今、山田は鷽八百本社のISOの仕組みを勉強中である。環境マニュアルで引用している文書、すなわち鷽八百社のEMSを支える文書はかなりの数あるのだが、それらの関係というか体系が納得いかないところがある。山田は今までしていた仕事から、会社の文書体系とか文書管理などに縁はなかったが、常識的に考えて変だなあと感じるところがあるのだ。
鷽八百機械工業
(うそはっぴゃくきかいこうぎょう)は製造業だから、図面とか仕様書の類(たぐい)は重要であり、文書管理という概念は会社発祥時から会社の基盤であった。
そしてそれは製造関係にとどまらず、事務部門の業務についてもそれを規定する文書は創立当初から整備されていたのだ。
会社の業務は「会社規則」と称する規則類が最上位にあり、その下に部や課が部門内に適用される「部門規則」と称するものがある。
そんな体系はどの会社も同じようなものだろう。まあ世間一般から言えば鷽八百はかなり文書の整備がされており、かつその維持は良く行われていると山田は思っていた。
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ISOの解説本などで、最上位に「マニュアル」があり、その下に「手順書」というものがあり、その下に「指示書」、「基準」などがある図を良く見かける。しかしこれは、文書の実質的な関係を示すというより、単に概念を示しているだけである。
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そもそも手順書とは何か?といえば、法律で手順書という場合は会社の規則を定めた文書を意味する。法律で手順書を作れと書いてあれば「○○手順書」というものを作らなければならないのではない。法律で定めることを社内に展開した文書を作れという意味である。そんなことさえ理解していない審査員もいるし、事務局もいる。
更に大きな間違いだが、マニュアルが最上位というのもおかしなことだ。ISO規格が作られる前から会社は存在し、会社のルールは存在していた。それはどの会社も同じはずだ。その時の会社のルールが最上位であることに疑問の余地はない。「じゃあ、マニュアルってなによ?」となるが、それは審査員がISO規格と参照するためのものに過ぎない。ISO14001の4.5.3に該当する会社の文書は何だろうか?と探すときに参照する対照表なのだ。
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しかし審査も項番順審査からプロセスアプローチに変わると、そんな参照文書など要らなくなってしまった。ISO14001では元々マニュアルを要求していないが、ISO9001でも不要なのは間違いない。そもそも87年版では品質マニュアルなど要求していない。それで審査ができたのか?といえば、もちろんできた。できない審査員は力量がないと言って間違いない。もし現在、「マニュアルが必要です、マニュアルがないと審査ができません」という審査員がいるならば・・大勢いるのは間違いないが・・その審査員は審査員を辞めた方が良い。
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営業にいた時も、契約金額によって決裁者が営業規則に定められており、一定金額以下であれば課長が決裁しまた取引先にも課長が挨拶に行くが、一定金額以上であれば部長決裁で部長が挨拶に行く。特別に大きな取引、あるいは交渉の相手が自治体の幹部とか企業の役員となればこちらも役員が対応すると、そういうことを決めていた。
資材でも工程管理でも業務の骨はしっかりと会社規則で決めている。だから新入社員は会社規則を一通り読めば、仕事の流れと方法はあらまし理解できるようになっていた。山田が入社した二十年前はイントラネットなどなく、会社規則は分厚いパイプファイル数冊にわかれており、それは会社の重要な機密であり部屋から持ち出し禁止であった。その重いファイルを膝の上においてページをめくるのがある意味快感だったし、紙に書いてあるのを読むのは分かりやすかった。
今は紙ではなく、pdfファイルにしてイントラネットに掲示されているのでモニターでスクロールして読んでいくのだが、人間の性質から言って、画面をみても分かりにくい。紙ファイルよりモニターの方が分かりやすいという人はあまりいないだろう。
ともあれ、山田はこのところISO14001に関する会社規則をモニターで眺めている。
山田が数日ISOに関わる会社規則を見ていて感じるのは重すぎるということだ。重すぎるとは規則の分量が多いというだけではなく、些細なことまで会社規則や部門規則で規定しており、とにかく大げさすぎるように感じるのだ。
ISO規格に書いてあることを、すべて会社規則で決めるということではないのではないか?ISOに関わる文書でも、こまかいものは上位文書で決めなくても良い方法があるのではないだろうか?
考えてみればISO14001では文書化しろと決めているものは少ない。しかし審査でのトラブルを防止するためにどこの会社でも細かいところまで文書化した手順にしているところが多い。鷽八百の場合も会社規則や部門規則にしているのだ。
そもそも文書ってなんだろうか?
山田なりに理解している文書とは「審査され、決裁され、識別され、版管理され、発行管理されるもの」である。それは紙に限らず、会社規則のような確固たる位置づけのものばかりではないと考えている。
某ファーストフード店ではマニュアルはビデオだと聞く。もちろんそれはれっきとした文書だろう。山田が他社を訪問する際に持っていく部品のサンプルも、仕様や品質の説明に使われるなら文書であると思っていた。色見本もあったがあれも文書のはずだ。だってサンプルや色見本も「審査され、決裁され、識別され、版管理され、発行管理」されていたから。
もちろんそれは会社規則でもないし、部門規則でもない。部門規則でこういう風なものを作りこのように管理すると決めていたにすぎない。しかしそれはしっかりと業務遂行において標準となるものであり、営業マンはみなそれによって売り込みに行き、契約の際は客先に提出し、何事かあればそれを基に客先と協議していたのである。
だからISOに関わる業務の進め方やさまざまな様式すべてを、会社規則で定めているのを見ると、これは非常に大げさだなあと感じたのは当然だった。
驚いたのはビル管理会社が定めたゴミの分別表を、総務部が会社規則「本社ビルにおける一般廃棄物管理規則」として役員である総務部長が決裁していることである。
ビル管理会社の分別方法はしょっちゅうではないが、ビル管理会社に出入りしている一般廃棄物収集運搬業者が変わったり、直接自治体の処理場に持っていくこともあり、年に1・2度は変更になる。その都度、会社規則を改訂し役員の決裁を受けているのだった。
「これは大変だな〜」山田は一人ごちた。
通りかかった中野がそれを耳にして、山田に話しかけた。
「何が大変なんだ? 言ってみろよ」
中野は元宣伝部だったせいか、気さくというか慇懃にすぎるところがある。もっとも歳は50過ぎだろうと山田は思っていた。
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環境保護部は部長が役員で、部員4名とも全員公式な役職名はない。会社職制上では全員が平社員である。定年直前の平目はともかく、廣井は工場で課長をしていて本社に来たのだから本社の課長級だろう。本社の課長と言えば工場に行けば部長だ。中野は宣伝部にいた時は課長直前だったはずだから、彼も今課長であってもおかしくない。山田はそう値踏みしていた。
ともかくみな年配者であって、序列とか指揮系統でもめることもなく、日常業務も突発事態にも対応してきた。営業で課長になりたいと強く念じていた山田にとって、肩書など気にしない3人を見ると別世界の人間のように思えた。もっとも先日認証機関に言った時、廣井が出した名刺には「環境保護部専門部長」と肩書があるのを見た。業界など外に行くときは部長クラスということなのだろう。中野さんもそうなのかな?と肩書を気にする山田は思った。
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「いえね中野さん、ISOの仕組みを勉強しているのですが、規則など細かく決めていてものすごく精緻というかはん文縟礼に近いような気がします。これでは仕組みを変えたり、手順を変えたりすると、会社規則の改訂が山のように発生しますね。」
「おっしゃるとおり。もう何年も前だが、当初はISO審査に合格することを目指して工場のISOの仕組みを真似したんだよ。ところが工場もそれに先立つこと何年も前、1996年にISO14001が制定された直後に認証活動を始めたものだから、チョウ初心者が当時の日本の平均的アプローチというか環境側面は点数法だとか、目的の実施計画も作るわ、目標の実施計画も作るわという、もうISOの真髄を忘れた、形だけのものが多かった。そして一旦作り上げられるとそれをいじるのは負荷が大変で、触らぬ神に祟りなしという状態になっていた。」
山田は、中野も自分に一生懸命教えようとしているのだなと感じた。
「じゃあ、本社も工場のISOに習って作ったのですか?」
「もちろんそのまんまコピーしたわけじゃない。まず廣井さんは工場の重い仕組みに大変手こずっていたから、なるべく軽くしたいという思いがあった。平目さんも外部の講習会に行って、いろいろな方法があることを調べてきた。それで環境側面などは会社規則をたくさん作らないでひとつにしてしまった。」
「環境側面だけでも規則がたくさん必要なんですか?」
「ISO規格では環境側面というのはあまり細かく書いてないが、審査機関によっては、定常時、非定常時、緊急時、製品、オフィス、過去、通勤などいくつもの切り口で考えることを要求するところもあった。最近は知らないが当時はそうだった。だから工場では環境側面だけでも『定常時の環境側面特定・決定規則』とか『非定常時の環境側面特定・決定規則』あるいは過去の環境側面何とかなんて10本くらい規則を作ってしまった。我々は環境側面については一つにしたが、やはり『本社ビルにおける一般廃棄物管理規則』なんてものを規則としてしまったね。」
「そんな規則を役員に決裁してもらうのですか? ちょっと気がひけますね」
「山田君もそう思うだろう。まさしく、そのとおり。会社の『株主総会運営規則』と『環境側面特定・決定規則』とか『本社ビルにおける一般廃棄物管理規則』が並んでいるのは誰が見ても異常だよね。役員会でもおかしいじゃないかと話題になったそうだが、まあしょうがないということで収まったと聞く。ともかく我々も認証以降、ヘンテコな規則は廃止したり、統合したりしてきたのだよ。」
「中野さん、『本社ビルにおける一般廃棄物管理規則』なんてのは、規則ではなく単なる総務課長の通知という方法ではいけないのでしょうか? 会社規則とするのは文書のヒエラルキーからいっておかしいでしょう。」
「おお、小難しい言葉を知っているなあ〜、まさしくそうなのだろう。だがね山田君、疑問を提起するのはいいが、君も部外者ではないのだから、どうすべきか、どうすれば良くなるかというスタンスで考え発言した方がいいよ。まだ勉強中なのは分かるが、君も一歩この部屋を出たら環境保護部を代表することになる。」
「はいわかりました。」
山田は現在の仕組みを軽くしていくことがこれからの自分の仕事だと感じた。しかし、そうすることは審査員との壮大な戦いが待っているとは、その時の山田には想像もできなかった。
本日の課題
次のことを考えてみましょう。
・イントラネットに載っている廃棄物分別方法は、手順書あるいは文書と言えるでしょうか?
文書といえるためにはどのような条件が必要ですか?
・総務部長からオフィスの整理整頓の基準と指示が通知として出されました。
これは文書といえるでしょうか?
それを社内の手順として、継続して用いることはできるでしょうか?
・ゴミ箱に貼ってある分別方法を文書とする条件を考えなさい。
おお、あなたの会社では既にそうしていましたか?
ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.10.30)
山田は現在の仕組みを軽くしていくことがこれからの自分の仕事だと感じた。しかし、そうすることは審査員との壮大な戦いが待っているとは、その時の山田には想像もできなかった。
おお、いよいよ話が佳境に入ってきそうな予感。
「審査員との壮絶な戦い」編を楽しみにしています。
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たいがぁ様
毎度ありがとうございます。
物には順序がありますので、来年の2月頃に「壮絶」なバトルを予定しております。
乞うご期待
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ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.10.31)
私は転職によって真っ白の状態からISO規格に接することになったため、「ISOの常識」といわれるものに様々な違和感がありました。中でも文書管理がその最たるものでした。
今では撤廃しましたが、当時はISO文書とかISOの記録と称するものがあり、まずこれが理解不能でした。例えば就業規則はISO文書ではなく、作業の手順書はISO文書です。はて、どちらも仕事のルールが書かれた文書ではありますまいか。どう違うのだろう???
しばらくして理解できました。つまり、ISO文書とは「審査員が審査の対象として見る文書」のことだったのです。記録も同様です。
次に不思議に思ったのは、「管理」とか「非管理」とか「原本」の識別のハンコです。これは何ぞやと規格票(当時は2000年版)を見ましたが、どこを探してもそんな文言は出てきません。それなのに審査では、審査員がこの識別と管理についてあれこれ指摘をし、調べているではありませんか。実に不思議な光景でした。
だいたい、およそ仕事で使う文書を管理しないなんてことがありうるのでしょうか。いやむしろ、「非管理」とハンコが押されている文書の方が、実際の仕事では皆が使っています。これはおかしなことです。
「管理」とハンコが押された文書は大切に書棚に保管され、特別な許可がないと見てはいけないかのような扱いです。「原本」に至っては、まるで御神体か神器のような扱いです。
今だからこと言えますが、形骸化した「ISO」から抜け出すための第一歩は、文書管理にあると思います。審査の対象か否かで分けることをやめ、仕事で使う文書はその重要度に応じた管理をするという当たり前の姿に戻すこと。
そして、審査員しか見ない文書・記録、すなわち実務に必要のないものをどんどん廃止すること。この2つを進めることができるかどうかが大きな分かれ目ではないでしょうか。
要は、管理責任者の腹のくくり方次第ですが。
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たいがぁ様
ISOに関わる人が絶対に守らなければならないオヤクソクというものがあるようなのです。
そのオヤクソクを守らない審査員、事務局、コンサル、経営者、その他誰でもISOの世界からつまはじきされてしまうようなのです。
そのお約束ってなんでしょうか?
答えは・・・ISOってオママゴトということです。
真剣にISOで会社を良くしようなんて思う人は、審査で場違い、KY、シカトされる運命なのです。
ISOに関わるということは、こんなのをまじめに考えるのは無粋なことだよねと認識しなければならないのです。
空手の試合で、片や真剣な武道と考えている人と、空手着はかっこいいけど痛いのいや、寸止めどころか型だけよと考えている人では話になりません。
まあ、そういうことです。
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