ケーススタディ 環境審査チェックリスト 10.03.07

廣井は1978年に大学を卒業、鷽八百社に就職して、みっつの工場を転勤したが、ずっと公害防止関係の仕事をしてきた。

日本で公害問題が騒がれたのは1960年代末、廣井が入社した80年頃には既に公害問題は収まっていたというか、対策は一段落していた。鷽八百社でもその頃には公害防止体制は確立し設備も整備されていた。だから廣井は公害担当者の第二世代ということになる。
fac1.gif 第二世代である廣井は、公害垂れ流し時代の現場経験もなく、未知の問題の解決策に取り組んだこともなく、先輩の定めたルールに基づいて粛々と運用するという世代であった。もっとも公害対策に終わりがあるわけではないし、排水処理施設などの運転を誤れば、いや誤らなくても事故はいつでも起きた。それに排水などの規制基準は時代と共に厳しくなってきたし、新規の公害問題は発生し、あるいは社会問題になってきたので全く平坦だったわけではもちろんない。
ただ公害担当の第一世代は、廣井より10歳から15歳上に過ぎず、その世代が引退するまで第二世代が第一線で活躍する場がないのは事実だ。廣井が就職したとき第一世代は30代半ば、廣井が一人前になった90年でも、まだ第一世代は40代半ばでバリバリ仕事をしていた。
どの会社だって人材を必要以上に配置することはない。公害対策が今いる人で間に合うなら、それ以上リソースをさかないのは当然だ。ただ技能の伝承という意味で廣井のような第二世代を投入し、更に廣井より10歳くらい若い第三世代を配置している鷽八百社は先見の明があるといえるだろう。あるいは財務体質に余裕があるからともいえる。

普通の人ならたいていの仕事は10年もすれば一人前になる。ほとんどの会社では、公害防止とエネルギー管理は別部門、あるいは部門が同じでも担当者が異なる。鷽八百社でも環境施設と廃棄物は公害部門の担当であり、エネルギー管理や省エネ活動は第二種電気主任技術者(電験二種)がエネルギー管理士の資格も持って行っていた。廣井は公害防止部門では第一世代が頭の上にいて、といっても自分の領域をエネルギー管理まで広げることもできず、どうしたものかと思いあぐねていた。廣井は腐っていたのである。

80年代半ばから世界的にフロンによるオゾン層破壊が問題となりフロン規制が始まった。フロンと言ってもエアコンの冷媒だけではなく多方面に使われていて鷽八百社も無縁ではない。当時は、部品の切削油洗浄や半田のフラックス除去はフロンでじゃぶじゃぶ洗うのが当たり前だった。フロンが使えなくなることは重大問題だった。この対策をどの部門がするかというなんて社内政治が行われるような悠長な場合ではなかった。80年代末、鷽八百社の全社・全部門を上げて対策プロジェクトが組まれた。この設計部門も製造部門も参加するプロジェクトに、公害管理部門からは廣井が選任された。廣井はこれがありがたかった。脱フロンプロジェクトはそれから数年で全ての課題の対策を完了した。
しかしリオの環境サミットが92年、公害対策基本法が環境基本法に変わったのが93年。ISO14001のTC207が設立されたのも93年。この頃から公害問題という言い方から環境問題という言い方に変わり時代は公害から環境に移った。 そして廣井はこれを千載一遇の機会ととらえ、公害担当の第二世代ではなく環境担当の第一世代になろうとした。といってもまだISO14001は現れておらす、鷽八百社に即環境部門ができたわけではない。彼は自分の立場と世の中の流れを見て何をすべきかを考えた。

廣井の結論は従来の安全パトロールや環境施設の相互点検より一歩進めて、即物的な点検ではなく運用状態だけでなく、手順やシステムまで包括的に点検する環境監査の提案である。廣井はISO9001を担当している品質保証部門を訪れて、品質の内部監査とはどのようにしているのかをいろいろと聞き取りし、また書籍などを読んだ。まだISO9001は日本では出始めであったが、ヨーロッパに輸出していた鷽八百社は91年という日本では早い時期に認証していたのである。
その時点ではまだISO14001などなかったが、環境管理のシステム監査とはいかなるものであるべきかを考えた。廣井が考えたものは遵法に特化してはいたが、即物的な遵法確認ではなく、環境管理体制や是正処置までを包含した廣井なりのEMS監査基準であった。廣井は監査基準を展開した監査チェックリストも作った。
彼は脱フロンプロジェクトの人脈を頼りに、この環境監査の制度化を鷽八百社内に提案したのである。彼の提案は採用され93年に鷽八百社で環境監査のトライアルを行った。
といっても即、廣井が環境監査部門の責任者になれるわけではなく、それどころかその部門に配属されたわけでもない。しかし提案者ということで、廣井は鷽八百社はじめての環境監査に参加することができた。

初回の環境監査には鷽八百社の工場4か所に対して行われた。監査員は監査される工場以外の3工場の公害防止部門の課長クラス各1名が参加しそれに廣井の4名であった。廣井以外はみな公害第一世代の大御所であった。当時第一世代は50歳を少し超えているくらいだった。
廣井は自分が考えた監査チェックリストを持参した。といってもそれを大先輩に当たる他のメンバーに使わせることなど恐れ多いことであった。そもそも廣井は提案者ということで参加を許されたのであり、付録であった。ともかく、廣井は他の3人について4工場巡回することができた。
各監査員の監査を眺めていて、廣井はいろいろと考えるところがあった。
ある方は監査というより教師という感じで、これはこうした方が良いとかああせいとかいう言い方に終始した。ISO9001の内部監査にも陪席していた廣井にはそれは内部監査ではないと思われた。
ある方はいかなる順序というか考えで点検項目を選定しているのか分からない、とりとめのないような聞き取りと帳票や記録のチェックをしていた。廣井にはそのやり方が行き当たりばったりで稚拙に思えた。
もう一人は法規制をリストアップし、その各項目をしらみつぶしに聞き取りを行った。廣井は自分が考えてきた通りの監査を見てこれこそが環境監査のあるべき姿だと思った。
初回監査が終わって、工場に帰るとき廣井はとりとめのないような監査をした方と電車がいっしょになった。廣井はいろいろと質問をした。
「監査で抜取的に質問されていましたが、どのようなお考えで質問事項を決めたのでしょうか? チェックリストは作られたのでしょうか?」
「チェックリストか・・」その人は頭をかきながら何かのコピーの裏紙にスペースを開けて鉛筆で書いた単語が並んでいるメモ紙を手渡した。それには


○○工場点検項目

・排水設備:2年前の事故フォロー

・騒音特定施設:過去10年新規投資なし

・工場長:異動対応

・有機塩素系溶剤の廃止検討状況

・・・・・・

・・・・・・


というキーワードらしきものが書かれているだけだった。
「このようなチェックリストで監査できるのですか?」
「私も環境監査なんてのははじめてだが、自分が仕事をしていてどんなところが重要かと考えた。まず届け出であっても行政が督促してくるようなたぐいは聞くまでもない。忘れても誰からも督促されないようなことだけを聞けばよい。それに届ける理由があるものだね、公害防止統括者とか代理者などは届漏れしても誰も気がつかないから、工場長などの異動があればそれを聞けば済むだろうと思った。
それから事故を防ぐといっても点検項目は切りも限りもない。だから老朽設備の更新や、もちろん過去に事故があったものに再発防止がされているかなどを重点に聞くことを考えた。それからたいていの記録は見ているだけで善し悪しは分かるものだ。そんなものはわざわざチェックリストを作るまでもない。
だからこれはチェックリストなんておこがましいものでなく、単なる覚書だよ。」
廣井は自分が作ってきた膨大なチェックリストを見て、とても実際の監査では使えないなと実感した。そのようなものを見ながら監査できるわけがない。第一持ち歩くには重過ぎる。たくさんの環境法規制をサマリーしただけの監査チェックリストなど実用にはならないのはわかりきったことだ。
しかしと思った。
だとすると、環境監査をするには一定レベルの知識、経験のある人が、それをベースとして、被監査組織の特記すべき環境施設を知ること、そして過去の事故や違反を調べないとできないということだ。

「環境上の重要性、及び前回まで監査の結果に基づいていなければならない」と定めたISO14001規格が制定されたのはその2年後である。
なおJIS規格の文言は96年版の「前回監査の結果」が04年版では「前回までの監査の結果」に改定になったが、これは日本語訳が間違っていただけで原文は変わっていない。

廣井はそれ以降毎年行われる鷽八百社の環境監査に参加した。そしてそういった先輩のすることを盗み見て良いところを真似、あるいは反面教師としてきた。いつしか廣井は社内で最も優秀な内部監査員だと評されるようになった。そしてうぬぼれでもなく自身でも環境監査の力量が付いてきたと思った。

96年にISO14001規格が制定され、大企業はこぞってISO認証に向けて活動した。鷽八百社でもまず4工場の認証の活動を始めた。廣井もISO規格や内部監査の講習会を受けた。しかし大いに違和感を感じた。どうもISOのための内部監査は事故防止にも遵法確認にもつながらないようだ。97年に他の工場がはじめてISO14001審査を受けたときに見学に行ったが、審査そのものがISO14001の序文にある「遵法と汚染の予防」に役に立たないと思えた。
規格序文に「見直しと監査を行っただけでは、組織のパフォーマンスが法律上及び方針上の要求事項を満たし続けるには十分ではないかもしれない(要旨)」とあるが、ISO認証というものが「十分でないかもしれない」どころではなく「全く不十分」であると廣井には思えた。
審査の中で審査員が「チェックリストをしっかり作ればパートの人にでも内部監査はできるようになります。そういうチェックリストを整備しなさい。」と言うのを聞いて吹き出してしまった。この審査員はまったく環境管理をしたことがないだろうと思った。
彼らはISO規格への適合、不適合を監査することができるかもしれないが、規格の意図である「遵法と汚染の予防」を監査することはできないと感じた。
廣井は自分がそのときまで数年かけて考え作り上げてきた環境監査の仕組みの方がはるかに勝っているように思った。

本日の質問
この駄文は私の経験をかなり脚色し、廣井の経験に置き換えたものです。
私は過去15年、ISO14001審査が「遵法と汚染の予防」に役立つと思えたことはありません。あなたの経験ではいかがだったのでしょうか?



湾星ファン様からお便りを頂きました(10.03.07)
湾星ファンです。
私は過去15年、ISO14001審査が「遵法と汚染の予防」に役立つと思えたことはありません。

佐為さまほど長くは担当しておりませんが、おっしゃることは良くわかります。
そして全く同感です。ISOの規格側から入られた方、プロ審査員にも多いのですが、規格要求事項との適合性チェックをいくらやっても、会社にとっては何の役にも立ちません。

大事なことは、遵法と事故の予防ですから、業務プロセスに沿って、遵法がしっかりとチェックされる掛かる仕組みとなっているか、事故のリスクを見逃していないかを監査では、しっかりと確認する必要があります。

要は、リファレンスする対象が逆なのです。規格要求事項に適合することが大事なのではなくて、法律がキチンと守られているか、事故の予防と再発防止がキチンと機能しているかを見ないと、会社のリスクは減りません。

規格要求事項は、被監査部門へ、何故、不適合なのか、仕事の仕組みとしてどこが不備なのかを説明する時に使うべきなのであって、規格要求事項を満足しているからOKなんてやっていては、ISO消滅時にお払い箱間違いなしです。

といっても、環境実務を経験していない方には、たぶん、ご理解いただけないでしょう。

湾星ファン

湾星ファン様 毎度ありがとうございます。
規格要求事項に適合することが大事なのではなくて、法律がキチンと守られているか、事故の予防と再発防止がキチンと機能しているかを見る
おっしゃるとおり・・と言いたいのですが、湾星様 ちょっと待ってください。
JABは、もうだいぶ前2007年にISO審査は項番順でなく、プロセスアプローチでなければならないと言っています。
ということは湾星様のご意見は全然新しいアイデアではなく、もう当たり前のことではありませんか。
ちょっと待てよ
4年も前にJABが示した審査方法が、いまだ行われていないということは日本の認証機関は是正どころか規格改定に追いついていないのでしょうか!

外資系の認証機関はプロセスアプローチ審査が当たり前になっているようです。
ということは特定の某認証機関が時代遅れなのかしら・・・そんな気がします。


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