そばもん 10.09.04

えー、これは私が開設しているブログ、やはり「うそ800」というのですが・・そこに書いた駄文に加筆したものでございます。書くことがないからだろうなんておっしゃってはいけません。ちょっとアイデアが気に入ったのですよ。
俺はブログを読んだからパスなんて冷たいことを言わないでご一読願います。
実を言いまして、私はうそ800というウェブサイトを二つ、ブログをひとつ、うそばかりついているようです 

もう2週間くらい前になりますが、今年の盆休みのこと、田舎は遠く、子供がいるわけでもなく出かけるところがありません。することがないので電車で二駅ほど行ったところにある古本屋(ブックオフ)で漫画本を何冊も買ってきて家でゴロゴロして読んだ。
私はもう2年以上、書店で新品の本を買ったことがありません。新刊といっても1週間もすればアマゾンに中古本が半値ででますので、郵送料を加えても書店で買うより安いのです。ましてインターネットで真夜中に注文することもできますし、自宅まで配達してくれるのですからこれは便利です。
興味がある本が出てもわざわざ本屋に行ったり、立ち読みするのも時間のロスのような気がします。まあ本屋に行けばついでにいろいろな本を読むわけですが、立ち読みしていてすごい本を見つけたということは・・あまりありません。
コミックといいますかマンガが大好きな私ですが、当然新品などもったいないから買わない。いえ、お金がもったいないのではありません。古本といっても、ものが古いわけではなく、単に別の方が一度読んだということに過ぎませんから、他の人が読まなければもったいないでしょう。

古本屋の100円の本の棚にいって、読んだことのない、あまりエッチネタとか暴力的なものでない、絵がきれいなものを手当たりしだいに買いました。盆休みの1週間なんとか時間をつぶさないといけません。
さて、あまり中身をチェックしませんでしたが、そんな本の中に「そばもん」(山本おさむ作)というのがあった。
出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
小学館4-09-182495-02009年6月3日514円既刊4冊

「そばもん」とは蕎麦打ちの職人の短編集で、その中に天ぷらそばのお話があります。たまたま蕎麦打ちの名人 矢代稜が腹ペコで飯を食いに入ったのがはやらない蕎麦屋。客の矢代さえ借金取りと間違えられたようなありさま。
物語はたまたま同情した八代がその店を手伝うことになり、行きがかりから矢代がその店の親父にそばの一から十まで教えるお話です。特に天ぷらそばがメインです。そのオヤジはうまい天ぷらそばを作ろうと、てんぷら屋に修行に行ったりもしていて、決して不勉強なオヤジではないのですが、作る天ぷらそばはオヤジが食べてもまずい、そしてお客さんの評判も良くない。当然、店ははやらない。
正体を隠してその店で手伝いをしていた矢代は、店を盛り立ててやろうとオヤジに指導する。
矢代はそのオヤジにいう。
「常識をひっくり返せばいい」
てんぷら屋のてんぷらと、蕎麦屋のてんぷらはまったく別物だというのだ・・・

まあ、その続きはみなさん古本屋(新品でももちろん良い)で買っていただくとして、
ISO14001を役に立てるには「今までの常識をひっくり返せばいい」のではなかろうか?
つまり審査員や認証機関が語っていることは、全部間違いではなかろうか?
間違いといってはまずければ、状況に合わないのか、組織(企業)が求めているものと、ずれているのではないだろうか?

具体的に例をあげて説明する。
「ISO審査ではアドバイスできません」なんていうのは耳にたこができるほど・・
JABはコンサルをしたら認証の停止をする。だから認証機関も審査員も怖がって余計なことは言わない。いや、本当はアドバイスできる力量があるのかどうか定かではない。
でも、そんなことを言わずにアドバイスしたらどうなのか?
「こうすればうまくいきます」と品質指導でも環境遵法でも教えたらどうでしょう。
それで品質が良くなったり、法対応に問題がなくなれば感謝されるだろう。そして、もし審査員が教えるものを持っていなければ、もう来なくていいよといわれるでしょう。
お互いに、行き違いがなくていいじゃないですか?

「遵法を確認したわけではない」なんて審査報告書や登録証には必ず書いてある。そんなに遠慮せずに、具体的に詳細に遵法を確認したらどうなのか?
「抜き取りで行った」なんて逃げを打つこともありません。「私がしっかり見たから大丈夫です」と断定したらどうですか。
会社は、遵法の仕組みがあることを確認してもらうより、順法がしっかりしているかを確認してもらったほうがありがたいものですよ。
弁護士法とのからみはしっかり研究してくださいね。

「ISO規格で要求しているので文書必要です」とか「規格に記録を残すと書いてあります」なんて言わずに「記録なんていりません。実質が大事です」と言ったらどうですか?
審査員が安心するために、いや正確に言えば、判定委員会で問題なく通すために、文書や記録を作らせているという事実は否定できない。規格要求なんてヤボをいわないで、その会社が効率よく、しかも確実に業務を遂行するために必要十分な文書記録を判定したらどうですか?

「規格要求事項はみな満たさなければなりません」そんなご無体な 
大昔のISO9000:1987では「テーラリングを認めていた。(8.5.1)」その会社に見合ったQMSあるいはEMSならいいじゃないですか?
余計なことをすることは、有効性に反し効率を悪くしますよ。

マネジメントシステムが規格適合であることを確認したなんて書いてもらっても、一銭の得にもなりません。
所見報告書には適合、不適合なんかよりも、改善提案とか、将来の方向性などをいろいろと提案してもらいたいのです。それも予算見積もりなんてあるといいですね。投資効果も含めた実施計画などを書いていただければ企業としてはうれしいのだが・・
なにせ、省エネだ、化学物質排出量削減だ、廃棄物も減らさなくちゃならないと、企業の負担は増えるばかり。少しお力になってほしいものです。

そんなことは審査ではないと認証機関とか審査員はおっしゃるかもしれない。じゃあ、審査をしないでコンサルをしてみたらどうですか。どっちみち、組織は認証よりも、より良くなるためのコンサルを歓迎しますよ。もちろんコンサルできない審査員は無用です。
審査の常識を覆せば今までのISO認証と大きく違って、企業の環境マネジメントに多大な貢献をするだろうと思う。

ご賛同いただけませんかね 




右顧左眄様からお便りを頂きました(10.09.10)
そばもん
先生!御無沙汰しています。
私は生まれつき大雑把なので「▼▼の責任が大きいから▼▼にきちんとさせるべきだ」という議論はとても苦手です。そのような会議にあたったら、?逃げ出すか、?一部の責任をもってたら引き受けるか、?怒声でやりこめる努力をするかいずれでもいやな思いをします。
そのような中で、一部でもかかわりをもっているということで得意分野であれば、全体のまとめ役を引き受ける人がいます。その人は顔が広くいわゆる根回しでなんなくまとめてしまえるようです。
この手法は手順化できるものではなく、あえて手順化するなら「ここは○○にまかせること」とでもなるのでしょうか。
いまのCSRでもISOでも素人でも誰でもわかる範囲しか表面化させてないし、全員を対象にした仕組みだから人間の多様性が保護されていないでしょう。結果わけのわからん奴と共同作業をするのは、強いストレスがかかります。
達人が手順を追って物事を完成するのを見るのは気持ちの良いものです。
「前の奴にも同じように教えてちゃんとやってるのに今度のやつは問題を起こした」という愚痴は何度でもでますが何が真因かわかりません。
ISO監査員がお釈迦さまで、被監査側が菩薩さまのような組み合わせならすべて上手くいくんだろうと、そのような世の中になることを願っています。

右顧左眄様 毎度ありがとうございます。
おっしゃりたいことがよくわかりませんが、思うところを・・
私はなにごとでも問題が起きれば、責任を追及するのではなく、原因を追究しなければならないと確信しております。
でも、どこでも魔女狩りがさかんで、誰がした、どの部門の責任だ、あいつが悪い・・となりがちです。
そして誰かが人柱となり、一件落着・・
それで良いはずがなく、再び再発するのがオチ
そうじゃなくて、なぜなんだ!?と原因を突き止めて対策すればいいじゃないかと思います。
医療事故でも看護師が逮捕されたりしましたが、そうじゃなくて体制とか仕組みとか過労とか考えないと問題は防げません。
もちろん、関係者を罰さないと気がすまないという感情は確かにありますが・・


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