(メタ)小説「私のように美しい女__あるいは、いかにして私は火星人を愛するようになったか」
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もうそろそろ、このオンライン小説も、ネタ切れと思われているだろうか?
ネタなんか最初から切れている。
インターネットが盛んになって、あちこちで、オンライン小説の花が咲いた。まるで、春になって、タンポポの花が咲くみたいに。今でも、それは、はびこっているにはいるだろう。なんせ、他の小説なんてまったく見てないので知らないが。ときおり、なんかのニュース・レターに紛れ込んでくる、なんとなく見えてしまう「情報」によれば、けっこう、いろんなとこで書かれている様子だ。
ごくたまーに、私も試しに行ってみることはある。しかしその内容はおくとしても、ここまで執拗に続いている小説はまれだ。だからって、それがどうしたというわけでもないが。また、ある程度長く続いている小説も、ストーリーだけを追ったものが多い。「意識的に書かれた」純文学で、ここまで長く続いている小説は、ここをおいてほかにはない、と私は自負しております。
実はこの小説は、「続ける」という意志だけがテーマなのかもしれません。でもだからって、デタラメでいいわけはありませんが、普通の小説と違って、構成などの設計は存在していません。
ま、行き当たりばったりっていうかー……。
私が今日お話したいのは、私もまた、異星人に見舞われたことがある、ということです。
……あれは、大きな荷物を背負って「こんにちわあ」(と大阪弁のアクセントで)現われた「富山の薬売り」のオバサンです。政治活動をしているオバサンのような銀縁の眼鏡をかけていました。なんで「富山の薬売り」が大阪弁なのか、当時の私は理解に苦しみましたが。
物心ついた時から、私の家では、「富山の置き薬」が置いてありました。正確に言えば、富山県に本社を持つ、「富山の置き薬の流れを汲む」製薬会社の置き薬です。母親がセールスを断り切れなかったのか、数社の製薬会社の薬が置いてありました。ということは、薬の箱が何個かあったということです。
しかしさらに正確に言えば、その大阪弁のオバサンのカイシャのは、箱ではなく、袋だったのです。
いつ契約したのか、私の子供時代の風景のなかに、そのオバサンは登場するようになっていました。
そのオバサンは、だいたい紺色の上っ張りを着物の上に着ていました。
私はそのオバサンがだいたいにおいて好きでした。というのも、「ハイ、先にオコタチに」と言って、紙、もしくはゴムの風船を、私や妹にくれたからです(「オコタチ」などという言葉を知ったのは、そのオバサンからです)。
そういう置き薬屋は、救急箱の中身のように、風邪薬、熱冷まし、腹痛用と、一そろい揃った薬の箱(もしくは袋)を置いていき、一ヶ月後か数ヶ月後に来て、箱の中身を調べ、使ってあったものだけ代金を取るのだ。また、古くなって使っていないのは、新しいのに変えていく。
たいていは営業っぽい男の人がまわっていたのではないかと思う。いまでも、そうしたシステムはあるみたいだ。
その大阪弁のオバサンのみが、布に包んだ大きな行李をかつぎ、まさに「薬売り」よろしく、「こんにちわあ」と入ってきたのだ。
そしてどういうわけか、たいてい、私の家で、荷物から弁当箱を取り出し、食べていった。
その際、
「奥さん、水かお茶か、どっちでもかましまへんけど、いただけまへんやろか?」
と私の母にいうのであったが、まさか、水を出すわけはなく、たいてい母は、「あ、お茶ね。ハイ、どうぞ」と、まるで、気がつかなかったのが悪いみたいに、そそくさと出してあげるのであった。
私の母も、善人ぶっているのは、表面だけで、結構、裏ではそのオバサンの陰口をたたいた。
曰く、「あのオバサンは、ダンナさんをよその女の人に取られたのに、『しゃーないわー』と笑っていた」
私は幼心にも思ったものだ。
(そうか。あんな色気もそっけもないようなオバサンにも、そういうエピソードがあったのか)。
後年、そのオバサンが姿を見せなくなってから、また母は噂話をした。
「あのオバサンは、ボケて、荷物を背負ったまま、高速道路を歩いていたそうだよ」
あのオバサンは当時、何才ぐらいだったのだろうか? ひょっとしたら、いまの私より若かったのかもしれない。
いや……やっぱり、あのオバサンは絶対に……海王星人だったと思うなー。
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銀河系から遥か、何百万光年も彼方の宇宙から、地球に侵略してきた宇宙人がいた。よりにもよって、物好きな……。なぜ地球なんかに? 何百万光年もあるというのに……。同じ攻め入るにしても、もっと手近な★はなかったのだろうか? それにしても、無限大の宇宙で、ひとつの★がひとつの★に攻め入るという関係の、なんという確率! それを思ったらめまいがする。それはさておき、
そのころ、地球は、なんというか、「世界史」でいうところの「中世」だった。地球誕生以来、46億年は経過しているのだから、これを「昔」ということはできない。
だが、「中世」(……って、おもにヨーロッパのことだが)に、SFはなかった。ゆえに、「宇宙人が侵略」などという発想もなかった。それはずっと「未来」のことだと思っていた。しかし、考えてみれば、なんで「未来」だと、宇宙人が侵略して来て、中世だと「ない」と思えるのだろう?
まさか、われわれは、「騎士」とか「異端審問」とかそういうことで、頭がいっぱいだったとでもいうのだろうか? それは、「いま」のオハナシ。「いま」のわれわれにとっては、中世のできごとがすでに、宇宙人じみているのだから。
そのころ日本は、というと、なんと戦国時代だった。もちろん、宇宙人の船団は、全地球を調査、とりあえずは、文明のありそうなところへ、宇宙船を送り込んだ。
1543年 ポルトガル船が種子島に漂着、鉄砲を伝える。
1549年 フランシスコ・ザビエル、鹿児島で、キリスト教を伝える。
並の小説家だったら、このあたりが怪しいと記すだろう。
それはあまりに、地球人に都合のよい考え方だ。実際は、もっと信じがたいものである。
15**年、地球より遥か、数百万光年離れた*星の生物は、まだ地球が誕生してないころに、その★を出発した。そして偶然地球の誕生を知り、急遽この★を侵略することに決めた。
地球の各地に、何万という船団が着陸した。彼らは高度に発達した(あたりまえだ、宇宙を旅することができるのだから)技術を持っていたので、日本の戦国武士も、ヨーロッパの騎士も、カトリック教会も、アメリカ大陸の先住民も、オーストラリア大陸の先住民も、アフリカの部族も、お手上げ状態であった。われわれは、なんら、これに対抗しうる技術を持っていなかった、どころか、さっきも言ったように、「宇宙人に侵略される」という概念すら持っていなかった。
で、当然のことながら、われわれは全員滅ぼされ、あとは宇宙人のほしいままになった。
……ということは……。
そうなのだ。われわれは、すべて、その宇宙人の末裔なのだ。しかし、なぜ? こんな地球なんかを侵略する気になったのだろう? そこを乗っ取り、なにかいいことあったのだろうか?
われわれは、われわれの先祖に思いを馳せる。
「いま」となっては、それは永遠のなぞである。
わかっていることは、われわれ子孫はいまだ、「母国」を訪れる技術を持っていないということだ。*星人はあまりに地球に同化しすぎた。それほど地球は住みよいとこだったのだろうか? いったい「母国」はどんな★だったのだろう? 「いま」もまだそこにあるのだろうか?
*星人の、*に入る言葉はなんだろう? それさえ、いまはもうさだかではない。「中世」という時代のどこに、われわれはその片鱗を求めればいいのか? この時代は、あまりに、怪しい事柄が多すぎる。どれもこれも、宇宙人ぽいといえば、ぽいではないか。
ねえ、>NASAの人。
(まあ、このあたりで終ってもいいのだけどね、この小説。まだ続けます?)
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三十年以上前の方が、豊橋市は今よりモダンな都会だったような気がする。駅付近には、建物が立て込んだ路地があって、その一角に、オレンジ色の扉のレストランがあった。
父方の祖父母が静岡県の周智郡春野町という山の中から出て来ると、必ず集団で街めぐりをして、そのなかに、父と私が加わっているのだった。
あるとき、一行は、そのオレンジ色の小さな扉、(それはその頃「流行り」の「デコラ」とかなんとかいう、表面がツルツルの新建材でできていた。なんでそんなことに私が詳しいかというと、父親が家具屋だかに勤めていたからだと思う。だと思う、というのは、私の父は、職場を転々としたからだ)を開けて、そのレストランに入ることにした。昔のレストランは、店内が見えないものが多かったと思う。だから扉を開けてみるまで、なかがどうなっているか、わからない。そこは、かなりこじんまりとはしていたが、「食堂」というよりは、あきらかに「レストラン」だった。
遠州の人たちと、レストランはいかにも不似合いな感じがするが、立ち並ぶ店のなかから、なんで、その店に入ろうとしたのか。あるいは、オムライスやチキンライスの模型が、ガラス・ケースに入って出ていたのかもしれない。
実際のところ、その扉がオレンジ色だったかどうかも定かではない。もっとくすんだオレンジ色だったかもしれない。
その扉を、祖母か、祖父かが、開けさえしなければ、そのときいっしょにいた、父の妹の、キヨコねえ(遠州では、女の人のことをこう呼んだ)の人生は違ったものになっていただろう。
私はこのエピソードを思い浮かべるたびに、『ネズミの嫁入り』という物語を思い出す。ネズミの老夫婦が年頃の娘を連れて、太陽や、風や、壁のところに行って、「どうぞ、私の娘をもらってください」と頼むのだ。
私たちは、カウンターの席に並んで座り、オムライスとか、チキンライスとか、そういったものを注文した。すぐに、祖父母が、調理しているコックに話しかけた。ヤマガの人は、誰にでもすぐに、馴れ馴れしく話しかける。それは田舎者の証拠だ。
(ハズカシイナー……)と小学生3年ぐらいの私は思っていた。
すると、フライパンで手際よく、ケッチャップ入りのご飯を炒めていた店のコックは、嫌がりもせずに、田舎から出てきた者の話にのってきた。どころか、逆に、自分の身の上を話しだした。
「私は子供の頃、爆ぜるものを拾って……」
そのコックはそう説明した。確かに、彼のどちらかの目は、見えず、どちらかの手の、人差し指もなかった。
「それで、親が、手に職をと、店を持たせてくれたのです」
彼はなかなかの好男子だった(背が高く、頭が小さかった)。
「ひとつ、うちの娘をもらってはくれませんかね?」
祖父母が言った。
コックは答えた。
「ははー、いいですよ」
そのとき、キヨコねえは、一言も口をきかなかったような気がする。
小学3年だかの私は、それはただの冗談だと思っていた。
しかし、やがて、そのコックと、キヨコねえは、結婚した。
つまり、そのコックは、私の叔父になったのだ。
それから、何度も、そのオレンジ色の扉を開けて、そのレストランを訪れることになった。
「客」ではなく、「身内」として。
小学3年だかの私は、おとなの話し合いは、どのように成立するのか、よくわからないと思った。
豊橋市は、活気のない地方都市になり、祖父母も死んだ。叔母やコックの叔父の顔を見ることもなくなって久しい。ただ、オレンジ色の小さな扉だけが生き残り、かつてそこに、「時間」が存在したことを指し示している。
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上記の章が読者に与える、心理的効果について考える。「豊橋市」という地名が与える、その街そのもののような、なんとも、何の感想も持ち得ないただの地方都市のイメージ。「静岡県周智郡春野町」という、客観的描写を装った、おしつけがましい具体性、また、「私の父は、職場を転々とした」という私小説的な暴露性。にもかかわらず、「オレンジの扉」というイメージを導入することによって、臭い私小説を逃れようかとするような逃避性。
読者はそんな雰囲気を本能的に嗅ぎ取っているのではないか。
このエピソードは、小説全体のなかで、どんな意味を持つのか?
これでも、小説の「つづき」と言えるのだろうか?
確かに私の父は、「職場」を転々とした。しかし、私は十分な注意を払って、それを記述したつもりだ。彼は、「職業」を転々とした、のではない、「職場」を転々とした。なぜなら、父は、ある職場を辞めるときの理由を、母に、こんなふうに説明したからだ。
「男は、職場を変えても、職業を変えるべきではない」
果たして、「男は」と言ったのか、「自分は」と言ったのか、さだかではないが。
つまり、何か子供時代のことを書いて、許されようとする態度を、読者はそれとなく感じとっているのではないか。
そこに、何か意味のようなものを読み取るべきだろうか?
この先、このような細部が、時々現れるのだろうか?
つまり、意識は玉ねぎの皮とは反対に、外へ外へと向かうものなのだ。
小説を読みなれている読者は、こうした記述のすきまを、探偵のように、あれこれ調べようとするだろう。
これはいったい、他の小説と、どんな関係を持つだろう?
宮本輝なら、もっと貧しさを強調するだろう、とか、金井美恵子なら、もっとモダニズム的感覚を強調するだろう、とか。さらに、ジョン・バースなら、さらに「子供の時間的迷路」を書き込むだろう、とか。マルセル・プルーストなら、あとこの数千倍は書くだろう、とか。
書くということは、つまりそうした、「あとから読み手の心理を気にして、ああでもないこうでもないと、すでに書いてしまったことを考察すること」である。
読み手はなにか、書き手の意識が、そこに露呈されるのを期待している。
それゆえ、人は、他人の書いたものを読むのだ。
……なんてことをあれこれ考えたりしている。
つまり、「プロ意識が足りない」のだ、どこかの誰かがテレビで言っていたように。
Amazon.comで、『フィクションの組み立て方』とか、『作家になる方法』とか、そんな本を山ほど購入してしまった。
バカめ、遅いのだ。
案山子田稲穂は、探偵事務所でそんなことを考えている。「ハメット」とかいう例もあったな、と。
欠けているのは、美しい雨だ。
「『私のように美しい女』って? もちろん、私のことですわ」案山子田は電話の相手に向かって答えている。もし、マフィアによる殺人事件を目撃した少年と出会ったら、そのときは、命をかけて守ってやろうと決心している。
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