さらばライバルよ 11.04.24

最近、人づてにM審査員が引退したと聞いた。そうか、Mさんも引退したか・・・しばし沈思黙考である。
思い返せば、Mさんとは戦いの連続であった・・なんていうと嘘です 
Mさんとの出会いは1997年だった。私がISO9001からISO14001に仕事が変わって、はじめて審査を受けた時のことである。まだISO14001が出たばかりの頃で、私は規格を徹底的に読んで、ISO9001と同様に対応していた。当時私はISO14001については詳しくなかったが、ISO9001については詳しいつもりだった。
私は表も裏もない、ここに書いている通りの人間でありまして、ISO審査も自然体、ウソをつく気もなければ、飾る気もなく、会社に貢献しない余計な仕事、不要な文書、むだな記録を作るなど、ひとつとしてやる気もありません。
環境方針は会社の方針、環境目的は○○年度目標(会社によってはさまざまな呼び方があるだろう)、環境実施計画は投資計画と開発計画、とまあそんなふうに考えて、さあ新婚さんじゃなかった審査員さんいらっしゃいと待っておりました。
やってきたのはM審査員が率いるお三人の審査員団、当時はまだ審査員もISO規格を知らなかった時代です。おっと今でもISO規格を知らない審査員は多いようです。
私は知っているのかって? 寝言は寝て言え。
そんなわけで審査ははじめから、暗礁に乗り上げ、氷山にぶつかり、強風にもまれ、難関また難関、いったい何巻まで続くのかと心配になりました。
暗礁に乗り上げながら氷山にぶつかることがあるのか?と言われるとちょっとひるみますが、ありえないことではないように思います。
ところで、いつまで続くぬかるみぞといっても永遠に続くものはなく、「のだめカンタビーレ」は23巻で終了。もっとも「こちら葛飾区亀有公園前派出所」はいまだ連載中で30年も続いています。それほど審査が続いたらさすがの私も倒れてしまうだろう。
おっと、審査の最中にマンガなど読んでいる暇はありません。私とMさんはISO規格解釈がもう180度違うのです。つまりどちらかが正しく、他方が間違っていることは火を見るより明らか・・私が間違っているつもりはありません。
まず環境目的の実施計画と環境計画の実施計画が必要なのだそうだ。私はそれまでそのようなことを考えたこともなかった。だってISO規格に書いてないんですもん(カマトト風味)
それから方針はカードに印刷して配らないといけないらしい。きっとM審査員は印刷会社の回し者に違いない。
Mさんは「・・・じゃない?」というのが口癖でした。
もちろん、その意味は「・・・しろ」ということなのです。
私はそれまでISO9001やISO9002を日本国内と海外で何度も認証のための活動をしており、複数の国籍の複数の審査機関の多数の審査員による審査を受けていた。彼らに方針カードを配れなんて言われたことは一度もなかった。もちろん言われても配る気もなかったけど。
Mさんとの出会いは、新鮮な驚きであった。これは120%皮肉であり、私は怒り狂ったのである。
ところがそのときの上司が意気地なしで、審査員さんの顔を立てて従いなさいと言う。呆れたが私はサラリーマンだ。おバカな上司のおかげで、勤め先の会社の足を引っ張るくだらない指摘を了解したのである。
しかし私の怒りは収まらない。審査が終わってからISO-TC委員のメールアドレスを調べて環境実施計画には目的用と目標用が必要なのかと問合せした。まさか返事が来るとは思っていなかったが、数日後メールが来た。そして「そのようなことはありません。実施計画はひとつあればよいです」とある。
よしやったぞ!と思いましたね。もっともISO-TC委員のメールには力添えしようなんてことは一切書いてなかった。冷たいね、あんたが国際会議に行く費用は税金から出ているような気がするが・・とまでは、そのときは気が回らなかった。

時の経つのは速いもの、あっというまに翌年のサーベーランスになりました。私は再びあいまみえたM審査員に、目的の実施計画と目標の実施計画はいらない、ISO-TC委員にも問い合わせたと説明した。
するとMさん、にっこり笑って「そういうことはありません。私が言うのですからふたつ必要です」という。きっとISO-TC委員よりISO規格に詳しいのだろう。
そのときもアホ上司がもう止めろというので追求はしなかった。
もうその翌年はあきらめましたね。そのときは別の審査員が来ましたが、私はもうどうでも良かった。ISOがくだらない茶番だと思いましたので。
そして、その次の年には私はその職場にはいなかった。

../iso.gifそれからだいぶたって2004年頃でしょうか、私は新しい勤め先で働いておりましたが、ちょっとした縁があった会社から声がかかり、無償ボランティアでISO14001認証を手伝うことになりました。要するにおせっかいで、オッチョコチョイで、いいように使われているというのが私のキャラクターなのでしょう。この会社では指導した期間が1ヵ月半という短期間でした。もちろんもともとのベースがあったからですが、今でも私の認証までの最短記録です。
さて審査当日となって現れたのがあのMさんですよ・・
私も一瞬ギョとなりましたね。もっとも先方は私に気がつかなかったようです。知らん振りしていたのかと思いましたが、その後のいきさつから、私のことを忘れていた事は間違いありません。
審査員にとって、田舎の工場のISO窓口担当者の顔と名前など覚えることなどないのでしょう。
さて、私はもちろん信念の人ですから、環境実施計画などふたつ作るような無駄は指導しません。ひとつありゃ十分です。
そしてもちろん、審査はチャンチャンバラバラ、最終的には、今回は初回審査なので次回までに直しておかないと重大な不適合だなんて不遜な言葉を残していきました。あんな憎まれ口を叩くようじゃ、どうみてもいい死に方はしないでしょうね

さて、いくら無償のボランティアといっても、私も責任を感じました。その会社の管理責任者と話し合ったのですが、その方は私の話を聞いて、絶対に引き下がらないといいました。
さあ、全面戦争だ。
その場で、不肖おばQは作戦参謀に任命されたのであります。
私は他の認証機関の知り合いの取締役に相談したり、以前とは別のISO-TC委員にメールで問合せするなど、裏をとりましてその証拠を持参して管理責任者と共にその認証機関に乗り込みました。先方にはM審査員ご本人だけでなく規格に詳しい方と、責任者が出ろといってあります。
楽しいなあ、本当です。
相手もなかなか妥協しませんでしたが、それじゃISO-TC委員に問い合わせてくださいと言いますと、とたんに先方の上司がわかりましたという。そんならもっと早くからわかってほしいものだ。
それで目的の実施計画と目標の実施計画はいらないことになった。そのほか二三問題があったのだが、すべて取り下げると言う。Mさんもその場にいて、その解釈を了解しましたと言う。
そのとき、私はMさんに何年も前に別の会社でMさんの審査を受け、同じことで議論になったこと、そしてMさんがISO-TC委員の話も拒否したことなどを話した。彼は黙って聞いていたが、どんな思いだったのだろう。
もちろんその話はその場にいた先方の上司も聞いていたのだ。

二段階審査には私は顔を出しませんでしたが、問題なくいったようでした。
実をいってM審査員と顔を合わせたのはそれでおわりです。
それから二年か三年して、また別の会社から「審査でちょっと困っているんだよ」という話を聞きました。「どんなことですか?」というと、目的の環境実施計画と目標の環境実施計画が必要だと言われた、その会社では実施計画がひとつしかないから不適合だといわれたと言う。認証して既に数年も経過していて、今まで問題にならなかったのに困ったことだという。
「審査員はなんていう人なの?」と聞きました。私はアホ審査員のブラックリストを作っているのです。
2010年の法改正で特管産廃排出者の帳簿は不要となりましたが、悪代官ならぬアホ審査員の帳簿は決して不要になりません。
「Mさんという方です」
おお!あのMさんか、今も元気にうそを語っているんだとある意味、感動しましたね。
私に論駁されて非を認めたのに、なぜそれ以降も誤った見解で審査をしているのか、なにかお考えがあるのでしょうか? それとも単に学習能力がなく、○○の一つ覚えなのでしょうか?
私は相談に来た方に、私のMさんとのいきさつを話して、どうするかはあなたが判断することですよといいました。支援するなんて気はしませんでしたね。私もあまり抗争は好きじゃないんです。
あ、私もあのISO-TC委員と同じように冷たいんだ 
人は一人で生きていかなくてはならない。他人におすがりしてはいけないのだ。
それからどうなったのか、その後その方とはよく会いますがその後のことを聞いたことはありません。

あれから更に年月が流れ、とうとうMさんも年貢の納め時か。
いやいや、めでたくハッピーリタイアメントされたのでしょう。今まであんな審査をしてきて、イチャモンも、異議申し立てもくらわずにこれたなら、そりゃハッピーといえるだろう。
論語に、「人の生くるや直し。之をなくして生くるや、幸いにして免るるなり」というのがある。
私は意味が分からないが、先生が語るには「人は生まれながら素直に生まれついている。あえて曲がった生き方をしていて無事に過ごせたらそれは単に幸運だったのだ」という意味だそうです。
Mさんは悪運が強いに違いない。
個人的な願望だが、存命中にその悪運を断ち切ってやりたいものだ。
いや、個人的な恨みを晴らすだけでなく、日本中のISO担当者に代わり、日本のISOを悪くした悪人を裁きたい。
ああいった審査員が日本のISOを悪くして、信頼性を低下させたんだろうなあと思います。
どうぞやすらかに・・・いやまだご存命だ、たぶん70歳にもなっていないだろう。
せめて引退したならば、回顧録を書こうとか、私は会社を良くするISO審査してきたとか、審査を受けた会社から絶大な支持を受けていた、なんて寝言を語らないでほしい。
O審査員と言う方がいた。この方は今は完全に引退して雑誌に寄稿などもしていない。しかし数年前に審査員を引退してから少し前までは雑誌になんどか記事を書いていた。そして、私が現役審査員のときはすばらしい審査をしていた。後輩を育成していた。規格はこう読むのだなんて書いていた。
ゼーンブ うそ
彼の審査は思い込み、誤った規格解釈であった。それは私自身が確認している。そして審査を受けた会社の評判はあまり芳しくなかった。
彼の指導(?)を受けた審査員たちも「ああ、Oさんね」という言葉にすべてが凝縮されている。
Oさん、どうぞやすらかに・・・いやまだご存命だ
ともあれ、Mさんが引退したことは、世の中にとって良かったと思う。私は礼儀正しくもなく、奥ゆかしくもないのだ。

そういえば、H審査員も引退したとか聞いた。
古い話ではない、2年くらい前だろうか、私がやはり知り合いの別の会社からISO14001認証するから助けてくれと言われて、これまたホイホイといって指導していた。この会社は担当者がやる気がなくて、ボランティアコンサルの私も嫌気がさした。なんと指導した期間は1年近くにわたった。
やってきた審査員はHさんだった。審査は冒頭からかみ合わない。HさんはISO規格など全然理解しておらず、もう前世紀の遺物という感じである。いや前世紀どころか、ジュラ紀の恐竜だろう。
審査では驚くべき・・呆れるべきと言うべきか・・不適合がゴロゴロとたくさん出された。
まず冒頭に、環境方針に製品名が記載されていないから不適合だと言う。次に汚染の予防という言葉がないから不適合だと言う。更に枠組みという言葉がないから不適合だと言う。すべての人に周知すると記載されていないから不適合だと言う。
いやはや、「4.2環境方針」だけで、不適合を4件もいただいてしまった。正直言ってこれは私にとってもはじめての体験だった。4倍マンなら涙が出るほどうれしいが、バンカーで4つも叩いたら涙が出る。不適合が4つだと怒り狂う。
その後、私はその会社には断りなしに認証機関に怒鳴り込んだ。
H審査員の上司は私に怖れをなしたのだろうか? いきさつは知らないが、その後、指導していた会社から次の審査ではあの問題はでませんでしたという話があった。

しかしあんな審査報告書を書いていたHさんがよくも主任審査員になり、仕事が務まったものだ。いや、仕事が勤まったはずがない。あんな、いい加減な審査がどうして社内や判定委員会で見逃されていたのだろうか。Hさんを審査員に雇っていた認証機関も有罪だよ。認定を取り消されてもおかしくないし、つぶれてもおかしくない。いや、つぶれるべきだったのではないだろうか。残念ながらその認証機関は、今もつぶれず営業をしている。評判はあまりよろしくないようだが。

CEARで調べたら、MさんもHさんもまだ主任審査員登録をしている。ひょっとしたら本当は引退していないのだろうか? あるいはカムバックするつもりなのだろうか?
いやな胸騒ぎがする。
その後、お歴々のCEAR登録状況を調べたら、M審査員とO審査員のお名前は登録されていなかった。しかしH審査員はまだ主任審査員として登録されている。悪事を働かなければよいが・・・
2012.05.06時点

おことわり
私がすべての審査員に敵愾心をもっているわけではない。なにしろ私が過去20年間に相対した審査員は膨大な数になる。尊敬する審査員も何人もいる(正直言って多くはない)
L社のHさんを私は師と仰ぎ、なにかあれば教えを乞うている。もっとも彼のご宣託で「そんな問題があるならウチに変えなさい」というのにはいつも困る。

本日の質問
さらばラバウルよと読んだ方はいらっしゃらないだろうね?
もっとも今じゃラバウルを知っている人はいないか・・・
../zero1.gif ../zero.gif
こんな絵を描いているとすぐに1時間くらいかかってしまいます。アホな私・・


ダストコマンダー様からお便りを頂きました(11.04.25)
お世話になります。 ダストコマンダーです。
ライバルのお話を読ませていただきました。
誠にもっともだと思うのですが、そうでない反応の方もおられるのですよね。
曰く、ネガティブだと。

なぜ審査員に反論するのか?
「指摘が少ないほうが良い」からではないですよね。
「誤った指摘に対する是正処置そのものが余計な業務負担だし、それによりMSの仕組みを代えるとしたら、永久に余計な仕事を増やすことになる」からですよね。
ごくまじめに組織の業務を行っていれば、誰でもそれはまずいと感じるはずですが、審査の権威?に恐れをなして遠慮してしまうのでしょう。
でも遠慮ではなく、本当にその点が分からない方もおられるようですね。
そういう方は、
「組織全体のMSの中に14001ならその要求事項を満たす要素・証拠を収集するのが審査である」という基本中の基本が理解されていないのでしょう。
そうではなく
「要求事項別に決まり切った事例だけが記憶されており、それにあてはまらないものは不適合にする」
というトランプの神経衰弱のようなことをしている審査員がいまだにいるのですね。
要求事項に肉付けをしていくのがMSであるとの世にも恐ろしい破壊的誤解ですね。
一度言われた通りにして、業務負荷増大を金銭換算して、偽計業務妨害で告訴してみればいいと思います。

ダストコマンダー様 毎度ありがとうございます。
雑誌などに審査員が書いているのを読むと、己が正義、私は物知り、企業の無知蒙昧なやからを指導してくれるわ!というものが多いですね。
あんなのを読んで同感と思うなら、鈍感です。
企業と審査員は対等、規格適合か否かを双方が協議するだけのことと認識しています。
おっと、私は審査を通じて企業を良くするなんて意図はまったく、これっぽっちも持っておりません。だって審査員にそんなことができるとは思ってませんから。


ダストコマンダー様からお便りを頂きました(11.05.09)
おばQ様
ダストコマンダーです。
審査員氏の短時間かつ年に一度の訪問で企業が良くなるなら経営コンサルは不要ですね。
要求事項に対しても、その企業の事業の性質や指向性に応じてそれを充たす程度があるところは深かったり、違うところは浅かったりして当然のはずです。
ところが、平板にしか見られない方は、ココは不十分ですなどとおっしゃいます。
百害あって一利なしですね。

ダストコマンダー様 毎度ありがとうございます。
審査員氏の短時間かつ年に一度の訪問で企業が良くなるなら経営コンサルは不要ですね。
おっしゃるとおりです。しかしそう言い切っては認証とは何か? 認証ビジネスの意義は何か? というとんでもない大問題に突き当たってしまいます。
実はそれは現実の問題なのですが、誰もがそれを問わず、見えない振りをして枝葉末節の議論をしているのではないかという気がいたします。
でもね、ちょっと考えれば 審査員氏の短時間かつ年に一度の訪問で企業が良くなるなら 社長の苦労も、従業員の苦労もいりませんよ。
そんなことがありえると偽ることさえありえないような気がします。


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