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叔父は、ニューヨークの下町に、小さなレストランを持っていた。そこは、いつでも車が違法駐車している、ごちゃごちゃしたいくつもの通りのひとつに面していた。その台所はもっとごちゃごちゃしていて、小さなテーブルを囲んで、一家がご飯を食べていたりする。う……食べているのは、スパゲティだが。あたりはニンニクとオリーブ油の匂いが染みついている。
その昔、朝鮮人だとか韓国人だとか、おとなたちが噂していた、イモトくんというボーイフレンドの家に遊びにいったことがあるが、その子の家は、なんというか、土木工事のオジサンたち相手の酒場をしていて、スルメが焦げたような独特の匂いがした。当時保育園児の私はわからなかったが、あとで、あれは、密造酒=ドブロクの匂いだと知った。そんな、匂いだ。民族が、どこか他国で一家を構え、台所で漂わせる匂いがあるとしたら。
知人が、何者かにプライバシーを侵害されているのではないか、という事件が起きた。その知人は、ある会社の労働組合カンケイの仕事をしている弁護士だったので、ひょっとしたら、それを妨害しようとする「マフィア」の仕業か、と言った。すると、その知人の友人、これは、私のボーイフレンドだったが、彼は、せせら笑って、
「ふん、マフィアがハイテクを使うか?」と答えた。
その後、事件は解決した。弁護士のプライバシーを、通信衛星を使った情報システムで「読んで」いたのは、NSA(国家安全保障局)であった。この「お役所」は、高度な情報化社会となった今、アメリカ合衆国において、いまや、CIAに代わってクローズアップされてきた。いや、ハリウッド映画において、というべきか。そして、当の「犯人」に関してもっと正確に言えば、NSAに所属する一部の人間によってであり、その人間は、「国家安全」の名のもとに、国民のプライバシーをすべて監視する法案成立に情熱を燃やす議員にそそのかされていたのだった。
事件はもっと入り組んでいたが、ここでは、「結果」だけを述べておこう。
ハイテクを駆使して、(例のNSA幹部の犯罪を偶然撮影したヴィデオ・テープを、撮影者に渡されたと目された)弁護士を追いまわしていたNSAの幹部は、その弁護士を捕まえたのはいいが、彼に「テープのありかを教える」と言われ、弁護士が仕事で一度行ったことのある私の叔父のレストランへ、案内された。そのとき、一家は食事中であった。叔母さんも、小さな従兄弟たちもいた。彼らの間には、なぜか、人相のあまりいいとは言えないオジサンたちも座っていた。
叔父は弁護士が入ってきたのを見て顔色を変え、女子供たちに席を外すように言った。なぜなら、叔父はその弁護士を、次に会うときまでに、叔父に都合の悪いヴィデオ(もちろん、NSAの欲しがるものとはまったく別物)を撮影したヤツを突き止めろ、でないと「ぶっ殺すぞ」と脅していたからだ。
弁護士のそばには、高そうなスーツを着た初老の男が付き添っていた。弁護士は、その初老の男に、叔父を指差しながら、
「例のテープは彼が持っている」と言った。叔父がなんのことかわからないでいると、すぐに叔父に向かって、高級服の初老男を指し示しながら、
「あのテープを撮影したのは、この男だ」と言った。
叔父と、その身なりのいい初老男は、互いに憎悪のまなざしでにらみ合った。
そして、次の瞬間、カンシャク玉が何千発もいっぺんに爆発してかのような音と光が散った。叔父とその仲間の人相の悪いオジサンたち、初老男と彼に付き添ってきた部下たちが、互いに撃ち合ったのだ。弁護士は咄嗟に冷蔵庫の陰に身を隠し、かくして、血まみれのたくさんの死体が残った。「高級服」もスパゲティのソースが口のまわりについたままの人相のよくないオジサンたちも、もちろん叔父も、みんな一様に腹に蜂の巣のような穴を開けて倒れていた。
……いやはや……
と、私は墓地からの帰り道に思った。確かにハイテクを駆使するマフィアはいないかもしれない。しかし、それだからといって、ハイテクを牛耳っている人間が必ずしもマフィアに勝てるとは言えない。あの弁護士は、マフィアのキレやすく容赦ない性格をよく理解していて、それが彼の身を守った。でもマフィアって、なんでいつも、あんな汚い台所に集っているんでしょう? 金がないわけじゃないのに。
★ヒスイ・キャンティの手記『マフィアの謎』より
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註: ヒスイ・キャンティは、拙作『新・リボンの騎士』の主人公で、日伊の混血である。
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窓から、汚れたアテネが見えた。私は枕もとの腕時計を取って、どれほどの時が流れたか知ろうとした。かれこれ……三千年近い時が流れていた。私は立ちあがって、バスルームへ行き、自分の姿を鏡に映した。
「私もかなり老けちゃったわね」と鏡の中に向かって言った。オリーブ色の大理石のような肌、豊かに実った麦の穂のような髪、エーゲ海のような瞳の色は昔のままだが、眉間に一本、亀裂のような皺が刻まれていた。その皺は、彼らが作ったもの。人間たちが。
「いや、姉さんは全然変わらないよ」鏡の中の男が答えた。完璧な、無垢につつまれた男。おまえの瞳は、ラベンダー色だ。
「今さっき、小学二年ぐらいの少年が、警察の死体置き場へもぐり込み、先に運ばれていた、彼の友だちの、お弔いをしてあげるのを見ていた。彼なりのお弔いをね。その昔、懲罰を受けた死者はお弔いをされず、その場に捨て置かれるのが常だった……。あの少年は、あんなに小さいのに、死者を葬ってやることが、彼の唯一できる愛の証であり、死者を尊重することだと知っていた。そしてその方法は、言葉による、ということも知っていた。だから、彼は友の名を呼び、彼のために、単純だけれど心に響く詩を作ってその場で語りかけた。それから、友の遺留品、靴と衣類だったけど、を持ち出し、路上で燃やした……」
「なにもかも変わっちゃいないのさ」鏡の中の完璧な男は鏡を抜け出し、窓枠に飛び乗った。体には何も付けていなかった。
「アンチゴネーのことを言ってるの?」私は眉をひそめて彼の姿を見た。「そんな恰好で、どこへいくつもり?」
「お使いだよ、父さんの」
そう言ってラベンダーの香りが漂うような笑みを浮かべ、窓から飛んだ。私が窓際に寄り空を見上げた時には、もう彼は、はるか彼方を飛んでいて、鳥と見分けがつかなかった。
私はクロゼットからカーキ色のトレンチコートを取り出して身に付けた。階下に降りていって、道路を斜めに横切り、カフェの椅子に座った。鞄からレポート用紙とボールペンを出して書き始めた──。
──敬愛するお父様。いったいどうするおつもりですか? この事態を。われらの母なる大地に、ガラスの破片のように埋まった地雷を。煩いコードのような国境線を。あなたは相変わらず私の弟に、真っ裸で空を飛ばせ、「お使い」をさせるおつもりですか? かつては栄華を誇ったこの私の街は寂れ、時代遅れのトラックが走り去って行きます。あなたはまだ、私に、この世界について報告せよとおっしゃるのですか? ほかの親戚、兄弟、一族は、どこへ行ってしまったのでしょう? この世界にいるのは、われわれ三人だけ。……いえ、実際には、あなたは姿を現さないのですから、私と弟の二人だけです。彼は、どこからあなたの「指示」を受けるのでしょう? どうか、お姿を、この手紙を読まれましたら、私の前に尊いお姿を、お現しください。
人の気配がしたので顔を上げると、給仕係りが飲み物を運んできたところだった。なんとなく注文してしまったその飲み物を、私はそれほど気に入ってるわけではなかったが、それはいかにもこの街にふさわしいような気がして、毎回たのんでしまうのだった。それは炭酸入りのオレンジジュースのような味だった。

(C)"Marie Claire Maison"
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マルセル・プルーストは、『失われた時を求めて』という「作品」を、死ぬまで改稿し続けた。今でこそ、完結した何巻本かに分かれた小説として流通しているが、それは、書かれた当時、もっと、こう言ってよければ、流動的なものだった。
彼にとって、「作品」とは、きれいに装丁され、書店に並ぶ、既製の製品ではなかった。それは、絶えず、脳裏で改定され続ける、まさに、「意識」だった。
最初に出版されたのは、『スワン家の方へ』だけで、続く第2編の『花咲く乙女たちのかげに』が出たのはその6年後だった。1922年には、彼自身が死んでしまい、死後も作品の刊行は続き、死んで5年経って、やっとその「作品」は「完成」した。
それを「完成」させるために、研究者たちが、挿入や訂正でくちゃくちゃのゲラや、残された夥しい「ノート」を整理した。
第1巻が出た時はまだ、「全体」は見えていなかった。このあとで、彼は、作品の長さを、当初の予定の50万語から、125万語以上に、考え直す。
つまり、彼にとって、「作品」とは何だったのか?
それを、われわれは、すぐに探ることはできない。
からくも、サミュエル・ベケットは、1930年に、とりあえず、「完結」していたにすぎない、「未整理」の「新フランス評論社」刊の『失われた時を求めて』16巻本を二度読み、「プルースト」論を書き、それに「接近」する。
それはおそらく、「接近」することでしか、得られないのだ。
あの、「勉強部屋のとなりの、アイリスと野生のカシスが匂う屋根裏の小部屋ですすり泣いていると見える、半開きの窓から入り込んでいる石垣の間から生えたカシスの一枝」は。
作家としての称賛、それは、プルーストにとって、何だったのだろうか? もちろん、いまでは、ありとあらゆる最大級の賛辞が彼に寄せられる。しかし、少なくとも、彼の生きている間、作品を「書き上げた」ことは、なんらカタルシスをもたらさなかった。
出版こそされたものの、どんな余禄とも無縁だった。新聞に次々載る書評、マスコミからのインタビューの申し込み、読者からの夥しい手紙、そして、何よりも、「作家」としてのアイデンティティーの保障さえ、あったのかどうか疑わしい。
のちに、20世紀文学の中で占めることになったとされる評価さえ、おそらく予想しなかっただろう。
つきつめて言えば、世間の人が自分をどんな目で見るか、そんなことは、それこそ、「意識の外」にあっただろう。
彼は、あのときの、あんなふうな微妙な気持ちを、とにかく書き留めておかなければと考えた。
ただ小説を書いているからといって、自分を、この偉大な作家に重ねるほど能天気ではないが、それでも、なぜ「私のように美しい女」なのか? と自問するとき、この作家は私に、回答を与えてくれるような気がする。
それは、火星人を愛するようになる、私の心の軌跡でもある。
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コマーシャリズムやジャーナリスムは、なぜか「老い」を憎み、覆い隠そうとしている。「その年には見えない」ふうにつくった、男優や女優を雑誌や新聞、テレビに登場させたり、髪の毛を多く見せる鬘や、皺取りクリームなどを売るのに躍起だ。そしてそれらに乗せられた人々は、鏡の中の自分に向かって、「いや、オレは(私は)、まだそれほど年取っちゃいない」と自分に言い聞かす。
果たして「老い」は、それほど憎むべきものか? なるほど、それは、やがて近づく「死」を予想させる。発展など見せかけ、あるのは、終息のみ。その事実に直面したくないがために、誰しも、国家までもが、「老い」を覆い隠すことに加担する。
だが私は、人はベケットのように「老い」を正確に測ってもよいと考えている。──髪の密度が薄くなった。前は地肌がこれほど見えはしなかった。いったいいつからだ? 知らない間からだ。「気がついたら」そうなっていた。思えば唾液も減少した。仰向きに寝ていると、口の中がすっかり乾いているのがわかる。以前は、そんなことを意識することもなく、口腔は、瑞々しい唾液で満ちていたはずだ。
それでも人はまだ抵抗する。「オレも年取った」などと言いながら、内心、まだそれほどでもないと思っている。若者口調を真似る。密かに、若者の好むものを探る。あるいは、あからさまに、若者を批判したりする。だが、「老い」の計測者は、絶対的な独房にあって、モンテクリフト伯爵のように、計測しなければならず、そんな暇はない。脳髄もまた年を取る。記憶がまだらになる。嗜好が変わる。昔好きだったものにそれほど心を動かされなくなる。その逆に、昔関心のなかったものに、関心を持つようになる。そして、「過去の時間」がしょっちゅう去来する。
あ、あの時、夢中で虹鱒を追いかけていた。エメラルド色に澄んだ山間の川の中で。そうだ、誰かを愛していた。だが、それさえも、川の水のように深く、意識できなかった。まるで……平面に住んでいる人間が、立体を意識できないように。
つまり、この世界が、三次元なら、死は、四次元であると考えられる。そして「老い」は、四次元について「計測」することである。バスの中で嫌がられる汚らしい老人になる前に、部屋にこもり、バナナを引き出しにしまい、テープレコーダーを用意しよう。そして始めるのだ。──あ、あの時、夢中で虹鱒を老いかけていた。まだその川には虹鱒が存在し、私は誰かを深く愛していた。そして時は、エメラルド色の川の水のように、永遠に留まっていると信じていた……