環境経営のルーツを求めて 10.11.28

著者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
倉田 健児産業環境管理協会4-914953-97-82006/4/253800円全一巻

この本は2006年に発行されているが、不肖おばQこの本の存在を知らなかった。最近たまたま読んでいた論文がこの本を引用していたので、その存在を知った。買おうと思いアマゾンで探したが、新品も中古も同じような値段である。とはいえ図書館で探す時間も、もったいない。ちょっと大げさだが、清水の舞台から飛び降りるつもり中古本を買った。

この本は真正面からISOマネジメントシステム認証制度について書いている。著者が元経産省官僚(今でも官僚だが)で標準化に携わっていたのだから、その内容と堅さは推して知るべし。更に内容確認を寺田博氏、吉田敬史氏という日本の環境ISOの最高権威に頼んだというのだから、その辺に転がっている本のレベルではない。
翻って、ISO9001とかISO14001、あるいは第三者認証制度について論じている本は、数多くあるが、それらのほとんどは、規格の解説、認証制度の宣伝、審査の問題提起、認証制度の欠陥を指摘するなどのカテゴリーに分けられる。
もちろん認証機関とか審査員研修機関が書いているほとんどは、ISO規格のすばらしさ、認証の効果のすばらしさ、認証しないと機会損失だというようなことばかり

認証は効果があると書いてあるが、高価だとは書いてない
これいかに?
 

大学の先生方が書いている本の多くは、ISO規格を知らず、認証制度も知らず、ISO審査の実態も調べずに、ただISO礼賛の文言を書き散らしているに過ぎない。中にはISO審査員をしている大学の先生もいるが、立派な企業を立派な認証機関の立派な審査員でお膳立てされた審査に参加しているだけでは、4万件のQMS、2万件のEMSの実態は知らないでしょう。そもそもそういった先生方が書いているようにISO認証がすばらしいものなら、登録件数はドンドンと増えているでしょうし、信頼性が落ちて大変だなんてことも言われるはずがありません。
何しろこの世界で20年も生きてきた私が言うのですから間違いありません。

おっと、私がこのウェブサイトやブログに書き散らしている文章はどうなのか? と問われるかもしれない。私は、単なる批判とか礼賛ではなく、企業としてそれをどう活用するか、いや審査の場の誤りや、誤った解釈にいかに対応すべきかという実践手法を論じているつもりである。
いや、単なる恨みつらみかもしれない。しかしウソとか捏造は書いていませんよ。

いずれにしても、第三者認証制度について、その発祥、仕組み、課題・問題点、これからどうあるべきかについて語っている本は非常に少ないというか、みたことがない。この本はそういうことについて書いています。
まずISO14001はリオ会議で地球環境問題対応というかその子供として発生したことから、日本での公害とか遵法という観点から発達してきた環境管理組織とは相当に異質である。

話が変わるが、CSRというものが国によって大きく異なることも良く知られている話しである。欧州においてCSRつまり企業の社会的責任とは雇用であった。我々からするとそれには大いに違和感がある。しかし失業率が極めて高い(失業率10%なんて日本人は想像できないだろう)国々において、社会貢献とかメセナ以前に産業を発展させ雇用確保は企業の社会的責任とみなされてもおかしくない。そもそも企業はそのために存在するのではないだろうか?
アメリカ流CSRはお金を儲けて、そのお金を国あるいは地域社会に奉仕すべきという発想らしい。
もっともアメリカにはCSR以前に個人は社会に奉仕するという発想というか、道徳律があるのだろう。今の日本では裁判員に選ばれることは、交通事故にあったような災難らしい。アメリカで陪審員に選らばれることはどのようにとらえられているのだろうか?
もう10年以上前だが、アメリカに進出した企業の社長の講演を聞いたことがある。その社長は地域の行政や団体から寄付などの要請がたくさんくることに驚いたらしい。はじめは企業は税金を払っていればいいじゃないかと思っていたそうだ。ある夜ご家族が病気になり救急車を呼んだら、救急車を運転して来たのが取引先の会社の幹部だったそうだ。なぜ君がと聞くと、当然だろうという言葉を聞いて、その社長は社会貢献とは何かを悟ったというお話でありました。
話がドンドンそれる。
日本のCSRは欧州とアメリカいずれもその発祥と生い立ちを理解せずに、ただ放浪しているようです。日本には日本のCSRがあり、それを我々のCSRだといえばよいのではないでしょうか?

話を戻す。
日本には、公害防止と省エネという地域風土(?)から発祥した日本風環境管理があり、それは公害防止組織法という法律で定められている。それをそのまま我々のEMSだと言い切ったら悪いのだろうか?
もちろん1970年に発祥した公害防止組織法は非製造業や設計や営業までは網羅していない。でも公害防止基本法が環境基本法に換骨奪胎されたように、公害防止組織法を環境管理組織法として省エネ法の管理体制までも含めて見直してもバチは当たらないだろう。なぜ経産省や環境省は外国のISOをあがめるだけで、そういう発想をしないのか不思議でならない。
いずれにしても公害防止組織は現実に存在し、機能しているわけで、それが持続可能性という摩訶不思議なものから発祥したISO14001と、ビジネスモデルとしての第三者認証制度と折り合いがつくのか?、日本でISO14001が効果を発揮するのだろうか?、そもそもISO14001は有効なのだろうか?、と疑問といいますか、いまだ解明されていないことは多々あります。
正確に言えば、第三者認証制度は効果がないと実証されつつあるようだが・・
認証機関やコンサルの書いた本をいくら読んでも、ISO規格をいくら読み返してもその解は得られないでしょう。この本を読んでももちろん解答は得られませんが、その問題を考える上での情報源として、あるいは考え方として役に立つことは保証します。

ただ、著者がISO14001はパフォーマンス向上を保証していないし、そもそもパフォーマンスの測定などできないと語っている(pp.285-291)については大いに異論がある。
確かにISO14001の序文で「この規格の採用そのものが最適な環境上の成果を保証するわけではない」とありますが、同時に「レビュー及び監査を行っているだけでは、組織のパフォーマンスが法律上及び方針上の要求事項を満たし、かつ、将来も満たし続けることを保証するには十分ではない、これらを効果的なものにするために」ISO14001が存在するのだと宣言しているのだ。
EMSあるいはISO14001は直接的にパフォーマンスを向上させないが、結果としてパフォーマンスを向上させなければその存在意義はない。もし結果としてパフォーマンスを向上させないものであるなら、現実にパフォーマンスを向上させなくても、コンプライアンスを確実にしなくても問題とはならないはずだ。
だが現実には、マネジメントシステム認証の信頼性が低下していることを問題視している人たち・・経産省やISO業界、そして一般社会・・が多いということは、そういう人々はマネジメントシステム認証によってパフォーマンス向上を期待していることは間違いない。

倉田さん、どうなんでしょうか?


環境経営のルーツを求めて その2 12.10.22

著者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
倉田 健児産業環境管理協会4-914953-97-82006/4/253800円全一巻

この本は2年前に読んだ。当時、一読ならず二読も三読もしたように記憶している。それだけ読む価値があると考えたのだ。そのときは・・

さて、退職するとすることがなく、本棚からこの本を引っ張り出してまた読んだ。新しい本を買う金がないからなんて、本当のことを言ってはいけない。
本日はその読書感想文である。
読むたびに新たな発見があって感動する、という本は少ない。ヘッセもスタインベックも若いとき感動したけど、大人になってすれてしまったのか、今読んでもあまり感動しない。いつ読んでも面白いと思うのは旧約聖書くらいかもしれない。正直言って新約はつまらない。
こんなことを書いたということは、このたびはこの本を読んでもまったく感動しなかったのである。この本はISO規格制定過程の問題などの論文を書くときの参考文献にはなるだろうが、ISO14001規格及びISO14001認証の実態を知るとかその問題と対策については、なにも述べていない。現実については何も語っていない、それを強く感じた。つまり参考図書にはならない。
現実について書いていないとは、バーチャルということだ。

ISO14001規格がどうして作られるに至ったのか、その策定の過程での綱引き、そういうことがらについては、これでもかというほど記述している。しかし認証の意味、認証の価値の考察、認証制度の問題、審査の現実、そしてそこにおける問題、認証制度の今度、そういったことについては『全く』記されていない。
ISO14001が制定された直後に書かれた本ならば、そういう本であっても存在価値はあるかもしれない。しかしこの本は、2006年発行である。ISO14001が制定されてちょうど10年後、ISO14001規格の第1回改定が行われた翌年である。
その時点では既にISO14001の認証を受けても不祥事が起きると言われており、ISO認証の信頼性なんてないよと揶揄されていて、ISO14001認証を受けた自治体の6割が返上したと報道された頃に書かれているのである。そういう時期に制定過程を書いて、そのときの問題を取り上げていないのは、それはちょっと変だと思うのが普通だろう。

そういう実態を調べなかったのだろうか?
ISO14001認証制度と認証の価値が、そういう状況に追い込まれていることを知らなかったのだろうか?
そういう問題は環境マネジメントシステムの問題じゃないと考えたのだろうか?
私には著者の考えはわからない。とにかくそういう問題には言及していない。

大学の先生が書いたISO14001の本の多く、いやほとんどは、ISO14001のすばらしさ、ISO14001の認証を受ければ環境経営やグリーンユニバーシティが即座に実現するようなことばかり書いている。認証を受けた企業でも大学でも素晴らしい環境経営を推進し、その製品の環境負荷は非常に小さく、持続可能社会はあっというまに実現されるようだ。
だが、現実はそんなことはない。そういう大学の先生たちは、事実を知らないのか、嘘をついているかのどちらかだ。
ISO認証は信頼できないと語っているのは認定機関、認証機関、コンサル、審査員である。
これはおかしなことというか、普通に考えると逆のように思える。
だってそうでしょう、制度側の人が制度が信用できないと語り、制度の外側にいる人が制度のすばらしさを称えるとは、
その論理はよくわかりません 
この著者も大学の先生であるが、はじめてこの「環境経営のルーツを求めて」を読んだときはそういった本とは一線を画して真のISO認証について書いていると思ったが、今読み直すと、そういったたぐいの本と同じレベルのように思える。

おお、タイトルが示すように「ルーツを求める」とあるように、単に発祥を振り返るだけで、誕生した後の動き、衰退については対象外なのだろうか? ISO14001で環境経営が実現するのか、その環境マネジメントシステムといわれるものが、いかなるパフォーマンスを示すのかは関心外なのかもしれない。
いや、ちょっと待てよ、副題として「環境マネジメントシステムという考え方の意義と将来」とある。タイトルでは将来も心配しているようだが、本文では将来については書いてない。
あるいは、現実の審査を踏まえてではなく、規格制定時点の期待や理念について、頭の中で将来について考えたのかもしれない。でもそういうのは普通バーチャル、お花畑、現実離れと言います。
そういう意味では、この本を読んで現在の問題を解決する何かが得られる期待はまったくない。そもそも現実の問題が記されていないのだから、現実的ではない。現実的ではないということは、実用的ではないのだ。

するとこの本の存在価値、意義はなんだろうと考えてしまう。
2006年になって、15年も前のリオの会議を振り返った回顧談にすぎないのか?
現実などどうでもよくて環境に関するISO規格を作ったから良かったという思いなのだろうか?
よく分らない。
しかしISO14001認証の目の前の問題解決には、まったく無力であることは間違いないことはわかった。
2年前にこの本をほめて損したと思う。
現時点ではこれは読む価値はないと判断する。

うそ800 本日の考察
私の考えも2年間でだいぶ変わったということがわかる。良く変わったのか悪く変わったのか、単に人が悪くなったのか、それはどうとも解釈できる。
ただ現実逃避はしていないと思うのだが・・・




うそ800の目次にもどる