神の国 2004.09.29
森元首相が非難を受けて首相を辞任したのは「日本は神の国」発言が原因で2000年5月のことであった。
そんな昔の話をなんで今頃? という疑問を持たれる方もいらっしゃるだろう。
たいした理由はない。
私の同僚がつい最近、飛行機の中で森元首相を見かけたというので思い出したということにすぎない。 
この同僚は先日やはり飛行機の中で柳沢信吾を見かけたという。まったく運のいいお方だ。しかもそのときは彼の荷物を棚に載せてやってお礼を言われたそうである。うらめしい、いやうらやましい。
なぜって、私はいまだかって有名な政治家にも俳優にも歌手にも出会ったことがない。
もし誰か一人だけ会わせてくれるというのなら、私はサッチャーさんに会いたい。ご存じかもしれないが彼女こそ私の飯の種ISO9000やISO14000の生みの親なのである。
中国人民解放軍よ永遠なれ! 振り返ってみれば、神の国発言なんてばかばかしいことである。
イエ、神の国発言がばかばかしいのではなく、それを批判した論理がバカバカしいのである。
そんなこと取るに足らないことではないか、
本当に許せない輩はたくさんいる。中国で人民解放軍をたたえ自衛隊をおとしめる発言をした元衆院議長とか、北朝鮮で金日成にあがめた元自民党幹事長を、そして今中国で靖国参拝反対を騙っている民主党幹部、従軍慰安婦が実在したと叫ぶアホ議員、女を抱いて中国の言いなりになったといわれている元首相などを糾弾しなければならない。

まあそんなきっかけから思い出した「神の国」で本日は話をひねってみよう。
八百万の神(やおよろずのかみ)という表現もあるように、昔の日本人は万物に神が宿っていると考えた。日本中どこにでも神社があり、祠がある。わたしの出身地では明治維新後に開墾されたそうだが、開拓するにあたりまず神社を作って開拓民の心のよりどころにしたという。そういった神社はひとつではなくたくさんある。
神社ばかりではない、ちょっと奇妙な形をしている岩、富士山をはじめとする山々、大きな木、日本人はなんにでも神様が宿っていると考えた。どこの海岸でもしめなわをかけた岩を見かける。たしかにへたな仏像などより巨岩や大木を仰ぎ見るとただ無性に拝みたくなることもある。・・・私にとっては、
しかし、今の日本人が万物に神様が宿っていると考えているかというとそうではなさそうである。
私はすべて私の体験とか、自分が考えたことしか書かない。いろいろな知識、つまり学がないこともあるが、他人の思想を借用するほど危険なことはない。自分が考えたことをひとつひとつ積み上げていくならば、まちがいに気づくであろうし、間違えてもその理由がわかり改めることができるから。
他人が運転する車に乗っていて事故にあえば悔しいだけだが、自分が運転する車で事故を起こせばすべて自分の責任であり納得できるのではないか。

mikoshi.jpg 私がこどものとき、お祭りが楽しみだったかといえばそうではなかった。
私は父親の出身地である田舎に住んでいたが、住んでいた地区は引揚者が住む長屋であって、その集落には土着の人はいなかった。そしてそこには神社はなく、当然我々はどこかの神社の氏子であったわけではない。
もちろん2キロも歩けば代々伝わる神社はあり、そこでは毎年お祭りがあった。古くからの住民の子供たちはおみこしを担いでいたが、我々は参加できなかった。我々はおみこしを担ぐこともなく、鼻の頭におしろいを付けはっぴを着たりすることもなかった。できなかったというのが正しいだろう。
古くからの住民は氏子であり神の子であり、新参者は神の子ではなかったのである。

我々はよそ者だったのだ。

また祭りに出かけても、縁日なんていっても当時は今ほどにぎやかでもなく、ましてそんな長屋に住む我々は貧乏だったので金魚すくいも食べ物も買ってもらった記憶はない。
我々は経済的に貧しかっただけでなく文化的にも貧しかったのである。
その結果 心も貧しく育ったのか? それは分からない。
祭りがないと同じく、私の住んでいたところでは盆踊りもしなかった。なにしろお寺がないうえ、盆踊りをするにも太鼓もなければやぐらもない広場さえなかった。
盆踊りをしたい人は近くの親戚などが住む地区に行って踊りに参加したのである。
私が小学高学年になってそのような地区にも子ども会ができた。そして古くからの街で祭りが終わっていらなくなった飾りつけをもらってきて大人たちが作ってくれた樽みこしをみんなで担いだ。
こどもの頃の祭りの記憶といえばそんなもんである。

それから30年、私が地方都市の団地住まいとなるとそこには子供会があって、れっきとした神社の子供みこしを担ぐことができた。
しかし、そのころの子供たちにはおみこしを担ぐより楽しいものがたくさんあり、わざわざ集まっておみこしを担ぐような子供は少なかった。たかだか50メートルくらいを子供たちがおみこしを担いで、あとは町内会、子供会の役員が子供みこしを担いで団地内を一回りするという仕儀(しぎ)とあいなった。
一回りして子供たちはおもちゃやお菓子をもらうともう姿が消えている。
それから役員の大人たちが「お疲れ様」と冷酒を飲んだわけだが、一体何のためにお祭りをして、おみこしを担ぐのか理解困難なはなしである。私もなんどか町内会の役員をおおせつかったが、他の役員と愚痴をこぼしながら冷酒を飲むのが常だった。

いったいジジイは何を語っているのか? と訝し(いぶかし)がることなかれ、
私の言いたいことはこうである。
「日本は神の国である」という森さんの発言は間違っていたのではないかということだ。
正しくは「日本は神の国だった」のである。
今の日本人は日本が神の国であると考えていないのである。それは私も同じである。
私も小さいときから七五三とかお宮参りをして、毎年お祭りに参加しおみこしを担いでいれば「日本は神の国だ、自分は神の子だ」と信じることができたであろう。
しかし、神社の氏子ではない人々にとって、そのような原体験はなく、私のような者にとっては神社も神様にも親近感はないのである。

靖国神社
靖国神社を日本という国家のシンボルとしてとらえるのと、万物に神が宿るという考えは相当に異なるのである。

森さんの発言は決して悪でもなく、批判されるべきものでもなかったと私は思う。
しかし、今の時代には合わなかったのは事実である。
私だけでなく今の日本人にとって「日本は神の国」という発言に素直に同意できなかったということは事実だったろう。
もし日本は神の国だと考えている人が多かったならば、あのとき「何が間違っているのか?」という批判に対する反論が多く返ってきたはずである。そうではなかった。
日本は既に神の国ではなくなっていたのである。
私自身がその生い立ちから「日本は神の国だ」というフレーズに共感を持てない。
日本人は時と共にどんどん変化している。もちろん善悪という基準は大きくは変わらないだろう。しかし、日本人の琴線(きんせん)とか、論理ではなく感情で理解するフェーズ、心に響くといった基準はもう森さんの時代と私の時代と今の若者ではそれぞれが大きく違うのである。


「話せば分かる」といって相手に話を聞いてもらえなかった政治家もいたが、それを青年将校が話し合いを拒否した悪い人と解釈してはいけないと思う。生い立ちが違えば話が通じないこともあるのだ。
「話せば分かる」とか、「同じ日本人じゃないか」という言い回しが通用すると思ちゃいけない。

余計なことを書くとまた物議をかもすのだが、私は自分の思っていることを正直に語らないわけには行かない。
なにしろ私は預言者なのである。

同志のウェブサイトに教育勅語などがアップしてあるのを見ると、私はそれがあらぬ誤解を招くのではないかと懸念するのである。
私自身、教育勅語は読んだことはあるが暗記なんてしておらずもちろんオヤジや母のように暗唱などできない。そしてもっと重要なことだが、その文言の意味は理解して、かつ同意はしても、それに感情移入はできないし、再び世に広めようとも感じないのである。

いかなる国家であろうと愛国心とか道徳というものを国民に要求すると思う。
国旗や国歌に敬意を表することを要求するのももちろんである。

韓国の卒業式
国旗国歌反対運動の方は反論する前に、中国とか北朝鮮とか韓国の状況を調べてください。
左の写真は韓国の卒業式である。
ぜひ韓国に行って卒業式での国旗国歌掲揚反対をしていただきたい。

しかし今の時代、愛国心を訴えるのに「神の国」という表現、あるいは「教育勅語」というツールでは理屈においても感情の面でも共感を得ることもコミュニケーションをとることも不適切なのである。
今の人の心に訴えるには新しい表現、新しいたとえでなければならないのだ。



本日のまとめ


昔、石器時代、青銅器時代、鉄器時代という表現があった。
その伝で言えば日本は、神の国、貴族の国、武士の国を経て、今は市民の国となったのだろう。
 日本はもう神の国ではないのだ。
願わくは中国人の国となりませんように、




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