審査の信頼性 11.03.05

私はうそは書かない。嘘とか想像を書くには頭を使わなければならないが、事実を書くことは頭を使わなくてすむ。まあもちろん、固有名詞は書かないし、会社とか個人が特定されないように若干ぼかしてはいるが、

私は企業側で過去20年間ISO審査に関わってきた。そしてアホな指摘、間違った規格解釈、倫理観の欠如した審査員どもと戦ってきたのであるが、第一線を離れた今はあまりそういうドロドロと関わらなくなったこともあり、もう少し大局的というかISO認証制度はどうあるべきかというようなことを考えるようになった。そしていろいろな方に会う機会があるたびにそういうことについてご意見を賜っている。私は少し・・大いに・・自信過剰なところはあるが、三人寄ればというように、みなさんは私が思いも寄らないような視点とか視座でもってISO認証とか認証制度をみていて、とてもためになる意見とか、考えてもみなかったようなアイデアに出会うことがある。

最近のこと、埋立地にある従業員が200名ちょっとの中企業に行ったときのことである。その工場はISO認証して既に十年近く経過している。仕事が一段落した時、生産部門の責任者でISO14001とISO9001の管理責任者をしている人と雑談をした。
いつものことであるが、私はいろいろな方がISO認証の信頼性についてどのように感じているかを知りたくてたまらない。そういったところから水を向けた。
ところで、名前がないと話がしにくい。頭文字をとってNさんと呼ぶことにしよう。

「Nさん、世間じゃISOの信頼性が低下しているっていわれていますが、Nさんはどう感じてますか?」
「うん、私も最近というか、年が経つほど信頼性が低下してきていると感じていますね」
おお、この方も信頼性が低下していると思っているんだ。JABが信頼性低下っていっているのは事実なのだろうか?
しかし勘違いは既に始まっていたのである。
「ほう、Nさん、どうしてそうお思いになるのですか?」
「まあいろいろありますが、ひとつには私たち自身が向上してきたというと笑われるかもしれませんが、ISOの知識も増えてきたし、管理レベルも上がってきたことがありますね」
はあ?なんか話がおかしいぞ・・・
../2010/fac1.gif 「ホウ具体的にはどのようなことでしょうか?」
「率直に言えば信頼性というより、権威が低下しているというべきでしょうか。審査員の専門能力が低い。特に環境の法律を知らない。審査員によって審査手法にばらつきがあり、適切な監査を行っている審査員もいるけれど、そうでない審査員も多いように感じている。ともかく審査そのものがいい加減になっていると感じるし、審査員のレベルが落ちている。
特に遵法確認がいいかげんですね。というか法律をわからないんじゃないかね。私のところでは排水基準違反とか事故隠しなんてはしてません。でも届出が期限までにしていなかったとか、産業廃棄物管理票の届けは去年はやらずしまいでした。それを見てもなんともいいませんでしたね。
前年の審査では『不適合の是正処置がルール通り行なっていない』という不適合がありましたが、その是正確認もいい加減でした。そんなわけで信用できないとまではいいませんが、信頼性低下はひどいと感じてます。問題は審査員のばらつき、質の低下でしょうね。」
Nさんは、認証の信頼性低下という言葉を聞いて、審査員の信頼性というか、審査の信頼性が低下してきたかという意味に理解したのだ。要するに彼の頭にはISO認証した企業の信頼性低下と言う言葉はないようだ。
「まあそんなわけで、以前に比べて審査が重大なイベントと感じなくなりましたね。
毎回審査のはじめは、環境側面の特定方法、著しい環境側面の決定方法をチェックすることなんですよ、呆れますよね。はじめて認証するときの審査ならわかります。当社では認証して10年ですよ、十年。常識のある人なら著しい環境側面の決定方法を見直しましたかと質問しても、どのようにして決定していますかとは聞かんでしょう。」
私がぼんやり考えているのに気がつかず、Nさんはとうとうとしゃべり続ける。
「審査では規定があるか? 記録があるか?ということがメインですよね。私たちがよそ様の工場に行ったら何を見ますか? そんなときやはり安全とか事故が起きたらどうなるのかというようなことを気にするでしょう。記録が整っているかとか、スキルマップが工場の壁にはってあれば管理がすばらしいとは思いません。ちょっと考えれば現場の長が部下の力量を頭に入れてないなら、毎日の管理監督ができないのは間違いありません。
ISO審査ではそういう現実を見ないというか、見ないようにしているとしか思えません。だから指摘も現物に対するものは皆無で、文書とか記録とか、記録の保管期限が短いなんてことしかないんですよ。実態をみないから現実に合わない、だから信頼性が低下しているんでしょうねえ」
NさんはISO審査の信頼性が大いに低下していると感じているのだが、その信頼性とはJABがいうように世間が認証している企業が不祥事を起こすから信頼できないということではなく、毎年の審査で大枚をはたいて審査をしてもらっているのに、その甲斐がないということを意味しているのだ。
「Nさん、虚偽の説明ということをお聞きしたかもしれませんが、そんな事例ってありますか?」
「虚偽の説明ですか? 聞いたことありませんが、審査で審査員がウソをつくことなんでしょうか? 審査員が話していることが、うそかどうか私にはわかりません。」
Nさんは虚偽の説明という言葉を聞いたことがないのは間違いない。
「認証してよかったこととかありましたか?」
「当社の場合ISO認証するきっかけは、やはり取引先からISO認証を要請されたためです。ISO認証すれば行政も並みの管理をしていると認識するようです。これも感じですがね。実際には手続きが楽になることもないし、工場立ち入りが減るわけでもないし、メリットといえるものはありません。
社内的には教育とか有資格者の育成なんてことは元からしていたし、法律を守るためにはしなくちゃなりませんしね。ただ頭の中にあっただけというものも確かにあります。それを計画表とか書き物にしたということはあります。それが成果といえるのかというと、それもまたなんともいえません。だって先ほど言ったようにそんなこと頭に入っていない管理者は管理者が務まりませんから。」
少し私も口をはさまないと居眠りしているように思われる。
「Nさん、そうするとISO認証というのは無駄ということでしょうか?」
「うーん、そう言っては言いすぎでしょうね。会社の管理が暗黙知といえば上品だけど、公明正大でないことはやはり良くないと思う。そういう意味である程度の仕組みとか手順を明文化することは従業員にとってもやりやすい条件となるでしょう。ただISOって一定条件になった企業にとってはそれ以上に向上させることが難しいのではないかな」
「Nさん、ISO14001はマネジメントシステムを継続的改善するとありますよね。会社の仕組みを改善することは終わりはないのではないですか?」
「おっしゃるとおりです。でもそれはISO審査によって実現できるものではありません。理屈から言ってISO審査は適合性審査ですから、アドバイスはしませんし、問題を解決してはくれません。改善したり問題を解決するのは会社自身です。だからISO規格は立派だろうと思いますし、ISO規格が間違っていると感じたことはありませんよ。ただ毎年この小さな会社でも何十万も払って審査を受けているわけですが、その見返りというか効果はないと思います。そのお金を設備投資とか教育に振り向ければもっと効果があるのではないですかね」
「Nさん、ということは認証して一定年月経過すれば認証を止めてもいいということですか?」
「そうですねえ、会社によっては異なるでしょう。当社の場合、はじめはお客様から../iso.gif認証してほしいといわれたわけですが、お客様の会社は今でも認証しないところからも購入しているわけですし、認証した私どもが優遇されているわけでもありません。ただ周りの工場に聞くと認証していないと取引できないケースもあるとのことです。そういう場合は、ISO認証は税金と思ってするしかありません。」
「Nさん、ISO認証の信頼性をあげることはできるのでしょうか?」
「審査員の力量向上と審査を形式的なものではなく、現実・実態に合ったものとすることでしょうか。でも、最終的には飽和してしまうかもしれませんね。審査によって付加価値というのかどうかわかりませんが、企業に何を与えるのかということが信頼性でしょう。そんなことができる審査員がいるとは思えません。
10年前、私がまだ製造課長だったときはじめて審査を受けました。そのとき審査員は規格も知っているし、工場の管理に詳しいと思いました。それは真実だったと思います。しかし我々も勉強して向上しています。ISO規格など一回覚えればおしまいです。工場の管理も生産性向上とかジャストインタイム生産とか取引先からも指導されてます。というより強制ですかね。
ISO認証というのは低いレベルの企業をあるレベルまで引き上げるけど、一定レベルの企業をそれより向上させることはできないのではないですか? なんと言えばよいのかな、ISOで開発管理を改善できても、すばらしい製品を開発することはできないのですよ」
「NさんはISO認証の将来をどうお考えなんでしょうか?」
「認証が必要な企業は安い認証機関に移り、認証が不要な企業は認証を止めるということでしょうか。当社も実は検討中です。一応、取引先にお伺いしないとなりませんが」

文中、私が話しかけるとき相手の名前を呼ぶことはせりふを誰が話しているかを示すためではない。私は実際になるべき相手のお名前を呼ぶようにしている。そうすることによって、相手が好感を持つだろうと思うことがひとつであり、もうひとつは名刺交換しても30分もすると相手が製造部長であることは覚えていても、お名前を失念してしまうことが多いからだ。
誰だって「課長さん」と呼ばれるよりも「安藤課長」とか「遠藤さん」と呼ばれるほうを好む・・と思う。


名古屋鶏様からお便りを頂きました(11.03.06)
一票。
Nさんのご意見に全面的に同意です。
審査員の力量が「確実」にならないのないなら、「その他の処置」を採るしかありません。
日経がワケのわからんランキングを出して「ISO認証=環境によい」としていますが、そのうちに「名を捨てて実をとる」ことになるでしょうね。

名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。
一寸の虫にも五分の魂といいまして、力量のない審査員にも言い分はございましょう。あるいは、そういうのがその認証機関の決まりなのかもしれません。
しかし、あちこちの会社でお話をお聞きすると、想像もつかないようないろいろなケースがあるのに驚かされます。
勉強になるといいますか、呆れるといいますか・・・
ところで日経のわけのわからないランキングってなんですか?
心当たりがありませんが・・


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