ちょっといやなこと 2009.08.09

本日は真面目な話である。普段はダジャレとほらしか語らない私が、真面目になるのは年に数回しかない・・本当だろうか?
ともかく本日は街で見かけた見苦しいというか、ちょっといやな気分になった話だ。

数日前、若い男性、私の息子より若く男の子と言いたいような、20代前半の男性が母親と思しき(おぼしき)家内と同じくらいの年輩の女性と東京駅構内を歩いていた。
その女性は見た目が家内よりだいぶ老けていた。着ているものも正直ヤボたかった。もっとも男性の方もセンスあふれる都会人という雰囲気ではなかった。
まあ、私も田舎から出てきてまだ7年、今でも地下鉄に乗る時は路線図を見なければなりませんし、ズーズー弁も抜けない正真正銘の田舎者である。田舎者ということは恥ずべきことでもなんでもない。それは単なる事実にすぎない。
その男性は明らかに母親と一緒に歩くのが恥ずかしいようで、母親がこの方角でいいのかとか、何番線なのかとか話しかけるのをうるさいとか黙っていろとか、まあそんなことを言ってスタスタと先を行き、母親はその後を追いかけて行く。そんな姿を見た、まあ、それだけのことである。
私もしげしげと眺めていたわけではないが、見るとはなしに二人を見ていて、いささかいやな気分になった。なぜあの男の人はもっと母親に親切にしなかったのだろうか? 母親が話しかけてきたら、話を聞いてやって、分かるように説明してあげればよいのにと思った。
親と一緒に歩くことを恥ずかしく感じるというのはどういう心境なのだろうか? 親が田舎者とか、その場にそぐわないから一緒に歩くと恥ずかしいと思うのだろうか? 親を敬えとかいう以前に、心が貧しいのではないか? あるいはそういう風に育てた親の責任なのだろうか?

話は変わるが、たとえば結婚しようとか思った時に、相手に親を紹介するときみなさんどんな感じを持つのだろうか?
 ・オヤジかっこ悪いから紹介するの恥ずかしいなあ。
 ・オヤジはおれのあこがれだから、きっと彼女も好きになるだろう。
 ・30年後はオヤジのようになると思われるのかな?
 ・自分を育ててくれた人を見てほしい。
まあ、どうなんでしょうかねえ〜良くわからない。

私自身のときはどうだったって? 興味がありますか?
よろしい、お話しましょう。
私が家内と付き合っていることは当然親も知っていた。興味を持ったオヤジは敵情視察と相手の様子を見に行ったのであるが、探している家が見つからない。
たまたま通りかかった農家の奥さんに「○○さんのお宅はどこだんべが?」と聞いたら、それが家内の母親で「それはうぢだけど、なんの用だんべ」ということになり、私がプロポーズを決心する前に、我らの結婚を親同士が決めてしまったというのがウソ偽りのない歴史的事実である。
悲劇なのか喜劇なのか?
まあ結果としてそこそこ幸せな人生を歩んできたのだから悲劇ではないようだ。

ところでわが夫婦には娘と息子がいる。この二人はどうだったのだろうか?なんて振り返るまでもない。我が家の豚児たちはよそに出かけても、家にいるときと違ってかしこまったり親と他人のふりしたりしたことがない。そしてけっこう言葉使いもしっかりしていた。小さい時から人様には、親を「父」「母」と呼んでいた。もっとも家にいる時も外でも変わらない子供たちだったということは、私に対しては「父、お小遣いちょうだい」とか家内に対しては「母、あれ買って」というような言い方をした。つまり言葉の使い分けはしっかりしていなかったのかもしれない。 
我が家の娘と息子は小さい時も、ティーンエイジャーになっても、成人しても、三十路近くなった今も、機会があれば親と一緒に買い物やそこかしこに出かける。親と一緒に歩くことが恥ずかしいと感じたことはないようである。そんな我が家の子供たちと比較して、駅で見かけた母親に同情した。
おっと、おばQの子供たちはまだ親離れしていないのだろうという声が聞こえたような気がした。

休日も働くのが私の身上である。休みの日も働くというのは、働くのが楽しいからなのか、働くのが生きがいなのだろうか。あとわずかとなった定年までの日々への悪あがきなのだろうか? いやそうではない、能がないから平日だけでなく休日まで働かなくては、同僚に追い付いていけないからないのだろう。
../oyako.gif さて平日の朝夕の電車は勤め人がぎっしりだが、休日ともなるとそれほどでもない。もちろん座ることは無理だが、立って本を読める程度の混み具合である。好奇心でできている私は本を読むのは半分で、残りの半分は人間観察である。子供を連れは子供が小さい家族だけでお父さんお母さんが40歳くらいまで、子供がティーンエイジャーになると親と一緒に歩かないようだ。これまた親子の趣味というか外出の目的が異なるためなのか、あるいは子供が親と一緒に歩くのが恥ずかしいからだろうか?
40歳以上は夫婦だけである。ところがこれも面白いというか気になったことがある。二人並んで座っていても立っていても、ご主人、いや夫の方は一人でいるふりをして、奥さんがいろいろと話しかけても返事もしない。
なんでニコニコと奥さんとお話しないのでしょうねえ〜
きっと奥さんは、久しぶりの旦那さんとの外出なんで、いろいろと話をしたいんじゃないのかなあ? 夫の方は奥さんと話をするのがカッコ悪いとでも思っているんだろうか?
正直言いまして、私はそんな風景を見ると奥さんがかわいそうに思う。そして夫の方には、もっとリラックスしたらいいのにとか思う。連れをないがしろにするのはカッコ悪いですよ。しかも単なる連れじゃなくて連れ合いなんだから。

みなさん、私はどうだと聞きたいでしょう。 いやあ、のろけではありませんが、わが夫婦は結構中が良く、電車の中でもどこでもイチャイチャしている・・いえ仲良くお話をしていますよ。
60になってイチャイチャしていたらエロボケジジイです 
どんな話をしているのかと知りたいでしょう。
お教えしましょう。
まず二人で人間観察をしています。そしてそれをネタに盛り上がっているのです。以前もそんなことを書きました
「見て見て、あの女の子、ヴィトンのバッグを紙袋に入れてるわ。ダサイヨネー、ヴィトンなんてさりげなく床に置くくらいでないとカッコ悪いよね」なんてことから始まって、ヴィトンの形と柄からお値段はいくらかと想像し、我れらがヴィトン大好き娘はあんなカッコ悪いことはしないだろうと・・目的地に着くまで話は尽きません。

真面目な話といいながら、全然真面目でなくなってしまいました。
ではまとめでございます。
そりゃ自由の国だから、人間、自分の思うように生きていけばよろしい。でもやはり自分がしてほしいことを相手にしてあげる、自分が嫌がることは相手にもしない、そんなことは時代や地域を問わない普遍的なマナーだろうと思う。
家庭内が円満でなければ、他人と円満な付き合いができないなんてこともないだろうけど、もっとも基本的な人間関係の単位である家族とか夫婦が仲良いということは気楽だし楽しいと思う。
ソクラテスは悪妻のおかげで偉大な哲学者になったと言われているが、夫婦仲が良くて平凡な人生を送った方が良かったのではないだろうか?
もっとも私たちは夫婦仲が悪くても偉大な人にはなれそうがありません。

本日の言葉
他人に優しくするのも結構だけど、その前にお父さんお母さんを大事にしよう!



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