テレビと芸人 2008.11.22

めったに新聞のテレビ欄など読まない私だが、数日前の家内が見ている新聞を脇から見てのけぞった。
そりゃそうだよ、11月20日付けの読売新聞のテレビ番組のページの下段に大々的な広告が載っていた。
「テレビって、そんなに大したもんじゃないんだよ、芸人なんて、そんなに偉いわけないんだよ」
なんでも「たけしの日本教育白書2008」という番組の広告で、写真の顔は、北野たけしと太田光・・・だめだこりゃ 
まあ、広告を見ただけでがっくりきた私であるが、これをネタに考える。

まず、この文章は一般大衆が「テレビは大したもんだ、芸人は偉い」と思っているという前提であることは明白である。なぜなら「そんなに」という副詞は「程度がすごい」ことを強調する言葉であり、「ないんだよ」というのは「否定」しているわけで、読む人が「すごいものだと考えている」ことを前提でなければ成り立たない文章のわけだから。
捏造はいけません
芸人は偉いのかしら
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「テレビは大したもんだ、芸人は偉い」と思っているという前提でなければ、「テレビって、大したもんじゃないよね、芸人なんて、偉くないよね」という文章になるだろう。
果たして日本国民は、テレビと芸人をどう考えているのだろうか?
つまり「テレビは大したもんだ、芸人は偉い」と思っているのだろうか?
うーん、あながちそうではないと言いきれないのかもしれない。つまりこの文章が意味するところは実際に正しいのかもしれない。
すると、日本国民はテレビが放送することをそのまま信じ、芸人が語ることをすごいと受け取っているということなのだろうか?
驚くことに、いや日本人が愚かなら驚くことはないのだが、太田光を首相にしようという声も多いという。大の大人が「彼のマニフェストには、毎回賛成できるものが多く、政治を任せてみたいと思うこともあります」とか、「"その通りだ!"と納得する意見も多いし、説得力もある。理想論も多いが信じてついて行きたくもなる」あるいは「本当によく勉強してるし、考えが深いと思った。国民代表の本当の意見を言ってもらえる気がする」なんて人がいるそうである。
うーん、こういった人々と同じ空気を吸うことを拒否したい気になるのは、私だけだろうか? 私は一個の人間として太田光と同じところに生き、同じ空気を吸うことに非常に抵抗がある。
私は政治とは難しいものだとか、政治家でないとできないものだなんて言う気はさらさらない。しかし私のような素人でも知っている真理はある。貸借対照表はバランスが取れなくてはならないということだ。それはお金だけでなく、軍事、外交、内政すべてにわたって収支のバランスが取れなくてはならないのである。平和憲法が素晴らしいという程度の認識ではアメリカと中国、そして北朝鮮と南朝鮮のはざまで難破することは間違いない。
果たして彼らは世界の軍事力というのを知っているのだろうか?
おっと、それは太田光だけでなく民主党も共産党も社民党も同じであることは言うまでもない。じゃあ自民党はそれを理解しているのか?と言えば、そのくらいは知っている議員もいるし、理解していない議員もいるのが残念ながら事実である。
いずれにしても太田光が外務大臣になればあっという間に日本は破滅だろう。ぜひとも総理大臣にならないでほしいものだ。

ところで、現在は情報化社会と言われている。大学の先生が語ることをそのまま真実だと受け取る学生がいまどき何割いるだろうか? もしそういう学生がいれば、彼または彼女は優秀な研究者になる見込みがないことは間違いない。過去、名を残した研究者はすべて先人、恩師を否定し己の学説を立ててきたことは事実である。アインシュタインも、スノーボールアースのホフマンもその他どの分野においても同じであろう。
もちろん単に否定し反発するだけでは存在できない。逆に己を否定されてしまう。過去の偉人たちは、先人の考えを理解し、その理論の矛盾に気づきそれを超える理屈を考えてきたのである。ケプラーは彼が打ち立てる前の天文学の権威であったし、多くの宗教家は母体となった宗教の指導者クラスであったのが事実である。

現在は、誰であろうと語った何事かが正しいかまっとうかを確認するのに労苦を要求しない。おかしいなあと思ったらネットにつなげば一瞬にして膨大な情報が手に入る。もちろんその情報が正しいのかガセなのかは定かではない。しかし大学の先生が語ることも正しいのかガセなのかは定かではないのだ。最終的に判断するのは己の責任である。 忘れてならないのは、権威と言われる人であっても、専門からわずかに離れれば素人同然であることも事実なのである。
トランジスタのショックレーが人種主義だったのを忘れてはいけない。
それでも大学の先生はまだ良い。学問の世界では論文はものすごい検証を受ける。欠点やつじつまが合わなければそれは存在することができない。
しかしテレビも芸人も、論理とか検証ということからもっとも遠いところにいる。
論理的根拠がなくても語ることは許され、事実と異なっても放送することが許され、ねつ造だと言われても言い逃れることができるのがマスコミの世界である。
芸人が何を語っても笑って許してもらえるし、おふざけでも総理大臣にしてやろうと言われる価値観の世界なのだ。憲法を世界遺産にしようなんて寝言を本に書いても買ってもらえるのがうらやましい。
しかしインターネットの発達した現在では、何も考えずに信じてくれる人はあまりいないだろう。いやそういうい人も多いかもしれないが、証拠を見て考えようという人は増えているであろうと考える。
なにせ2ちゃんねるでさえ、「ソースを示せ」というのは決まり文句である。
私のビジネスであるISOの世界でも、20世紀の昔には審査員が言えば「しかたがない」という民百姓は多かったが、21世紀の今では「証拠根拠のない不適合はありえない」というまっとうな価値観が共有されている。
これをもって審査員の冬の時代という人がいるらしい。見る人から見れば20世紀は審査員の天国だったかもしれないが、それは間違っていたのである。

「テレビって大したもんだ」と思う前に、多くの人が報道番組、ワイドショー、ドラマを見たことをネットでググれば、それが本当か、うそか、大げさな笑い話かをすぐに検証できるだろう。
「芸人て偉いんだ」と思う前に、それがお笑いなのか、パロディなのか、誰かのパクリなのかを確認しなければならない。
もちろんテレビの報道も、彼らが広めたいことなのか、ネガティブキャンペーンなのか、視聴率を上げるためなのか、単なる人気取りなのかを確認する必要がある。そして事実であるということはめったにないことである。


本日の結論
「テレビって、大したもんだ、芸人て偉いんだ」と思っている人に対して、この文章はそうではないと語っているので正しいことなのだろう。
「テレビって、大したもんだ、芸人て偉いんだ」と思っていない人なら、この文章を笑い飛ばすだろうから悪いことではないのだろう。

本日のお断り
私が芸人蔑視ということは決してない。そもそもこの文章は芸人が一般人より上であるということであり、私はそれを否定するだけである。



木下様からお便りを頂きました(08.11.22)
流れ作業
「流れ作業で閣議をするな。」と佐為様に言っても仕方がありませんが、表題を変えてしまわれたのですか? まあ参議院はミンスの牙城ですからね・・・。
しかし毎度毎度佐為様の文章力(文章を長く書く力)には驚かされますね。私なら「テレビと芸人」の広告など「ああ、そうだよね。」の一言で終わってしまいます。

木下様 毎度ありがとうございます。
最近のパソコンのCPUはパイプラインといって、一つの仕事を分割して処理することによってスピードアップしているそうです。情報化社会ですから、閣議もパイプライン処理をしているのは当然です。
閣議といってもたかが法案に署名するだけでしょうから手際良くすることに意義があるのでしょう。その結果、おっと不良が出来ちゃったということもままあることなのでしょう。そして不良法律が国会から外に流れだして、市場クレームを起こしたり、社会崩壊を引き起こすこともあるのでしょう 
困りましたねえ〜
ところで、私が文章を書く才能(?)というか、力量というか、まあすごいもんでしょう?
実を言いまして、私はキーボードを叩かなければ生きていけないようなのです。きっと病気なのでしょう。
その原因は自己顕示欲ではなく、自己主張欲なのでしょうか?
あるいは本当に神様に預言者として召され、神の言葉を語り続けないとならないのかもしれません。
25世紀になったとき、東洋に現れた預言者の一人として聖書に書かれているかもしれません。


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