恐怖の流行 2009.04.10

春は人事異動の季節でもある。同じ会社にいるもののめったに会わない方が、突然挨拶に見えて「今度転勤になりました」という。 「へえ!知らなかった。いろいろと大変でしょうけど頑張ってください」と応えると、「机を片づけていたら、ずっと前あなたから借りていた本が出てきた。お返しします。」という。
律儀というべきかずぼらというべきか、貸した私も忘れていた。
ともかくありがとうと言って受け取った。
もうすっかり忘れていたので、後で一体どんな本だったろうかとしげしげと見た。
5〜6冊あったが「ダイオキシン 神話の終焉」をはじめダイオキシンとか環境ホルモン関連などほとんどが2003年発行の本であった。
オイオイ6年間も借りていたのか  
6年と言えば生まれた子供が小学校に入るし、還暦になった私の人生の1割だよ
私は活字を読むために生まれてきたような人間だ。ちょうど読む本を切らしていたので早速その日の通勤電車から読みなおした。
読めば、ああ、そんなことを読んだなという記憶はあるが、数値とか細かなことはほとんど忘れている。おかげで、再び楽しい時間を持つことができた。
環境問題は動きが速い。2003年発行の本が今でも役に立つのかという疑問もあるが、これらは今でも正論のように思えた。

私がISO9001からISO14001の担当に変わったのが1997年、当時はダイオキシンは敵だ!環境ホルモンから人類を救え!という大合唱が響き渡り、今では想像もつかないような時代だった。
それ以前は学校でも会社でも、書類をはじめとする紙くずとか包装材などのゴミは、敷地の片隅にある焼却炉で燃やすことにきまっていた。それがおかしいという発想もなかった。家から出たごみを燃やすということは、それこそ神代の時代から行われていたのではないかと思う。それに90年頃に私が住んでいた自治体では一般家庭からのごみを少なくしようと家庭用焼却炉を配ったりしていた。
ダイオキシン ところがある日「ダイオキシンがアブナイ」とか「ダイオキシンは猛毒だ」という論が現れれて、家庭や工場での焼却は禁止、廃棄物焼却炉の近辺はダイオキシン濃度が高く、子供に先天的影響があるとか、がんになるとか、それは大騒ぎになったのだ。
世の中はジェットコースターのように動き、ダイオキシン特措法ができたのが1999年、まさにあれよあれよというあんばいであった。そういえばテレビ朝日が所沢の野菜にダイオキシンが高濃度で含まれていると誤報したのも1999年だった。この本が出た2003年は危ない危ないと大声で叫ばれていた頂点の頃だ。
今ではダイオキシンなんて新聞とかテレビに現れることはまずない。

ダイオキシンばかりではない。環境ホルモンはどうしたんだ?
アメリカの副大統領だったゴアと仲間が書き、鳴り物入りで「奪われし未来」が出たのが1997年、環境ホルモンの真偽はともかく彼らはだいぶ稼いだに違いない。
日本では環境ホルモンを調べるためにSPEEDという大プロジェクトを立ち上げて大金を使って研究し、結局環境ホルモンと言えるようなものはなかったという結論を出したのが2002年。最近は環境ホルモンという言葉も聞かない。エコ検定というものがあるが、その公式テキストに環境ホルモンという言葉を見つけて、今でもか!?と感じたことがある。まあ、そういう超レアもの以外では普段は見かけることはなくなった。
マイナスイオン同様おおいに流行してそして去っていった言葉なのだろう。
つまり、「アジャパー」とか「ちょっとちょっと」とか「そんなの関係ない」などと同じ流行語にすぎないのだろうか?
ところで社会の関心事のバロメーターとして私が気に入っているものは、毎年出版された本の数である。ダイオキシンとか環境ホルモンという言葉がタイトルに入っている本の出版された状況を見てみよう。
下表のデータはいずれも私がe-honで検索した結果である。数え漏れなどがあるかもしれない。実際に98年の環境ホルモン本の数を46とか48としている人もある。
ダイオキシンがタイトルについた本の出版数
5
31
32
14
14
4
3
2
1
1
1
2
1
97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09
*ダイオキシン公害防止管理者試験テキストと問題集を除く。

環境ホルモンがタイトルについた本の出版数
0 35
33
6
5
5
6
5
1
1
0
1
97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09
*SPEEDからの報告が出たのが2002年で、それで騒ぎは終わったのかもしれない。

グラフから分かるように、ダイオキシンも環境ホルモンは同時にはやり、そして同時に2004年で流行は終わったようだ。
もちろん2007年頃になっても我々無知蒙昧な民にダイオキシンの危険を知らせんとして「ダイオキシンは怖くないという嘘」(長山 淳哉)、「実は危険なダイオキシン―『神話の終焉』の虚構を衝く」(川名 英之)なんて本も出ている。
お断り、私は一応それらも読んでおります。その論の方が正しいというご異議もあろうかと思いますが、その正否についてここで論じても意味はありません。当人の先生方に論じていただくしかありません。
ダイオキシンが危険なのか?危険でないのか?どちらが正しいかなんて科学者さえ一致していないのだから、私のレベルでは判断しようがない。ただ10年前に比べて今では科学者の大勢が恐れることはないという意見であることは間違いない。
そして図に示すように、ダイオキシンの本があっというまに発行されなくなってしまった・・ことを見ると、ダイオキシン支持者であった多くの学者、ジャーナリストも、もうダイオキシンをネタに稼ぐことはできないと判断したのは間違いない。
ダイオキシン 神話の終焉」が正しいか否かわからないが、「ダイオキシンというビジネスの終焉」は間違いない事実だ。
かって「ダイオキシンで死んだ人より、ダイオキシンで食べている人の方が多い(ラッペ教授)」と言われたらしいが、21世紀はダイオキシンで食べている人はいなくなったようだ。あるいは食べていけなくなったのかもしれない。

../quest.gif ダイオキシンとか環境ホルモンは、猛毒とか危険ということではなく、社会現象だったのだろうか? ダイオキシンと環境ホルモンがまったく同時に騒ぎになり、まったく同時に下火になったということは、科学的事件というより、社会的のものとみなすべきだというのは間違いだろうか?
オーソン・ウェルズが演出した火星人来襲のラジオ番組がアメリカにパニックを引き起こしたのは、戦争になるかもしれないという当時の世界状況があったためといわれている。とすると1999年のテレビ朝日の報道が日本にダイオキシンフィーバーを引き起こしたのはバブル崩壊後の日本人が感じていた潜在的な恐怖心だったのだろうか?
いや、逆にソ連崩壊によって冷戦構造が終わったために核戦争の恐怖がなくなり、新しい恐怖を待っていたという可能性もある。変な表現だが、人間は危険がないと安心することができず、常に何か心配事を持っていないと落ち着かないのかもしれない。そしてその恐怖は、見えない漠然とした恐怖よりも具体的な恐怖の方が安心できるから、ダイオキシンがその役目を果たしたという可能性もある。
例えばなしだが、花粉症は現代人が清潔になりすぎて、バイ菌や寄生虫と無縁になったことによる自己免疫のせいだという説もある。それと同じく現代人が当面の心配事がなくなったために社会的な自己免疫が発動されて、ちょっと話題になったダイオキシンに過剰反応したという可能性もある。

いやいや、当時は北朝鮮による日本人拉致、誘拐が社会で話題になりはじめた時期だ。北朝鮮シンパ、サヨクマスコミがそういう北朝鮮の悪事から日本人の目をそらそうとして、ダイオキシンや環境ホルモンを大々的に取り上げてキャンペーンを行ったという可能性もある。
北朝鮮の悪事を忘れるな
そういえばサヨク系週刊誌は環境ホルモン問題をだいぶ取り上げていたし、塩ビや洗剤の危険性を訴えていた本も出していた。ああいったものも北朝鮮問題から目をそらすキャンペーンだったのだろうか?
もしそうだとしたら、ダイオキシン・環境ホルモンキャンペーンは日本の北朝鮮に対する対応を、2001年の工作船事件まで数年遅らせることに成功したことになる。それは北朝鮮にとってものすごいアシストになったに違いない。企業経営において時間はリソース(資源)である。その間だけでも日本から相当のお金が行っただろうし、精密機械も運ばれたはずだ。
2001年12月の不審船・北朝鮮工作船事件以降、環境ホルモンもダイオキシンも下火になったのは、北朝鮮問題から目をさらせるキャンペーンの意味がなくなったからというのは勘ぐりすぎかな?

果たして真実はどれなのだろうか?

ダイオキシンと銘打った本が最近少ないのは書いたとおりだが、それでもダイオキシンの公害防止管理者試験は今でも行われており、そのテキストと問題集は毎年発行されている。 律儀というべきか健気というべきか 



KY様からお便りを頂きました(09.04.12)
あの騒ぎは何だったのでしょう?
あれほど騒がれていたダイオキシンも、今はそんな騒動が無かったの如く静まり返っていますが、今でも年始の恒例行事だった「どんど焼き」は復活する兆しすらなく、ダイオキシン騒動の後遺症は当分続きそうです。
我が国の伝統行事まで衰退に追い込んでおいて、騒ぎを煽った連中は良心の呵責すら感じていないようですね。所詮ヒトモドキに良心を期待する方が無理なのは解っていますが。

KY様 毎度ありがとうございます。
環境論者イコールサヨクか? 環境論者イコールひともどきか? という点では多々論議があろうかと思います。
しかしあれだけ騒いだのですから、メンツがあるなら今でも大騒ぎしなければ大通りを大きな顔して歩けないのではないかと愚考いたします。
あるいは、あれは間違いだったと公式に表明すべきではないでしょうか?
おっと!
そうすると、ヒトモドキというのは正しいようです。

無才様からお便りを頂きました(09.04.12)
佐為さま
このところの晴天続きで今日は山火事多発のニュースがありました。あれでものすごい量のダイオキシンが発生するでしょう。それで癌や奇形が多発という論法になるはずです。
10年も前だったか、厚生省のホームページでダイオキシンを検索したことがあります。20数種類のダイオキシンがあってその中で1つか2つのダイオキシンがモルモット(マウス?)に200年の間に摂るほどの量を与えると癌とか奇形ができるとか書いてあったような記憶があります。
論文のための論文というのがありますが研究者は苦しまぎれに結果を出したのでしょう。マイケル・クライトンの『恐怖の存在』にも書いてある通り、マスコミは世間の注目を集めるために恐怖をばら撒きます。
今は新型インフルエンザ、アジアの公衆衛生の遅れているところでさへパンデミックなんてないのに日本で何百万人も死ぬとか報道されています。ところで寿命と生態への暴露という関係ではJカーブということがよく言われます。たとえば酒(アルコール)、まったく酒を飲まない人よりは少したしなむ程度の人のほうが長生きする。同様なことが放射能にもいえるそうです(放射線学専門のある教授の話)。ダイオキシンにもJカーブがあるそうです。寄生虫がいなくなれば花粉症などという変な病気になりますね。私個人としてはある程度いい加減なほうが長生きすると思っています。今年は長野・善光寺のご開帳で『おびんずるさま』を撫で線香の煙を全身に浴びて長寿を願う人が多いことでしょう。今風には『おびんずるさま』に抗菌加工すべきですし(他人の手垢、脂でてかてか黒光りしています)、線香の煙なんてもってのほか直ちに消火すべきでしょう。ついでに言えば足湯なんて水虫のカビ(胞子)がうようよしているのではないかと思いますが皆さんお好きなようで。ただしこれは科学的に証明されなければなりません、誰か研究テーマに困っている公衆衛生の先生、足湯の湯から白癬菌を証明してくれませんかね。陽性ならばマスコミはすぐ飛びつくでしょう。すべての人が口の中から尻の穴までばい菌だらけなのにこの絶対的清潔思想はほとんど病的です。それが国家間の安全に関する問題にまで波及しているような気がしてなりません。

無才様 毎度ありがとうございます。
日本ではダイオキシンは農薬起源がダントツで、次が焼却だそうですが、アメリカでは山火事からのダイオキシンがダントツだそうです。
山火事を防ごうとする前に、インディアンとかそれ以前の恐竜時代の健康を心配しなければなりませんね
迷信か謀略か? わかりません


外資社員様からお便りを頂きました(09.04.13)
恐怖の流行によせて
最近読んだ本で”思考停止社会 遵法に蝕まれる日本(郷原信朗、講談社現代新書)”があります。ここでは”食品偽装”、”建築偽装”、”年金偽装”の事例を取り上げておりますが、これらも下火になってきたようです。
この本には出ない話ですが、個人的には建築事故では、例として大阪千里の高層ビルの柱挫屈事故やら、六浦コンクリート事件など、かなり心配な事例がありますが、殆ど報道されません。
上記の本では、”遵奉”という印籠を翳されると、”悪代官”というレッテルが貼られて弁明が許されず、謝罪を強要される社会現象を問題にしています。
これらの問題で、私が気になるのは、事実関係の追求、真の原因究明と対策立案については脇におかれて、”謝罪”に重点が置かれることです。
規格適合やらコンプライアンスという名で、余計な仕事が増えても関係者の満足が得られればそれでも良いかもしれませんが、根本の問題が消えるのでもなく、ダイオキシンの科学的特性が変るのでもありません。
こうした問題で思うのは、当事者が事実よりも”感情の充足”が重要なことに気づいていない場合があることと思います。
こうした場合は、仕事の上ではとりあえずお客様とは争いませんが、いつか誰かが気づいてくれればと記録上では残すことにしています。
先日のミサイルの問題も、”衛星ならば失敗だが、ミサイルならば半分以上は成功でしょう”と酒の席で言ったら同席者に北の手先かと思いきり怒られました。(笑)

外資社員様 毎度ありがとうございます。
言論の自由はだんだんと狭まってきているようです。不思議なことにマスゴミが語れば自由で責任を負わず、個人が語れば差別で弾圧されます。
不思議なことです。
ところで、衛星ならば失敗だが、ミサイルならば半分以上は成功でしょう がどうして北の手先の意見なのか? 理解に苦しみます。


外資社員様からお便りを頂きました(09.04.14)
佐為さま
ところで、『衛星ならば失敗だが、ミサイルならば半分以上は成功でしょう』がどうして北の手先の意見なのか? 理解に苦しみます
いつも言葉足らずで済みません。
相手が期待しているのは、”北朝鮮ケシカラン”への共感と知りながら、私が無視したもので、”共感しない輩=北朝鮮の手先”と言われたのだと思います。
後半の部分はお判りと思いますが、日本政府は”衛星の射出の事実はないから失敗”と言いながら、”ロケットではなくミサイル”と言っております。ロケットなら衛星射出を成功の基準としても良いのでしょうが、ミサイルならば成功の条件ではないので”半ば成功”と思いました。
こうした屁理屈を酒の席で言ったら、たぶんビール浴になったかもしれません

外資社員様 毎度ありがとうございます。
納得しました。
なんだか三段目の切り離しがうまくいかなかったとかというアメリカの報道もありました。
ミサイルとしても半分成功だったのかも知れません。
あるいは・・ひょっとして本当に人工衛星を打ち上げるつもりで、まったくの失敗だったのか?
日本を混乱に陥れるためであれば成功150%だったのかも?
やはり私には想像つきません???

VEM様からお便りを頂きました(09.04.14)
流行が終わってしまったBSEの恐怖
恐怖の流行を拝読させていただきました。
流行は終わってもダイオキシン特措法はいきているようですから、この法律を守るための仕事をしているお役人は、今でもダイオキシンで食べているのだと想像しますが、実数がどの程度なのかまでは思いもよりません。
流行はとっくに去っているはずなのに未だに規制が続いているのがBSEと献血の関係です。20世紀末期の一定期間にイギリスに1泊でも滞在した人は未だに献血が出来ません。街頭で献血を呼びかけている方は時折、献血をしないとはけしからん的な呼び込みをされることがありますが、過去にイギリス滞在を正直に申告した経験がある私は、献血カードを渡すとどこぞのデータが照合されて献血は出来ない仕組みになっています。
食べる牛だって全頭検査をすれば大丈夫のお墨付きがでるのですから、BSEの恐怖にさらされている献血希望者も検査をして下さって、恐怖からの開放と血液不足の解消を希望するのですが、流行が終わっているので何の動きもありません。

VEM様 ご無沙汰しております。
ダイオキシンであろうと、BSEであろう毒だとか危険というのは事実であろうと思います。しかし現在は100%危ないとかまったく無害というのはないようです。多くの場合、確率あるいは漠然とした分布状態の危険あるいはリスクという表現でしか提示してもらえないようです。
だからダイオキシンもBSEも、どういった危険があるのか、通常の生活での危険性に比較してどうなのかということを明示してもらわないと判断に困ります。
ダイオキシンは怖いぞ!という本は今もありますが、どうも確率とか根拠が薄弱です。ダイオキシンは怖くないという本を書いている人を統計を知らない人だといいながら、己の文章では統計以前に算数が合わないことを語っているのです。もう不思議発見!だからうそとはいいませんが、信用するに足らないと考えます。
BSEもリスクという観点から考えなければなりません。極端に言えば完全無欠の食料がないなら、何人中何人死ぬものまでなら許容しなければならないということでしょう。もちろん100人に一人ではリスクが高すぎますが、百万人に一人とかであれば許可するという基準とかはありでしょう。


花火様からお便りを頂きました(09.11.04)
偶然立ち寄りました!
佐為さま、はじめまして。
塩ビ製品の焼却でダイオキシンが発生するというのがどういうことか知りたくて検索していてこのページを発見しました。
思った通り、全く根拠のないことのようですね。
どんな方がこの記事を書かれているのかと思ってTOPページへ行くと「日本人よ誇りを持て!」と堂々と書かれており、とても気持ちが良く、近い思想の方のホームページに縁あってたどり着いたこと、嬉しく思い記念に一言書かせていただきました。
また時々訪れますね。ありがとうございました!

20代女子。
日本を誇りに思っています。
素晴らしい文化を守り伝えていきたいと思っています。

花火様 お便りありがとうございます。
勘違いしちゃいけません。塩ビに限らずものを燃やせば・・一定条件下で・・ダイオキシンが発生することは、明白です。
ただ、ダイオキシンはそれほど猛毒じゃないよ、塩ビに限らず何からでもダイオキシンが出るよ、ということらしいです。
なにせ、私は科学者じゃありません。

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