第三者認証は企業を良くしない 10.08.22

タイトルを見て、驚いた人、異議のある方、納得しない方、その他タイトルに違和感を持たれた方を合わせると9割になると思います。私は100%を狙っていたといいたいところですが、私の同志は簡単に同意しちゃうでしょうから100%は無理でしょうね。といっても、このタイトルにご賛同された方の9割も、私の意図を理解していないだろうという確信はあります。
ともかく映画でも、小説でも、ウェブでも、タイトルはぎょっ!とするように、何事か?と思わせるように、そりゃ違うんじゃねーと思わせるものでないと価値がありません。ということでこのタイトルは及第でしょうか? 
ところで単なる脅かし、狼少年、スケアクロウではなく、最後で何割の方を納得させられるかということが論文であろうとエッセイであろうと小説であろうと、文の値打ちでございます。そうですね、少なくとも3割の方はご同意され、3割の方はそうかもしれないと思っていただければ大成功と、はじめに目標を明示しておきます。お断りしておきますが、絶対に説得されるものかと決め付けている方も必ずいるわけですから100%はありえません。

さて、本論でありますが、ISOで会社を良くしようと語る人がいる。審査員にもいるし、認証機関の幹部にもいるし、企業の人たちもそう語る人が多い。コンサルにいたってはそういわないと商売にならないようです。
しかし、なぜそんな明白な間違いを信じることができるのか、私には疑問です。
私はタイトルのとおりISOに基づく第三者認証制度にしても、その他の第三者認証制度も、審査を受け認証を受ける会社を良くするものではないと考えております。
まあ、みなさんが抗議する前に、私に少し説明させてくださいな。

ISO認証制度においては、認証機関と審査員は審査を受ける企業にコンサルをしてはならず、認証審査以外に事前に審査もどき、あるいは審査の予行演習をしてはならず、審査に直結した講習会をしてはならず、審査において具体的な対策の説明、直接的な事例の提示などは禁じられている。もっとも法三章のお触れで殺人や窃盗が禁じられてから2000年以上になるが、いまだ殺人も窃盗もなくならないように、ルールというものは守られたためしがない。
証拠を出せなんておっしゃる人はいないと思いますが、いわれても困りません。証拠としておいくつ必要でしょうか? おつりはいりません。
もっとも上記事例をひとつも心当たりがないなんて方は、第三者認証制度に係っていない人であることは間違いない。それとも、あまりにもどっぷりつかっていて不感症となっているのかもしれません。
もちろん第三者認証機関がお金をもらって内部監査を行うことは可能だが、その場合は審査と峻別されていなければならない。事前に内部監査で不具合を見つけ是正を教えておいて、その後に審査をするのはインチキそのものだ。

ともかく、認証されただけで企業は良くなるのかといえば、そりゃ違いますよね。
認証機関から登録証をもらって、会社が良くなるなんてことはありません。じゃあ、第三者認証で会社を良くするということは、何によってなのか?いかなる方法でなのか?いかなる指標で測るのか?分からないことばかりです。

しかし・・話は変わりますが、認証証というのは存在せず、実在するのは登録証あるいは審査登録証であるということはISO認証制度の七不思議のひとつです。
ついでに言えば、認証機関に審査を頼むと審査登録契約書ってのを取り交わしますが、「認証契約書」と書いてあるのを見たことがありません。
審査登録契約を結んで、審査を受けて、審査登録証をもらって(正確には貸与を受けて)、果たしてどこに「認証」という言葉が出てくるのか? これも七不思議のひとつでございます。

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USO800のお話
東京都千代田区丸の内

登録証
ISO14001:2004/JISQ14001:2004


登録範囲
ウェブサイトの設立・運営及びそれに関わる問い合わせなどに対する事務事業活動全般

登録番号 XXXX 登録日 20XX.XX.XX
当審査機関が貴社の環境マネジメントシステムを審査した結果、適用規格に適合していることを確認しました。
発行日 20XX.XX.XX


株式会社 日本環境保証機構
代表取締役 愛想泉夜桃

類似の名をかたっている認証機関がありますのでご注意ください 
../2009/yamigi.gif


ここで第三者認証の監査依頼者は誰なのかということを考えなければならない。
監査依頼者とはISO19011:2002「品質及び/又は環境マネジメント監査のための指針」で「監査を要請する組織又は人」と定義されている。
第三者審査の監査依頼者は誰なのかということは過去より話題になっている。1987年にISO9001が制定されたときは、規格は購入者と供給者の間の品質保証に用いると明記してあった。このとき購入者の代理で行った第二者監査は購入者が監査依頼者であることは明白である。規格に書いてあるだけでなく実際のISO規格の使い方も二者間の品質保証のためであることが目に見える形であったから。
しかし第三者認証制度という新しいビジネスモデルを考えた優秀に人たちがいた。つまり購入者からの依頼を受けずに供給者からの依頼で審査を行い、その結果を社会に公表するという仕組みだ。
関係者なら自明であると思うが、第三者監査のことを審査という。
この場合は明確な依頼者がいない。しかし依頼者がいないと困る。なぜなら形式上だけでも監査をするトリガが必要だし、監査の結果を報告する報告先が必要だ。
そこで第三者審査において、当初は認証機関の経営者を一般社会の代理者と見立てて、監査依頼者とした。なんか変だが、変でもないのかもしれない。
現物の株式取引は誰にだって理解できる。先物取引というのは、分かったような分からないような気がする。1983年の映画「大逆転」の中で先物取引について平易な解説があったが、それさえも私は理解できなかった。しかしさらに進んで、日経平均株価の先物取引となるといったい何を売り買いしているのかわからない。
認証機関の経営者を依頼者に見立てたことは、たぶんその程度のことなのだろう。
あるいは形式主語とか形式目的語なんてものが存在する文法で考えている人々にとっては、そのような発想はなんら飛躍のない当たり前のことかもしれない。
その後、審査を受ける企業の経営者を監査依頼者とみなしても良いという見解が広まった。
特に2000年改定によってISO9001は品質保証の規格ではない、品質マネジメントシステムの規格であると大上段に振りかぶったものだから、その依頼者が企業でなければつじつまが合わない。というのは購入者は良い品質の製品・サービスをほしがるが、供給者(メーカーと同義)の企業体質が良くなることを要求しないだろう。そりゃメーカーに倒産してほしいとは望まないだろうが、売り上げを伸ばし利益を出し大企業になることを要求はしないだろう。相手が利益を出すということは買い手が損をするということであるし、メーカーが大会社になれば、下手をすると買い手が不利になるかもしれないじゃないか。
ISO14001は1996年に制定されたときからマネジメントシステムと自称していたが、こちらは依頼者は誰か?という議論はあまりなかったように記憶している。ISO9001は変貌したから「変ね?」と思う人がいて、ISO14001ははじめから変だから「変ね?」と思う人がいなかったのかもしれない。

ともかく環境にしても品質にしてもISO規格がマネジメントシステムであると自称するからには、認証を受ける企業そのものが良くなるツールである、認証を継続すれば企業が良くなるといわないと説得力がない。いやつじつまが合わない。
私はISO第三者認証制度の根源的な問題は、この依頼者と審査の関係を明確に矛盾なく説明できないところにあるのではないかと考えている。
ここではその点には言及しない。
いずれにしても認証を利用する人が依頼者になるのは当然というか、正しく言えば、認証を利用する人が第三者認証機関に依頼するのは当然だ。あるいは第三者認証などに頼らずに、自分が直接メーカーに品質監査や環境監査に行ってもよく、住民が企業に立ち入り調査を行っても良い。それこそが監査の原点なのだから。
ともかく、マネジメントシステムの規格であるということは、認証を受けたことを利用する人、つまりその企業の経営者が依頼者であると想定することは論理の飛躍でもない。
そこで新たな疑問が生じる。お金を払う人が審査を依頼して、認証を得ることは審査がお金を払う人におもねるのではないだろうかという見解である。
現実の審査を見れば、お金をもらう側の審査員がお殿様かお代官様のように振舞っているので、その心配はないようだ。
東大の飯塚先生は第三者認証制度が劣化したのは、依頼者からお金をもらう仕組みだからと語っている。私はそれは大間違いだと考えている。それも今回のテーマではないので別途論じよう。

第三者認証が企業を良くしないというのは、簡単である。第三者認証機関が企業を良くするためのいかなる付加価値も提供しないからだ。
まさかあなた、審査を受けるための準備が企業を良くするなんておっしゃらないでしょうね。ISO審査は半年間隔でも1年間隔でも選べるのだが、ほとんどの会社は1年としている。しかし私の知っている事業所では、だらけないように半年間隔を選んでいる。オイオイ、半年を選ぼうが好き勝手だが、だらけるからとはなんですか? その企業がシステムをちゃんと運用しようとする習慣がないから、時々外部の人が来てホイッスルを吹いてイエローカードを出してほしいとは・・社会人としては欠陥ではないのか?

前述したように、審査員及び認証機関が、審査を受ける組織に適合及び又は不適合を提示する以外になんらサービスを提供しないということは、そのまんま付加価値がない、企業を良くしないということではなかろうか?
証拠をひとつ挙げる。
すべてのISO審査報告書の宛先は認証機関の経営者または判定委員会であり、審査を受けた組織宛ではない。そして報告書に書かれている主文は「規格適合を確認しました。」という文言である。まして認証という行為は認証機関が行うものであって、審査を受けた組織の経営者が行うものではない。ということは現行の第三者認証制度で企業を改善しようとすることは理屈から無理なのである。
もし企業を良くする審査であれば、審査報告書の宛先は組織の経営者でなければならず、その主文は「以下の改善を提案する」という適合確認ではなく、問題点と改善提案でなければならないはずだ。
そんなこと、ISOの内部監査ではなく、真の内部監査をしたことのある人なら当たり前と思うでしょう。
いや審査はひとつでも、第三者認証のための報告書と、企業側を良くするための報告書を作成することは可能であるという発想もあるかもしれない。
だが私には、ひとつの審査、ふたつの報告書でこのコンフリクトを解消することは不可能に思える。なぜならそれぞれの目的が異なるのだから審査のスタンスが異なるのである。報告書のコンフリクトの前に、審査員の内面にコンフリクトが発生する。発生しない審査員は良心のない人だ。
このコンフリクトを解消するためには、組織の外部への認証を表明する第三者認証制度と、組織の改善のためのコンサルタントに分けることが必要となるだろう。
いずれにしても現行の第三者認証制度が企業を良くすることはないと言いきれるだろう。
タイトルの「第三者認証制度は企業を良くしない」という意味がお分かりになっただろうか?

本日のまとめ
第三者認証制度はいかに審査員が高潔であろうと、認証機関の経営者が立派でも、認定機関がまともでも、企業を良くしない。
それは第三者認証制度とは企業を良くするためのものではないからである。



ヤマダン様からお便りを頂きました(10.09.03)
佐為様、お久しぶりにメールします。ヤマダンです。
ISOの事務局的部署から積算部署へ1年半前に移動して、「うそ800のお話」を見る回数も減ってしまっています。(スミマセン。)
最近、総合評価方式(簡易型)にて発注された工事物件で、・・・・
ちなみに「総合評価方式」を説明しますと、入札の工事金額以外に、応札会社の技量を測るために、工程計画や施工計画に関しての課題を出し、1課題につき、A4サイズに1〜2枚程度の内容で技術提案を出させ、両方で評価して工事落札者を決定するという、談合防止対策の入札形式です。

その発注工事の「施工上の配慮の課題」で、
・品質マネジメント及び環境マネジメントの取得状況(ISO9000・ISO14000シリーズ、EA21)
を具体的に書けというのが有りました。

「なんじゃぁこりゃ〜?」と、つい、思ってしまいました。
「品質マネジメントシステム及び環境マネジメントシステムの認証登録状況」ならまだ分かるけど・・・・
発注者側がこんなことだから、建設業界は私の会社を含め、いつまでも「形だけのISOの認証登録」に金を掛けて継続しているのです。(本当に上手く活用している建設会社は、残念ながら1%にも満たないのでは?)でないと、工事の入札に参加させてもらえないのですから・・・

公共工事の発注者が、入札条件から完全に「ISO」の文字を消したら、一挙に認証登録企業の数は減ると思います。

ヤマダン様 毎度ありがとうございます。
「取得状況を具体的に書け」 とはいかなる意味なのでしょうか?
状況というのですから、認証範囲ではなく、登録分野でもないようで・・
形だけの認証ではありません、とか、形骸化していますとか書くのでしょうか?
あるいは、いやいやだったのですが仕事をとるために認証したのですとか、品質を向上するためのにとか、社員のモチベーションを上げるためにとか書くのでしょうか?
かなり含蓄のある文章表現であると・・要するにワカリマセン・・すみませんです。


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