赤と緑 2008.11.24

おお!ついにダジャレを卒業してスタンダールに挑戦するのか? なんて勘違いしちゃいけません。
ダジャレでもそれなりに芸が必要なのです 

私が少年から青年になりつつあった1960年代中頃、日本は公害列島などと揶揄されるように各地で公害が多発し、イタイイタイ病とか水俣病をはじめとする公害病も出ていた。それは深刻で大変な問題であったが、それに便乗して己の主義を広めようとか、あるいは社会不安をあおって反政府の勢力拡大を図ろうなんて輩はウジャウジャいた。彼らの意図は公害対策や環境保護ではなく、それにかこつけて反米、共産主義拡大をしようというものであった。
公害がさかんな当時はそういう非公式な運動だけでなく、れっきとした革新政党も公害被害者のためにいろいろなキャンペーンを行った。もっとも革新政党の皆さんも自分の命が惜しかったようだ。都内某所で排気ガスによる空気中の鉛濃度が高いと言われた地域に調査に行った革新政党の議員たちは、その地域には立ち入らずそうそうに引き上げたという記事を読んだことがある。地区名と日時はよる年波で忘れた。まあ40年も前のことだ。
ハイオクガソリンにアルキル鉛添加が禁止になったのは1975年である。
我々は高校生の頃、バイクからガソリンを抜くのにゴムホースで吸い上げたりしたものだが、あれは相当に危ないことだったのだろうか?

似たようなものに「沖縄返還」もあった。沖縄は太平洋戦争に負けてからアメリカがずっと占領していた。沖縄が占領下にあったということは、自治権もなく、より重大であるがアメリカ兵の暴虐無人な振る舞いを裁くことができなかったということだ。だから日本統治下に取り戻すことは重要かつ緊急課題であったことは事実である。
旧社会党をはじめとする革新政党は「沖縄を返せ」という運動をしていた。しかし社会党の沖縄を返せ運動は真面目な運動ではなかったと思う。というのは沖縄が返還された1972年以降、沖縄返還を叫んだ政党や組合は、その後は沖縄の経済成長と本土並みの暮らし実現に努めたかというと、そういうことは何もしなかったからだ。私は沖縄返還運動の最盛期にはいろいろな行事にたびたび駆り出されたが、返還後は沖縄関連のデモに参加を求められたことはない。沖縄は社会党や組合にとって保守政権を揺さぶり、反米・親ソの勢力拡大の手段にすぎず、沖縄の人々のための活動だったとは思えない。

現在でも東北地方の反原発運動とか、超高圧送電線反対などの抗議の報道を見ると、赤旗がひるがえり、その手の方々がいるのが見て取れる。原発反対という考えも運動も、それは個人の権利であり自由である。但しそれを主張するためには、日本のエネルギー政策をどうすべきかという提案がなくては、単なる子供のだだこねに過ぎない。また超高圧送電線反対運動は以前私が住んでいた近くであったので、当時はいろいろと情報が入ってきた。反対運動の9割以上は、関東地方から車で乗り込んできて、わずかな田舎の住民は都会からの移住者であった。その人は運動のために転居したとしか思えなかった。彼らは電磁波の危険性を唱え、白血病の危険を語った。私は送電線と白血病の因果関係が事実か否かはわからない。しかし平穏な田舎に大都市から大挙してやってくる人々を見て、人騒がせな政治運動としか思えなかった。

公害は日本にとって大問題であったことはもちろん事実であった。そのために公害国会と呼ばれる1970年に様々な公害を防止するための法規制が制定され、規制と企業の努力によって1970年代中頃にはおさまった。
そうすると左派政党は公害問題で勢力拡大を図ることはできなくなった。彼らは公害を捨て、沖縄を捨て、政治闘争という範疇で頑張っていた。ちょうどその頃、アメリカの大統領は腰抜けカーターからタカ派レーガン大統領に代わり、レーガンの強硬政策は彼らを喜ばせたのではないだろうか?
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腰抜けカーター


偉大なりレーガン
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北朝鮮をのさばらせ、延命したのはカーターである。カーターがいなければ拉致問題も北朝鮮問題もとうに解決していたかもしれない。
それに対してソ連を崩壊させたのはレーガンであることを忘れてはいけない。レーガンは20世紀最高のアメリカ大統領であろう。
しかし1979年からのソ連のアフガン侵攻は、共産主義が決して善ではないということを日本の人々に強く印象つけた。
アメリカのイラク侵攻やアフガンについて非難する人々は、その発端をソ連が作ったことを忘れてはならない。もちろん彼らは忘れてはいないだろうが、一般大衆に忘れさせようとしていることは間違いない。
共産主義を広めよう、日本に左派政権を作ろうという魂胆はソ連のアフガンからの敗退、1990年のベルリンの壁の崩壊、そしてソ連の崩壊で完全に消え去った。
もはや共産主義は資本主義に対抗できるどころか政治思想としては価値を失い、博物館にのみ存在するものとなった。今や共産主義は正義であるという論は通用するはずがない。
共産主義を信奉していた人々はどこに身を置けばよいのだろうか?
簡単である。
かって、共産主義を広めるために使った立場に身を沈め周りを偽ればいいじゃないか。
衣装を赤から緑に変えて、環境保護を主張することがもっとも簡単で手っ取り早い。
サヨク

エコ
以前も書いたことがあるが、企業の中で環境の仕事をしていますと言っても、その方の過去というのはさまざまである。
公害防止の仕事をしていて、もっと広く範囲としての環境管理の仕事に就いた人もいる。
広報とか宣伝を担当していて、新興の環境コミュニケーションに携わったという人
ISO9001を担当していて、その縁でISO14001に関わり、そして環境全般を担当した人

同じように企業の外で環境を担当に関わっている人も、その方の過去というのはさまざまである。
地域の公害撲滅のために活動してきた人
大学で公害や環境の研究をしてきた人
行政にいて公害防止のために働いてきた人
そして
サヨクがソ連崩壊後、身を隠すために環境活動に移った人がいる
カヌーを漕いで環境保護を語り、その実サヨクの宣伝をしている人がいる。

環境に関する本というのは驚くほど数多い。環境関連の本を半減どころか9割減らせば間違いなく環境によいと思う。環境に関わる雑誌の過半はごみであり紙と資源の無駄使いである。
そしてそんな環境の雑誌の中に、かってのサヨクがクリーンとグリーンの身をまとい住み着いている。編集者として、フリーランスのライターとして、寄稿者として、
彼らが主義を変えて今は環境保護一筋とはどうにも思えない。彼らの目指すところはサヨクの勢力拡大あるいは延命だろうか?
そういった人々の関心事は、環境といっても温暖化や砂漠化より、劣化ウランとか除草剤、あるいは反捕鯨などに偏っているのはなぜだろうか?
ついでに言えば、対人地雷を大量の保有し、放棄しない国はそういった人たちの好きな中国なのである。しかしなぜか彼らにはアメリカの軍事行動による環境破壊は見えても、中国の軍事力は見えないのだ。目が悪いのだろうか?

本日のまとめ
私は色弱で赤と緑の区別がつきません。ですから共産主義だった方が環境保護主義に衣を変えても、そもそも赤と緑がわからないのですから、無駄というもの 

えー、毎度駄文ではございますが、たったひとつのフレーズから1時間で3000字書くという特技は私以外持ち合わせていないのでは?
誰です・・・そんなものは無用であるとおっしゃるのは!




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