ケーススタディ 緊急事態 09.10.20

休み明けの月曜の朝だった。始業直後に電話が鳴り山田は受話器を取った。
「ハイ、環境保護部です。」
../phone.gif 「岩手工場の環境管理課長の稲田です。当工場から廃棄物業者処理委託した廃棄物が不法投棄されました。重大環境問題なので報告します。」
山田はぎょっとした。
今までISOとかマネジメントシステムとか、なんというか現実と直接かかわりのないことをしていたが、突然深刻な事態に直面したからだ。

環境保護部には部長を除いて現在4名いる。ISO担当の平目と山田、公害や法律担当の廣井、環境報告書担当の中野である。
山田は廣井が席にいるのを見て言った。
「廣井さん、岩手工場からの環境事故報告です。お願いします。」
「あい、わかった、回してくれ。」
廣井は動じない。
「はい、廣井です。おお、稲田さんか、どうした?」
周りの者は耳を澄まして廣井の声とわずかに聞こえる受話器の声を盗み聞きした。
青森県の山奥に不法投棄された大量の廃棄物が見つかり、その中に岩手工場から出した産業廃棄物が含まれていたという。
「わかりました。本社の総務部にマスコミ対応の体制をとってもらいます。稲田さんは今のお話を書面にしてFAXか電子メールで送ってください。今後新しい情報が入ったらただちに環境保護部に連絡ください。また当分の間、常時稲田さんに連絡がつくような体制をとってください。」
廣井はそのまま部屋の外に出て行った。総務部に行ったに違いない。
鷽八百社には広報部がない。だから広報は総務部の仕事となっている。
山田はこんな事態のときにISOでもないだろうと思い、平目を見た。
「平目さん、このような場合の体制と言いますか職務分掌はどうなっているのでしょう。」
「山田君、法に関わることや事故は我々ISOのメンバーには手に負えないからなにもないよ、廣井君がなんとかするだろう。」
「平目さん、ISO規格では緊急事態の対応という項番がありますね。本社のマニュアルでは緊急事態についてどのように決めているのでしょうか?」
「ああ、あれね。本社の緊急事態としては診療所のレントゲン現像液と定着液の漏洩を想定しているんだ。」
「このような工場での違反といいますか、環境事故などの問題についてはどのように決めているのですか?」
「ISOのマニュアルでは緊急事態とはしていないんだ。」
「では、このような事態の扱いをマニュアルではどのように規定しているのでしょうか?」
「そう力むなよ、山田君、これは当社の問題ではあるが、本社の範疇ではないのだよ。だからISOの認証範囲外にしているんだ。」
「えっ、それじゃISOのルールは会社実務と乖離しているのですか?」
「実務と乖離しているわけじゃない。範囲の外で対象外だと言っているだろう。」
平目はISOの仕組みを批判されたと受け取ったようで攻撃的になった。
山田はどうもISOが緊急事態と関わりないということが理解できなかった。
とりあえず総務部に行ってみることにした。環境保護部にいても仕事になりそうない。

総務部の片隅の会議室というか打ち合わせ場に数人が集まっていた。
山田は打ち合わせ場の壁際にあった椅子に座った。廣井が話している。
「現時点、当社の違反だとは言えない。もちろんシロだとも言えない状況です。」
「廣井さん、そのへんを確実にしたいのですが、誰か現地に行く必要がありますね。」総務課長らしい。
「そうですね、廃棄物関連の法規制は結構込み入っていますので、詳しいものが行った方が良いでしょう。本来なら私が行きたいのですがマスコミ対応は総務部さんに任せてよろしいでしょうか?」
「うーん、やはり廣井さんがいてくれないと心細いな。」
「じゃあ、私が行きましょう。」
いつの間に来たのか、中野がそう言った。
「おお、中野君、君が行ってくれるか。今10時か、東京発11時の新幹線に乗れば2時間半で盛岡か、乗り換えがあっても午後3時過ぎには工場に着けるだろう。それじゃ頼むよ。」
中野と廣井は送られてきたFAXを見て何やら小声で話を始めた。
山田は疎外感を味わった。自分はここでも無力で役に立ちそうがない。

総務部を出るととなりは診療所だった。そういえば平目のいう本社の緊急事態はレントゲンの薬品だったはずだ。山田は定期健康診断以外に診療所に来たことはなかった。健康そのものでもないが、慢性病もない。ここ数年風邪もひいた記憶もない。
山田は診療所に入ってレントゲン技師に会いたいと告げた。
レントゲン技師に自己紹介をすると知りたいことを質問した。
「ここではレントゲンの現像や定着に薬品を使っていると聞きましたが、どのくらいの量を使っているのでしょうか?」
「いや、使っていませんよ」
「エッツ」山田は驚いて声をあげた!
「この診療所では従来タイプの現像・定着という方法ではなく、デジタルレントゲンといいまして、X線をそのまま感光紙に映すのではなく、電子データとして画像をセーブします。通常はそれをモニターで見るのですが、必要ならゼロックスと同じ原理でプリントします。だから薬品は使いません。」
はあ!じゃあ、平目の言っていた本社の緊急事態というものは存在しないじゃないか?
山田は技師にお礼を言って環境保護部に戻った。

環境保護部には平目だけがいた。
平目は診療所で薬品を使わないことを知っていたのだろうか? 知らなかったのだろうか?
診療所で聞いたことを平目に言うべきだろうか? 止めといた方がいいかもしれない。
「平目さん、話してもよろしいですか?」
「おお、何だね」
「このような事故や問題は、本社の緊急事態そのものだと思うのです。」
「そうかなあ、ISO規格を読んでごらん。緊急事態の定義は特にないよ。本文では『環境に影響を与える可能性のある潜在的な緊急事態』となっている。廃棄物が不法投棄されたと言っても、本社の観点では環境に影響があるとはいえないよね」
山田はそんな理屈が通らないのを感じた。
工場で何事か起きれば本社も一蓮托生、対外的に対応せねばならず、工場が処罰を受ければ会社のブランドは地に落ちる。だから共同して対策を考え実行するのは当然だ。そういうことが本社の緊急事態に取り上げていなければ、ISOの仕組みはバーチャルと言わざるを得ない。どこか自分の考えがおかしいのだろうか?それとも規格が不十分なのだろうか?

突然、環境保護部長が部屋に入ってきた。
「おい!岩手工場の件はどうなったのか?」
「部長、我々はISO担当なのでその件は分かりかねます。」
平目がそう言うと、部長は憮然として山田を向いた。
「山田君、何か知っているか?」
「先ほど、廣井さんと中野さんが総務部と打ち合わせをしてました。中野さんがまもなく現地に出発すると聞きます。廣井さんはこちらで指揮と広報に当たるとのことです。」
部長はウンウンとうなづいて、
「じゃあ、総務部に行ってくるわ」と部屋を出て行った。

山田はもう一度平目に向き合った。
「平目さん、緊急事態というのは内容はどうあれすぐに対応しなければならないことですよね。だったらやはりこういう工場の事故や事件は緊急事態になると思います。さかのぼれば環境側面の把握が狭すぎるのではないでしょうか?」
「環境側面の把握が狭いというと?」
平目は見たこともないような目つきで山田に質問した。
「本社の環境側面とは、オフィスの紙ごみ電気だけではありません。一番重要なのは本社機能です。つまり認証範囲が本社だけだとしても、工場や支社や子会社を指揮監督することは本社の環境側面ではないのでしょうか?」
「つまり君は現在のマニュアルはバーチャルというんだな?」
平目はだいぶ気分を悪くしたようだ。
「うーん、そうかもしれません。今回はある意味もらい火事でしょうけど、子会社が事故を起こしたり、環境法違反を起こしても本社にとって緊急事態であることは間違いないです。あるいは、製品に禁じられている化学物質が含有されている場合なども、本社の緊急事態であることは間違いありません。さっきマニュアルを読みなおしましたが、そういうケースも緊急事態としてはいませんでした。」
平目はゴソゴゾと本棚をあさって、カラフルな中綴じの雑誌を取り出した。
「これは日経エコロジー(2008.12.08)なんだが、ISO-TC委員の吉田敬史さんという方が『現行規格では、製品に法で使用禁止物質を含有していても、緊急事態にあてはまらない』と語っている。私はそれを基に君が今例に挙げたケースは該当しないと除いていたのだが・・」
「駆け出しの私には小難しいことは良くわかりません。しかし緊急事態に役に立たないISOなら存在意義はないではありませんか。緊急事態が起きた時、ISOの手順に従って粛々と対応していくというのがあるべき姿なのではないでしょうか?」
「山田君、気持ちは分かるが我々に事故や違反が起きた時、指揮監督して対応できると思うかね? 公害担当として廣井君がいるわけだし、法違反があれば法務部がしゃしゃり出てくることになっているのさ。」
「平目さん、私なりに考えたのですが、そういう現実の会社の仕組みといいますかルールをそのままISOの仕組みとして説明すれば良いのではないでしょうか?」
「山田君、そんな仕組みがISO審査で適合判定されるはずがないだろう。本社がISO認証すると決めてから、注文ばかり多い各部門を私がひとつひとつ説得して妥協点を模索して、現在の形をやっと作り上げてきたんだよ。」
「平目さん、でも緊急時に役に立たないISOは会社に貢献しませんよ。もし現実の体制がISO不適合なら、ISO規格がおかしいのか審査員がおかしいのかいずれかではないですか。」
二人の緊張が高まった時、部長が戻ってきた。
「中野君は出発した。廣井君は総務に詰めることになった。緊急事態だから、山田君は廣井君の下でお手伝いをしてくれ。そうそう、廃棄物処理法の三段組の本を持ってきてくれって言ってたな。平目君はとりあえずISO関係の業務を一人で対応してくれたまえ。」
山田は平目との争いが止まったことにほっとした。本棚からそれらしい本を持って総務に出かけた。

平目は山田を見送って、自嘲気味につぶやいた。
「ISOが順守と汚染の予防が目的なら力はなく、ISOが力なら順守と汚染の予防に役に立たない・・か」



本日の課題
・あなたのオフィスの緊急事態はなんでしょうか?
・その妥当性を説明してください。
・現実に起きる、あるいは起きた事件・事故などの対応は含まれているでしょうか?



ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.10.20)
たいがぁです。
ツッコミというよりも真正面からのコメントで、ひねりも何もありませんがご容赦ください。

//////////////////////////////////////////////////////////////

ウチの場合は、「起きては困ること」を想定してそれへの備えの要否を決定し、必要なものは手を打つという当たり前のことをしています。
当然、それには応急処置も含まれます。つまり、緊急であるかどうかを区別していません。また、その必然性もないと考えます。
審査の時には「貴社の緊急事態には何がありますか?」と聞かれますが、「さあ。『起きては困ること』はこれこれです。この中に『緊急事態』もあると思いますから、あなたが選んでください」と答えています。

もちろん、スコープ内とかスコープ外といった区別もありません。
環境に関係あろうがなかろうがあらゆる「起きては困ること」が対象なので、労災や事件・事故も含まれます。最近の事例では「新型インフルエンザ」もそうですね。

たいがぁ師匠 毎度ありがとうございます。
まさしく自然体ですね・・
というか普通の会社ではそれが真の姿のはず。
そうでない風に説明している会社は、バーチャルISOに違いない 


リス様からお便りを頂きました(09.10.21)
おばQさま、こんにちは。
「ケーススタディ 緊急事態」読ませていただきました。
毎度毎度、目から鱗な記事ばかりです。
おばQ様にとっては、当たり前のことも、前例に凝り固まっている私にはとても新鮮で、かつ、挑戦を受けます。

当社では、いろいろな「起こっては困ること」ありますが、「個人情報の漏洩」と「品質事故(クレーム)」の緊急事態対応は共通、「労災」「交通事故」「環境事故」は別々の対応マニュアルがあります。
しかし、不法投棄を緊急事態には定めてなかったので、ちょっとびっくり。
以前に、委託業者が不法投棄した事件もありましたが、その場での対応をしたのだろうと思います(私は、当時のことはあまり知りません)。

おばQさまのように、どれも同じという考え方に変えていけるかどうか…。
現状報告のような、内容ですみません。

お嬢様 こんばんわ
昨日、同志ぶらっくたいがぁ氏から緊急事態というのはいろいろあって環境だからとか情報管理だからといって別にすることはないとコメントいただいております。
まさしくそのとおりです。
乗っ取り攻勢をかけられることと、環境事故が起きることと、けが人が出ることと区別する意味がありません。
ところで環境に関わる法違反で最も多いのは廃棄物です。不法投棄なんて無縁だと思っていてはいけません。省エネしなくても省エネ法ですぐに罰則はありませんので単に電気代がかさむだけです。しかし、不法投棄に関わるとご本人は刑務所、会社は多額の罰金ということは現実です。お気をつけてください。

湾星ファン様からお便りを頂きました(09.10.21)
佐為さま
池沼の湾星ファンです。いえ、ドMではありません。一歩遅れましたが、緊急事態の宿題回答です。
ウチでは、お相手となる役所で担当部署が違うため、会社にとって困ったこと全ては、EMSでは扱っておりません。警察と労基署は守備範囲になく、県庁や市役所の環境&防災部署と消防署に関する事項、具体的には、油やガスの漏洩、火災などの事故と地震を緊急事態としています。

環境クレームも会社にとって困ったことですが、これは緊急事態でなく規格に沿って、4.4.3で扱っております。
品質クレームはQMSで対応します。

法の逸脱は、4.5.3で扱います。実際のところ、ミスが一番多いのは廃掃法がらみ、特にマニフェストD票の紛失です。だいたい1万枚に1枚、率にして0.01%ですが、年間では数件になるため、シャレになりません。再発防止に、いろいろ知恵を凝らしてはいるのですが、人間がやることですので、根絶するのは難しいです。5年保管の要件と言い、ヤクザ屋さんの不法投棄対策と、お役所は主張しますが、悪意の無い大多数の事業者にとっては無駄に厳しいと感じております。
湾星ファン

湾星ファン様 毎度ありがとうございます。
会社によって組織体制や文化が異なりますから、職掌はさまざまであろうと思います。
それは良いですが、環境だからということではなく、企業に関わるすべてが重要でそれぞれ対応策が決まっていればあるべき姿ではないかと思います。
緊急事態というものと、コミュニケーションはデメンションが異なると思います。前に述べたように私は会社の業務はひとつの絵であって、ジグソーパズルのピースをどのように切り分けても、絵が完成して、ピースが足りなかったり、余ったりしなければグッドだと思います。
ところで、D票が紛失しても別にドーッテコトないでしょう。業者に電話して、「C票をコピーして送ってよ」と言えばそれまでです。
法律ではA,B2・・という名称がありません。廃棄物業者がそれぞれの業務分担を終えたら排出者に廃棄物管理票を返送するだけであって、紛失したらコピーを送ればOKです。
そして0.01%のミスなら良いレベルではないでしょうか?


うそ800の目次にもどる