ISOライフサイクル 08.06.30

最近、経営学に凝っているなんて語ったことがある。これは本当だ。結構、経営とかマーケティングなんかの本を読んでいる。
経営戦略なんて本に、製品ライフサイクルということが書いてあった。製品ライフサイクルなんてものはみなさん十分にご承知でしょう。
私が今まで知らなかったのは無学だというだけのことです。
製品ライフサイクルという論は、新製品が作られるて市場にデビューすると、導入期、成長期、成熟期、衰退期という道筋をたどるということを唱えています。
もちろんこれは単純化した理屈だから、世の中の種々製品や事業がこれにぴたりと合うとは思えない。しかし、読んでいてこれにぴたりと当てはまるものがひらめいた。
おっと、わかっちゃいました? 

そうです。ISO9001やISO14001がそれです。
製品ライフサイクルの概念図とISO9001の登録件数の推移を比べてみると、おお!まったくといっていいくらいマッチするではありませんか。

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日本適合性認定協会より
上図がISO9001のJAB登録件数の推移です。
そして下図が製品ライフサイクルの概念図になります。
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導入期は1992年から1996年くらいでしょうか?
この期間はまず社会に認知されることが第一の目的で、認証機関相互の競争よりも一致団結して社会に広く知られることがお互いの利益になったのでしょう。この時期は頻繁な製品の改良がおこなわれると言われるが、ISO審査においては審査の方法や姿勢がいろいろと見直され改善された時期かと思う。

やがて成長期となる。1996年から2002年くらいがそれに当たるのでしょうか?
導入期はEU市場への輸出企業だけの必需品(?)であったものが今は老若男女の必須アイテム(?) 認証したいという企業はジャンジャンと現れ、売上(認証件数)はウナギ登り。製造メーカー(認証機関)の新規参入も相次ぎ販売競争は激化する。戦略としては価格の引き下げ、大量生産がメインとなり、認証産業においても認証単価の引き下げ、大量の審査員を確保することが勝利の条件となる。
いいですね〜、景気が良くて、昔のパチンコ屋なら軍艦マーチが聞こえてくるようだ。

しかし成長は無限には続かない。なにしろ地球は有限である。 
成熟期は2002年から2006年くらいか、あるいは将来2008年頃までと言われるかもしれない。
もうこの時期は市場拡大は困難となり、かつ技術開発は一巡してしまう。製品も差異をつけることができず価格競争が激化する。戦略は二つしかない。ひとつは価格競争に賭けてコンピティターよりも安く提供することに徹するか、サービス、デザイン、ブランド、イメージの高級化、差別化を図ることである。
経営に寄与するとか、質が違いますなんていう認証機関は、実は単に成熟期のビジネス戦略に過ぎなかったわけだ。ということは認証機関は既に成熟期前期においてこのビジネスモデルは長くは続かないということを十分に認識していたことになる。
ああ!成熟期も終わりそうだ。
売れなくなった女優なら脱ぐしかない。

衰退期はいつからなのか? 2008年頃からか? あるいは既に衰退期に入っているのだろうか?
市場はシュリンクし、売上は減少する。メーカーにとっても認証機関にとっても選択肢は二つ。ひとつは最後まで市場にとどまって残存者利益をかき集めるか、早ばやに撤退し無駄な費用を削減するか。
ビジネスのセオリーなら次の事業をこれまでに育てておいてつないでいくのである。
認証機関にとって次の事業とはなんだろうか?
ISO14001はもう2・3年遅れでISO9001を追いかけている。既に成熟期の盛りを過ぎた。
ISMS? なんか力不足だ。
あるいは、ISO9001だけでなく第三者認証というビジネス全体がもう衰退期なのかもしれない。
実を言って私はそう確信しているのだが

ところで、認証件数だけでは証拠が弱い。他になにかISOライフサイクル説の補強に使えるものはないだろうか?
ISO審査登録のスキームは審査員がいてこそである。
じゃあ、審査員の登録数の推移はいかがなものだろうか?

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日本規格協会より
ああ!しっかりと製品ライフサイクルのカーブを描いていて、しかも時期的にも認証件数と一致しているではないか。
追加情報として、現在審査員資格が切り替わる時期となっている。
審査員補でコンピタンスに切り替えるのが大変だという人の中には切り替え時期に登録を辞めてしまう人も出るだろう。
審査員でも半分引退している方の中にもこれを機に・・という方も出るに違いない。
そうすると、今年来年で登録している審査員は大幅に減るのではないだろうか?
そんな予備知識がなくてもこのグラフを見て、09年から大幅増になると思う方はいらっしゃらないだろう。

私は今まで審査の問題、審査員の質、規格の理解(誤解)などミクロ的にISO認証の問題を論じてきたが、マクロで見てももう流行は過ぎたのか?
みなさん、どうお考えでしょうか?

のんきなとうさん様からお便りを頂きました(08.08.25)
オバQ様
認証機関が厳しい状況にあるのは確かであると思いますし衰退期に入る予感もあります。しかし、消滅には至らないのではないかと思います。
その理由として、第一に、企業としての組織の数が数百万ある中で、認証登録している企業の数は微々たるものであるからです。ISOを取り入れ認証登録したいと望む企業が排出する可能性のある母集団は巨大です。
第二に、昨今の登録数の減少は主として建設業会の登録返上によるものと聞いています。それを除くと実際にはまだまだ若干の増加の傾向にあるのだとか・・・。これは、公共事業への入札条件としてISOが削除されたことによる反動ですね。
第三に、企業と認証機関との利害関係です。認証機関にとっての顧客は、建前としていわれているような一般社会ではなく、実態として企業の経営者であり、ISO事務局でしょう。それを除く企業の他の従業員も認証機関の顧客とはいえないのではないでしょうか?それを示すものとして、認証機関による審査に対する顧客満足度アンケートは、経営者およびISO事務局に向けられます。結果は、全体として肯定的に満足したものが多いようです。もちろん、怒りを爆発させ・u桙ス回答も中にはあるようですがこれは少数のようです。
経営者及びISO事務局と認証機関との間ではビジネスが行われるのですから利害関係は密接です。ISO事務局にとって、ISOを推進するする上での障害、すなわちISOへの抵抗勢力、は組織の従業員であることがままあるようです。このような場合、審査は、ISO事務局への障害としてではなく支援となり得ます。ISO事務局と認証機関との間には依存関係の奇妙なバランスが生じるのかもしれません。私の推測ですが、ISO事務局は、そもそも、たかだか2〜3日の審査にそれほど過大な期待はしていないのではないでしょうか。「審査の付加価値」、「経営に役立つ審査」、「有効性の審査」など、これらはISO事務局が自らのISO運用で得るものであることと承知すべきものでしょう。ISO事務局が審査に期待することの最も重要なことは、企業内でISOを推進するイベント及びきっかけの役割を果たすこと、すなわち、「審査」というセレモニー(儀式)ではないでしょうか?その次に、妥当な評価(審査)ではないかと思います。「審査の付加価値」、「経営に役立つ審査」、「有効性の審査」などは、認証登録に係る不祥察w)cm対して一般社会に向けられて発せられたメッセージとしては有効であると思えます。とはいえ、どの認証機関もその対処には真剣に取り組んでいると思いますが・・・・

のんきなとうさん様 毎度ありがとうございます。
閑古鳥の鳴いていたこのホームページにものんきなとうさん様が参加されるようになって大賑わいでございます。
この程度でにぎわいか?と聞こえたような気がするが無視
ISOは不滅!と長嶋さんのようなご意見に反論する気はありません。立場立場があり、そして自然現象ではありませんので、挽回を期してご活躍されているお立場なのかもしれませんから。
とはいえ、私も思いつきや話半分で書いているわけではありませんから若干補足説明いたします。
第一の点
おっしゃるとおり、日本に法人は200万あるそうです。じゃあまだまだ期待できるぞと思うか?あるいは今まで伸びなかったのだからこれからも伸びないと思うかのいずれかになります。
現実を省みれば、ISO9001で20年、ISO14001でも10年経過して、それぞれ5万、2万の認証数ということがこれからの増加を期待できないという十分な証拠でしょう。
第二の点
ISO9001の07年初めからの減少が建設業の認証返上の影響が大きいとのお説。そのとおりです。
しかしじゃあ、その他の業種は20世紀のときと同様に増えているのか?と言いますと・・残念ながら全然増えていないというのが数字に裏付けられた事実です。
数字といってもJAB認定の数字はJABに出ていますが、定期的にJABが公表している数値はJAB以外の認定も含んでいて、この差が10%ないし15%くらいあります。ま、どっちにしても傾向は変わっていません。
おっしゃるとおり、建設業は過去1年間で1500件くらい減っています。エンジニアリングも150くらい減っていますが、内容は建設関係と見れば納得です。ではそれ以外はとなりますが、ほとんどの業種で母数が2000ないし3000で3%、件数にして100くらいの増加では微増といってもよいでしょう。輸送・倉庫業では30件くらいの減です。
またISO14001では自治体関連の認証返上が目立ちます。
建設業を除けば安心だとは・・・決して言えない状況です。
第三の点
世の中にはさまざまな会社が存在しています。のんきなとうさん様がおっしゃるような会社もあると思います。ISO事務局が審査という外圧を利用して、自分たちが思っている方向に会社を動かそうと画策しているところもあるでしょう。
ただ、私の知る限り審査の効果はなく、また審査に期待するものもないというのが多数のようです。
彼らの願いは、審査で余計な事を言わないでほしい、会社の仕組みを悪くしないでほしいというのが本音のようです。
08.08.31追加
改めて考えたのだが、外圧を利用するというのは最低の策ではないだろうか?
いやしくも事務局はそのような恥とも言える手を用いてはならないと私は考える。自分の会社を良くしようと考えたなら、まっこうに上司に提言するべきであって、他社の人を使うとは卑怯なり
手段は目的を肯定しない。それを忘れてはなりません。
お断りしておきますが、私の知り合いには審査員も大勢、コンサルもたくさんいます。
決して第三者認証スキームが崩壊するのを楽しみにしているわけではありません。
まっとうな審査をして、効果を出してほしいと願っております。
言い換えると、現在の審査レベルではなくなってもしょうがないということです。


H.Bamboo様からお便りを頂きました(08.09.14)
うそ800、分かりやすくとても勉強になります。
<ISO品質システムの外部による認証制度の崩壊>
私は以前、ISO品質システムの主任審査員をしていました。
「ISO9000は、品質管理の道具、手法としては、有効である。但し、外部による第三者認証は矛盾が多く、不適当で、時間と人と費用の無駄であり、不必要であり、いずれこの制度は崩壊する。そして自主管理に移行する。」ということを10年前に予感し、審査員を辞めました。
現状はまさしく私が予感したとおりに動いており、私の先見の明が実証されたと自画自賛しています。第三者認証はこれから雪崩を打って崩落していくでしょう。
H.Bamboo

H.Bamboo様 お便りありがとうございます。
現役・元に関わらず審査員と名乗るお方からお便りをいただくのは初めてでございます。感謝申し上げます。
誤解ないとは思いますが、私は審査員と認証機関と戦争をしているわけではありません。
審査員には師と仰ぐお方も知り合いも友人も何人もいますし、認証機関のエライさんも何人もお付き合いいただいております。私が糾弾しているのは、とんでもない審査員の行状であって、審査というものを否定しているわけではありません。
それと審査員がその職務に疑問を持ってはならないということもありません。弁護士は被告人を無罪と信じなければ弁護ができないわけではありません。
だいぶ言い訳をいたしましたが正直なところです。
ただ長期的に見れば、第三者認証という制度は、H.Bamboo様がおっしゃるように発展的に消滅するシステムであろうと思います。
しかし現実は発展的解消ではなく、自己崩壊的な道を歩んでいるようです。
どうなるのでしょうか? いずれにしても私は良い品質システム、良い環境マネジメントシステムを作り維持することを支援していきたいと考えております。
H.Bamboo様もぜひともいろいろとアドバイスをお願いいたします。


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人生ポートフォリオ 10.04.24

経営に関する本を読んでいて製品ポートフォリオというのがあった。そういえば何年か前に経営戦略についての講習会で習ったことを思い出した。昔ボストンコンサルティンググループが考え出した手法というか理屈という。事業がどのような位置にあり、どのように育てたり撤退したりするかを考える手掛かりとするらしい。

製品ポートフォリオとは製品の組み合わせのことであり、各製品について投資に影響を与える市場成長率を縦軸に、利益に影響を与える相対的市場シエアを横軸とした4象限のマトリックスとする。
この市場成長率と相対的市場シエアの高低によってマトリックスができる。各事業は「問題児」「花形」「金のなる木」「負け犬」という4つに分類できる。この4つの区分に応じて投資戦略を決定することにより、各事業に合った資源配分ができる。
(「産業能率大学テキスト)より)









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花形
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問題児
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金のなる木
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負け犬
相対的市場シエア

その講習会では、ボストン云々が事例として示したものにはぴったりとはまったらしいのだが、その後いろいろなケースにあてはめた結果、それほど普遍的でもなく妥当性のある考えでもないという解説があった。この分類というか考えは、それほど真理とか真実でもなく、漠とした概念を示す程度なのだろう。

ともあれ、それを読んで私の頭にひっかかった言葉があった。負け犬である。負け犬というと良い響きはない。
私の人生そのもののようだ・・ 
私は小学校前からいじめられっ子で、小学校に入れば運動オンチで勉強はできず落ちこぼれ、中学校に行ってなんとか成績は並みになったが運動がダメなのは変わらず、社会人になっても役職にもつけず、それどころかリストラに会い、流れ着いた会社も定年になってしまった。まさに落ちこぼれである。
しかし、ダジャレと負け惜しみでは人後に落ちない。この負け犬とポートフォリオという言葉でひらめいた。
それが本日の出し物であります。

人間の地位を横軸に、年齢を縦軸にとってはめ込むと・・あれえ不思議や不思議、人生ポートフォリオの完成です。




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花形
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問題児
児童手当がうらやましい

金のなる木
年金はまだですか!

負け犬
社会的地位
実を言っていろいろと試してみたが、年齢を逆転しないとうまく当てはまらなかった。

私はやはり負け犬に当てはまるのは間違いないようです。
人生おしまいだな

本日はこれまで!



KY様からお便りを頂きました(10.04.25)
金のなる木
鳩ポッポ首相の場合は、ママンが「金のなる木」でしたね(苦笑)。
だからこそ、資料の提出を拒否したのでしょう。野党時代はあれほど「政治とカネ」について政権与党に説明責任を求めていたことなどなかったような態度で・・・

KY様 毎度ありがとうございます。
正直言いまして、私にもブリジストンの大株主の母親がいれば・・・と思わざるをえません。
でも、政治家というのは国民にそんな願望を持たなくて良い暮らしを実現するのがお仕事のように思います。
そしてそれを達成しなくてはならないわけで・・
そもそもできないなら、政治家にならなければ良いわけで・・


あらま様からお便りを頂きました(10.04.30)
勝ち組・負け組
佐為さま あらまです
大陸では、上海万パクリ ? が始まったようですね。
あのリハーサルでの滅茶苦茶ぶりを見ていますと、とても行く気にはなれません。
ところで、「人生ポートフォリオ」を読ませて戴きました。
小生のマークも負け組みのほうに入っていましたね。
格差時代、正規社員以外は‘負け組み’なんて言われていましたから、小生も「負け組み」なのかもしれません。
ところで、内閣府が27日発表した国民生活選好度調査では、わが国の国民の「幸福度」は100点満点で65点なんだそうです。
どんな基準でそうなったのかは分りませんが、幸福感とはどんな時に味わえるのでしょうか。
どんなにカネがあっても、一人ぼっちでは寂しいですし、かと言ってカネがなければ、またそれも不安ですね。
どうやら、幸福感とは、地位・名誉・財産・・・というところではなく、金では買えないもの、つまり健康とが信頼などにあるような気がします。 そうしてみると、小生はそこそこ幸福なのかもしれません。 とりあえず子供は大きくなりましたし、万全とは言えませんが そこそこ健康です。 インターネットでも、佐為さまとお付き合い戴いておりますし、そうした意味では果報者かもしれません。 でも、地位も名誉も財産もない小生は、やっぱり「負け組み」の範疇かもしれませんね。

あらま様 毎度ありがとうございます。
幸福とお金は関係ありますが、1対1の関係ではないと思います。
私は昔から、本当の財産とは家族と健康と教養だと信じております。考えても分かりませんから信じるしかありません。
では幸福が65点程度かと言えば、100点と思う時もありますし、50点くらいかなと思う時もあります。
栄養失調のアフリカの子供とか、東京駅のホームレスを思えば、幸福度50点以下ということはないでしょう。
まあ、これも信じているだけです。
他の大勢に、不幸な奴だと同情されているかもしれません。

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