お金の感覚 2008.04.27

私の書いている駄文はどこから生まれるのか? といえば私の愚にもつかない頭からブクブクとメタンガスか硫化水素の泡のように発生してくるのである。だから考えて書いているというより、ガス抜きに書いているというのが真相だ。
とはいえ、朝日新聞が世界最強と自称している天声人語よりは、私の駄文の方がまだ価値があるというか社会に貢献しているような気がする。 
おっと、私がそう思うだけだから、別にそうでないと証明していただくことはない。
なお、このような文章はたかだか30分で書く。だからお読みなる方も真剣にではなく、斜め読みしていただければ結構なのです。

ここ数日雨が続いた。家に帰るとき駅から出て雨傘を忘れたことに気づいた。私はいつもバッグの中に折り畳み傘を入れているのだが、昨夜濡れた傘を家で広げて出勤時にバッグに入れるのを忘れたのだ。
さて、どうしたものか?
駅から自宅のマンションまで歩いて6・7分、走っていくにはちと遠い。傘がなければぬれ鼠になることは間違いない。
家内に駅まで迎えに来てよなんていったら・・・まず来るはずがない。
まんが「さざえさん」ではカツオが傘を持って父親を駅まで迎えに行くシーンを良く見かけたが、今ではああいったものは死語、いや死風景とでもいうのだろうか?
../kasa.gif 駅の中の売店あるいは駅前のコンビニで傘を買うという手もある。しかし、そのような経過で溜まってしまった安もの傘が玄関に溢れている現状なので、これはあまり気乗りしない。
タクシーに乗る手もあるが、わざわざ並んで客待ちしているタクシーに一区間だけ乗っては運転手に申し訳ない気もする。
あるいは駅前の赤ちょうちんで雨が上がるまで飲むというのもありそうだが、一人ではさびしい。相手がいれば雨でなくてもいいのだが。
もちろん、家内を呼んで二人でおでんでも突っつくというのも悪くない。でもあらかじめ行っておかなかったから我が家で家内は夕飯を準備していることだろう。
とまあ、しばし逡巡したのであるが、結局コンビニで傘を買って帰った。

これがきっかけでお金の価値ということを考えた。
雨に濡れないで帰宅するということを目的とした時、その手段として費用対効果が良いのはどれがいいのだろうか?と
タクシーを使った場合、支出額は710円(2008年現在)として、それは快適な500mの移動だが、後には何も残らない。代わりにタクシーの運転手はいやな気分が残るだろう。
1000

日本銀行券
★★千円

★★DE6289000
コンビニで安い傘を買った場合、支出額は500円として後には処分に困る傘が残る。そういった傘は財産というより負の遺産ではなかろうか。我が家にはそんなぶうにして貯まった傘が何本も埃をかぶっている。できるものなら雨の日に駅前で売り出したいくらいだ。

話は変わる。
私は本を買う方だと思う。もちろん医者とか弁護士とか研究者は高い専門書を買うだろう。そういった特殊なケースを除いて、一般的な新刊やベストセラーを買うという意味では私は結構本代を使う方だと思う。
昔々、私が成人した頃つまり40年前、私は1ページ5円の価値があれば買うと決めていた。200ページなら1000円である。
それじゃあ基準が安すぎると思われるかもしれない。今どき文庫本でも千円くらいする。しかし当時は高卒初任給が2万円、千円は大金である。今なら7・8千円の感じだろう。1ページ5円の価値というのはそんなにおかしくはない。
あれから40年あまり結構本を読んできたが、本に使った金を無駄使いをしたという気はしない。本を読むことはいろいろな体験、経験の追体験をすることであり、未知なるものを知ることであり、身につくことは多い。
旅行に行くのと同じである。これほど世界中の情報が入ってくるときに海外旅行などするまでもないということは、絶対にない。行けば行った甲斐がある。
しかし、高いと思う書籍はある。日本規格協会の発行する本の値段は他の出版社の5割増しから二倍である。書籍が高くてもまずくてもそれは日本規格協会のかってで私たちは買わないという選択肢もあるが、ここでしか手に入らないものがある。日本工業規格つまりJIS規格である。
日本規格協会は財団法人でありれっきとした民である。JIS規格を作るわけでもなく、彼らが公開する権利を持っているわけでもない。JIS規格そのものは法律と同じく国家に帰属し、国民の共有財産なのだ。しかし、JIS規格は日本規格協会からしか買えない。
法律の条文が無料で手に入り、またどこの出版社でも法令集を印刷して発行していることを考えると、これは異常なことだ。
日本工業標準調査会(これは工業標準化法に基づいて経済産業省に設置されている審議会でれっきとした行政機関である)が無償でインターネットで公開している。ところがこの公開しているデータは印刷できないようにプロテクトされており、かつ精細を落としている。それは日本規格協会のビジネスに支障が出ないようにとのことだ。
もちろん日本工業標準調査会のウェブサイトを画像としてプリントしてしまえば仕事で使うことに支障はないが、テキストをひろってコピーすることもできないし、数表の数値をエクセルに写すこともできないし、グラフなどの詳細は画質が悪くわからない。

売値の決定方法には、原価をもとに設定するのもあるし、他社との競争上決定するのもあるし、また重要を優先して設定する方法もある。日本規格協会の本の値付けはそういったものを超越して、法的独占のような気がする。独占が必ずしも悪いわけではない。しかし国家から独占を許されているなら、利用者の便を考えて入手しやすいように、安く設定すべきではないか。
JIS規格票を買うたびに頭にくる私である。

宿代というのも人によって感覚というか基準が大幅に異なる。出張の多い私は泊まる部屋が、タバコ臭くなく、静かで清潔であればそれ以上を望まない。狭かろうと、何階であろうと、眺望など眼中にない。
家内は宿というのは、飯と部屋が良くなければだめという意見を持っている。安いパック旅行であろうと、オーシャンビューでなければだめなのだ。ひなびた温泉でも晩餐がしょぼいとだめ。
家内のお友達がハワイに遊びに行ったという。へえ、今の季節いいねえ〜。私は人をねたむほど鈍してはいない。
しかし話を聞くと、うーん、変という気がした。
家内の友達というくらいだから、みなさん年齢が還暦前後、目的はスイミングとかゴルフじゃなく、ショッピングだそうです。ブランド品、化粧品、世界中から買いあさるジャパンパワー・オバハンパワーを感じます。 
しかしツアーは格安、ホテルはCクラスなんだそうです。そういうところをケチって高級品を買うというのがちょっとわかりません。
こんなの買えません
ちなみにベンツでCクラスというと中級品ですが、ホテルのCクラスは一番下です。
おっと、ベンツの中級品どころか、廉価品のAクラスにも私は手が届きませんわ 軽自動車でがまんしましょう
都会に来てから、同僚や周りの人の中には車を持っていない人も多い。驚くことに免許を持っていない人さえいる。田舎では免許なければ床屋にさえ行けず、生活できないのだが、都会では免許がなくても暮らしていけることに驚く。
さて、田舎ではだれもが車を持っているが、高い車に乗って質素な生活をする人もいたし、大衆車や軽に乗っていて飲み食いに金を使う人もいた。まあ、それぞれである。

まあ、人によってお金の尺度、感覚は異なるのだろう。小銭でなくお札が欲しい



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