年の初めに 2007.12.30
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一刻も早く北朝鮮に誘拐された人々が帰ってこれますように

まだ07年が終わっていないなんていっちゃいけない。門松(かどまつ)を12月に飾ってはいけないということもない。それに、私はあなたがこの拙文をいつ読むのか知らない。私が書いた日ではなく、もしかしたら何年後かもしれないのだ。細かいことを言っちゃいけません。

「年〜の初め〜の」と歌われたのは今は昔
しかし「今年はいろいろありました、来年はどうなりましょうか?」あるいは「昨年はいろいろありました。今年はどうなるのでしょうか?」なんて文句は永遠に使えそうだ。
確かに年の暮れ、お正月になるとそんなことを考える。
自分のこと、たとえば今年こそこれをするぞと誓うとか、家族のこと、会社のこと、そして日本の国とか、世界のことに思いをはせたのではないだろうか?
年末を反省の時とするとか、計画の起点にすることはもちろん大事だが、年末年始というのが特別なものではない。企業や官公庁においては年末より年度末が重大である。またそういう意味ではなく、物事というのは連綿としているのだから、ある一つの時刻をとらえてどうこう言う意味はあまりない。

機械でも施設でもあるいは作業能率でも管理するということは、管理指標を定め定期的あるいは継続的に管理指標を測定することである。測定値した管理指標は常に変動する。変動の原因にはさまざまな要因もあるし、測定誤差もある。管理指標をグラフにプロットして管理限界内に収まるように手を打つというのが管理するということである。
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管理とは規格の限界を超えないようにトレンドを見て手を打つこと
フィードバック発動点を超えたら負のフィードバックをかけるのはもちろんだが、上昇あるいは減少傾向が続けば対策する。
フィードバック発動点はその時点から負のフィードバックをかけて限界を超えないよう間に合うところにするのは当然である。
このとき管理指標が許容限界を超えてはいけないが、許容限界内の変化であれば、少しの変化、一時の変化に一喜一憂するのではなく、傾向を見て対策する、しないを考えることが必要である。そういうものが予防処置になったり改善になったりする。
世の中の動きも全く同じだと思う。というか私にとって、機械のご機嫌、排水のデータ、作業能率などと、社会の動きというものに違いがあるとは思えない。
そういう見方をすると、いっときの社会の変化、政治勢力の変化、文化人の言動などを気にすることはないのだろう。
たぶんそんなものをファドというのだろう。Fadという言葉そのものが日本では流行語であったが
流行(はやり)なんてのは文字とおり流行であって気にかけることはない。はやるものはすたれていくのである。

さて、そういう見方をすると、日本という国の一時的変動ではなく、トレンドを考えないといけない。
そういうトレンドを年末年始の時間の余裕がある時に考えることは有意義かもしれない。あるいは無意義かもしれない 
日本のトレンドをみれば、過去より連綿とつながり続いていることは明白である。
たとえば平均寿命をとらえれば、明治時代から継続して伸び続けてきた。太平洋戦争などの戦死や戦災による影響は思われるほどのことはない。嘘だと思うなら調べなさい。
GDPであろうとGNPであろうと、工業出荷額も明治維新から伸び続けてきた傾向は変わらない。
政治はどうだったのか?と考えればこれもまた一筋の道を歩んでいたことは間違いない。
民主主義、婦人参政権、土地改革、地方分権などなどというものは、戦争やそれに続く敗戦などに関わりなく、日本が歩んできたのが歴史的必然であったと思える。いやそれ以前の江戸時代からの継続なのかもしれない。
大局的にみると、明治維新も、太平洋戦争も、オイルショックも、ドルショックも、バブルもバブル崩壊も、実は大変革ではなく単なる揺らぎであったように思えるのだ。
もし、日本の管理者がいたとすると、過去2世紀、明治維新、幾多の戦争、戦前と戦後の経済危機などの管理指標の変動は、即座にフィードバックをかけるほどのものではなく、水戸黄門のようにもう少し様子を見てみようという程度であったのかもしれない。
私個人の体験からみても、60年代の急進的左派勢力の運動、70年代の破滅的左派の暴力、90年代の共産主義・社会主義政党の末期、ベトナムもアフガンも、その渦中にいたときはおろおろ、うろうろしたが、過ぎてしまえば我々はずっと同じ道をあるいていたことに気がつく。
日本の首相にしても橋竜や富山という鬼っ子はいたものの日本の潮流は変わらないようだ。
日本というものは社会的、歴史的にすごい慣性をもった機械あるいは動きであるように思える。

今現在の、慰安婦や南京という捏造的自虐史観・・も何年か経って振り替えれば、単なるゆらぎとみなされるのだろうか? それはわからない。
これらの問題が過去よりあったと思われている方は勉強不足である。
慰安婦はソ連崩壊後の1991年以降にサヨクが持ち出したものである。
南京虐殺は一部サヨク小説家が唱えていたが、国際的にはアイリスチャンがレイプオブナンキン出版した1997年以降である。

ひとはみな身の丈(みのたけ)に合った暮らしをすべきだし、するしかない。同じく国家もその身の丈にあったことしかできない。今の日本があるのは、過去さまざまな人、もの、思想などが外から入ってきて、この地に合ったもののみが根付いて進化してきた結果である。
身の丈に合ったといっても許容範囲のないものではない。服や着物は多少の大きい小さいは気にせずに着こなせる。

日本という社会は己の身の丈に合った変化、より積極的にいえば常に身の丈に合った変化をし続けていくのが正常の姿なのだと思う。
そして、外国からの武力を伴うあるいは使わない侵略や、共産主義をはじめとする反動勢力、反社会勢力、自然現象などの外乱による変化を許容範囲内に収めてカタストロフにならないようにネガティブフィードバックをかけていくことがあるべき姿であろう。
一定範囲内のゆらぎは問題ない、というよりそれは必然なのだろう。それはなくすことはできないし、なくそうなんて無意味なことをすることもない。

そんなことを思うと、07年は何事もなく、08年もなにごとないのかもしれない。
いや、07年もそういう社会的フィードバックによって許容範囲内に収めることができたということ、そして08年も管理限界内に抑えるよう努力することが日本という社会の務めなのであろう。

新年の抱負

 一年後、
 今年も何もなかったと言えるようにしたいものである。




あらま様からお便りを頂きました(08.01.01)
謹賀新年
佐為さま あらまです
門松のイラストまで、「ブルーリボン」とは。さすが、佐為さまです。
拉致問題は、今年も越年してしまいましたが、本当に解決してもらいたいですネ。
ところで小生は、初日の出を拝んできました。
今朝の静岡は風もなく快晴でしたが、たいへん冷たい朝でした。
富士山を見ますと、笠雲がかかり、黒い富士が赤く染まり、そして金色に輝きました。非常に神秘的な景色でした。
日本人として生まれてきてよかったと思いました。
神棚、仏壇に合掌した後、早速、お神酒で酔っ払っています。
こんな あらま を、ことしもよろしくお願いします。
あらま様 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
富士山を拝める人は幸せです。
私は天気の良い時は通勤の電車からチラと望める程度です。
今年もよい年でありますように

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