内部監査は誰のため 10.10.23

雑誌や書籍あるいはホームページなどで、内部監査をいかに改善すべきか、内部監査の成果をあげるためにどうあるべきかという記事や論説を見かける。そういうことは大事なことだ。どんな仕事でも、品質向上、効率向上、システム改善は重要なことだ。QCDの改善は製造現場だけなんて思っている人もいるが、そういう方は競争社会では生き残れない。

ところがそういう内部監査向上論を読んでみても、感心するものばかりではない。例えば内部監査実施後に、監査員と被監査者が話し合いをもって、もっと良い内部監査をするために議論する会社の事例を見かけた。それを読んで、私はどうも釈然としないのである。いや、正しく言えば、そういう発想がぜんぜん理解できないのである。もっと本音を言えば、そういう発想は間違っているのではないだろうか。

内部監査っていったいなんだろうか?
いや、内部監査は誰のために実施するのだろうか?
私個人は、ISOの内部監査など存在しないと考えている。私は、内部品質監査も、内部環境監査も、情報システム監査も、業務監査の一部であると考えている。もちろん、実施方法は多様であっても良い。監査部が品質も環境もその他も行うのが筋と考えても良いし、技術的あるいは知識的に監査部では難しいと考えるなら、それぞれを専門部門に委嘱してもあるいは専門家の参加を求めても良い。そう考えている。
だが、間違っても内部監査の目的は、ISO規格に書いてあるからでも、ISO審査の前に内部監査をしておかないと審査で不適合になるからでもない。
だが、長いものには巻かれろという。私の本意ではないが、ISO規格レベルまで大きくレベルを下げて妥協するとしよう。ISO規格では内部監査についてどのように記述しているのだろうか?

ISO14001:2004
4.5.5 内部監査
組織は、次の事項を行うために、あらかじめ定められた間隔で環境マネジメントシステムの内部監査を確実に実施すること。
a) 組織の環境マネジメントシステムについて次の事項を決定する。
  1. この規格の要求事項を含めて、組織の環境マネジメントシステムのために計画された取決め事項に適合しているかどうか。
  2. 適切に実施されており、維持されているかどうか。
b) 監査の結果に関する情報を経営層に提供する。
以下略

これを読むと内部監査の目的とは、上記a)b)項の文言にあるように
「組織の環境マネジメントシステムのために計画された取決め事項に適合しているかどうかを確認して、監査の結果に関する情報を経営層に提供する」ことであると読める。
どう読んでも、いやいくら眺めても、被監査部門の改善に貢献することとか、不具合対策を行うこととか、業務の効率向上を図ることとか、そのようなことは書いてありません。
内部監査の本質は被監査部門を観察して、それが会社のルール、法律を守っているか否かを判定し、それを依頼者(内部監査の場合は経営者)に報告することであることは明白です。
そもそも、内部監査はやりたいからするのでもなく、ISO規格にあるからするのでもない。依頼者が監査をしてこいと命じたから行うのです。当然、依頼者が命じたことを調査して、その結果を依頼者に報告する、それが命令の実行というもの。
原則から言えば、監査結果を被監査部門に報告する必要さえないのです。

でもそんな明白なことを、明白と思わない人も多いのかもしれない。
そんな方には、ISO規格を読み直すことを推奨する。もっとも文字を読めないのかもしれない。

私は被監査部門が法規制や社内規則を順守しているかを確認することが仕事です。私は環境担当役員に報告する説明責任がありますので、監査で見逃しや判断ミスがあれば、私は役員に対して責任を負います。しかし監査結果について被監査側に対してはまったく責任を負いません。
ちなみに一般企業において上長命令を受けてなにごとかを実行し、そのマネージャーの判断や指揮が悪くて失敗した場合、そのマネージャーは命令者に対して責任を負いますが、部下に対しては責任を負いません。それは組織論から言って当たり前のことです。会社とは目的を実現するための戦闘集団であり、上長が指揮権を持ち、そして結果責任をとらなければ会社じゃありません。この記事にある会社では監査の目的は社長に報告することではなく、会社の活性化なのでしょうか。いまいちわかりません。
ということは、依頼者が被監査部門あるいは、そこで働く社員になるのだろうか?
とすると、ISO規格で定める内部監査でないことは語義から明白となる。
そうなのだろうか?

もし私の仕事で監査マップを作るとすれば、私の監督者が私の監査手法や手段の良否を評価するのに用いるかもしれませんが、被監査側を交えて検討するという発想がおきるはずがありません。いずれにせよ、私は被監査側と協力して、よりよい監査を目指すつもりはありません。
といって、私がギスギスした監査を行っているというつもりはない。正直言って、一般的なISO審査や内部監査よりも、はるかに和気あいあいであるつもりだ。だが、チェックすべきことはチェックし、報告すべきことは報告している。

そしてまた変だなと思うことがあります。
監査員が被監査側とコミュニケーションを図ることは重要ですが、何も質問内容を理解してもらうことはないし、本当を言えば理解されては困るのです。
監査にいって、監査プログラムで計画した調査事項を聞き取る時、監査員が被監査側に正直に手の内を明かすことはない。むしろ何を聞き取りしているのかを知られては正しい監査に支障があるのではないだろうか。

もうずいぶん昔、たぶん1993年か1994年の頃だと思う。私が前の勤め先にいた時のこと、環境監査というものが行われることになり、その第一回に参加した。
私が質問担当で、「排水のBODはいくつくらいですか?」と聞いた。
すると、リーダー格の方が
「何を言っているんだ 怒! お前はここの規制値はいくらだか知っているんだろう!それ以下かどうか質問しなくちゃだめだろう」
と私を怒鳴ったのです。
さあ、みなさんはこの事態をどう思うでしょうか?
私はそのリーダーは監査員には不向きだ、より正確に言えば使えないなと思ったのです。
規制値なんて調べれば分かるのは当たり前です。そういわないのは当然というか分かりきった理由があるからです。
相手に話させれば、相手が規制値を知っているのか、排出水の測定をしているか、回答者が測定結果知っているのか、記録を出せるのか、そういうさまざまなことが何回にも分けて聞かなくても分かるからです。
クローズドクエスチョンをするな、オープンクエスチョンをしろというのは常識
それにもっと大事なことは、監査員の質問が「ああ、この人は何について知りたいんだな」と被監査側に分かってしまうようでは未熟といえるでしょう。
監査員が下手な鉄砲をあちこちに撃っているように見えて、実は敵は本能寺というスタイルがあるべき姿です。
監査をしていて被監査側に完全に読まれてしまって、質問するより早く求めている資料を出されるようじゃ、監査員を辞めたほうが良いです。
監査員はなぞの人でなくてはね

本日の疑念
被監査部門といっしょになって内部監査の成果を上げようとする内部監査員は、己の技量に自信がないだけでなく、己の仕事を認識していないのではないだろうか?
そしてそういう方法を褒め称える人たちは、内部監査というものを理解していないのではないだろうか?



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