わざわざおこしいただいてありがとうございます。ひょっとしてあなたは、小説を書いていらっしゃるか、書こうとしていらっしゃる方ですか?
それとも、ただ単に、楽しもうとしているだけですか?
どちらにしろ、あなたが、まっとうな常識を持った方で、この小説を以前から読んでいただいている方なら、どうやら、この小説は、破綻しつつあると感じていらっしゃいませんか?
知らないうちに、わけがわからなくなってしまったと。いったい、こんな調子でいつまで、持ち堪えられるのだろうと。
親愛なる読者のみなさまにのみ、そっとお教えいたしましょう。いつまで続くか、それはわかりません。永久に続くかもしれませんし、インターネットが続くかぎりは、続くかもしれません。それは私にも今のところ、見通しはたっていませんが、わかっていることもあります。それはこの小説の結末です。結末はすでに用意されています。おそらく、ちゃんと、整合性を持つような形になると思います。
どうです? 早く知りたいでしょ? そのストーリーというよりは、形を。いったい、どんな形でオトシマイがつくのか。まあ、しばらくはおつきあいください。
この小説は、あなたとともに成長し、あなたを励まします。そして、あなたも、ひょっとして、小説を書いてみたいという気持ちになるかもしれません。もし、まだ、小説というものを、書いたことのない方でしたら。そしてすでに書かれている人にも、以下の言葉を改めて、思い起こしてほしいと思います。
「小説を書く上での絶対のルールは、ルールなど存在しないということである。あるとすればそれは、それぞれの作家が自分に課すルールだけだ」(デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』白水社)
そして、私は、この小説にどんなルールを課したか? ということです。それもたぶん、最後にわかることでしょう。それでは、「からっぽの洞窟」での、探検をお楽しみください。
リンクする先を「厳選」するという、さる「有名人」のサイトでリンクされていた、あるサイトへ行き、そこにゲストブックがあったので、自分のページも覗いてくれるよう書き込んで来たら、しばらくして、その人が私のページのこの小説を読み、感想をくれた。
それはいいのだが、感想のなかに「問題」と思われる箇所があったので、以下に抜書き、「反論」を(これは、厳密には、普通の議論での反論ではない。このような見解を持つ人とは、初めから、議論は、なり立たないと思っているので、これは、「わかってない人がよくする」質問に対する答えというふうに考えてもらった方がいいかもしれない)
(客)「ちょうど火星探査器がいろいろ映像を送ってきているおりまた、ほかにも、超今日的キーワ−ドがちりばめられており、いわばブラウン管からあふれでる、用語のエントロピーを西洋文学・哲学的なパラダイムで再構築しようとする試みに思えまた、何がしかの批評精神もこめられていると思い興味深く読み始めました。しかし、何となく感性の乱反射になってきているかな〜と感じ始めた所へ破綻とか、わけがわからなく、とか小説の手法そのものについて言及する頻度が増えてきたのはいささか失望せざるを得ませんでした」
自分が持っている「小説観」で、一生懸命理解しようとするのはわかるけど、この小説をそのような「尺度」で持って計ろうとすることが、すでに「読み手」としての、あなたの破綻を意味します。
「小説そのものについて言及する」、そういう小説を読んだことがないのでしょうか?
これは、「文学用語」で、「メタ小説」と呼ばれます。
あ、そっかー、私は、みんなわかってる、と思っていたけれど、どうも、そうじゃない人の方が、この世界には多いんだ。
ゆえに、「メニュー」を一新し、このサイトを「メタ・サイト」、ここで書かれる小説は、「(メタ)小説」としました。括弧に入れたのは、正面きった「メタ」もまた、既成の物語に掠め取られる恐れがあったからです。括弧に入れて、人の手の届かないようにしました(ふっふ)。
(客)「インターネットでの作品発表の特性として、原稿を書き終えてわずか数分後にリリースする事さえできます。半面、一度リリースした文章も、人に知られない内にこちょこちょと校正することができる点、これも大きな特徴です。となると、たとえ一時的に行き詰まっても、後で落ち着いて組み立て直していけば、
破綻ということにはならないはずです。 すくなくとも破綻しつつあるという作者の不安をメッセージとして受け取ることに何の意義も見出せません」
「破綻しつつあるという作者の不安をメッセージとして受け取ることに何の異議も見出せません」という、そのことが、あなたの「小説観」を露呈しています。
あなたにとって、小説とは、小説の語り手=作者であり、そこにそのまま書かれた言説は、「作者」が「読者」に送るメッセージなのです。
こうした「小説観」は、非常に古く、しかも、あまり高級ではないもの、言わば、「大衆的読み物」における、「約束事」のようなものです。
(客)「折角だから、 何とかエントロピーのジグソーパズルが一応の完成を見るまではもがいてほしいものです」
「エントロピーのジグソーパズル」とは、なんか、意味のあるような表現です。
しかしこの表現は、一見何かを言っているいうようで、何も言ってない、つまりは、「印象批評」のようなものです。
だいたい、エントロピーが「閉じる」ことはないのです。拡散する一方だから、エントロピーと呼ばれ、そこにあるのは、「結末」ではなく、「平衡状態」です。
(客)「この際、お金にならない、という事は問題になりません。 私自身、まったく経済的見返りを計算にいれずにホームページをやっておりますがそれがいかに愚かしい道楽であっても、無責任な情報を発信することは、インターネットの発展の妨げにしかならないと思います」
あなたは、インターネットというものを、何か、「使命を持った者がする」社会的行為をする場所と思っていませんか?
それは、インターネットというものを正しく理解していない証拠です。
それに、自分の理解の及ばないものを、「無責任な情報発信」と決めつけています。
インターネットで、ホームページを開いている個人のほとんどは、「まったく経済的見返りを計算にいれて」いません。
自明のことをわざわざ言われると言うことは、ひょっとしてあなたは、文豪かなんかですか?
あなたのお名前は、ひょっとして、谷崎潤一郎さんですか?
(客)「しかし、問題の核心は至って単純であり、自分が本当に発信したいエッセンスは何か?
それがはじめから明確になっておれば、読者には必ず伝わるし、そうでありさえすれば、
インターネットの将来に新しい地平をきりひらく何らかの貢献ができているはず。
つまり、その最低限、絶対伝えたかったメッセージをきちんと伝える技術に不足があったのかそれとも、初めから伝えるべきメッセージが不明瞭であったのか、
そのどちらなのでしょうか」
あなたは、アタマが悪いだけではなく、ファシストです。インターネットは、「初めから明確になっているメッセージを読者に伝える」ために存在していると、固く信じているところに、それが現れています。
(客)「局所的には楽しませていただいたので、 私にとって時間の浪費だとは思いませんが、
万一、伝えるべきメッセージの核心が何であったのか自分でもわからない、ということであれば、ちょっと納得いきませんね。
また書きながら絞り込んでいく、そのプロセス自体を公開されているのだとすれば
、そのような試みもあってよいかと思います。しかし、その場合も、出来上がった部分の中で意味のある個所とない個所を選別して、書き直すことにより、
読者に対し、効率的にメッセージが伝わるような気がします。 以上、私も十分に深く読み込んだわけではないので
見当違いな点もあるかもしれませんが、文脈の流れの中に、 再度、じっくり読みとろうという気になれないような記述が散見したのでその旨お返事した次第です」
そうですか、ありがとうございます。
ついでながら、この小説は、「紙」の上に採録しており、その際、細かなところは手を入れ、後から、オンライン版も「人知れず」訂正しております。そんなのは、自明の理ではありませんか。
しかし、大きな流れは変えていません。それを変えることは、この小説そのものの、コンセプトを変えることになるからです。
ちなみに、この人は、自らのサイトで小説を発表していて、自分の小説の「面白かったところを言って」くれ、と言っている。
私は、確かに、この人のサイトを訪れ、ゲストブックに記入したが、それは、「客引き」のためであり、この人の小説は題名からして、ほとんど、読む気が起こらなかった。
その題名は、NHKでやっている、大型時代劇ドラマで、なんかよく知らないが、武将の名前をそのまま題名にしたものである。
NHKのドラマと、その小説と、関係があるのか、ないのか、読んでないから、知らない。
こっちが読んでないのに、このように丁寧に読まれて感謝していますが、こういう「読み手」は、ほんと、こまっちゃうのよねー、と、思えど、排除はしません。
それは、書いた物を公にしている人間の最低限のルールです。
でもなー、である、
これが、「厳選リンク」の主の一人なのである。悪いけど、どーゆー「厳選」だか、と思ってしまいました。
しかし、「浜の真砂は尽きるとも」、世に、小説のネタは尽きまじ!