手順書教室

11.06.18
「手順書の書き方」というタイトルにしようかと思ったが、昔「つづり方教室」という映画があったのを思い出して「手順書教室」と題した。まあ、深い意味はありません。

ISO規格で「手順」が必要というのはたくさんあるが、手順書(文書化した手順)が必要と書いてあるのはあまりない。しかし多くの場合、コンサルは眼に見える成果がないとお金にならないと思うためか手順とあれば手順書が必要だといい、ひながたの電子データを販売したりしている。まさにマッチポンプである。一方、審査員も眼に見えるというか記録に残しやすい文書があれば審査も楽で報告書を書くのも簡単だから手順書が必要という。そんなわけでISO認証企業は手順書をたくさん作り、審査の場には手順書があふれることが多い。
ところで多くの人が手順書を作るとなると「○○手順書」という名称の文書を作っていることが多いが、一般的に法律で手順書を作れという意味は、社内でルールを決めた文書を作りなさいということであって、その名称は会社規則であっても規定であっても総務部長通知であってもよい。
「通知」も手順であるなんていうと、とんでもないとおっしゃる方もいる。
ちょっと待ってくれ、廃棄物でも省エネ法でも、具体的な判断基準や実施事項は、環境省通知とか経産省通知なんてもので指定していることが多い。そういった通知文であろうと立派な命令書であり、受ける側から見れば立派な手順書である。まさか法律、施行令とか省規則(この三つを合わせて法令という)でないものは無視して守らないなんていう、ガンコなお方はいないと思う。もしそんな人がいれば、かなり痛い目にあうだろうと思う。
考えてみてよ、時代劇にはお触書がつきもの、あれを定めと言わずして何と言おう?
こんなの書いていると時間が過ぎる
ところで最近、知り合いの会社からISO14001認証するので準備状況を見てほしいなんて頼まれた。これほどISO離れが進んでいる今どき、なんでイソイソとISO認証するのかと思った。しかしISO認証をきっかけに会社の改革をするというので、それはそれで立派な動機付けであろう。いや立派な心がけである。
うそを語り悪事を働き人を批判ばかりしているおばQは、そういう純真な人々を見習わねばならないと心に誓うのであった・・本当だろうか?

さて、既に環境側面の特定や法規制の特定などは終わっており、私に見てほしいというのは会社の規定類の出来具合であった。
私が規定を作るのがうまいかへたかはなんともいえないが、私が今までの会社人生で、規定のたぐいをたくさん作ってきたことは否定できない事実である。もっとも世間は広いから私以上に規定を作った方もいることはいるだろう。では英語的表現で、私はたくさんの規定を作った者のひとりであるという表現を許していただく。
そんな私であるから、一目見ただけで規定というか手順書の出来不出来はわかる。本当ですよ。
では本日はそんなばか話を・・
えっつ! 手順書教室ではないのですかって? このうそ800のウェブサイトで勉強しようというあなたは常連じゃありませんね 

手順書とはProcedureの訳で仕事のやり方を示す文書をいう。マニュアルと何が違うのですか?と言われると私も分からない。Procedureとmanualは何が違うのだろうか?
Procedure:a particular course of action intended to achieve a reslt
manual:a book containing instructions for doing something, especially for operating a machine
A small reference book, especially one giving instructions.
上記からProcedureは書かれた文書とは限らず、manualは文書であることが明確なようだ。
上記に関わらず、Procedureとは手順を決めた文書ではなく、手順そのものであり不文律であろうといいのだとおっしゃる方もいるだろう。とりあえず、ここでは手順書もマニュアルも同じものとして、その文書をどのように書くかを考えることにする。

手順書と呼ぼうとマニュアルと呼ぼうとそれは仕事の方法を書いたものであり、例えば「左手で釘を1本つかみ、とがっている方を柱に当てて押さえおいて、右手にげんのうを握って釘の頭を叩きなさい。間違って左手を叩かないようにね」・・というのがマニュアルの具体例である。
もちろん手順書は必要な場合に作るのであって、誰でもできることを文書にすることはない。釘を打つことは基本的な知識とみなして手順書を作るまでもないとしても良い。ISO規格にも書いてある。
品質マネジメントシステムの文書化の程度は、次の理由から組織によって異なることがある。 a)組織の規模及び活動の種類、b)プロセス及びそれらの相互作用の複雑さ、c)要員の力量(ISO9001:2008 4.2.1 注記2)
環境マネジメントシステムの詳細さ及び複雑さの水準、文書類の範囲、並びにそれに向けられる資源は、システムの適用範囲、組織の規模、並びにその活動、製品及びサービスの性質のような多くの要員に依存する。(ISO14001:2004 序文)
しかし、伝票の処理手順とか、契約書の決済ルートなどは誰でもできるように、また人によって処理方法が変わらないように一定の方法を決めて文書にすることは妥当であろう。

分かりやすい手順書はどのようなものであるべきだろうか?
いや、分かりにくいというか役に立たない手順書ってどんなものなのだろうか?

実は考えるまでもなかった。私が訪問した会社でも、著しい環境側面対応で種々手順書が作られていた。その他、文書管理、記録管理、緊急事態、内部監査、そしてもちろんISO審査員がこよなく愛している環境側面特定及び著しい環境側面を決定する手順書もある。
そんなもののいくつかを手にとって、パラパラとめくるともう使える手順書か使えない手順書かはわかる。詳細を読むまでもない。
そんなことを言うと「それはひどい!頼まれたからにはちゃんとチェックしてやれよ」なんておっしゃる方もいるだろうが、私の判断は間違いありません。

まず主語・述語がない文章はだめですね。まあ、どんな文章にも述語はあるようですが、主語がない文章はいたるところにあります。体言止は読む人によって受け取る意味が変わりやすい、というか一意にとれないのでやめるべきでしょう。ひどい文章になると、主語と述語が見合っていないものとか、実行不可能なことを書いてあったりします。
行為をするのが誰なのか? 決裁をするのは誰なのか? チェックするのが誰なのか? 通報するのが誰なのか? 記録をとるのが誰なのか? 誰と誰が協議するのか? 最終責任者は誰なのか? 全然分からない文章なんてたくさんあります。あなたの会社だってそんな規定や要領書があるでしょう。でも、みんなそんな手順書を無視して読まないで仕事をしているので困らないのです。

ひとつの文章(センテンス)が長いのは、読むのも理解するのも大変です。書いた人しか読まないのかもしれません。手順書の文章なら、せいぜい1行か2行に収まるようにしましょう。それで大体40文字から60文字です。
ちなみに法律の目的規定って、ひとつの文章で書かれているって知ってました?いくら長くてもひとつの文章なのですよ。
この法律は、環境基本法(平成五年法律第九十一号)の基本理念にのっとり、生物の多様性の保全及び持続可能な利用について、基本原則を定め、並びに国、地方公共団体、事業者、国民及び民間の団体の責務を明らかにするとともに、生物多様性国家戦略の策定その他の生物の多様性の保全及び持続可能な利用に関する施策の基本となる事項を定めることにより、生物の多様性の保全及び持続可能な利用に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって豊かな生物の多様性を保全し、その恵沢を将来にわたって享受できる自然と共生する社会の実現を図り、あわせて地球環境の保全に寄与することを目的とする。(生物多様性基本法第一条)
この277文字を一気に読むことが出来た方には座布団を1枚。
でも次は380文字、原稿用紙1枚分もあります。いくらなんでも、これくらいになると息切れするでしょう・・
この法律は、地球の広範な部分を占める海洋が人類をはじめとする生物の生命を維持する上で不可欠な要素であるとともに、海に囲まれた我が国において、海洋法に関する国際連合条約その他の国際約束に基づき、並びに海洋の持続可能な開発及び利用を実現するための国際的な取組の中で、我が国が国際的協調の下に、海洋の平和的かつ積極的な開発及び利用と海洋環境の保全との調和を図る新たな海洋立国を実現することが重要であることにかんがみ、海洋に関し、基本理 念を定め、国、地方公共団体、事業者及び国民の責務を明らかにし、並びに海洋に関する基本的な計画の策定その他海洋に関する施策の基本となる事項を定めるとともに、総合海洋政策本部を設置することにより、海洋に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって我が国の経済社会の健全な発展及び国民生活の安定向上を図るとともに、海洋と人類の共生に貢献することを目的とする。(海洋基本法第一条)
繰り返しますが、会社の仕事で使う手順書にはこのような文章を書いてはダメですよ。

定義がはっきりしていないのもだめです。もちろん「定義」なんて項番をわざわざ設けなくてもよいのですが、使われている言葉がいろいろあったり、そのときそのときで意味が変わるようではだめなのはいうまでもありません。
ひとつの文書で、ここでは「当社」ここでは「わが社」くらいは可愛いです。しかし認証範囲があいまいになるような言い回しは芳しくありません。初めはISO用語の組織を使っていても、だんだんと地が現れてくるのも困ります。
というか、会社の中で使う文書にISO用語を使う意味はないでしょう。環境側面とは・・であると定義して、会社の中の文書で環境側面についてはどうすると書いても社員は余計な言葉を覚えるだけで会社が良くなるわけでもなく、儲けが増えるわけでもない。マニュアルの冒頭で「当社では著しい環境側面という言葉は使わない。それにあたるものは管理手順を定めて教育訓練して運用する」と書いておき、そのとおりに運用していればよろしいでしょう。

文章に同じ言葉が並ぶと見た目が悪いなんて変体仮名の要領で、言葉を使い分ける方もいます。それはいけませんん。変体仮名はマンガ「とめはね」だけにしておきましょう。

代名詞が多いのも困ります。なにを意味しているのかを想像で補って読まなければならないような文章でなく、誰が読んでも一意に決まるものでないと手順書じゃありません。「こそあど言葉」の安売りをしているような文章は、実際にその通りしようとすると5W1Hが分からないで途方にくれることになります。

漠とした表現も困ります。実をいいまして漠然とした表現は審査報告書に非常に多く見られます。あいまいな審査報告書が多い中で、例外としてはJ●Aの審査報告書には漠然とした表現は非常に少ない。これは審査員の教育訓練が優れているのでしょうか?
あるいは、審査報告書の文章を書くマクロを組んだ方の力量が高かったということも考えられます。いまどきは、どの認証機関も審査報告書の文章は主語とか目的語を入れると自動的に文章を作るようなマクロを組んでいるのです。楽でいいですね。私の文章はすべてQWERTキーボードを叩いて書いているのです。
ええ!駄文を書かなくてもいいですって・・あなたも正直な人でんな 

漠然とした言葉と言われても漠然としていてわからないですって?
具体例を挙げますと、適切に処置する、適宜対応する、臨機応変に判断する、○○を考慮する、○○に配慮するなんて言い回しですね。おお、最後のほうは我が愛しきISO14001にもありましたねえ〜、ああいった漠然とした言い回しがありますと、審査での議論の基となります。無駄な議論を防ぐためにも規格作成者(あるいはJIS翻訳者)は、もっとがんばりましょう。

ともかく、私は会議室の机の上に置かれたたくさんの手順書をながめて、さてどうしたものかと・・
「おばQさん、どうかしましたか?」
相手は私が居眠りをしているのではないかと勘違いしたようだ。正直言うとこんな手順書をひとつ読めば眠くなるのは言うまでもない。
「この手順書を書いた人は実際に書いてあるとおりに仕事をしてみたのでしょうか?」
「いや、ISO規格の要求事項を実行するとしたらこんな方法かなあと考えて書いてみたんですが・・・」
「あのうですねえ〜、今までしてきた仕事の方法が間違っていないということは、過去の経験で実証されていると思います。だったら今までしてきたことをそのまま文章に書いたらどうですか」
「そういうのって、もう担当者の頭の中に入っていて、担当者も説明が出来ないって言うんですよ。ですから現状を文章化するのではなく、ISO規格の方からアプローチしたほうがいいかなと」
私は机の上に広げられたたくさんの手順書なるものをながめ、これだけ文字を入力するだけでも数十時間かかっただろうと、無駄な仕事をしたものだと心の中で思った。

お断り
ISOコンサルの中には、マニュアル1冊にすべての手順を盛り込んで、個別の手順書を作らないなんてことを売りにしている方もいる。A3サイズ1ページのマニュアルなんて宣伝しているのも見たことがある。私はそういうのが良いという方を否定しないが、それが良いとも思わない。要するに手順書があって、仕事があり人がいるのではない。仕事があってそれを遂行する人がいて、手順書があるのだ。使いやすい、わかりやすい、改定しやすい、その会社にあった方法が一番いいのだし、それ以外はだめな方法である。
そして仕事を伝承する上ではマニュアルだけで手順書はないという方法は、現実的でないというのが私の経験である。まあ、そうでないという経験をお持ちの方もいるでしょうけど。



ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2011.06.19)
そういうのって、もう担当者の頭の中に入っていて、担当者も説明が出来ないって言うんですよ。

って、何かオカシイですね。頭に入っていれば容易に説明できるはずだと思うのですが。
いわゆる「ISO文書」の定められた書式に従って「ISO用語」に変換して作成することができないというのならわかります。しかし、そうであれば日常用語で箇条書きにするなりフロー図にまとめればいいわけで、「ISO規格の方からアプローチ」するってのはむちゃくちゃ遠回りになるような気がします。
審査のために新たに手順書を作るというのは、今となってはバカバカしい限りですが、私もかつてはそれがわからずにせっせと「数十時間」どころか数十日もかけて作ったものです。
私はアホゆえに、やってみて初めてそのバカバカしさに気づきました。世の中そういう人はけっして少なくはないでしょう。
それに気づいてやめるか続けるかを考えることが大事ではないかと思います。

たいがぁ様 毎度ありがとうございます。
おっしゃる意図は良く分かります。しかし一般的に現場作業だけでなく、事務職であっても自分がしている仕事を系統だって説明することを難しく考える人が実は多いのです。
コンピュータのプログラムとか、システム設計をしている人には全容を粗くあるいは細かく説明することは難しくないでしょうけど、OJTなどで仕事を覚えて育ってきた人はそれを教えるにも言葉で言い表すことが出来ない人も多いのです。
たいがぁ様のような方ばかりであれば、世のISOコンサルの存在する余地はないかもしれません。
私は現場上がりですが、そういう状況を文書化し標準化することに長けていましたが、そういう人は少ないのです。

N様からお便りを頂きました(2011.06.19)
手順書教室・つぶやき
おばQ様 いつも楽しく読まさせていただいています。

そうかー・・
手順を明らかにすると手順書を作るは違うんだ。
目からうろこです。不勉強です。m(_ _)m

わかりやすい手順書
必要なことはすぐに目に付くところにある。
以前、印刷屋さんの見学をした時、用紙の合わせ方とか抜き取りチェックの仕方とか注意点が機械の横にでっかく貼ってあり、動作が間違わないように工夫していた。
本形式である必要もないかな?

役に立たない手順書
誰も読まない、もしくは無くても困らない
知りたいことがどこに書いてあるかを探さないとわからない
かな?

N様 毎度ありがとうございます。
ISO規格で文書化した手順という要求は非常に少ない。しかし9001であろうと14001であろうと4.1を根拠に「手順を定めよ」というものを「文書化した手順を定めよ」と読ませる人は多いです。
しかし、規格の意図が「顧客満足」あるいは「遵法と汚染の予防」なら、文書がたくさんあることによってその目的が達せられるということもなさそうです。
もちろん文書がないほうが目的を達するわけでもありません。
要するに、規格の意図を理解し、己の組織の実力を知り、最適な条件を見つけて実現すると言うことだろうと思います。
白状しますが、私も1991年とか92年頃は審査員の言われるままに内容のない読みもしない規則を作って不適合を避けていましたが、やがてばかばかしくなって無駄はしないようになりました。くだらない規則を作っているより、審査員と議論する理屈を考えていたほうが面白かったことを思い出します。


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