信頼性の主体と対象

11.05.14
ISO認証制度の信頼性が低下したとかしないとかを論じる前に、いったい認証の信頼性とは「誰が何に対してもつもの」をいうのだろう? 定義といえば大げさだが、これを明確にして語ったものを見たことがない。経産省が認証制度の信頼性が向上していないから、しっかりせよとガイドラインを出しているが、そこで語っている信頼性が「誰が何に対しての信頼性」かは、謎である。それに対して、../2009/fuji.gifJAB(日本適合性認定協会)が信頼性を向上させると語っているが、これも「誰が何に対しての信頼性」かは、定かではない。

はたして問題を明確にせずに、原因を突き止めずに、是正処置ができるのかという問に対しては、不可能ですと応えるしかない。だって是正処置とは「望ましくない状況の原因を除去する処置」(ISO9000:2005 3.6.5)であり、原因を明示しなければ対策が原因を除去できることを説明できるはずがない。
ISOの元締めがそんないい加減なことでよいのか?という気もしないではないが、まあ、その程度だからISOの信頼性は向上しないのであろう。とそう言っては、私も信頼性の主体と対象を明確にしていないわけで、安易にそのような言い回しをしてはいけないことはいうまでもない。
先立つものは金ということわざがあるように、議論に先立っては主要な言葉について定義が必要だ。なにしろISO規格でもJIS規格でも、そしてもちろん法律でも、冒頭には必ず定義という章というか条項がある。あいまいを敵にしては神々の戦いも空しく(アイザック・アジモフの小説のタイトル)、ISO認証制度向上のアクションプランにおいては成果を出せるはずがない。
では本日はこれについて考えよう。

前回も語ったが、「信頼する」とは自動詞ではなく他動詞だから、主体と対象が必要だ。
当たり前だが、主体とは信頼するものであり、対象とは信頼されるものである。主体の対語は対象ではなく客体であるという意見もあるかもしれないが、正直言って私はそれらの語義が良くわからない。だからこの駄文では主体と対象という言葉を使う。
第三者認証制度のステークホルダーは多様であり、そのすべてが主体となりうるし、またその多くが対象となりうる。
人により考え方により、またくくりを大きくするか細かくするかによって、多様なステークホルダーが考えられるだろうが、とりあえず一例として下表の関係を示す。

経済産業省
産業技術環境局
日本工業標準調査会
認定機関(JAB・UKAS・・)
認定機関の幹部
認定審査員
認証機関
認証機関の幹部
認証審査員(いわゆる審査員)
審査員研修機関連絡協議会(JATA)第三者認証制度日本マネジメントシステム
認証機関協議会(JACB)
審査員研修機関審査員登録機関
JRCA・IRCA・CEARその他
経団連
各種業界団体
国際認定機関フォーラム(IAF)
ISOコンサルタント
ISO認証代行業
内部監査員教育業
内部監査員検定(今でもあるのか?)
ISO関連雑誌・書籍
日本規格協会
アイソス誌、日経BP社
機関投資家
個人投資家
近隣住民
所在地の自治体
認証を受ける企業・団体認証を活用する企業・団体
入札に認証を盛り込んだ行政
一般市民
消費者団体
消費者個人

第三者認証制度を取り巻く多様なステークホルダーがあることをご理解いただけるだろう。ステークホルダーというとかっこいいが、簡単に言えば利害関係者であり、第三者認証制度で食っている人と、お金を払っている人ということでもある。一般消費者はお金を払っていないと言われるかもしれないが、認証を受ける企業が払っている審査費用は、回りまわって消費者が負担しているわけであり、企業が認証を受けているということは消費者が審査を受ける費用を製品の値段に上積みすることを容認していると考えていることなのだ。

さて認証の信頼性の主体となるのは、認証を受けた企業から購入する企業がまず考えられる。そのほかにその企業から購入する消費者、株や債権を購入しようとする投資家、環境の場合は近隣住民などもあるだろう。認証機関もそこに所属する審査員や経営者も主体となりうることはもちろんである。
対象となる主たるものとしては、認証機関も認証を受けた企業も考えられる。そのほかに第三者認証制度そのものもありえる。こまかく分ければ審査員もあるだろうし、認証機関も、認定機関も、そしてもちろん総体としての認証制度がある。
しかし、まさか一般市民や消費者が第三者認証制度の信頼の対象にはならないだろう。それは消費者は認証を使う立場であり認証に使われる立場では決してないからだと私は考える。
またコンサルタントも対象にはならないように思う。それは認証制度を取り巻くステークホルダーではあるが、認証制度を構成する要素ではないからだ。ステークホルダーはたくさんあるが、認証制度は認定機関、審査員を含めた認証機関、認証を受ける組織、認証を利用する企業と一般市民が必須要素である。いや、認定を受けない認証機関もあるから認定機関は不要かもしれない。そして、そもそも認証制度は BtoB からはじまったのだから一般市民も必須要素ではないかもしれない。とすると、一般市民あるいは消費者団体が「認証の信頼性が低下している」なんて語るには当事者能力を欠くような気もする。

ここで飯塚説について考えてみる。
飯塚理論では認証制度の目的はふたつあり、

ISO9000=ISO9001QMSモデル+QMS認証制度

と語っている。これが本当なら(本当でない可能性は高いが)、前者においては信頼の主体は認証を受ける組織で対象は認証機関(あるいは認証制度)ということになり、後者においては信頼の主体は認証を活用する企業と一般市民であり対象は・・どうなるのだろうかということは吟味しなければならない。単純に認証を受けた組織ではないことはいうまでもない。認証機関なのか? 認証制度なのか? はたまた??
飯塚理論を突き詰めると、第三者認証制度の存在意義を考えることになり、信頼性よりもさかのぼる必要がある。とりあえず、そのテーマは温存しておき、本日の議論は信頼性の主体と対象にとどめよう。

上記をまとめると主体と対象は次のような組み合わせが考えられる。もちろんこれ以外の組み合わせもあるだろうし、区分けを大きくしたり細かくすることにより、詳細あるいは概観的な検討もできるだろう。

  1. 一般消費者 → 認証制度 and/or 認証機関
    まさか!ありえないというのが私の見解である。
    我が同志、ぶらっくたいがぁ氏の言葉であるが、「街頭に立って道行く人に『ISOをご存知ですか?』と聞けば100人中90人は知らないだろう」というのがある。細かいことを言えば100人中90人なのか、80人なのかは議論の余地はあるが、その意味するところは間違いない事実だと私は考える。
    私の職場は環境管理部門であり、メンバー全員がISOとか認証制度については世の中の水準以上に知っているし、そのうちの数人はISO14001審査員補に登録している。そのメンバーに「ものを買うときにISO認証を気にするか?」と聞いてみたら、全員が「そんなことを気にするわけがない」という回答であった。
    家電品であろうと家具であろうと食料品であろうと、安いものを探して買うのは当然で、品質が悪ければ苦情をいうのも当然である。品質が良くて安いことが今の常識だ。
    そのとき、ISO認証している会社の製品と、認証していない会社の製品に要求する水準が異なることはありえない。いまどき不良品をつかまされたり、期待した性能を発揮しない場合に、泣き寝入りする消費者がいるはずがない。即サービス窓口に製品交換あるいは返品などの処置を要求するだろう。そしてメーカーの顧客窓口の対応が悪ければまさか弁護士を立てて訴訟まではしないだろうが、消費者センター(今後は消費者庁に統合されるらしい)に持ち込むのは消費者の当然の行為である。裁判よりADR(裁判外紛争解決手続)の方が簡単で使い勝手が良い。
    クレーム(claim)とは苦情とかイチャモンではない。
    英英辞典を引くといろいろあるが、to officially ask for something as a right 要するに権利に基づく請求である。
    すみませんがとか、なんとか便宜を図ってくれませんか、ということではなく、これには金は払えないよということに過ぎない。
    要するに消費者はISO認証に関わらず、消費者の権利を行使するし、そこにはISO認証などが立ち入る隙はない。

  2. 消費者団体 → 認証制度 and/or 認証機関
    これも絶対にありえない。公害データ改ざんなどの不祥事があると、消費者団体のスポークスマンあるいはスポークスウーマンは「裏切られた」と金切り声をあげるが、そもそも彼らは所属する会員に、あるいは一般社会に対してISO認証を活用しましょうと語っていたのか?と問えば、そのような事実はない。裏切られたということは事実ではないのである。
    国語のお勉強であるが、「裏切る」というのは、「信頼に対して故意に応えないこと」をいうのであって、そもそもはじめから信頼されていないときに、故意であろうと過失であろうと、間違いや違反を犯しても、その行為を非難することはあっても、裏切られたという言葉を使ってはいけないことは日本語の言葉の使い方としては当たり前だろう。
    消費者団体が不祥事発覚時に大声で「裏切られた」とわめくためには、普段から認証している企業を信頼していると表明していなければならない。しかしそのときの信頼とは何を信頼するのだろうか? 製品品質であれば、認証制度は品質を保証するものではなく、マネジメントシステムの適合性を保証するのであるから、論理的につながらない。信頼するものが品質マネジメントシステムであるとするならば、はたして1個しか購入しない場合で全数良品を要求するとき品質保証という概念が意味を持つのだろうか?
    では次の項を続けて読んでほしい。

  3. 認証を活用する企業 → 第三者認証制度
    認証を活用する企業 → 第三者認証を受けた企業

    企業が物を買う時に、第三者認証を活用するということには意味がある。
    なぜだろうか?
    それは企業は品質保証協定あるいは受入検査基準を決めて物を買うからである。受入検査して合格ならば受け入れるとするには、相手の生産体制が安定しているか品質システムが大丈夫かという一抹の不安があろうが、そこをカバーするのが第三者認証制度なのである。そしてそれは受入検査と常に二人三脚でなければならない。なぜなら、第三者審査においては、製品仕様、品質を確認しないから相互補完なのである。
    そう考えると認証制度は、不特定多数の顧客への市販品に対するというより、BtoBの取引にぴったりの仕組みであるということがわかる。というか、そもそもがISO認証とは製造者と特定の顧客(大口顧客やアッセンブリーメーカー)の二者間の取引における品質保証基準であったから当然なのである。
    だが、その目的のためには現行のISO9001:2008が適しているかといえば、不適だろうと私は思う。ISOで定義する品質保証を要求するには現行の規格はアイマイモコで使い物にならない。せめて1987年版であれば今よりも品質保証を確実にできるだろうと私は考えている。
    みなさんもそう思いませんか?
    しかしここで重大な疑問がある。
    はたして信頼は「認証を活用する企業 → 第三者認証制度」なのだろうか?
     それとも「認証を活用する企業 → 第三者認証を受けた企業」なのであろうか?

  4. 認証を受けた企業 → 認証制度
    認証を受けた企業 → 認証機関あるいは審査員

    飯塚理論によると、認証とは認証を受けた企業のマネジメントシステム改善も目的のひとつであると言う。その場合の主体は認証を受けた企業であるが、対象は認証制度なのだろうか? あるいは認証機関なのだろうか? 審査員個人なのだろうか?
    経営を良くしようとするなら、グローバルスタンダードであるISO規格そのものでは力不足もはなはだしくて困難であろうという気がする。人より抜きんでるためには規格適合の審査ではなく、規格を超えた規格適合の審査を必要とすることは明白だ。とすると信頼の対象は特定の認証機関あるいは特定の審査員個人になるのだろうか? しかし、これはもはやグローバルスタンダードの第三者認証制度とは無縁のコンサルの世界ではないだろうか?
    いやそもそもISO審査において企業のマネジメントシステムの改善を図ることが論理的に可能なのだろうか? ISO9001が2000年改定によって品質保証から品質マネジメントに成長したなどと語られたこともあるが、それは事実とは異なる。いずれにしても一定水準のマネジメントシステムを要求しているにしても、それが企業を良くする意味ではない。
    そもそも飯塚理論で言うところのこの目的はありえるのだろうか?
    大きな疑問である。

  5. 監督官庁 → 認証制度
    これもありそうがない。そもそも行政とは問題がなければ動かないというのが基本スタンスである。公害が発生したから公害防止の法律を作り、公害測定データを改ざんする人がいるから改ざんの罰則を作り、不法投棄が増えたから取締りを厳しくする、と常に現実を後追いするのが行政である。行政が積極的に何者かを信頼する、あるいは信頼性を高めるということは存在意義からしてありそうがない。
    経産省が「マネジメントシステム規格認証制度の信頼性確保のためのガイドライン」を出したのは、マスコミが騒ぎ、消費者団体がギャアーギュアー騒いだから、認証制度側に対して「国民が騒いでいるから、ちっとしっかりしてくれよ、俺たちの立場を考えてくれ」という意味でしかないように思う。
    そもそもISO業界のように規模が小さく、天下りするにもポストがなく、お金にならないマイナーなものに、信頼以前に期待もなにもしないだろう。

  6. 認証制度関係者 → 認証制度
    このケースはないとおっしゃる方が多いだろうと思う。しかし、実はこれこそが、JABや認証機関など認証制度関係者が考えている信頼性ではないのだろうかと私は考える。このときの信頼性とは、ズバリ自分たちの事業が安泰に継続できるのだろうかという不安の裏返しで、信頼性向上とは今後とも事業が継続し登録数が増えていくであろうという確信である。
    すべての組織はなんらかの目的のために設立されるが、一旦設立されれば存続することが目的となるのは古今東西の真理である。認証ビジネスを作ったからには、認証制度が存続するだけでなく成長してほしいと考えるのは、そこに所属するすべての人の願いだろう。
    そして今の状況はまさにその反対だ。ISO9001もISO14001も、その登録件数は短期的には増減はあるものの長期的には減少し続けている。ISO9001はピーク時に比べてもう15%減少している(2011.05.14現在)。
    ../9001gurafu.gif

    2010年のCEAR講演会で、日本適合性認定協会の中川は「認証件数は信頼性の指標」と語っている。語るに落ちるどころか、そのまんまである。
    サポーズ、前項で考えた「認証を受けた企業 → 認証制度あるいは認証機関」という信頼性において、認証件数の多寡は自社を良くすることと無縁であろう。
    消費者の立場での「一般消費者 → 認証制度 and/or 認証機関」という信頼性で考えると、認証件数は信頼性の指標どころか、認証件数が少ないほうが認証企業に対して信頼感が増すのではないだろうか?
    そして更に恐ろしいことに、この消費者からみた信頼性においては、すべての企業がISO認証した時点で、ISO認証は意味を失うことになってしまうのだ。
    そんなことを考えてみると、「登録数こそ我がらすべて」ではなかった、「登録件数こそ信頼性」という論理は認証制度関係者しか思いつかないことなのである。
    チョット待てよ、
    日本適合性認定協会の中川はISO14001審査員を対象とした講演会で語ったのである。ということは聞くほうも、語る方と同じ価値観でスンナリと理解されたのだろうか。私のような異質な者だけが、それを変だと感じたのだろうか?
認証の信頼性が「認証制度関係者 → 認証制度」とすると、認証の信頼性が低下しているという論は、事実であろうとなかろうと、我々一般企業で働く者、あるいは一般消費者にとってはまったく関係ないことになる。認証制度関係者が内部で大いに検討し改善に努めていただくことは、ご勝手にということにすぎない。
しかし認証制度自身の問題ならば、企業の不祥事のために信頼性が落ちたとか、虚偽の説明のためだなどと一般企業をスケープゴートにしたり、認証機関は検察ではないなどと言い訳を考えずに、自分の責任を感じて自助努力による登録件数増加のためのアクションプランを考えるべきではないだろうか?

私が駄文を書く前に筋書きと結論を決めているのかといえば、そうとも言えるし、そうでないとも言える。私は下書きなんてせずに、大まかな方向というか落としどころが頭に浮かぶとキーボードを叩いていくのであるが、文章を作っていく過程でいろいろと調べる。私だって何も見ずに思いつきだけでキーボードを叩くような、いい加減なことはしない。飯塚が何を語ったか、JABの中川はいつ語ったのか、JABの報告書の言い回しは間違いないかというようなことは、常にJABの発行物やインターネットで確認しているし、用語の定義などはISO規格やJIS規格で欠かさず確認している。
なにしろISO業界にはこまかいことを気にする人々が多いから、たとえここに突っ込みを書き込まなくても、影で私の駄文の瑕疵の棚卸しをされてはたまらない。論敵にはグウの音も出ないように、とどめを刺さねばならない。それが果し合いの礼儀というもの。
ところでネットをググったり、ISO規格あるいはJABや経産省の報告書を読み返すと、今まで気がつかなかったことも多いし、新しい情報も見つかる。その結果当初の考えが変わることも大いにある。もっとも自分の考えが変わらなければ、文章を書く甲斐もないだろう。この駄文はネットにアップすることも目的のひとつだけど、自分自身の考えを整理して具体化することが第一目的なのだ。つまりこのうそ800を書くことは私自身の勉強なのである。

本日の要請
これだけ書くのはけっこう考えなければなりません。それに時間もかかります。本日は2時間半かかりました。ですから、お読みになられた方のご意見、反論を期待しております。

本日の妄想
ここ二三週間に書いた駄文だけで、3万字くらいになる。図表を入れてまとめればA4で50枚、論文にならないだろうか?
「寝言を語るな」と聞こえたような気が・・・


おお!早速、ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(11.05.15)
たいがぁです。
JABや認証制度関係者が「信頼性を向上させる」と語る真意は、自己の保身にあることは間違いと私は考えます。
「せっかく認証機関が顧客や社会に代わって、組織の仕組みが信用に足るものでそれが有効に機能していることを認証しているのに、これだけ虚偽や隠蔽が横行するようでは面目丸つぶれどころか存在意義まで問われるじゃないか。これは認証機関が悪いんじゃなく組織の責任なんだから何とかしろ。すぐしろ。今しろ」と、まあこれがホンネでしょう。
もちろん、的外れであることはおばQ様の解説どおりなので、JABや認証制度関係者が定義を明確にすることもなく、有効なアクションプランを提示することもできないのは当たり前というものです。
更に突っ込むなら、このホンネには次の主張が控えているように思います。
「少なくとも認証側は、問題提起もしたしアクションも起こした。それでも信頼性が上がらないとすれば、これはもう完全に組織側の怠慢である。だから適合していることの証明は、審査の場においても組織自身が行わなければならないのだ。」
要するに「認証制度の信頼性が揺らいでいる」というのは、JAB及び認証制度関係者の自作自演でしょう。
だいたい、一般消費者にとって存在自体がほとんど知られていないものに社会的な信頼性など最初からあるわけないですわ。(バッサリ)

たいがぁ様 毎度ありがとうございます。
なんか、結論的には認証制度自体というか認証制度内部の問題のような気がしますね。
ただJABと認証機関(とその団体であるJACB)は一枚岩ではなく、両者の間にはあつれきといいますか意見の違いがそうとうあるように聞いております。
仮にそれが事実とすると、認証制度の問題と言うより、JAB内部の問題なのかもしれません。
ましてノンジャブといわれるJAB非認定の認証機関が伸びているということは、JABのスタンスがグローバルスタンダードと異なっているとも思われます。JAB認定の認証機関としては、グローバルでないJABのローカルな規制によって手かせ足かせをさせられて、外資系の認証機関とは競争できないという思いも強いのではないでしょうかね?
しかし、このうそ800でも、審査で審査員が挨拶もしないで無礼だとか、審査が規格に則っていないなんてところから始まって、とうとうISO第三者認証制度の根本問題を論議するようになりましたか・・遠い目
次に語るものはなくなってしまったのかな?


ダストコマンダー様からお便りを頂きました(11.05.27)
今日は「信頼性の主体と対象」についてお送りさせてください。
御説を読ませていただきましたが、誠にごもっともと思います。
それで、私もと思ったのですが、あまりにもたくさんのことが思い浮かんできまして、まとまりがつきません。
ただ一つ言えることは、もちろん私の自組織を含めて、組織がその活動において則るべき原理原則から外れないこと、もし外れてもすぐに修正出来ることが大事かと思います。
私はどんな組織でも(個人単位でも同様ですが)顧客への価値提供が出来るかどうかにその存在意義がかかっているのだと思います。
それを実現するために、意識的であれ、なかれ、それぞれのビジネスモデルが構築されているのでしょう。
もし何かがうまくいかないとき、それをまわりのせいにしていては解決から遠ざかるでしょう。
自分たちの価値提供プロセスとアウトプットに焦点を当て、謙虚に見直すことが必要だと思います。
それが守られていなければ、ひょっとして私の組織も今年中には消えてなくなるかもしれません。認証制度の関係組織は、今後百年の繁栄期を迎えるかもしれません。
ただ経産省さんのガイドラインや中川氏の資料を拝見する限りは、そもそも顧客は誰か?のあたりからすっかりモヤがかかってボンヤリしているかのような印象を受けます。
制度の利用者の一人として不安に感じます。

「負のスパイラル」という図式が経産省のアクションプラン資料に掲載されています。
これを見て本当に絶句です。
「価格競争の激化」
・・・現実が正しいのです。
もし審査機関様が現状の審査料を低いとご不満でいらっしゃるとしても、それは思い過ごしであり、以前の料金設定が高すぎただけという、ごくシンプルな真実に気がつかれたほうが良いでしょう。
「市場の価格は下りすぎてけしからんです。
折角高い価格でスタートしたのに、安い競合にそそのかされた客がそっちに流れたんです。全く客もひどいもんです。」
現実から目を背けるところからはじめても、何も得られるわけがありません。まして顧客を悪者扱いしては・・
あ、いや、被審査組織は顧客ではないのですね。それなら分かりますが・・

ま、それでもご不満なら、値上げ交渉をなさればよろしいかと存じます。
それでも・・・なら、他の市場への参入や、異なる事業への転換等をお勧めします。
私は、審査を通して何らかのことを成し遂げたいとの想いを持った方に審査をしていただきたいと希望します。
そうでない方・組織には御退場頂いて全く構いません。

それにしても「低品質な認証」とはどのようなものを指すのでしょうか。
「審査の形式化・審査員の能力低下」なのでしょうか。
公の文書でこのような表現を取ることの方が、年に数回認証企業が不祥事を起こすことよりもよほど信頼性低下につながる懸念があるように感じられますが。

ダストコマンダー様 毎度ありがとうございます。
論点が多々あります、どこからいきますか・・
負のスパイラルの図式は平成15年、2003年の報告書で唱えられたものです。当時は私も疑問も持たずにおりましたが、そのときも確固たる証拠なく信頼性が低下すると市民団体のように唱えていましたね
価格競争については、絶句というより笑止と言ったほうがお似合いでしょう。
車メーカーの社長が競争メーカーが低価格をぶつけてきた時に「安いものは信頼性が低い」なんて言ったものなら、即社長を辞任する羽目になるでしょう。
そもそも低価格認証機関の審査の質が悪いという証拠を示していません。
それよりもJAB認定の認証機関の審査に問題が多い、規格を知らない審査員がいる、態度が悪い、認証機関の応対が悪いということは過去20年私は経験してきましたし、他人からも聞いていました。
まずJAB認定の認証機関の審査の質は良いということを審査を受ける企業が評価するような審査をすべきでしょう。
私の知っている会社で、JAB認定から非認定に鞍替えしたところがあります。
「認証機関を変えて、何か変わりましたか?」と聞きましたら「変わりました、審査員が挨拶します」とのこと
推して知るべし


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「石油こそ我らがすべて」にかけてみました。
ロシアという国家は石油をはじめとして天然ガスや石炭など、エネルギー資源が出るからこそ存在できるという意味。
石油がなくなれば外貨は得られず、軍備どころか、食料、自動車をはじめとする機械類も買えなくなる。そんな状態を自嘲した言葉です。

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