環境マネジメントと銘打っても、大学の講座でISOとか第三者認証を深く究めるべきだなどとは思っていない。しかし骨のところ、規格の意図、認証とは何ぞやということだけは知ってほしいと願う。 規格の意図を知らずに環境側面のテクニックを磨いても意味がないし、目標が高いと違反の恐れがあるなんて間違っては困る。規格の取得なんて言っては恥ずかしい。 |
規格を取得 規格を取る うーん、この学生は先生が教えたことを聞いていなかったのか理解できなかったのか? まさか先生がそんなことを教えたわけはないよね? でも単に普通に国語の意味を考えただけでも考えるとおかしい!って気が付けよ そもそも勘違いの元は、EMSの活動が資格や免許を取得することと同義であると捉えていることにあるのでしょう。 しかしこれは無理からぬことで、この学生はある意味正しい理解をしていると思います。 話は少し逸れます。 先日、某大手認証機関のISO9001改正説明会に出かけて行ったのですが、実に異様な光景を目にしました。1社1名限りということだったので、出席者はおそらく管理責任者か同等の人たちのはずです。 それが話の内容を理解しようという姿勢ではなく、認証機関のエライさんの説明を一言一句もらすまいと懸命にメモをとっているのです。また、質問は「先ほど○○○という説明でしたが、それは×××をしないと不適合になるということでしょうか?」とか「××しないとダメですか?」とかいったものばかりでした。なんのことはない、「改正説明会」ではなく実態は「審査対策説明会」だったのです。 要するに規格改正の意図がどのようなもので、自社のマネジメントシステムをよりよいものにしていくためにどう活かすかということはまったく考えておらず、“どうしなければ”審査に支障が出るのかが関心事というわけです。 つまり、認証機関にとって規格改定はメシの種、登録組織にとっては認証を維持する上でのハザードでしかないというのが実態です。 このように、企業の大半が規格改正を改善のためのチャンスと捉えずに厄介事としか考えていないような運用実態であるのに、EMSを教える教授や教えを受ける学生が本来の意義を正しく理解しているはずがありません。 これは無事故を装うために測定値異常を隠したことを意味すると理解する。目標を厳しくすることと、うそをつくことは全然違う。 高い目標を設定してそれが達成できないときは違反を隠すことになるのか?といえば、そんなことはない。それは目標設定と全然違う次元のことであり、コンプライアンスあるいは企業風土の問題である。 この学生は環境マネジメント以前に企業のコンプライアンスというか企業倫理を学ぶ必要がある。 これも目標管理の正しい運用というものが大半の企業で行われていない実態を反映しているのでしょう。QC活動の発表会、つまりウソつき大会に多く見られることです。 またまた品質の例えで恐縮ですが、「クレームの半減」とか「不良ゼロ」とかいった絵に描いたモチの品質目標がどこの企業でも見られることと同じです。 心意気だけで設定された目標は、達成の裏づけも見込みもハナっからないのですから、期末になればウソをつくしかありません。その結果、ウソをついても許されるような甘い企業体質が定着してしまいます。 目標設定とウソをつくこととは密接な関係があるのです。 まず組織のニーズ・願望を分析し、達成に至るプロセスを検討して得られた見込みを目標に据えるというCAPDサイクルに目標管理の考え方と手法を切り替えないと、いつまでたっても「ISOなんてちっとも役に立たない」という声はなくなりません。 ヤマカン経営から科学的アプローチ経営への転換の問題であると思います。 (おばQ様風に)今日の結論。 “現場”である企業の最前線が間違っているのだから、それを“ネタ”にしている先生が間違ったまま捉え、結果として学生が勘違いをするのはプロセスアプローチからすれば当たり前である。「恐るべきことだ、呆れてしまう」とバッサリ斬り捨てるのは酷というものである。 |
たいがぁ様 毎度ご指導ありがとうございます。 うーん、いずれにしても結論は「ISOなんぞ認証機関にさえ理解されていないんだ。一般社会にとってはどうでもいいことさ!」ということになるのでしょうか? ![]() ところで私は定年になったら大学院に行って環境マネジメントを研究しようと思っておりました。 研究テーマは「なぜISOは無力だったのか?」を考えておりました。 もう大学院に行って学ぶまでもなさそうです。 |