ケーススタディ 監査進化論 10.12.05

山田は次に監査を行う工場の準備をしていた。
監査の準備といっても、その会社によっていろいろだろう。鷽八百社の監査方針は年間スケジュールと共に年初にだしている。今山田がしているのは、もっと詳細な実行計画である。

年初に日程を決めたとはいえ、会社は動いているわけで、まず工場の担当者と日程の再確認をしてインタビューを行う工場幹部のスケジュールを抑えたり、こちらがチェックしたいと考えている設備や行程をチェックできるように巡回ルートを決定しなければならない。そういうことは被監査側と調整しなければならない。
一度でもこんな仕事をした方は、ものすごく手間ひまがかかることをご存知だろう。まず対象者の職位・職階が高ければ、つまり役員とか事業所長となるとものすごく忙しい。更に世の中の動きがあればそれに対応するために、海外出張とか業界団体とか官公庁との会議が急遽入ることはしょっちゅうであり、予定を確保することは困難のきわみである。言い換えると、いつでもつかまるような人はインタビューする必要はないのかもしれない。

次に監査メンバーを確保する。
監査を受ける工場以外の環境担当者に招集をかければ、みな協力してくれることは間違いないが、誰でもいいというわけにはいかない。
公害法規制に詳しい人、廃棄物に強い人、排水処理技術に詳しい人、環境配慮設計に詳しい人、グリーン調達に詳しい人、欧州の環境規制に詳しい人、あるいは・・どんな専門分野の人を派遣してもらうかは山田が考えて依頼しなければならない。考えればもっと細かくなる。省エネ法が改正されたといっても、法律に詳しい人がいいのか、省エネ法の削減義務を達成することができるかどうかを見るためには電気主任技師とかエネルギー管理士などの専門家がいいのか、もっと根本的に作業工程改善のIE専門家がいいのか考えなければならない。
また別の観点もある。
監査とは対象とする組織が適正かどうか、そしてどのように改善すべきかを役員や監査を受けた組織に報告するのが第一の機能であるが、また監査に参加するメンバーを教育する場でもある。そのためには指導するレベルの人と、今後環境管理の中核を担ってほしい人を組み合わせることが必要だ。これは監査員を派遣する場所の部長や課長と相談する必要がある。

環境保護部内部で検討すべきこともたくさんある。
年初に監査方針を出したといっても、監査プログラムはそれから一直線に策定できるわけではない。
その後法改正や事故や事件の報道は多々あり、そういった社会の変化に対応して監査の方法や項目に反映が必要だ。ひらたく言えば、廃棄物処理業者に委託して不法投棄された会社が報道されていたら、廃棄物業者の評価状況や報道を受けて自社が委託している業者を再点検しているかを点検することになる。
もちろん監査を受ける工場の過去の環境保護部の監査結果も振り返るし、過去のISO審査結果も見る、またその工場が以前どのような事故を起こしたのか、行政から指導を受けたことがあるかも記録をひもとく。
幸い、鷽八百社には違法行為で摘発とか刑事事件になったことは過去ない。

以前、廣井が半分まじめ半分冗談に「過去の監査報告書をながめれば工場に行かなくても予測がつく」と語っていた。確かにそれは正しいと山田も思った。
そのほかにも事前に情報収集することはたくさんある。
最近行った新設備の導入や更新、近隣の状況変化などもある。環境側面の変化ということであり、また環境側面が同じで発生する環境への影響も同じであっても、その影響を受ける側によって大きな違いが起きている場合もある。
工場の道の向い側の空き地にマンションができれば、騒音や臭気だけでなく、工場の美観にも気を使わねばならないが、パチンコ屋やラブホテルであれば工場の美観に気を使うことはない。
工場の幹部に異動があったかも調べておかねばならない。異動があれば、特定施設やその他各種行政に届出をしたかどうかを調べることにつながる。
担当者クラスに異動や退職者がいたかどうか、もし有資格者や届出者に変化があれば、行政への届出に関係する。しかしより重要なのは後任者の育成が大丈夫かということだ。
そういったたくさんの情報を元に監査プログラムを考えることになる。ISO規格にも監査は監査プログラムが大事だと書いてある。もちろん監査プログラムだけを作ればよいわけではない。
監査チェックリストが大事だなんてはどこにも書いてはありません。

山田はちょっと仕事に飽きてきたので周りを見回した。廣井が椅子の背もたれにふんぞり返って数日前に配達されたアイソス誌を両手で持って読んでいる。話しかけてもいいだろう。
山田は廣井のところにいった。
「廣井さん、話してもよいですか?」
「いいとも、なにか問題か?」
「いや、そういうことではないです。監査の一般論についてご教示いただきたく」
「わかった、コーヒーでも飲みながら話を聞こう」
../coffee.gif 廣井は立ち上がって、給茶機に歩いていった。

二人はコーヒーカップを持って打ち合わせコーナーに座った。
「まず、環境保護部が行っている環境監査の位置づけについて確認したいのですが」
「会社規則を読んだろう、当社では監査は監査部のお仕事になっている。しかし監査部のメンバーは人事、経理、資材あるいは営業関係の出身者が多く、品質、情報システムそして環境については専門的な監査ができない。そのためにそれらについてはそれぞれの部門に下請けに出しているという仕組みになっている。我々は環境監査を行っているというより、包括的な業務監査の一部を担当しているというのが正しい。」
「廣井さん、それは存じております。私の言いたかったことはもう少し即物的なことで、監査のスタンスを監査そのものというか監査の精度を主と考えるのか、監査を後進の育成の場と考えるべきかということですが」
「なるほど、君の疑問は分かる。従来は監査を受けない工場の環境課長に参加してもらうということを原則にしてきた。会社規則でもそう決めている・・といっても俺が作ったんだけどね。
もちろん原則があれば例外があるわけで、実際には半数以上は課長の代理として実務担当者が参加してきた。そして山田君がいうようにベテランでなく、教育のために参加してもらったという位置づけの監査員もあったわけだ。そういう意味では若手育成の場でもある。
そう考えると監査側には若手とベテランを組み合わせることが望ましいのだが、監査員の人数にも制限があるよね。あまり多いと批判が来るだろうし、こなくてもおれは肩身が狭い思いをする。以前のことだが環境担当者育成のために、各工場の若手を監査員ではなくオブザーバーとして監査に参加してもらったことがある。当社には工場が5つあるので5名だ。そのときは大名行列なんて揶揄されたものだ。あれは参った。
まあ、長年環境業務に従事していればベテランとか専門家といえるかといえば、そうでないことも確実だね。高校や大学を出てきて十年間まじめにやれば専門家だよ。もっとも事故や行政対応は経験がものをいうこともある。」
「廣井さん、おっしゃることは分かります。まとめれば状況に応じて判断せよということでしょうか?」
「山田君、まあ、そういうところだろうね。」

「それと監査員の監査のテクニックといいますか、監査技能についてなのですが。」
「うんうん、それがどうした」
「どの工場でもISO14001を認証していますので、内部監査の外部講習などを受けているのですが、どうもステロタイプで、ましてISO規格対応と考えている人が多く、どうにかせねばと思います。」
「アハハハハ、確かにそういえる。環境課長レベルは何度か環境保護部の監査に参加しているので、まあ大丈夫だろうけど始めて参加した若手なんかはISO規格のオウム返ししかできないのもいるね。笑ってしまうよ。」
「廣井さん、笑えませんよ、といいつつ笑ってしまいますね。
しかしどうして世の内部監査講習はもっと当たり前のことを教えないのでしょうか?」
「山田君、おれはインターネットが趣味だが、世の中にはおかしな監査を教えたり、紙くずとしか思えない監査チェックリストを売っているコンサルのウェブサイトがたくさんあるんだ。」
廣井は立ち上がって自席から数枚の紙を持ってきた。
「これこれ、経営に役立つ監査チェックリストって銘打ったサンプルがネットにあったのをプリントしてみた。運用管理ってところを見てごらん、」
「ええと、『特定した著しい環境側面の管理、及び中期目標及び年度目標を達成するために、必要な運用管理の方法が必要か、どのように評価しましたか。』いやあ、まいったなあ、この一文で突っ込みどころが10箇所はありますよ。」
「ほう、山田君10箇所といったなら10あげてもらおうか」
山田は思いがけない廣井の突っ込みに顔が赤くなった。
「廣井さん、きついなあ、そりゃもののたとえですよ、とはいえどうでしょうか。
まずISO規格では著しい環境側面は特定するんじゃなくて決定することになっています。
及びが二回あるのは文章としては誤りと言い切れるどうかはともかく、不適切でしょう。
だんだんと状況証拠的なことになってきますが、中期目標と年度目標とあるのは目的がそれより長期だということでしょうか?まあ、これはその会社の仕組みに依存するでしょうけど。
目標を達成するために必要な運用管理の方法というのも変ですね、ISO規格の文言との違いはどうこういいませんが、目標を達成するための方法があるとは思えません。語義的には目標を達成する方法ではなく、目標を達成するための計画から逸脱しないためではないでしょうか?」
「なるほどISO規格もそういう表現になっていたね。まあ4つあったわけだ。次はなんと書いてある?」
「はい『その結果、必要な手順書にはどんなものがありますか?』
廣井さん、気がついたのですが、このチェックリストは一応はオープンクエスチョンになっていますね。まあ、そこは認めてやらねばなりませんよ」
「オイオイ、その程度でほめちゃいけないよ。山田君だってこの程度でお金が稼げるとは思わないだろう。
このチェックリストというか、チェックリストもどきの欠点はたくさんあるけど、監査の計画というか監査プログラムを考えていないことが重大な欠点だろうね。更にその原因はどのような監査報告をするべきかということであり、もっとさかのぼれば上司というか監査依頼者から何を調べろという明示がないからだろう。というより、まったくの仮想のチェックリストだからだろう。」
「チェックリストのひながたを示す場合には、依頼者の指示事項とか組織の過去の状況や社外の状況変化などの前提条件を示して監査プログラムを作り、チェックリストというアウトプットを示さなければならないということですね。」
監査チェックリストなんて単なる作業文書なんだよ 「そのとおりだ、そうでなければチェックリスト以前に監査の計画、つまりプログラムを作りようがない。」
「廣井さん、そうすると監査のチェックリストだけを例示するということはありえないということになりますね?」
「おそらくそうだろう。この監査チェックリストもどきの重大な欠点というか欠陥は、項番順でありプロセスアプローチでないことだ。その原因も監査依頼者の監査目的が示されていないことによるのだろう。監査目的を明示しなければ、プロセスアプローチ監査を行うことはできないからね。
つまりこの監査チェックリストもどきをつくった人は、監査の仕組みというか監査というものを理解していないのだ。」
山田は立ち上がってかたわらのホワイトボードに図表を書いた。
監査進化論
「廣井さん、こんな関係になっているのでしょうか?」
「うーん、そんな感じだね、監査目的を示さなければ経営に寄与する監査などできないということだな。」
「廣井さん、ありがとうございました。私の疑問は解消しました。」

本日の質問
(1)みなさんの会社では監査依頼者は監査目的を示していますか?
(2)監査プログラムは監査目的、環境上の重要性、前回までの監査結果を反映していますか?
(3)監査チェックリストは監査プログラムを展開したものでしょうか?
ちなみに上記質問に「NO」があればISO14001を満たしていないはずです。



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