超入門 ミニマムEMS 11.02.05

山田が囲碁クラブに入ったというのはちょっとわけがある。話せば長いことながら・・
山田はバブル絶頂の頃、鷽八百社に入社した。入社して2週間ほど新人研修を受けた後、営業に配属された。そのとき山田のチューターは野村という当時50歳くらいの方だった。野村はその歳になっても管理職でもなかったが、彼は特段それを気にしている風もなく、また営業の成績も悪くはなかった。
山田の最初の仕事は野村の担当している企業を一緒に回ることだった。電車の中とか時間つぶしのマックとか喫茶店で、いろいろとお話を聞かせてもらった。営業の指導そのものより、そういったときに聞かせてもらったいろいろな話が、その後の仕事で役に立ったと山田は感じている。
あるとき「社会に出ると、コミュニケーションが大事だ。おれが入社したときは、囲碁、将棋、マージャン、プロ野球を一通り知っていれば話と付き合いに困らないといわれたもんだ。今ではマージャンと野球が落ちて、ゴルフとカラオケが追加かな」と言ったことがある。
山田はそれを聞いてなるほどと思った。それまでは将棋は子供の頃遊んだことはあり、カラオケは仲間と行った程度だ。それを聞いてから山田は、職場の付き合いのためとお客様との交渉時に役に立つだろうという打算から、野村の言ったものを一応のレベルにまでなろうとした。
将棋と囲碁は初段を目指した。山田が会社帰りに囲碁クラブに通って1年ほどでなんとか初段になった。そのとき上達が早いほうだといわれた。しかし将棋は1年間の努力では初段は、はるかかなたである。いや努力だけでは初段になれないかもしれないと思った。将棋の初段は囲碁の初段よりはるかに難しい、あるいは山田の素質のせいかもしれない。やがて仕事が忙しくなり、囲碁と将棋はいつしか忘れてしまった。

カラオケは持ち歌30曲をめざした。それだけあれば誰といっても一応かぶらないだろう。
ゴルフは仕事直結であったし、なによりも面白い。100を切ろうと思ったものの、それは学生時代から、いや子供の時からスポーツに縁のなかった山田にとっては厳しい目標だった。

それから20年たった。野村はとうに定年退職して、今では年賀状のやりとりもなくなってしまった。
山田も営業から環境保護部に異動になり、毎日定時で帰れるようになった。山田がそれまで営業職で夜遅かったので、妻も子供も山田がいない生活パターンができてしまい、「お父さん、9時過ぎに帰ってきてよ」といわれてしまった。そんなこともあり、囲碁に再度挑戦しようと、住まいの近くにある囲碁クラブに入ったのである。

../go.gif 「棋力はどのくらいですか?」と入会時に会長に問われて、「20年前は初段でしたが、今では定石も忘れてしまいましたので2級くらいで打たせてください」と控えめに申告した。入会してから既に数ヶ月、毎月の勝率が良いのでクラブ内の級位をだんだんとあげてもらい、今は昔同様に初段格で打っている。40過ぎの山田は30数人いるクラブの中では若い方から数番目だ。
仕事とまったくはなれた付き合いがあることは良いことだと山田は思う。人脈が広いと自慢する人は多いが、そういう人脈は歳をとって仕事を離れてからも付き合える、露骨に言えば老後に使える人脈ではないように思う。
当初は囲碁をひととおりやったら将棋をやろうと思っていたものの、囲碁二段になるにも数年かかりそうだし、五段の会長にたどりつけるとは思えない。囲碁を極めるなんてとてもできそうないと思う。まあ、そんなことを思いながら囲碁クラブを楽しんでいた。

今日も囲碁クラブにきてどなたかに相手をお願いしようと周りを見回していたら、山田に声をかけてきた人がいる。
「山田さん、ちょっと相談があるのですが」
声のほうを見ると入会時にいろいろと面倒を見てくれたクラブの幹事をしている瀬尾さんだった。小さな会社を経営しているとか聞いた覚えがある。
「瀬尾さん、なんでしょうか?」
瀬尾さんは手招きして山田を廊下に連れ出して、そこにあった長椅子に腰をおろした。

「いや、山田さん、ちっと困っているのですよ」
「はあ、囲碁クラブのことですか?」
「いや、そうではなく個人的なことなのです。私が町工場を経営していることはご存知でしょう。取引先からISO14001の認証と化学物質管理を確立しないと取引を止めると言われているのです」
「瀬尾さん、それで私に何を・・」
「先日、会長と今猿さんと山田さんのISOのお話を脇で聞いてましてね、山田さんなら力になってくれるのじゃないかとおすがりするような思いなのです。
町には今猿さんだけじゃなくてISOコンサルの看板を出している人はたくさんいます。しかし問題がいくつかあります。大きなものとしてふたつありますが、ひとつはお金です。認証取るまでのコンサル料が200万とか300万といいます。私のところは従業員30人ですよ。払える払えないということじゃなくて、その金額は規模を考えるとべらぼうで納得いきません。それから認証料金も大変です。
二番目はもっと本質的なことなのですが、コンサルに話を聞くと、誰もがISO規格に合わせて文書を作り仕事を変えなければならないようなことを語るのです。それっておかしいと思うでしょう。私のところだって、創業してから20年以上事業をしてきたのです。今までの会社の仕組みがまったく間違いだとか、意味のないものだったとは思えないし、思いたくない。
先日、山田さんが会長にお話しているのを脇で聞いていて、ああ、この人ならわかってくれるかなと思ったのです」
「瀬尾さん、簡単に言えば御社のISO認証を手伝ってほしいということでしょうか?」
「いえ、それほどあつかましいことを考えているわけではありません。まず私の会社を見ていただいて、ISO認証をするのがいいのか、あるいはいろいろと環境の認証制度があると聞いてますので、そういったものについてのご意見とかをお聞かせいただきたいと思うのです。
それから、先方の担当者が言ってましたが、今では単にISO14001認証よりも、輸出だけでなく国内向けも部品などに含有している化学物質管理の仕組みが重要とのことです。そういう仕組みを作るのはどうしたらよいのかを教えてほしいと思いまして・・」

山田は腰が軽いというかすぐ取り掛かるほうだ。
「瀬尾さんの会社はここからどれくらいかかりますか?」
「歩いて10分くらいでしょうか」
「じゃあ、ちょっと御社にいって具体的なことをお聞きしましょう。まだ8時ちょっとすぎたところですから、時間は大丈夫でしょう」
瀬尾は山田の提案に驚いたようだが、それではお願いしますといって立ち上がった。

瀬尾の会社は金属のパイプを切断して曲げたりねじを切ったりロウ付けをしたりして、エアコンなどに使うような配管部品を作っていた。中国でも作れる部品のように思えたが、納期とか品質とかに秀でていて国内で生き残っているのだろう。あるいはひょっとしてだが、ロケットエンジンとかジェットエンジンなどの高精度を要求される配管なのかもしれない。
「ご覧の通りまったくの家内工業でして・・環境負荷といっても電気とかガスとか・・薬品のたぐいはありません。油を洗い流すために洗浄剤を使います。昔はトリクロロエチレンなんて使ったそうですが、私のところでは創業時から水溶性の洗剤です。おかげで地下水汚染はないはずです。」
「御社で関係する法律をどのようにして調べていますか?」
「市の行政や商工会議所からいろいろパンフレットがきます。環境に限らず法律が変わると説明会の案内もきます。私か、私がいけないときは課長とかを聞きに行かせています。」
「法律の届けをしているものはありますか?」
「消防法の危険物少量保管の届け、それからコンプレッサーは騒音、振動を届けてます。それと廃棄物の定期報告というのがあります。」
「PRTR報告はどうですか?」
「量的に少なく該当しません。法律ができた時の説明会を聞いて調べましたが、一番多く使っている洗浄剤には対象物質がありません」
「MSDSはそろえているのですね」
「お世話になっている税理士さんから化学物質の規制や届けについて教えてもらいました」
「化学物質にはどんなものがあるのですか?」
「洗浄剤、ろうづけのろう、フラックス、それから切削油ですか。製品の材料と副資材についてはMSDSや材料証明などを入手して含有が規制されているものを使わないようにしています。冶工具も材質は確認しています。なんでもジグに使用禁止物質が含まれていると製品に移るとかいう人もいますので。取引先の人はダンボールのラベルとか梱包材まで管理しなければならないといってますが、どこまですれば良いのか見当もつきません」
「排水はすべて下水ですか?」
「そうです。油水分離装置は創業時からつけています。水は下水、分離した油は産廃です。切り粉や切り端は有価で買い取ってもらっています。」

山田はちょっと考えてから言った。
「瀬尾さん、おたくは既にEMSも化学物質管理もできているじゃないですか。法律を調べて、行政からの問合せと報告に対応して、原材料に対する客先からの要求を把握してそれに対応している。今まで聞いたことでわからないのは近隣とのコミュニケーション程度でしょう。監視も内部監査もマネジメントレビューも瀬尾さんご自身が関わっているのですから十分満たされていると思いますよ。」
「ではどうすればよいのでしょうか?」
「まずお宅がISO14001認証が絶対に必要なのか、相当のシステムがあればよいのかということを確認しなければなりません。認証が必要というならしょうがないですね。あるいはISO以外の認証でよいのかどうかも確認が必要です。ISO以外のエコアクションとかエコステージになると費用は半額以下になるでしょう。でもそれで良いかどうかは客先次第です。自己宣言というのもありますが、これも客先が認めるかどうかですね。
ともかく仕組みを作るために改めてお金をかけてすることはなさそうです。それよりもなによりも、瀬尾さんがご心配の会社の仕組みを変えてしまうこともなさそうです。必要なのは最低限の文書化でしょうけど、それは今後もっと御社の文書とか帳票とかを見ないとなんともいえません。場合によってはほとんど何もしなくてもよいかもしれません。」
「山田さん、時間的なことと、費用的なことが心配ですが、どんなものでしょうかね?」
「今即答はできませんが、200万とか300万かかるはずはありませんよ」
そう応えて、山田は腕組みをした。
コンサルの立場で考えれば、認証に向けて最小の手間ひまでいくというアプローチは確かにゼニになりそうがない。しかしあるべき姿はこの会社にとって必要十分な仕組みであればよいということであり、それを審査の際に説明して納得させればよいというだけだ。
今は会社が特段忙しいというわけでもなく、会社帰りにお手伝いくらいはできるだろう。瀬尾さんからコンサル料などをもらわないなら会社に断ることもない。
実質的にミニマムEMSが存在しているなら、それを文書化するお手伝いも面白いかと思った。

なんだか、私の身の上話のようになってしまった。もちろんすべてが事実ではない。
私が15年前までは田舎の公民館の囲碁クラブとか碁会所に入り浸りであったことは事実で、そんなところで、こんな風に非営利コンサルを頼まれたことは何度もある。そして将棋には才能がないのも事実である。もっとも囲碁の才能もあったとは思えない。家内の弟に囲碁を教えたら、そいつにアットいうまに追い越され、負けず嫌いな私は囲碁を止めてしまった。
しかし事実と違うこともたくさんある。まず私は営業という仕事をしたことがない。ゴルフについては、わざわざ地方都市まで出かけて行って、レッスンプロに習ったことがある。その翌日、体中が痛くて整形外科に行く羽目になり、それ以降クラブを握ったことはない。

本日の悩み
さて、これからどのように話をまとめていくのか・・・見当もつかない




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