力量は動的である 10.08.10

5円玉に糸に結びつけ天井からつるすと5円玉の重さでまっすぐにたれます。風が吹くと5円玉はゆれますが、やがてまたまっすぐになります。こういうものを安定なつりあいといいます。
次は5円玉を机の上に立ててみます。机がゆれると5円玉は倒れ、時間がたっても起き上がることはありません。こういうのを不安定なつりあいといいます。

天秤の両方に同じ重さを載せるとバランスをとって水平になります。時間がたっても特別なことがない限りずっとつりあっています。こういうのを静的なつりあいといいます。
化学反応などである条件までは反応が進みますが、一定のところにいくと反応は止まってしまうことがあります。実際は AからBの反応と、BからAへの反応が同じ速さで進んでいるので外からは変化がないように見えるのです。こういうのを動的なつりあいといいます。
似たようなものに、植生の移り変わりがあります。何も生えていない土地があると、裸地 → 1年生草本 → 多年生草本 → 陽樹林 → 陰樹林と変化していくそうです。最終的な状態を極相といいます。極相になったら変化しないのか? といえば森全体をみれば変化がないように見えますが、1本、1本の木をみれば、種、若木、成木、老木となってやがて枯れていきます。つまりこれも動的なつりあいです。

ながながとつりあいの話をして、力量とどんな関係があるのかって?
実は今、話をどうもって行くか考えているのです。 

ISOってなものをしますと、必要な力量をはっきりさせて、その仕事に従事する人にはその力量を持つことを確認してから任せろ、そして確認した証拠として記録を残せなんて刑事のせりふみたいなことが書いてあります。

ちょっと考えて見ましょう。
家で子供に夕食のあとに食器洗いをさせることにしましょう。
エッツ!お宅では子供に皿洗いもさせないのですか?
いけませんねえ〜、子供に家庭内の仕事をさせることがもっとも基本的な教育なのです。家庭内労働こそがしつけのベースです。それに皿洗いもできないんじゃ本人も困るでしょう。
../hinmaru2.jpg さて、皿を洗えといって、何も知らない子供が皿を洗えるはずがありません。
今では手で洗うのではなく、食器洗い機だよとおっしゃるかもしれないが、それにしたって皿やコップの置き方とか、手で洗わなくてはならない物、洗剤の入れ方、スイッチの操作手順を教えなければなりません。使い方を教えて、子供にやらせて、そのとおりだよとほめてからでないと任せられません。
まさに山本五十六の世界であります。
皿洗いだけではありません、洗濯物を干すこと、乾いたら取り込む方法、たたんでたんすにしまうこと・・なんでも子供にやらせる前には説明するだけでなく、ちゃんとできるかどうかを確認してからやらせますよね。確認しないでやらせて失敗したら、叱ってもしょうがありません。
頼んだほうがバカなのです。いや頼み方が下手だと上品に言いましょう。
家庭の食器洗い機は機械を交換したりしなければ操作に必要な知識は変化しません。一度覚えてしまえばそれ以上勉強したり練習する必要はありません。

どこが力量とつながるのだろうとおっしゃるあなた・・だんだんとつながってきたような気がしてきたでしょう。
私もなんとか後につなげるように努力しますから、もう少しお付き合いしてくださいな・・

息子である 子供はやがて大きくなります。高校生になり、大学生になり、社会人になります。日本の法律では20歳が成人とされており、選挙権、契約などができるようになります。酒もタバコもオッケーになります。
世の中に出ると、しなければならないこと、覚えなければならないこと、できなければならないこと、そんなことがたくさんあります。
田舎では運転免許をとらなくちゃ就職しても通勤もできないし、家を借りる方法、結婚を申し込む方法、引越しの手続き、近所付き合いの仕方・・もう社会で生きていくことは法律のみならず慣習や町内会の決まりごとなど知らなければならないことがたくさんあるものです。
じゃあ、親は20歳までに、20歳以降にも、子供にそんなことを全部教えなければならないのでしょうか?
そんなことはありません。まず親だって印鑑登録とかパスポートの取り方、電車に忘れ物をしたときどうするのか、ロトシックスの買い方、馬券の買い方などなど、みんな知っているはずがありません。
みなさん、どうしているのでしょう?
私の場合ですが、子供も成人になってもう10年も経ちまして、記憶も薄れてしまいましたが、子供にはそれぞれの方法を教えるのではなく、アプローチ方法を教えたように思います。私の教育方針は、20歳までは親の言うことを聞け、その代わりちゃんと教育して養ってやる。20歳を過ぎたらすべて自分で稼ぎ、自分の判断で決定すること。但し大学までは出してやるということでした。

なんだ、しつけから今度は教育方針かよ・・どうなるんだと思われた方。あと少しの辛抱でございます。

会社はどんな人物を求めているか。そりゃ優秀な人ですが、どんな人が優秀かといえば、問題を見つけてそれを解決し、仕事を拓いていく人物ではないでしょうか。
2010年8月9日、経済産業省で「社会人基礎力育成事例研究セミナー」の開催なんて広報発表がありました。
社会人基礎力とはいったいなんだとお思いでしょうか?
ここでは、「新しい価値創出に向けた課題の発見」「解決に向けた実行力」「異文化と融合するチームワーク」をあげています。

平たく言えば、考えること、行動力、協調性ってなものでしょう。誰が考えても相場はそんなところなのでしょう。

業務の実施手順も達成すべき基準も明確に定められていて、そのとおり十年一日のごとくただ行えばよい仕事なら機械化することもできるでしょう。でも会社のどんな仕事でもマニュアルがあって、その手順とおりしていけば時間とおりに完了するなんてお仕事があるでしょうか?
ISOの規格文言とおりの「力量を持つことを確実にすること」というのは、自動機械のワークの取り付け取り外しのような仕事とか、フライドポテトのすくい方のような仕事には使えるかもしれない。しかし自動機械の修理とか営業のような仕事においては動的な力量をもたせなければならないのだ。
動的な力量?
そう、静的な力量ではない。
つりあいと関係あるのかといわれますと、なんとかつないで見ましょう。

ISO規格を作った人たちが、世の中には定型化できない仕事があることを知らないはずはありません。じゃあ、規格の読み方が悪いのでしょうか?

ISO14001:2004 4.4.2
著しい環境影響の原因となる可能性を持つ作業を組織で実施する又は組織のために実施するすべての人が、適切な教育、訓練又は経験に基づく力量を持つことを確実にすること。また、これに伴う記録を保持すること。

ISO認証している企業で良く見かけるんですよね、大きな表を作って、横方向に職種や業務や作業の名前をズラッと書き並べ、縦方向にはAさん、Bさん、Cさんと書き出して、「○」とか「◎」とか「△」とか「今年度教育」なんて・・スキルマップなんていいましたっけ?
氏名コピーお茶くみおしゃべりサボリワープロ
安藤 栄子××
加藤 美子
佐藤 椎子×
高藤 電子×
内藤 幾代×××
苗字を「あかさたな」、名前を「ABCD」で整えてみました。
こんな社員ばかりではすぐつぶれます

ああいったものは定型化された業務なら役に立つでしょう。あるいは作業を行うには資格や免許が必要なとき、仕事を割り振るとき参照するのに役立つでしょう。
もっともそれくらい頭に入っていなければ現場監督は務まりませんけど・・
あるいは二級技能士、一級技能士、特級技能士とか特急列車とか書き出しておけば、作業者に競争心というか向上心をもたせることもできるでしょう。

でもね、定型的な仕事ではなく、営業とか設計とか管理業務となりますと、仕事そのものが標準化できません。
もちろん、営業に配属になった新人には教えることが山ほどあります。民法や商法の契約に係る事項、下請法、印紙税法、建設業法、お客様が銀行からお金を借りたりリース契約するのを手伝えなくてはなりません。そういうものも力量の一部ではありましょうが、それだけで営業マンが務まるかといえば絶対に無理です。営業の力量とは、物を売って、売上金を回収することなんです。しかしこれこれこういう手順で営業活動を行えば絶対に注文が取れるなんてマニュアルはありません。手順書に書かれた方法を教え、それができることを確認したから営業の力量を持つことを確認しました・・なんてことはありえません。
でも世の中の審査員は、そういうことをいい、そういう記録を見て、「いやあ大変結構ですねえ〜」なんて語っているのは間違いない。私はそういうのをいつも見ている。そして笑いをこらえるのに苦労している。
人は与えられた仕事につりあった能力を、いや力量を持たなくてはなりません。非定形な業務で、かつ取り巻く環境が常に変化している状況において、営業を行っていく力量とはどんなものなのか?
それは必要な情報を集めて市場動向を把握し、新製品や他社製品の知識を常に取り込み、どのように対応するかを考え行動できることが力量です。単なる何事かをできる能力ではなく、常に学び技量を向上させていくという能力が力量なのです。まさに動的な力量ではないでしょうか?
そういう考えにご異議ござらんか?
じゃあ、その力量をどのようにして有無を判定するのか、力量があることを確認した記録とはなんじゃらほい。

少し前、販売会社の審査に立ち会いました。
審査員氏のたまわく、「営業の力量の定義が明確でありませんね」
私は思いましたね、この審査員は力量がないなあ〜と
審査員のお仕事ほど簡単に定義できるものはありません。だって基本となるISO規格の改定は8年に一度くらいです。もちろん、審査のためにはISO17021をはじめISO19011、IAFの基準類、JABの基準、JACBで出しているいくつものガイドライン、審査機関の契約書類・・でも私はIAFやJAB基準などを読みこんでいる審査員にはお会いしたことがありません。

審査とは勘と経験と度胸のKKDでするものらしいのです。
「環境方針に社外に公開すると書いてありません。」
 後悔するなよ、コノヤロー
「環境側面から環境目的を選んでませんね」
 規格のどこにそんなこと書いてあるんだ、アホ
「マニュアルのここでは従業員とあり、ここでは社員となっています。不適合にして・・」
 不適合にすると環境に良いのでしょうか?
  それとも会社に貢献するのかしら?
 いささかフラストレーションが溜まっております。

本日の心配
つりあいと力量は、つながったのでしょうか?



あらま様からお便りを頂きました(10.08.12)
還暦を越えられたとはいえ、佐為さまの頭脳はいよいよ回転を増しているようですね。佐為さまのタコメーターには、レッド・ゾーンはないのでしょうか ?
小生も「量」とは単に量る対象ではなくて、増やすものだと思います。
そうして全体のバランスを取りながら発展していくものだと思っています。
人材が育たなければ、その会社の持続、発展は望めませんものね。
さて、お隣 中国では、軍事的力量を増しているようですね。
それに対して、菅内閣では「おわび外交」を展開しています。
これは、それぞれの「力量」のバランスを崩すだけでなく、危険な状態に陥らせてしまうものだと思います。
鯨が増えれば、魚が減る。魚が減れば、鯨も減る。
そうした動的なバランスは、外交にも当てはまるわけで、菅首相は、このホームページで勉強すべきでしょう。

あらま様 毎度ありがとうございます。
あらま様はどうも深読みしすぎですよ。そんな深遠なことではなく、単にアホな審査員に会って困ったという話を長々と書いただけです。
しかしカンナ音首相には、もう少し歴史というものを勉強してもらわないといけませんね。
馬子にも衣装といいますが、市民団体出身は首相になっても視野が狭く思い込みが激しいですからね。
といっても、こんなホームページではなく、あらま様のブログで勉強してほしいところです。


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