショーン・コネリーの老いてはいるが、まだまだ活力のみなぎる肉体と、クリスチャン・スレーターの、どこかやんちゃな、それでいて無垢な肉体が交錯している。
 イギリスの修道士ウィリアムと、ドイツの見習い僧、アドソ。彼らはまだそこにいて、書棚から本を取って、興奮のうちにページをめくっている。



 註 「貫通行動」・・・ロシアの演出家、スタニスラフスキーの理論で、劇の登場人物の行動原理は、ある目的に貫かれている、とするもの。(余談ではあるが、この理論は、アメリカのアクターズ・スタジオによって継承されている。いわゆるリアリズムの演技である。ハリウッドにもアクターズ・スタジオの出身者は多い。例、アル・パチーノ。ロバート・デ・ニーロ。ダスティン・ホフマン)


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 スーパー・モデルの体に、天使の顔をした女テロリスト、ヴィーナスが、私との銃撃戦の末、脳死状態で捕まって、FBIの医療センターのベッドに横たわっていた。彼女はその前に、このNYのどこかに、細菌爆弾を仕掛けていた。それがどこか。知るよしもない。ただ、彼女の妹、ガブリエルだけが知っていた。ガブリエルは、凶悪事件の犯罪人だけが集められた刑務所にいた。妹は、警戒心が強く、姉だけに心を許していた。
 そういう事情から、私にある話が持ち込まれた。これは、医療チームが発案したものであるが、上の許可を取っていない非公式な作戦であると言う。
 「きみがヴィーナスに変身して、かの刑務所に潜入し、彼女の妹から、爆弾を仕掛けた場所を聞き出すんだ」チームの長が言った。
 「変身……って、どうやって?」
 「眠っているヴィーナスの顔の皮を剥ぎ、きみのと置き換える」
 「そんなばかな。いいかげんにしてちょうだい。もっと現実的な案はないの?!」
 こういった考えは、いかにも安直で、SFX映画のシナリオにしか存在しないと思っていた。だが、私は、一応、顔だけ、ヴィーナスの顔に変身した。
 思えば、あの映画では、身長、体重、目の色、髪の色、と、だいたいのところは、似ていた二人だったから、顔面の移植も効果があったのだ。しかし……いったい、この私の体に、天使の顔があったとして、いったいどんな意味があると言うのだ? 悪い冗談としか思えない。いや、そんなもんじゃない。悪魔への挑戦としか……。案の定、潜入した重犯罪人刑務所で、彼女の妹、ガブリエルに言われてしまった。
 「あんたみたいに、チビでデブの女が、どうして、姉さんなんかに変身できると思ったの? 図々しいもいいとこね。それに、FBIの捜査官て、身長制限ないの?
 「あははは……」と私は笑った。そんな屈託のない笑いが、この刑務所、受刑者たちが磁石のついた足枷を付けられている陰気な刑務所内に響いたのは、開所以来のことだったろう。私は言った。
 「ないのよ」
 ガブリエルはあっけにとられたみたいな顔をしていた。
 それでなんだかんだあって、私は、脳死状態であったはずのヴィーナスが意識を取り戻し、自分の顔が剥がされているのを知り、激昂し、部下たちに連絡を取り、手術をした医者たちを捕まえ、脅して、不本意ではあったが、アルコールの容器に残された私の顔を、彼女の顔面に移植させた。医者たちは、手術の後、惨殺されたのは言うまでもない。
 鏡を見て、ヴィーナスはさらに激昂した。
 「ちくしょう! なんで、私がこんなブスの東洋人の顔にならなければならないの!」
 今や彼女は、スーパー・モデルの体をした、ブルー・アイの、しかし凹凸のない、ブスな東洋人の女だった。あ、髪はもちろん、金髪のまんまね。
 「ぜ、ぜったい、地獄へ送ってやる!」
 しかして、われわれ二人は出会い、対決の時が来た。
 われわれは互いに銃を突きつけあい、互いの顔を見合った。
 「くそっ!」お互いにそう言った。
 「なんで、チビでデブのあんたと、この私が、すり替えられなきゃいけないの?!」
 「まったく。顔だけあんたになったって、いいこと全然ないんだもの」
 「こんな作戦を思いついたやつは、とんでもないキチガイよ。どうせ地獄へ送ってやったけど」
 「でも、まったく意味がなかったわけじゃない」
 「え?」
 「超美人だって大していいことがないってことよ」
 「不完全な超美人だったくせに。むしろ、美の大半は、こっちに残っているってことよ」
 「ばかね、あんた。大柄な女は癌になりやすく、老化も早いって知らないの?」
 「科学的データはあるの?」
 「極秘にされてるけど、誰もが経験上、知っている事実よ」
 そして私は彼女がひるんだ隙に、こんどこそ、彼女を地獄へ送ってやった。彼女の顔、つまりかつては、私の顔だった、ブスの東洋人の「お面」は、蜂の巣状態になり使い物にならなくなった。
 「やれやれ」と救急外科医である私の夫は言った。「これで爆弾の仕掛けられた場所は永久にわからなくなったぞ」
 私は言った。
 「あんた、新聞読んでないの? あれは、彼女がFBIの英雄になりたくて、自分で見つけたふりをして、自分で解除しちゃったのよ」
 「なんだ、彼女も、結構、『きみの顔』を楽しんでいたのか」
 「私、あの顔に結構、愛着を持っていたのよ。でも、今更、取り戻したいなんて思っちゃいないけど」
 私は少なくとも、そんなおセンチな気持ちが、FBI捜査官として命取りになることを知っていた。

 


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