日本人の坐り方

11.06.05
毎度のことですが、この推薦する本というコーナーは、すばらしいと思った本を推薦するわけではなく、単に本を読んで感じたことを書くだけであります。だから本のタイトルをみて、なんでこんな本を推薦するんだ!なんて噛み付かれても知りません。
この本は町を歩いていて、ちょっと雨に降られ、しばし時間をつぶそうと本屋に入ったときにショバ代代わりに買い求めたものです。

出版社ISBN初版定価巻数
集英社新書978-4-08-720581-72011.02.22720円全一巻

50年も前、私が中学に入ったとき、先生がご飯を食べるときどのような座り方をしているのかと聞いた。当時一クラス50人いたが、ほとんど全員が正座して食べていると答え、椅子で食べているというのが数人いた。そしてあぐらで食べているというのは1名であった。
先生はあぐらをかいて食べていると言った子に、「お前のようなだらしのない奴は大成しないぞ」と叱りつけた。それは本当のことだ。
そいつは決して悪いやつではなかったし、だらしがなかったわけではない。そいつは大人になって学校の先生になった。あぐらをかいてご飯を食べることと、性格や人格は無縁であろう。

当時、我が家ではご飯を食べるときは3尺角のちゃぶ台の周りに、家族7人が座って食べたのでまずあぐらをかいては並びようがない。みな正座をしてかしこまっていなければはみ出してしまう。
しかし当時、親戚の家に行っても、ご飯を食べるとき食卓が狭くなくてもみな正座して食べていたから、我が家が狭いから正座していたわけでもなさそうだ。昔はどこも座って食べていたと思う。
大人の人も飲んだりするとき以外は、ちゃんと座っていたように思う。そういうのが当たり前とずっと思っていた。

田舎では法事というのはお葬式についで重要なことであり、全員が正座して長いお経を聞かなければならなかった。お経が終わって一人ひとり線香を上げるのだが、しびれが切れるともう立ち上がるどころか、膝もくるぶしも動かずはって歩くようなはめになった。
お葬式や法事に比べて、結婚式やお正月などかしこまるような儀式ではない。
私よりずっと年上のいとこで、お茶やお花の師匠をしていた女性がいたが、どうしてそんなに座っていられるのかと聞いたことがある。「慣れれば大丈夫よ」と言っていたが、実際はどうなのだろうか? 不思議でならない。

会社に入ったとき、年配の方が「おれは子供の頃から正座をしろといわれてきたから背が伸びなかったんだ。子供には絶対正座するなといって育てている」と言っていた。その方は160センチくらいしかなかった。正座すると背が伸びないということはあるのだろうか?
確かに正座をしていると脚がまっすぐに成長しないようには思う。

この本を読むと、実は正座するということは昔からの習慣ではないようである。それどころか正座というものは明治以降に基本的というか正しい座り方とみなされる様になったらしい。それ以前は、もちろん正座という座り方もあったが、それ以外に片膝立てて座ったりあぐらをかいても失礼というかだらしがないと思われてはいなかったようだ。武士であれば正座することは次なる動作がしにくく、偉い人の前で切りかかったりしにくいということからかしこまる意味があったのだろうが、一般庶民においては男も女も身も心も気楽にしていて悪い理由がなさそうである。

../2009/hatasiai.gif 武士道を日本人の基本精神と考えている人がいるが、そもそも日本で武士というものは1割もいなかった。9割以上は民百姓である。民百姓というのは農民と思われているが、ものの本によると、農業に従事する者のみならず、商業や手工業、漁業なども包括していた。そういう人たちが武士の考えとか、生き方を実践していたわけではないだろう。
権利がなければ責任もないのは理の当然である。年貢が重ければ隣の藩に逃げることも当たり前だし、いやなことがあればひょいと引っ越して過去と縁を切るというのも今以上に簡単であったはずだ。藩に所属して家を守るという価値観は無縁であったろうと思う。「逃げる百姓追う大名」などを読むとそんな感じがする。

明治維新になってお家という価値観を持たない日本人全体に国家意識を持たせ、国民国家とするためには全員が武士的思想、価値観を持ってもらわなくてはならないことは明白だ。
だから学校教育で天皇や国家について教え洗脳するとともに、座るという具体的に身体にかしこまるということを覚えさせることが必要だったのではないだろうか。
かしこまるとは正座をすることを意味したそうだ。
学校でも会社でも軍隊でもなんでもそうだが、上長の命令を従順に聞くようにさせるには思想だけではだめで、体で覚えさせなければならない。整列、気をつけ、かしら右、そういう号令にすばやく反応するようでないと、上官の命令に従うということが身に付かない。
明治の御世に教育の場でそういう発想から正座を広め、そして日本人が正座するということが習慣化したのではないのだろうか。

ともあれ正座は健康に良いとは思わない。
そして正座しても、しなくても礼儀正しさとか、結果には影響しないのではないだろうか?
なにしろ太平洋戦争のとき、勝ってくるぞと勇ましくとまなじりを決して出征しても、Not a post, not a job, but an experience と構えず出征しても、結果には影響しなかったようです。



Yosh様から突込みが・・(11.06.06)
逆でせう?
武士であれば正座することは次なる動作がしにくく、偉い人の前で切りかかったりしにくいということからかしこまる意味があったのだろうが、

胡坐で座るよりも正座の方が次の動作には便利です。
よく戦國時代の映画等では目上の人の前にでもドッカと胡坐をします、素早き動きが出来ぬから他意のないことを示すのだと、か。
後にかしこまりて正座しても刀を右手側に置くのが相手に対して切りかかる意思のないと言ふことです。
左利きはご法度だとする処でもあるやうです。

Yosh師匠 そうだったのですか!?
いやあ、私の場合、5分も座っていると痺れが切れてしまい、次の動作といえば這い回るだけです。
座っている体勢からすばやく切りかかったりできるとは・・・軽業師に違いない。

木下様から突込みが・・・(11.06.07)
お久しぶりです
ご無沙汰しております。木下です。久しぶりにこちらのサイトを覗いたのでちょっと茶々を入れさせてください。

いやなことがあればひょいと引っ越して過去と縁を切るというのも今以上>に簡単であったはずだ。

どうも私が幼いころに祖父母に聞いた昔々の話とは違いますね。祖父母が言ったには、昔は交通が発達していなかった上に移動の制限もあったので遠くへ引っ越すのはかなり困難だったとか。過去と縁を切る、つまりその人の過去を知る者がいない地域まで引っ越すのは一生に一度できるかできないかだったそうです。
もちろん身分や時代、地方によっても違うでしょうが、ひょいと引っ越せるような人がそんなに多かったものでしょうか。

木下様 ご無沙汰しております。
時代によって状況は大きく違うと思います。江戸時代は身分制度があり、しがらみがあり、逃げたりすることはできなかったのかもしれません。ただ家という観念は武士以外は江戸中期以降という説もあり、現実に飢饉とかあるいは年貢が重いとかという事態になると、百姓はさっさと隣の藩に移動したということはいろいろな本に書いてあります。
しかも命がけなんてものではなく、隣の藩に入ってしまえば追っ手はこれないし、たいていの藩は百姓が増えることを望みそのまま居つかせたそうです。まあほんとのことはタイムマシンがなければ分かりません。


あらま様からお便りを頂きました(11.06.11)
おばQさま あらまです
「正座居合」というものがありますが、これは正座から立膝になり、そして踏み込むという動作になると思います。
つまり、正座からそのまま刀を抜くのではないのですね。
それだと、腕で刀を振り回すだけですね。
相手をスパッと両断するには十分な体重移動がないと出来ないと思います。
だいたい、座るときは刀を置いて座わるものではないでしょうか。
つまり、太刀を帯刀したまま座ることは、戦場以外の日常にはないと思うのですね。
おっと、雛人形の天神様は、座っていても帯刀していましたね。

ところで、正座の姿勢は男女の違いがあると思います。
だいたい、女性が下着を着け始めたのは文明開花以後といいます。
ですから、昔の女性は着物を着たままアグラを組む動作しなかったと思います。
う〜ん、気になり出したら、眠れなくなってしまいました。

あらま様 毎度ありがとうございます。
なるほど、正座居合ですか・・剣道など高校のとき1度面をかぶり、汗臭さで即やめました。
というほど剣道とは縁のない私なので皆目分かりません。

ところで洋服は人の体に合わせて作ったり、あるいは体にあった服を買うわけです。
他方、日本の着物は反物で作ります。反物の寸法によって作られる着物の基本寸法が決まってしまうという制約があります。
江戸時代初期までは絹織物の布幅は曲尺で一尺五寸(約45cm)の装束幅である。ただ小袖用として少し狭めの布幅(約41〜42cm)が使われたという意見もある(『服装の歴史』p.196)。
寛永三年(1626年)に江戸幕府により絹幅一尺四寸(約42cm)/木綿幅一尺三寸(約40cm)という規定が作られる。
また丈も通常7〜8mであったのが、寛永八年(1631年)には絹三丈二尺(9m前後)/木綿三丈四尺(10m前後)に規定された。

これにより着物が幅が狭くなり、女性があぐらをかくことができなくなったという説が多々見られます。
平安、室町時代の絵巻などでは女性もあぐらをかいているように見えるものが多いです。

Yosh様からお便りを頂きました(11.06.12)
とうた様、あらま様、

女性が下着を着け始めたのは文明開花以後といいます。

普通の日本女性が1900年の頃から所謂寫眞花嫁でにこちらに来て初めて洋装をした時の話:其れまで穿くことがなかつたから下着を穿ひてることを忘れて用便をの時に下着を下げることをせずに足したといふ可也多くの事故の話がこちらには残されてます。

昔の女性は着物を着たままアグラを組む動作しなかったと思います。

で、胡坐の代はりに和服を着た女性の座り方に横座り(?)(正座の状態から両足を揃へて右か左へ出しお尻を座に着ける)といふ少し色気(?)のある座り方があるはずです。
また、昔年寄りの女性は正座の状態から足を両方に開きお尻を座に着かせる座り方をしてました。これは足の上に体重を乗せず座れるので私も長時間座る時にはします。

Yosh師匠 毎度ありがとうございます。

用便をの時に下着を下げることをせず
あのう・・はじめてだって気が付かないものですかね?
事故というのか悲劇というのか・・・ウーン

正座の状態から足を両方に開きお尻を座に着かせる座り方
その座り方は、あひる座りとか、女の子座り、あるいはおばあちゃん座りと呼ばれています。女性は体が柔らかいので多くの人がするといいますが、男性は体が硬いのでそういう座り方ができない人が多いそうです。実はいまやって見ましたが、長時間は関節が痛くなりそうです。


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