上には上が 09.04.21

私は歯に衣を着せぬというか、言いたい放題、過激に語る人間だと思っていたがそれ以上の人に出会った。今日はそんなことを書く。
以前から私はISOなんてものは経営レベルではなく、管理レベルのツールだと考えていた。
世の中には会社の仕組みをISOに沿って構築しようなんて意味不明のことを語る人もいるが、会社のためにISOを使うのであって、ISOのために会社があるのではない。それは至極当たり前のことだと思っている。認証機関を除いては、ISOのために設立された会社はない。
世界のためにふたりがいるかどうかはわからないが、二人のために世界があるのではない。(ダジャレが分かる人は50歳以上である)

私は出歩くのが商売である。最近、とある会社のISOを担当されている方と雑談した。担当といっても課長クラスの方でそれまでは現場経験が長くISOにも品質保証にもあまり縁がなかったらしい。とはいえ会社の仕事は長く、また相当の実績を出してこられたと見うけた。現場管理といっても簡単ではない。ISO事務局よりは大変なのは間違いない。
ISO担当者が会社の経営に関わっているような話を語るのを聞くと、笑いをこらえるのが大変だ。ISOなんてそんなたいそうなもんじゃない。それにあんたはISO業者(認証機関)の窓口に過ぎないんだろう?
毎日の生産目標を達成するというのはそれだけでも大変なことだ。それに常に一定の生産すればよいのではなく、毎月毎月、生産性を向上しなくてはならないノルマがある。事故も怪我も起きないように気を配らなければならない。最近は自分の職場でセクハラや情報漏洩のないように指導し監督しなければならない。
ということを話したのではない。私も昔そんな仕事をしていたので、その方も大変だったろうと想像しただけだ。

彼が語った内容は、ISO9001であろうとISO14001であろうとかしこまることもなく、余計なことをすることはないという。それは私も同意見で過去10年間叫んでいることだ。
もちろん法律は守らなくてはならない。法律といっても製品に関わることとか、環境に関わることだけではない。現場ではまず労働基準法があるし労働安全衛生法もあるし消防法その他もある。現場管理者にとって自分の職場に関わる法律を守ることは当然だが、そのとき環境に関する規制だとか製品安全の法律だとか考える人はいないだろう。どんな法律だって、わけへだてないというか、区別して管理しようという発想になるはずがなく、区別したところで意味がない。まずそんなことをおっしゃった。私も全く同意だ。
最近のこと、知り合いのところのISO14001審査で「道路交通法を環境法規制として認識していない」という審査員がいたという。それに対して「道路交通法が環境に関わるかどうかの判断は人それぞれだろう。しかし当社はちゃんと守っているからいいではないか」といって審査員が不適合としようとしたのを受け付けなかったそうだ。
道路交通法が環境法規制のリストに載っていないからISO14001審査で不適合になるとは信じられない方もいらっしゃるだろう。しかし私は別の会社で現実にそれが不適合になったのを知っている。まさに事実は小説より奇なりである。
そもそも4.3.2に限らずISO14001規格の記述が不完全で、その意図を読み取れない審査員がおかしなことを言いだし、それがポジティブフィードバックを描いて今のばかばかしい解釈の集合体になったのではないだろうか?

道路交通法が環境に関わるかどうか?私はわからない。しかし守らなければならないことは確かだし、守っていれば環境法規制であるとしても、関係ないとしても、どうでもよいように思う。
それからの彼のお話が過激なのだ。
「よくISOは経営の仕組みだとか、という人がいるでしょう。あれはまったく間違いだと思うんですよ」
「はあ」私はあいづちを打ち、これから私と同じ意見を語るのかと期待しておりました。
「ISOなんて経営に仕組みなんかじゃないです。経営のツールでもないです」
「ほう」おお、私の意見とちょっと違うようだ。
「ISOなんてやってみて効果があれば良し、効果がなければやめりゃいいんです」
「ほうほう」
「ISOを使いこなすとか使い倒すなんて本に書いていた人がいましたね。会社ってそんな暇じゃないです。役に立てようなんていろいろ試してみるほど余裕はありません。ちょっと使ってみてだめなら、即止めるだけです。」
試してみて効果があればよいが効果がなければ、ぼろぞうきんのように捨てるべきだというお説でありました。
そして私はその方の言うことに納得してしまったのです。

ISOマニアなんかでなく、このような冷めた目でISOを見つめる人が各社でISO事務局になれば逆にISOは会社内において効果を出すのではないだろうか?
それは効果がある会社だけがISOを継続して、効果が出ない会社ではISOはどんどんと辞退するからではない。
事務局も、審査員もISOを継続しようとするために、最善を尽くすようになるのではないだろうか?
審査に行ってろくでもない不適合を出したり、間違った判断をしたり、あるいは企業が審査の価値がなかったと思ったら即認証を返上・辞退するという雰囲気であれば、審査員は必死になって審査して、適正な判断をするだろう。すべての不適合は証拠・根拠を明確にして提示するだろう。改善のポイントも怪しげとか主観ではなく、お足を頂けるものを提示するのではないだろうか?
認証機関も変な審査員は即刻解雇して淘汰され、良い審査員だけが残るのではないだろうか?
事務局側としても、規格ではこうだからとか、規格の意図はなどと難しく考えることなく、会社に役に立つことは採用する、役に立たないことあるいは関係ないことはしないというスタンスでISOを使えば無駄もなく役に立つだろうし、ISOの効果が出てくるのではないだろうか? そのほうが規格解釈なんていう小難しいことを考える必要なく、日常の会社業務における価値観そのもので対応できるはずだ。
そして外圧を利用してなんてというような、不純というか他力本願の女々しい考えの事務局は早々に退場することになるだろう。
もっともそうなると、定年前とか、他の仕事では使い物にならないからとISO事務局になったような人には勤まらないだろう。

ネットで「記録と文書の違い」の議論とか、「有効性のレビューとはなにか」などと議論している人がいるが、この方がそんなのを見たら、「意味のないことに時間をつぶすな!」と一喝するのではないだろうか?
小学校の教科書のようなISOを語っているコンサル、形式だけしか見ない審査員、審査員の顔色をうかがっている事務局を見たら怒鳴りつけるのではないかと心配した。
でもISOを良くしようとしている人、あるいは順法をしっかりしてほしいと考えている経済産業省がこの方を見たら大いに喜ぶのではなかろうか?

本日の新説
ISOを使って会社を良くしようというのは間違いらしい。
ISOを使ってみて会社が良くならなければISOはやめるべきらしい。



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