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「見て」と、私は男に語りかけた。「私の髪ときたらまるで──」そこで、私は言葉を失った。比喩として取り上げるものを思いつかなかったのだ。この世にある、ありとあらゆるものは、私の髪に似ていない。それどころか、皮膚にも骨にも似ていない。しいて言うなら墓石の下のミミズ。あのおぞましい生き物だ。しかしミミズでさえ、よく見れば、私の髪よりまだましだ。
「怪物ゴルゴーン」などという言葉を思い出してしまった、日本人の私が。そう、私は日本人、だと思う。日本国籍は、定かでないけど。だって、「その頃」は、国籍なんかなかったのですもの。いや、あったかもしれない。
人々は「その頃」のことに思いを馳せてくれる。「今」の人々は。牛車とか、きちょう(この言葉をMS-IME98は変換しない。「几帳」と書くのだけれど)とか、薄絹とか、羽目板とか、そういったものを通して。でも、私はそんなところにはいない。私は土の下にいて、脳裏にかすかに残る幻の男に語りかけている。これまで、どれほど多くの人間が、私をダシにしこたま儲けたことか。しかつめらしい解釈や解説や翻訳にはうんざりする。私は大学の国文科とか、そういったところと、なんの関係もないし、日本の文壇とか呼ばれるものも、どういうものだか、よくわからない。
私はこの1000年というもの、自分の容姿のことだけを気にかけてきた。なぜなら、恋愛には容姿というものが重要な役割を果たすからだ。「若くて美しい」。これが最高の切り札だ。そして、私が語りかける男も、いつまでも、年を取らない。だから私も自分の外見を気にしている。
いつだったろうか、私が死んだのは。私が書いた作品については、腐るほどの言及があっても、私が生まれた日はおろか、死んだ日についても、確かな記録はない。だからって、でも、たぶん、死んでると思うけど。
このあたりまで読んで、あの映画を見た人はたぶん、私のことを勝手に想像していると思う。そう、墓の下から、ぞくぞく死人が甦ってくるやつ。ほとんど骸骨で、髪とか、ボロボロになった服は、まだ体に纏わりついていて。ボサボサの髪の中からは、ミミズが垂れていたっけ。
とにかく私は死んだとして、死んだときは、もうすでにバアサンだったのかしら? 西暦1000年代のバアサンて、何才ぐらいからだったのかしら? ひょっとして、バアサンて、日本の特産品じゃないかしら? だって、私の時代より、さらに1000年も遡る「あちら」のオハナシには、そんなバアサンは登場しない。ペネロペイアも、ヘレネも、アフロディテも美しいまま。なんで、われわれ、日本人の女だけがトシを取らなければいけないの? それに、「この物語」、私が書いたとされる物語だけど、世紀の傑作と呼ばれているけれど、なんか陰気臭くてすきになれないわ。
そうよ、私は「あの頃」、海の向こうに、ほかの物語があるなんて、全然知らなかった。光や美しい肉体や、おいしいワインや肉や、奔放な愛や、そんなものに溢れた世界があるなんて……。しかも、私の生きた時代より1000年も前に。奔放な愛については、おまえも書いたではないか、と読者のみなさんはおっしゃるでしょうか? でも、あれは、そういうものではなかった。確かに私はあの時代、それを描くことを、試みてはみたけれど。それは、密かな、私の、体制への反抗だった。のちに、チェコからフランスへ亡命した作家、ミラン・クンデラは、私の主人公を翻案して、『存在の耐えられない軽さ』を書いた。ま、こんなことは、どうでもいいことだけど。
奔放な愛とは、私見によれば、一夫一婦制が確立された世界においてのみ、イミがあるものよ。私は、私の生きた時代の甚だしい前近代性を羞じる。
「だけどホメロスの時代の女は誰一人」と、傍らの男は言った。「きみのようには書かなかったぜ」
その男は薄絹の向こうにいて、昼の光を体いっぱい浴びていた。細長い手脚のシルエットが、まだ完全なおとなの男になりきっていないことを示していた。
私は少し気を取りなおして答えた。
「あなたが演じた、はくち(この言葉もMS-IME98は知らないふりをしている。だからどうだというのだ?)の少年は、はんとうに、はくちかと思うほどだったわ!」
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私はコンピュータにも、コンピュータの歴史にも、それほど詳しいというわけではない。ただ、それがどのように始まり、どのように進化してきたか、漠然と理解しているにすぎない。最初のコンピュータ=計算機はレオナルド・ダ・ヴィンチが作っただの、このところその進化が急速に進みすぎるなどと、いろいろに言われるが、よしや数百年の歴史があるにしても、最初の原始的な計算機から、いまも進化を続けるコンピュータまで、あるひとつの一貫した共通点というものはある。
それは、誰もが知っている、あの古代ギリシア以来の数の概念である。たとえ何進法で動いているにしろ、そこには足し算があり、位がある。またその逆の過程も存在する。
ところが私がさるところで見つけたコンピュータは、そのような原理では動かなかった。見かけは、いま、20世紀末に誰もが使っているノートパソコンにそっくりだったのだが。キーもあれば、モニターもあり、内部では記憶装置のようなものが動いている音さえ微かにした。
キーの配列には、アルファベットが並んでいた。その並び方も、20世紀末の普及型とほとんど変わらないものだと思う。一番上には、ファンクション・キーのようなものもついている。
これにはアダプターもあって、普通の家庭で繋いで使うことができる。試しにスイッチをいれてみると、画面が明るくなり、われわれの習慣だと、ここでそれぞれのパソコンのオペレーティング・システムの初期画面が現れるはずだが、このコンピュータは、ただボーッと蛍光灯のように明るくなっているだけである。
つまり、これは、OSが入っていない、「ただの箱」なのだ、と普通は思う。しかし、私は自分でOSを作り出す知識もないので、いたずらにキーを叩いていると、画面にいくつかの数字が浮かんだ。ここで少し知識のある人は、これは、MS-DOSのようなシステムが質問してきたのではないか、と思う。しかし数字は浮かぶが、どんな質問の形式もそこには存在しない。少し触っているとわかるが、そのコンピュータは、「質問-応答」形式にはなっていない。
そこには、なんらかの「言語」が存在するのだろうか? と、私は考えた。いわゆる機械語というやつだろうか?
しかしそのうち、数字は消え、今度は絵が現れた。もちろん、電話線などには繋いでいない。インターネットというやつからは切り離されている。にもかかわらず、その画面は絵を出し続ける。最初は青い地色、次に美しい薔薇色の薔薇の花である。
次の日にまたその美しい絵を見ようとスイッチを入れると、今度は夥しい数字を吐き続ける。その次の日は、見たこともないような記号の列だったりする。もはや、キーを叩く必要もない。どうやらキーは、叩くためのものではないようである。
この「コンピュータ」は、いつ、どこで、誰が、製造したものか? なんのために? 果たして、これは、私はそう言ってしまったが、ほんとうに「コンピュータ」なのか?
私はこれを、さる場所で見つけたと言った。その場所とは、実は、あるコンピュータ会社の倉庫の中なのである。白状すれば、私はこれを盗んで来てしまったのだ。しかしこれはとんでもない、「失敗作」だったのか? あるいは隠しておかなければならない「傍系」のコンピュータなのか?
やがて、その画面が何を映し出しているのかがわかった。
それは、私の夢だった。
前の晩に見た夢もあれば、次の日の、あるいは、何週間も先の夢のこともあった。もはや、覚えてはいない何十年も前の夢もあった。それが何十年も前の夢であることは、画面を見ていて自然に理解させられた。
キーは恰好をつけるためにのみ、存在した。つまり他の人に怪しまれないために、あるいは、本人の気休めのために。
あなたはこの続きを知りたいと思うだろうか? しかし、これ以上書くと、この小説の一章としては、長すぎるようになる。突出した一章があってもべつにかまわないのだが、実はこの話はこれで終りである。
あの「コンピュータ」のようなものは、私がそのことを理解するとすぐに、誰かに盗まれてしまって、盗難届けを出すこともできず、考えられうる場所を探しまわったが、そして未だに探してはいるが、見つかっていない。
私に残されたものは、青色と薔薇色への固執である。
そして、もちろん、この章は、稚拙ではあるが、あの人に捧げられる。
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私はあいかわらず、売れない作家、というか、「自称作家」であった。しかしなけなしの金をはたいて粗末な短篇集を出した。それをその人に送った。すると返事が来た。
「私は毎晩寝る前に、この短篇集を紐解くことにしています」
それは、私にとって、思ってもみなかった栄誉、望外の成功であった。作家として、これ以上の何がいろう?
私はこれまで、氏のさまざまな言葉に支えられてやってきたが、とりわけ私を勇気づけたのは、次のような言葉であった。
「幻想文学はいざ実際に書くとなると写実的な文学よりもはるかに骨の折れる仕事である、なにしろ語られている物語は真っ赤な嘘なのに、その象徴的、本質的な真実性はうそではないことを読者にかたときも忘れさせてはならないのだから。文学とはしょせんありきたりの持ち駒でしかない言葉の組み合わせによって実行される遊戯であることを認めようではないか。しかしその名人ともなれば__マッケンはその名人のひとりであるが__この種の代数かチェスのような遊びも、人間の感動と対応していなければならないことを忘れてはならない」
ここに登場する、マッケンという作家は、イギリスのアーサー・マッケンのことである。彼は、「その生涯の大部分を大英博物館にいりびたって過ごし、知る人もないような隠微な書物を渉猟した」そうだ。
マッケンの代表的な短篇集に『三人の詐欺師』というのがある。これは、中世末期に噂された「アブナイ本」、『詐欺師的部族について』より着想された。
その中世の禁書には、こうあったそうである。人類はこれまで、悪名高い三人のいかさま師によって誘惑されてきた。その三人にいかさま師とは、モーゼ、キリスト、マホメットである。
私が上梓した短篇集は、もっとずっと害のないものである。『三人のアーサー』という題で、その三人のアーサーとは、アーサー王、アルトゥール・ショーペンハウエル、アーサー・マッケンのことである。
しかしこの短篇集は、どんな倫理的、感情的帰結も提出していない。なんとかして、その短篇集の中身を知ろうとする試みについての物語でもある。
「私は毎晩寝る前に、この短篇集を紐解くことにしています。__J.L.B」
J.L.B__それはまさに、いかさまであることを明かす三文字であるが、そのいかさまの勝利は、あの三人の詐欺師の勝利とまったく同じようなものである。
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引用は、『バベルの図書館』(国書刊行会)「マッケン」の巻序文(土岐恒二訳)より。
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このオンライン小説を本にするようなことがあれば、その時は、オンラインにはない数章を、「おまけ」として付け足そうと思っている。
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歴史も中盤のある夏の日、パリで、ある王が、騎士たちを謁見のとき、鉄の重い甲冑を上げたその中は、空虚だった。
「それがしは存在しておりませぬ」と、その騎士は王に向かって言った。
その話をわれわれは、ある作家の作品で読むことができる。
語り手は、**であった(伏字はこの作品のオチでもある)。
この翻訳は現在の日本では、どういうわけか、別々の出版社から二種類出ている。そしてその語り手のオチを生かすには、語り手を意識した文体を選ばなければならない。しかし、一方の出版社から出ている翻訳には、そういう配慮がまったくなく、オチがオチとなる可能性がない。
それはどうでもいいことで、今ここで私が語りたいのは、私もまた「不在」だった、ということである。あの騎士に会ったとき。
つまり私は彼らから見て、異教徒の集団にいたのだが、どこか峠のような場所で、出会いがしら剣を抜いた。われらの仲間はしだいに散り散りばらばらになり、気がついたときには、剣を十字に合わせてにらみ合うわれわれ「二人」しかいなかった。私は兜の隙間から相手の目を見ようとした。しかし目はおろか、顔はどこにもなかった。
「おぬしもまたいないのか?」私は相手に向かってささやいた。
突然「ハッと」したような気配が兜の周囲に漲った。
「そういうおぬしも……」
「いないもの同士が、どうしてこのように戦わねばならぬのだ?」私は言った。
「それは、この世界の中心が空虚だからだ」
ジャック・ロンドンという作家の作品には、透明人間同士の決闘を描いたものがあるそうである。どんなものか、まだ読んではいない。しかし、透明人間と、「不在」は違う。透明人間は、いるのに、ただ見えないだけなのだ。しかし、その「姿」は、かなり近いものがあるだろう。
「世界に、中心などあるのか?」___何百年も過ぎたある日、私はふと洩らした。あの**は、不在の騎士に恋していた。あの騎士は、今はどのあたりをさまよっているだろう?