タイトルは学部か修士論文のタイトルのようだが、そんなアカデミックなものではない。
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学部生とか修士ではこのようなタイトルが多い。ドクターになるとこんなタイトルでは却下されるだろう。考察だけでなく新規アイデアがなければ価値はない。
もっとも私は考察までいかず、瑕疵、矛盾、証拠不十分、そんなものを棚卸しするだけだ。
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世の中にISO、正確にはISOマネジメントシステム規格に関する本はたくさん発行されている。関するといってはあいまいなので、タイトルまたは副題にISOがついているものとします。いったいどれくらいあるのかというと、過去15年間に495件ある。年平均33冊、驚くべき数だ。
このたくさんの本の内容はどのようなものだろうか? 規格解釈を書いたもの、改善した自慢話を書いたものなど、いろいろあるだろう。そんなことが気になった私は、好奇心が服をきたようなものですから、早速調べてみました。ただ本日は手抜きで15年間までは手が回らず、2001年1月から2010年12月までの十年間に限定しました。なお、QMSとEMS両方に関する事例集は9001にカウントしました。
更にお断りですが、数え方によって人によって分類もどれに該当するかの判断も多少変わることはあるでしょう。でも、ま、傾向はそんなには違わないでしょう。
区分 | ISO9001関係 | ISO14001関係 | その他のMS関係 |
規格そのもの | 6 | 2 | 17 |
規格解説 | 50 | 29 | 51 |
つかい方、実例集 | 126 | 49 | 41 |
批判・問題提起 | 8 | 2 | 0 |
法律解説など | 0 | 10 | 1 |
表では分かりにくい。なにごともグラフにするとどんな按配か分かりやすい。
なるほど、こうすると規格そのものの本よりも、解説本が多く、更につかい方とか事例を書いた本がたくさんあることがわかる。
しかし上記のグラフでは規格相互の過多は比較できるけど、それぞれの規格での割合はわからないので、絶対数ではなくそれぞれの規格ごとに比率を表すグラフをつくってみた。なお、法律関係は環境や医療だけしか関わらないので除いた。
QMSとEMSを比較すると、QMSはEMSより事例集が多いが、これは両方に関する事例集はQMSにカウントしたためで実質的に比率は同じと推定する。
めんどくさいので再検討はしません。気になる方は調べてください
これらから、ISO9001とISO14001に比べてそれ以外のMS(情報とか食品安全とかだが)の実例集の比率が少ないことがわかる。またQMS・EMS以外には批判本は1件もない。これらの事実からは、まだQMS・EMS以外の規格での認証は広まっておらず、実例が少ないからなのだろうか。まあそれは現時点事実ではある。
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といってQMS、EMS以外のMS(マネジメントシステム規格)がこれから大きく伸びる保証はない。そもそも業種限定のセグメント規格は市場が少ないし、また認証する効果も顧客などが限定されているから流行は見込めないのだ。
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しかしQMSやEMS規格の本に対して解釈本・解説本が10倍以上発行されているということは、これもまた驚きである。それほどにISO規格というのは理解困難で不可解なものなのだろうか?
エネルギー管理の規格はISO50001であるが、ISO規格は50000もはなく、約14000くらいらしい。もっとも毎年どころか毎月すこしずつ増えている。
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ちなみに「ごまんとある」のごまんは「五万」ではなく「巨万」と書いて「ごまん」と読むそうです。まあ、たくさんてことですわ、
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それらたくさんあるISO規格・・ほとんどは日本ではJIS規格化されている・・の解説本がたくさん発行されているはずがない。
例えば、ISO4014(JISB1180)「六角ボルト」という規格があるが、「六角ボルト規格の知識」「六角ボルト完全理解」「六角ボルト解説と適用ガイド」あるいは「入門六角ボルト」なんて本はない。
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アマゾンとbooks.or.jpで調べました。裏を取らないとけたぐりをくらいます。
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しかし、六角ボルトの代わりにISO9001やISO14001を入れ替えたタイトルの本は実際にある。ねじの解説本より、ISOの解説本が多いことは間違いない。人間社会でISOマネジメント規格が貢献している割合よりも、ねじが貢献している割合の方が多いことは間違いない。いったい、この違いはなんだろうか?
ねじは簡単に理解できるのに対して、ISO9001はブッダの教えのごとく深遠で常人には理解できないものなのだろうか? ISO14001は黙示録のように読む人の理解を拒むのであろうか?
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黙示録(もくじろく)を読んでサット理解できた人はいるのでしょうか?
私にはなんのことやら?
もちろんいろいろな解釈は読んでいますが、聖書の黙示録だけを読んで理解できる人がいるとは思えない。
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おお!だからISO審査員という司祭のお言葉を聞かないと俗人は神の世界と交流できないのかもしれない。
あるいは相対性理論のように天才しか理解できないのだろうか? まあ、そのへんで見かける審査員に天才がいるとは思えないが・・
本日のまとめ
いったい今日の話は何について何を言いたいのか? そんなツッコミがきそうです。
いえ、特段の主張はありません。好奇心で調べたらそんなことが分かったというだけの、単なる事実を書いただけ。
ああ、すると「ISO本についての考察」ではなく、「ISO本の内容の調査レポート」なのかもしれません。まあ、考察する段はみなさんにお任せします。
ところで、毎週あるいは週に二度も三度もこんな文章を書いていて、どんなご利益(ごりやく)があるのかと疑問をお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか?
結構役に立つのでございます。
まず文章を書くのが速くなる。キーボードも速く打てるようになる・・というか、打つのが遅くならない。頭の回転が速くなる・・とは思いますが、良い考えが出るとは思えません。残念
ただ、よく考えて文章を作り、それを推敲するということではなく、考えたことをドンドンと書き綴っていくわけで、仕事とか会議対応の頭の使い方には適しているのではないでしょうか?
具体的には、ISO審査で審査員がおかしなことを語っているのにカウンターを出したいけど良い事例が出てこないとか、証拠となる文献が浮かんでこない、あるいは相手の話を聞いていて矛盾を見つけ出すのに時間をかけて考えないとならない、なんてことはありませんか?
私の場合、駄文ではありますがこんな文章を速く大量に書くということは、思考実験といいますか、いろいろな考えやアイデアを己の頭の中で比較し評価して適否あるいは矛盾を考えているわけです。つまりCPUのクロック数が速いというイメージではないでしょうか?
そんなことを常日頃していることにより、会議や審査で意見交換とか解釈論議になると、相手の考えを把握しそれに対して、すばやく反論や提案ができるようになります。ただ問題は頭で考える速度より、それを言葉で伝達する速度が遅く、パソコンは高速なのだけど伝送速度が遅いということになります。私はものすごい早口なのですが、それでも頭の中の考えに追いつきません。そして聞き手は私の早口についていけず・・困りました。
しかし、いくら速く叩こうとキーボードは文句を言わないから好きです。
もっとも私のキーボードは私の酷使に耐えられず、一年くらいでご臨終になってしまいます。一昨年暮に買ったキーボードは、昨年末にキーの動きが渋くなり正月に新しいのを買った。
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渋いとは中年のかっこよさではなく、動きが滑らかでないことを言う
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今はもちろん正常に快適に動いているが、年末にはまだぞろ寿命になるだろう。まあ消耗品だからしょうがない。
ただ私のキー入力では「は」と打つのを「ha」ではなく「ah」なったりすることが多い。これは頭に指がついていけないせいだろうか? あるいは単にへぼなんでしょうか?
そろそろ家内が起き出す。今日は二人で近くのデパートにお出かけしよう。
何を買うのかって? ウインドウだよ、マイクロソフトのウインドウじゃなくて、ウインドウショッピングですよ♪
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