統合マネジメントシステム論 10.06.26

審査員や審査員補に登録していると、品質ならばJRCAから環境ならばCEARからそれぞれ季刊誌が送られてくる。季刊誌の名前はずばりJRCAとCEARである。内容は刊によって玉石混交、おもしろいものやためになるものもあれば、即ゴミ箱行きの場合もある。今回(No.37 June2010)のCEAR誌は読み応えがあった。吉澤 正と吉田敬史という大物二人の論文があったからというのがその理由だ。ご存知のようにお二人はISO14001の大物ではあるが、別に私は有名人だからありがたがったのではない。中身が良かったからそういうだけだ。

ところで特集のテーマは「環境マネジメントシステムの進化」であるが、寄せられた論説6件の内5件は統合マネジメントシステムについて論じ、あるいは言及している。
しかし統合マネジメントシステムといっても人によって思い浮かべるものが違う。ここでも論者によって異なっているのが面白い。
面白いといっていられるうちはよいが、その渦中にいればそんなことはいっておられない。

その違いであるが見解が異なるというのではなく、統合マネジメントシステムそのものの定義というか認識がまったく違うのである。
ある人は企業経営はひとつのマネジメントシステムであり、それを構成するパートを種々マネジメントシステムであると理解している。他方、ある人は認証する際に一緒に審査すること、審査されることを統合マネジメントシステムと理解している。
神は細部に宿るというが、「私はこう思う」とわざわざ大言しなくても文章の端々から、この人の考えはこうなんだとわかってしまうのである。露骨に言えば、見識が狭いとか考えが浅いことがばれてしまうのである。
そして私は5名の方の文章を読んでさすが吉澤、さすが吉田と思ったのである。このお二人は組織あるいは経営ということを理解しているし、そうでない方はそうでないのである。
統合マネジメントシステムと聞いて、審査のための統合マネジメントシステムを思い浮かべること、あるいは考察することを悪とはいわない。そりゃみな日々の糧を得るためにお足を稼がなくてはならないから・・。
しかしそういうアプローチでの統合マネジメントシステムは、やがて「統合認証したけど何も良くならない」とか「審査費用は少し減ったけど二重帳簿はそのまま」なんてのがオチではないのだろうか?
「ISO9001認証したけど良くなったのは文書管理だけ」なんてよく聞いたせりふである。

話は飛ぶ、環境経営とは何か? といったとき、定義はいろいろあるだろう。しかしフィロソフィというか精神の根本において環境から経営を考えるのか、経営から環境を考えるのかという違いが非常に重要なことであり、実践においても大きな差となるのではないだろうか?
環境マネジメントシステムを例に取り上げても、企業の経営という観点で環境マネジメントシステムを考えるのか、環境マネジメントシステムというものが単独で存在すると考えるのかはきわめて大きな違いである。
更に統合マネジメントシステムといった場合、もともとマネジメントシステムなんてものはひとつしかないという前提と、個々のマネジメントシステムがあって統合するのだという発想は大きな違いである。そもそも経営レベルから考えれば個々のマネジメントシステムという発想は出てこないだろう。

某氏が「統合マネジメントシステムを構築する前に事務局の機能を一本化することが大事である」と書いている。これを読んで変と思わない人は変だ。いったい事務局って何なのよ。もしISO9001のための事務局があり、ISO14001のための事務局があるとすれば、それ自体が異常なことである。それとも品質保証部と環境保護部(あるいはイクイバレント)という職制あるいは部門が存在してはいけないのだろうか?
それにマネジメントシステムは環境、品質、労働安全、衛生だけではない。資材、人事、技術標準、輸出管理、セキュリティではない情報システムもある。会社には多様な部門があることを忘れてはいけない。品質や環境のマネジメントシステムを論じている方は企業を理解しているとは思えない。いや、正しくは現実の企業を理解していないといわざるを得ない。
某氏が「『経営管理』なんて言い方をする人はまったくわかっていない」ということを語っていた。確かに経営管理とはなんだろうか?
勘違いなさらないように・・
経営も管理もれっきとした語句、しかし経営管理という熟語はないということです。

ついでに言えばそのような考えの延長には「マネジメントシステム担当役員」をおくのだろうか? 笑止といわざるを得ない。
品質と環境を一本化せよと語る人は、企業に品質担当役員がいて環境担当役員がいてはいけないと考えているのだろうか。品質担当役員と環境担当役員がいるのは当然で、品質事務局と環境事務局があってはいけないのだろうか?
企業あるいは組織はバーチャルでもなく、お遊びでもない。統合マネジメント認証を指導したり審査する前に、実際の企業を理解することが必要だ。大学で経営学を学ぶまでもない。会社で働いていれば必然的にその仕組みが理解できる・・

じゃあ、お前の考える統合マネジメントシステムとは何だと問われるだろう。
その答えは吉澤教授のいう「はじめに経営ありき」というフレーズそのものである。それ以上でもそれ以下でもない。
そもそも第三者認証とはISO規格という木に咲いたあだ花である。企業は己のマネジメントシステムを見直し改善していくときの標準(→スタンダード→規格)としてISO9001やISO14001を参考にすればよいのであって、そういう基本を知らずに認証に振り回された結果今の惨状があるのだ。
基本に立ち返れば、統合化とか統合認証など目的でもなく、手段でもなく、ツールでさえない。
そこには自社の唯一無二のマネジメントシステムを継続的改善していくために使えるものは使うというスタンスがあるだけである。
この根本的な基本を理解しないで、余計なことをして無駄をつくり、わざわざ事務局なるものを作った上に、それを効率化するとか、合理化するためと称して統合認証とは日本産業界に対する抵抗勢力であり阻害要因以外の何者でもない。そういうアホなことを語っているのに改善を提案するようなつもりなのは本心からそう考えているのだろうか? それとも己のビジネスのためにそう主張せざるを得ないのだろうか?

CEAR誌は大変ためになった。
そしていまだ企業とは何かを理解していない人がコンサルをし審査をしているということもよくわかった。
さて・・・


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(10.06.27)
JISの定義によると、マネジメントシステムとは「方針及び目標を定め,その目標を達成するためのシステム」(3.2.2)とあります。しかし、これはあまりに狭量であると常々思います。これでは日常管理や維持管理の類はマネジメントシステムに含まれないということになってしまいます。
そんなはずはないので、「経営の仕組み・ルール」ぐらいが本来の正しい意味合いということになります。
そうすると、「統合マネジメントシステム」とは「統合された経営の仕組み・ルール」、「マネジメントシステム担当役員」とは「経営を担当する役員」というアホみたいなことになってしまいます。世の中に経営の仕組み・ルールがバラバラな会社などあるはずがなく、経営を担当するエライさんを役員と呼ぶのですから、これは言葉の矛盾です。
じゃあ、何のためにわざわざマネジメントシステムを統合するのでしょうか? いやいや、よく考えてみれば統合することなどできないのではないでしょうか。(だって、もともと一つなのだから)
つまり、マネジメントシステムを統合しようと唱える方々が示すのは審査を受けるためのバーチャルシステムのことであり、「審査費用は少し減ったけど二重帳簿はそのまま」というのは当たり前ということになります。何もおかしなことではありません。
めでたし、めでたし。

ぶらっくたいがぁ様 まいどありがとうございます。
「マネジメントシステム担当役員」とは「経営を担当する役員」!
笑うしかありません。 
統合マネジメントシステムについてのご意見はまったく同意です。
しかし、こんな単純なことを知らない人がISO業界に大勢いるというか、それが過半数であるということがISO業界を傾けたんでしょうねえ〜
経営を知らずに経営指導しようってんだから、どうしようもない。
英語を知らない人が英語教師ができるわけがなく、運転できない人が教習所で教員が務まるはずがない。
ISO規格を知らない人が審査員をできるわけが・・・アレ


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