●ヤマトジョーを宝塚記念に出走させる会って?●
ヤマトジョーを宝塚記念に出走させる会、略称YJ会は、1996年8月18日中山競馬場第6レースを
機に結成された。ヤマトジョー号を応援し、ファン投票で宝塚記念に出走させてしまおうという、
言語道断、大胆不敵な人間の集まりである(言い過ぎ)。あまりに危険な思想の持ち主達の集団で
あるため、常に当局の監視下におかれ、先だっても破壊活動防止法により解散命令が出されたの
は記憶に新しい(そうなのか?)。そのために現在は地下に潜り、ゴラン高原への脱出を図っている
らしい(もう目茶苦茶)。
前身はヤマトジョーを未勝利脱出させる会である(これは本当)。
1996年8月17、18日の両日NIFTY-Serve、FHCUL(競馬文化フォーラム)9番会議室のアクティブ
メンバーを中心にオフ会が行われたのである。18日は中山競馬場が舞台であった。
時あたかも昼休み、第6レースの前である。皆レースの予想に余念が無い。新聞を広げ考え込んで
いる。ちなみに俺はといえば、複勝転がしが見事にこけ、呆然としていた(誰もお前のことは聞いて
いない)。
そこへ、Joe氏が現れた。すると突然、悪徳コーチ屋として悪名高い紅茶タマ氏が、
「Joeさんが来たから、次のレースもジョーが来る!ヤマトジョーで絶対や!」
と雄叫びを上げた。可哀相に、ついに暑さで頭をやられたらしい。哀れコーチ屋は救急隊員に
連れられ、競馬場を後にしたのである。その後彼の消息を聞いたものはいない。合掌。
「こらぁ!勝手に殺すなぁ!」(紅茶タマ)
おっと失礼、本人からクレームが付いてしまったようだ。とにかく、そう叫び、皆にヤマトジョーを買う
ように強要したのである(強要はしてないか)。
「ヤマトジョーが来る。今は特別サービス期間中やから、コーチ料はただや!ヤマトジョーやで」
そして、ヤマトジョーは皆の期待を背負って走り、見事3着に入線したのである。
生まれてはじめて「自分の手で」買った馬券が当たったことに感動したJoe氏と、あき氏および
その時ヤマトジョーの馬券を買った人間を中心に、ヤマトジョーを何とか未勝利脱出させたいと
願う人間が集まり「ヤマトジョーを未勝利脱出させる会」が結成されたのである。
その後ヤマトジョーは勝ちきれないまま惜しい競馬を続け、このまま未勝利脱出できないのか、
と会長以下会員を心配させていた。が、1996年10月5日、時あたかもエアガッツが未勝利戦を勝ち
上がった日の第8レース、サラ系4歳未勝利戦芝外回り2200mを2:15.5のタイムで豪快に追い込み
を決め、後続に2馬身の差をつけて見事勝ち上がったのであった。
その記念すべき現場には、新潟在住の競馬バカ氏、そしてアルゼンチンタンゴが出るはずの秋野S
を見るために早割りで新潟までの航空券を買ったらその前に引退されてしまって目的が無いまま
新潟へと向かったえぐいー氏が立ち会ったのである。
未勝利を脱出したため、会のメイショウテゾロ、違った、名称を紅茶タマ氏発案の「ヤマトジョーを
宝塚記念に出走させる会」と改め現在にいたるのである。
何と懇切丁寧な説明だろう。YJ会会長はじめ会員諸君から、感謝の気持ちのこもった付届けが
わんさか届くことを期待している。
肝心のヤマトジョーは勝ち上がった後休養に入り、現在まで復帰していない。会長はいつ復帰かと
気をもんでいる。このままでは、500万、900万連勝−目黒記念格上挑戦で2着−宝塚記念の
予定が狂うそうだ(笑)。
●ヤマトジョーのプロフィール●
ヤマトジョー 牡 5歳 栗毛 サラ 93/03/24生
父:Old Vic 母:リバーラーク 母父:Riverman 母母:Fly Me
調教師:(東)山田要一 馬 主:河内孝夫 生産者:鍋掛牧場 産 地:栃木県
●YJ会結成秘話実録●
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紅茶タマ |
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あき |
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これが証拠よ! |
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Joe |
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これが証拠。 |
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えぐいー |
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ミツオ(当時はオウライオン) |
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えっへっへ。 |