品質なんてワンノブゼム 09.11.22

ウェブサイトでも、書籍でも、講演会でも、技術関係やISOの月刊誌でも、「ISOが経営のお手本である」と語る人がいる。「品質こそが経営である」と語る人もいる。それも一人や二人ではない。いい年の大人が・・というより、いい歳こいたジイサンが「ISOは真理である。ISOに基づいて経営をすれば優良企業になる。」と語っている。
そういう人はグローバルなエンタープライズとまでは言わないが、現時点企業の第一線の経営者として日夜熾烈な激動の国際的な大競争の中で事業を推進してらっしゃるのでしょうか?
お名前を見ても、経歴を見ても、全然そうとは思えない人ばかり。

「品質」とは有体の製品(オブジェクト)ばかりでなく、無形のサービスにも適用される概念である。お金を払うにしても払わないにしても顧客は良い品質を求める。だから供給者は良い品質を提供しなければならない。
それは事実であり、真理であろうと思う。
ひょっとして事実ではなく真理でもないかもしれないのだが・・
しかし考えてみよう。
何事にも十分条件と必要条件がある。
 ・生きていくのに、お金は必要条件であるが、十分条件ではない。
 ・結婚に、愛は必要条件だが、十分条件ではない。
・・・現代では必要条件でさえないのかもしれない。
事業推進していくのに良い品質は必要条件ではあるが、十分条件でないのは自明ではないだろうか?
実を言って、事業推進にとって品質は必要条件でさえないのかもしれない。
OSの世界一の独占的供給者、マイクロソフトのVISTA、いや過去のMEや3.1の品質が良かったかと言えば、良くはなかったと思う。それでも世界を制覇したということは、品質は事業成功の必要条件ではなく、経営戦略こそが必要条件なのかもしれない。
現時点、リーマンショックと言われる世界恐慌のまっただなかだ。新聞やネットでは倒産した企業、派遣切り、テント村の失業者、危ない企業、希望退職を募っている企業、廃業した企業のニュースなどひきもきらない。私が就職しようとした1960年代半ば、大卒、高卒の人気ナンバーワンであったJAL・日本航空が今や倒産の危機だ。
そんな企業のすべては品質が悪くて、左前になったのだろうか?
品質が悪くて売れなくなったのだろうか?
いや待てよ、品質がよく、製品の売れ行きが良くても、資金繰り、乗っ取り、内紛などによって具合が悪くなった会社は枚挙にいとまがない。

そんなことを言うと、品質こそがすべてだと寝言を語っているオジサン、オジイサンたちは「品質とは提供する製品、サービスの品質だけではない。企業内部のすべての業務の品質なのだ」とおっしゃるのかもしれない。
ISO9001:2008の1.適用範囲1.1一般によると、
a) 顧客要求事項及び適用される法令・規制要求事項を満たした製品を一貫して提供する能力を持つことを実証する必要がある場合。
b) 品質マネジメントシステムの継続的改善のプロセスを含むシステムの効果的な適用、並びに顧客要求事項及び適用される法令・規制要求事項への適合の保証を通して、顧客満足の向上を目指す場合。

となっている。これを読むとISO9001でいう「品質」とは、顧客に提供する製品やサービスの品質に限定されていて、業務の品質ではないように思える。
もちろん顧客を企業内に定義してもおかしくはない。その場合は、総務も人事も経理もその他すべての部署の業務の品質が対象になる。
あれ〜だいぶ前から第三者認証においては、本社や親会社を顧客にしてはいけなかったような気もする 

まあ、いずれにしても、ISO9001の目的は
「株主や従業員を含む利害関係者すべてを満足させ、定款に基づき企業業績を向上させる能力を持つことを実証する必要がある場合」でもなく、
「経営システムの継続的改善を含む、システムの効果的な適用、並びに顧客要求事項及び適用される規制要求事項への適合の保証を通して、企業業績の向上を目指す場合。」でもない。
「ISOが経営のお手本である」とか「品質こそが経営である」と語るなら、ひたすらISO規格の実現にいそしめば事業の成功を保証するとでもいうのだろうか?
それはありえない。
ISO9001にしても、ISO9004にしても、たかだか小集団活動とかZD運動と同じレベルなんだよ。

ZD

 ZD運動なんて知っている人がいるだろうか?
 もしご存知なら、あなたは還暦以上でしょう?

私が高校を出て就職した時、工場の門にこんな旗が掲げられてた。
しかしISOはスバラシイと語る人たちは、ISOが小集団活動とかZD運動と同じレベルとは絶対に認めないだろう。といってそうでないと証明もできないはずだが・・
間違ったことを信じるジイサンたちが・・いや失礼、ISO規格にほれ込んだ思い込みの激しいジジイたちがISO9001は経営の規格だと叫んだところで、ISO規格が変わるわけでもなければ、ISO規格が企業業績を向上させるわけでもない。
口の悪いというべきか、邪教を信じ込んでしまったジイサンになると、「ISO認証しても業績が上がらない企業はISOを使いこなせないのだ」と世迷いごとを語る。
新興宗教では信心すれば病気が治るという。そして帰依しても治らないと、信心が足りないという。あれと全く同じじゃないか!
神の存在と同じく、証明はできなくてもそれは真実かもしれない。だけどそうならば、ISO規格というのは非常に運用が難しく一般人には使いこなせないもののようだ。まさに裸の王様にでてくる悪人には見えない衣のようではないか?
いくら素晴らしい参考書でもその受験生にとって難しすぎれば意味はない。いやその受験生に使いこなせる参考書が一番すぐれた参考書ではないのだろうか?
「悪人には見えない衣だ!」とか「効果がなければISOを使いこなせていないのだ!」という殺し文句を言われると、正直な人、素直な人は己が悪いのかと言葉に詰まる。
まるで餅をのどに詰まらせてようではないか 

だけど困ることはない。難しいことではない。無邪気な子供のように声を出そうじゃないか?
 「ISOが本当に役にたつことを見せてちょうだい。」
 「誰でもISOを使いこなせるものなの?」
案外、ISO思い込み病にかかっているオジイサンたちも、ISOが成果を出している会社を知らないんじゃないのだろうか? たとえ何社か知っていても、彼らが知っている企業の何パーセントが効果を出しているのか聞いてみよう。
「雨乞いは雨が降るまですれば100%効果がある」とわが同志 名古屋鶏さんが教えてくれた。
彼らはISOといっしょにシックスシグマなんてのが大好きなようだが、ISOで成果を出している企業はシックスシグマとは言わずとも三シグマ(3σ)の外にいるに違いない。
3σは全体の99.7%で外れるのは0.3%だけだ。難しくは危険率というのだが、通常3σの外にあれば、異常値として考えて良い。
実を言って多くの場合、3σどころか2σ(95%)、つまり危険率5%で判断している。
統計的に言えば、ISO9001認証企業は39,707組織(2009.11.10現在)だから、その0.3%の120組織くらいはものすごい成果を出している企業があってもおかしくない。
もし、万が一のことだが、日本にISO9001でもってものすごく業績をあげた企業が120組織もなければ、一体どういうことだろうか?
私が過去関わった企業ではISO9000を認証しても品質も会社も良くならなかった。
だって、私は会社のあるがままの姿を見せて審査を受けていたから
ISOで会社をよくしようなんて思いもよらなかった。
私はその会社が、従来からISO9000を満たしていることを説明したに過ぎない。

ISO9001がすごいと語るそこのおじさん・・とJK口調
ISO9004が経営の仕組みだと語るじっちゃん・・金田一の口調
あのね 企業にはたくさんの管理項目があるのよ
品質もあるし、環境もある、だけどそれだけじゃない。
財務も、企業防衛も、外為法も、組合問題も、総会屋も、そりゃいろいろあるのよ。
おじさんやジッチャンたちが、品質管理と品質保証だけでなく、経理もしていたか、暴力団対応もしていたか、総会屋も相手にしていたか、組合対策もしていたか、営業活動にもまい進していたか、知りませんけど、そういうこともゼーンブひっくるめて企業というものがあるわけよ
そしてその上で世界中のコンペティターと、品質だけでなく、コスト、支払い条件、客とのコネ、客との売買関係があればそれも含めてしがらみの中でビジネスをしているわけよ
そういった現実社会におけるビジネスに、あなたのISOが有効で効果的なのか、ぜひとも立証してほしいなあ〜

本日の反論
ISOで効果が出ないのは使いこなせないというなら、3σの企業が成果を出していなければ言っちゃいけないよね〜♪
ISOが一番と語るのは・・・・チイト 恥ずかしくないかい?

本日のお断り
私は品質が悪くても良いとは、言ってないことをご確認くださいね。
思い込みでイチャモンを付ける人がいるから困る。


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