死ねば仏か? 2006.07.04
2006年7月1日、元首相の橋本竜太郎氏が亡くなった。
橋本竜太郎、俗に橋竜と呼ばれた人物について、私の記憶にあるのは、テカテカ光るポマード頭、片時もタバコを離さないチェーンスモーカー、そして媚中外交、自虐外交の主役だったことである。

私が社会人になった60年代半ばでさえ、ポマード頭というのは珍しかった。でも髪の毛を真っ赤に染めようとグリースを付けようと、それは個人の趣味でありとやかく言うことではない。
橋竜
しかし、本人の健康問題、副流煙の影響が騒がれて愛煙家は定められた場所で吸う時代である。堂々とところかまわず、かの禁煙国家アメリカでもスパスパ吹かしていた橋本氏は、時代錯誤か、唯我独尊か、我々には理解できない確固たる信念があったのかもしれない。
あるいは単に時代の変化に気が付かなかっただけなのかもしれない。そういう意味では時代に適合できずに滅んでいった恐竜と同じく橋竜と呼ぶのが似合うのかもしれない。

種々のメディアで追悼記事は多々見かけたが、大手の新聞の社説で取り上げたのは読売のみであった。 もはや過去の人であったのは明白である。
亡くなった翌日(2006/07/02)の主要紙の社説は次の通りであった。
●読売新聞社説
[WTO交渉]「揺らぐ世界の自由貿易体制」
橋本元首相死去]「『改革』唱道者が残した負の遺産」
●朝日新聞社説
グアンタナモ・収容所を閉鎖すべきだ
株主総会 会社法で変わり始めた
●産経新聞社説
韓国海洋調査 「関係悪化」に突き進むな
夕張市財政破綻・決算制度の改革が必要だ
●毎日新聞社説
グアンタナモ 収容所は閉鎖すべきだ
●日経新聞社説
中東の暗雲解消へ主要国は強い意志を
戦略的な連携、カナダとも
唯一、橋本竜太郎を社説に取り上げた読売新聞であるが、社説は橋本元首相の政治責任を述べた(追求したとまでは言うまい)のであって、彼の行政手腕を称えたり、彼の首相時代の栄光を懐かしがったのではなかった。
お亡くなりになる以前に、橋本竜太郎は政治家を引退していたが、彼の首相としての行為は現在にも多大な影響を残している。まさに読売新聞のいう『負の遺産』である。
失われた10年という言葉があるが、橋竜が首相だったのは1996.1.11〜1998.7.30、彼の首相在任期間は『失われた10年』の前半と重なる。
多くの人は首相の名前や業績なんてのはすぐ忘れてしまう。だが、自分の人生で苦労したり、景気が良かったことは覚えているものだ。

参考までに戦後歴代首相の一覧は次の通り
在任期間在職日数名前私の印象
431945.8.17〜10.954日東久邇宮稔彦生まれていない
441945.10.9〜1946.5.22226日幣原喜重郎生まれていない
451946.5.22〜1947.5.24368日吉田茂生まれていない
461947.5.24〜1948.3.10292日片山哲記憶にない
471948.3.10〜10.5220日芦田均知らない
481948.10.5〜1954.12.102249日吉田茂覚えてない
521954.12.10〜1956.12.23745日鳩山一郎まだだめ
551956.12.23〜1957.2.2565日石橋湛山知らん
561957.2.25〜1960.7.191241日岸信介しっかり覚えている
581960.7.19〜1964.1191575日池田勇人所得倍増論 グッジョブ
611964.11.9〜1972.7.72798日佐藤栄作偉大だと思う
ノーベル平和賞受賞者である
641972.7.7〜1974.12.9886日田中角栄戦後三大名宰相に入る
だけど娘はダメ
661974.12.9〜1976.12.24747日三木武夫ダメ、奥さんはもっとダメ
671976.12.24〜1978.12.7714日福田赳夫理解不能
681978.12.7〜1980.6.129554日大平正芳アーウーしか言わなかった
701980.7.17〜1982.11.27864日鈴木善幸無色透明、無味無臭
711982.11.27〜1987.11.61806日中曽根康弘若いときは良かった
年とってからボケまくり
741987.11.6〜1989.6.3576日竹下登猿のような顔だった
751989.6.3〜8.1069日宇野宗佑私は♀で首相を辞めました
761989.8.10〜1991.11.5818日海部俊樹そんな人もいたね
781991.11.5〜1993.8.9644日宮沢喜一あんな人でも首相が務まったのか
791993.8.9〜1994.4.28263日細川護煕志村けんのバカ殿
801994.4.28〜6.3064日羽田孜おばかな平民
811994.6.30〜1996.1.11561日村山富市史上最悪首相の栄誉に輝く
821996.1.11〜1998.7.30932日橋本龍太郎日本人ではない
 きっと中国人だろう
841998.7.30〜2000.4.5616日小渕恵三平均かな
852000.4.5〜2001.4.26387日森喜朗神の国がなぜ悪いのか理解不能
872001.4.26〜2006.9.26938日小泉純一郎koizumi.gif過去15年で最高の首相だろう
882006.9.26〜2007.9.26366日安倍晋三マスコミのテロに斃れる
892007.9.26〜2008.9.24365日福田康夫チンパンジーと呼ばれた
902008.9.26〜?日麻生太郎まってました!

橋本竜太郎は記録にも残らず、記憶にも残らない政治家であった。
もっとも王や長嶋に比べるのは間違いというものか。
橋本竜太郎は国民に夢を与えなかったし、日本経済を活気あふれたものにしようともしなかった。
失われた10年というのは普通日本経済をあらわすことに使われているが、もうひとつ失われたものがある。そしてそれは東証の株価に表される日本経済のようにリカバリーされていないし、はたして今後ともリカバリーできるのかどうかも懸念される。
そう、それは日本という国家の尊厳であり、日本国民の誇りである。
橋本竜太郎は政治家としての魅力とか、政策、あるいは豊かなビジョンを示すことによって、人びとに支えられ首相になったのではない。彼はただ自民党というムラ社会の権力構造の仕組みによって首相になったにすぎない。
そして、日本人にいわれのない自虐史観を広めるために多大な功績を残した。
ただひたすらヘーコラし、小林よしのり氏には足元首相と蔑まれた。(「戦争論」参照)
彼は日本のために何もしなかった。しかし中国のためには大いなる仕事をして、その結果 日本国民に多大なる負の遺産を残してくれた。
ありがたいことである。私は涙がとまらない。

●●●従軍慰安婦を事実と認めたのは彼の時代である。
●●●尖閣列島が日本の領土であると主張したこともない。
●●●竹島が日本の国土であると発言したこともない。

橋本竜太郎氏はただ、日本は悪うございました、二度と侵略しませんとひたすら特定アジア諸国に頭を下げ続けた。
中国では、禁煙国家で傍若無人とタバコをふかした傲慢さは示さなかったようだ。
橋本氏は、マゾなのだろうか? 誇りを持たない卑屈な人間だったのか?
まさか礼儀正しいなどと寝言は言わないだろう。
橋本竜太郎は剣道五段の腕前だったと聞く
しかし剣道が強くても、武士道を知らず、日本の心は持たなかったようだ。
そして『正しいことを正しいと発言する勇気』がなかった。

A級戦犯と蔑称される人々は日本のために働いて、ただ戦争に負けたから犯罪者とされたに過ぎない。
そういった人たちと比べるまでもないが、中国にいわれるままに、日本という国家と国民を中国に売り渡そうとした橋本竜太郎をいったいなんと呼べばよいのだろうか?

人は死ねば仏になるという
私は仏教徒であるが、それが本当かどうかわからない。
しかし絶対間違いないことは、人は死んでも生前の行いは消えず、残された人たちを苦しめるということである。
日本をこれまで貶めた橋本竜太郎を私は許さない。




梅田様からお便りを頂きました(06.07.16)
はじめまして。
世間話ですが ”死ねば仏か?”内の
「しかし剣道が強くても、武士道を知らず〜」
の部分で、ふと思い出したことがありました。
それは地元の知り合いで剣道指導者の方がぼやいてたことですが、橋本竜太郎氏など一部政治家の昇段試験はすべて密室で行われていて、剣道仲間の間ではその実力に対しての段位に疑問の声が多かったそうです。

今後も更新を楽しみにしてます。
梅田様 お便りありがとうございます。
私は剣道というものをしたことがありません。
いえ、高校のとき一度だけカッコイイナアと思って剣道部に行ったのです。面をかぶって、こりゃだめだと思いました。
汗臭くて・・
私が囲碁が大好きだったのはいつも語っております。もう20年以上前のことですが、某国会議員の地元の秘書にお相手していただいたことがあります。この方と碁を打ちながらいろいろなお話を伺ったのですが、国会議員の碁や将棋の段位は名誉段位で当てにならないとのことでした。他方、剣道、柔道、銃剣道の段位は実力だとお聞きしました。
当時はまだ太平洋戦争に従軍した方々が議員だったこともあるのでしょう。
橋竜は昭和12年生まれ、戦争のときは小国民であったわけで・・・


萬太郎様からお便りを頂きました(06.08.12)
萬太郎です。
橋竜の昇段試験の中で、国会議員の名誉段の話がありましたが、かくいう萬太郎も学生の頃は武道系のクラブに属していました。その武道系の学生連盟にも顔を出していたので、本部の事情も少しばかりかじったのですが、名誉段は実力無しがほとんどでした。
ひどい議員になると、帯の締め方も知らない「噴飯有段者」がいました。関東大会だか全国大会だったかの大きな大会に招待された当の議員は、胴着に着替えようとしたのですが、真新しい帯をひねくって悪戦苦闘していました。関係者の一人が締めてあげたのですが、その場にいた関係者は全員、下を向いて笑いをこらえていました。いくら名ばかりの有段者とはいえ(確か7段だか8段だか、えらい高段位でした)帯の締め方くらいは練習してきて欲しかったのを覚えています。
ま、どこの世界も似たようなもんなんでしょうね・・・。
萬太郎様、それはまた・・・絶句
福田首相もアマチュアとしては囲碁最高段位8段だったはずです。実力はもちろん・・・国家機密でしたが、石の持ち方くらいはできたでしょうね。
でも、剣道でも柔道でも囲碁でも、それに打ち込んでいる人は段位というのはひとつの目標であり、あこがれなのですが、そのような名誉段位がのさばっては・・・段位なんていらないとなるのではないでしょうか?
10数年前、私は囲碁の段位が欲しくてがんばっていました・・・2段免状をもらった時は、県の大会で上位入賞したので幸い半額でした。それでも2万円位したと思います。
今考えるとなんであんなもの欲しがったのか不思議でなりません。そういえば、囲碁の段位免状の発行枚数は10年前に比べて半減したそうです。


死者を鞭うて 2009.07.05

橋本龍太郎、俗に橋竜と呼ばれた政治家が死んだのは2006年7月1日、死んで3年になる。本日は数日遅れだが、彼の命日を記念して駄文を書く。
まずはっきりと表明しておくが、私はこの男が大嫌いだ。
好き嫌いというのは感情である。では好き嫌いではなく論理的に考えてみよう。この男の成果、日本への貢献や負の遺産を考えてみよう。
この男の業績はなんだろう?
実は多々あるのだ。
最大の業績は中華人民共和国(俗称:中国)にひたすら頭を下げ、土下座して、自虐史観を日本国民に刷り込んだということだろう。
小林よしのりは「足元首相」とさげすんだ
経済でちょっとポイントをあげたかどうかはどうでもよい。ペルーの大使館占拠事件時も平和解決なんて甘ちゃんぶりを暴露した。フジモリさんをもっと支援すべきだった。
死んだ子の年を数えるという言い回しがあるが、もし橋竜がいなかったらと思うと残念でならない。
お間違えないように、橋竜がいなければ日本はもっと良かったということですよ。
戦後日本を悪くした三悪人とか五悪人を選べば、トップとは言えないが有力な候補者となるだろう。

日本人は、死ねば悪人も仏様になるとか、死者を批判することが卑しいことという風潮がある。
私は上品ではなくそのような礼儀作法は心得ていないので、悪人は死んでも悪人だという。
そして、子供たちに、このような悪人がいたから君たちが苦しまなければならないのだよということを伝え続けなければならないと思う。

まあ、振り返ればろくでもない首相とか政治家は橋竜だけではなかった。
河野洋平は、河野傭兵とか紅の傭兵呼ばれたくらい、これまた中国の家来、臣下ぶりを発揮してくれた。
イヤイヤ、この男いまだに健在で中国の犬を継続中である。
河野洋平にはおもしろい話がある。あるとき乗っていた飛行機が天候不良で台湾に緊急着陸したそうだ。中国共産党マンセーの傭兵は台湾の土を踏むのを潔しとせず、狭い機内に長時間座っていたという。
その後、中国に行ってその話を自慢したら、中国共産党の指導者に呆れられたという。
まあ、その程度の男である。
村山富市なんてアホというか、もうろくジジイもいた。今は映画俳優をしているという。
彼が首相になったおかげで従軍慰安婦は実在したことになったようだ。まさに国賊である。
神戸地震の時、すぐさま自衛隊を出動させていたら死者はもっと少なかっただろうと言われている。殺人者でもある。

生きていようと、死んでいようと、日本人をおとしめた罪人は大声でその罪を問い、そして断罪しなければならない。
それが私たちが後世にできること、しなければならないこと、伝えなければならないことだ。

中国人にもいいところがある。死者であっても罪人は永遠に鞭打つことだ。
そして中国人の悪いところは、憎ければ善人であっても永遠に鞭打つことだ。

本日の誓い
私は永遠に、橋竜を、河野洋平を、村山富市を批判し続けることを誓う。

本日の願い
これ以上、批判する人数を増やしてほしくない。私が疲れてしまう。
ハトポッポとかオザワとか増えそうで心配だ。

本日の言い訳
死者を鞭打つことは恥ずかしいなどと言うなかれ
ウソをついて安倍晋三、麻生太郎を鞭打つマスゴミこそが恥を知るべきである。



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