規格の意図

11.07.02
ISO認証の効果は何で表せるのか?
まさか「文書管理が良くなりました」「環境意識があがりました」あるいは「OA用紙が減りました」とか、「オフィスから出るごみが減りました」なんてボケを語る人は今どきいないだろう。
と言いつつ、そういう事例を今でもたくさん見ているのだが・・・
そんな会社はISO認証しているなんて言ってほしくない。ISO以前に、もう少し当たり前のことを当たり前にするようにしないといけない。

「ISOの活動テーマが種切れになりました」なんて語る人もいる。「種が尽きたらそれでいいじゃないか」と語る人もいる。私は両方ともおかしいと思う。
ISO14001のためになにかをしましょうとか、ISO9001のための活動を考えるという発想がそもそも理解できない。私は会社とは事業を推進していくために、さまざまな改善、新規事業進出へのプロジェクト、組織や風土改革のチャレンジを継続して続けていかなくてはならないと思っている。だからISOのためにわざわざ何を改善しようかと考えることもないし、活動計画を立てることもない。
会社が事業をしていけば、もうこれ以上向上しなくても良いとか、改善することがなくなったなんてことがあるはずがない。会社は儲けを出し、組織を継続して存続させていくために、いろいろ活動しなければならないし、それは終わることはない。
赤の老婦人 「鏡の国のアリス」の赤の女王は「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」と語ったが、企業が生き残るためには必死の努力、改善を継続しなけばならない。企業にとっての活動はそれがすべてであり、それ以外は必要ない。ISOのための活動をしているようでは、蛇に足を描いていて酒を飲み損ねてしまうどころか会社をつぶしてしまうぞ!
会社が存続のためにしていることには品質に関わるものもあるだろうし、環境に関わるものもあるだろう。いや、すべてのアクションは、財務にも、人事にも、社会貢献にも、そして品質にも環境にも関わっているはずだ。ISO審査で審査員が、「品質目標は何だ?」と言えばそのなかで品質に関わるものを示して、「環境の目的目標は何だ?」と聞けば環境に関わるものを指し示せばよいだけだ。

私は、そういった企業の活動が適正であるか、その活動を進める仕組み・体制がしっかりしているかを外部の公平性・客観的な立場のものが見て判断するのが第三者審査だと思っている。
別に審査で改善を指導してもらうことはないし、そのような力量を期待したりはしていない。審査とコンサルはまったく次元が異なるものであり、審査基準と照らして厳正、正確な判定を期待する。
次元が異なるということはレベルが高いとか低いということではない。コンサルがX軸なら審査はY軸のように異なるということだ。いくら良い審査をしてもコンサルにはならないし、他方が無用になるわけでもない。
有効性審査なるものがいかなるものか分からないが、私が考えているようなものであろうか?

さて21世紀の現在、私はISO14001の審査しか見ていないのだが、私が見聞きしている審査が私の期待するレベルのものは非常に少ないのが事実である。
先日も書いたが「内部監査のチェックリストに方針の要件a)からe)までの項目が記載されておらず、盛り込むことを検討すべきである」とか「環境方針を見直しましたが、調達先に伝達していません。これは不適合とはいえませんが、実施することが望まれます。」なんてことを審査報告書に書いているのである。
そういや、いまだに有益な側面を求めている審査員もいる。
私はいくつもの認証機関のたくさんの審査報告書を読んでいるが、特定の認証機関を除いてかなり多くの認証機関は有益な環境側面を求めている。これはISO17021には抵触しないのだろうか?
規格にあろうがなかろうが、組織が受け入れればなんでもありなのだろうか?

私は有益な環境側面があると語ることを許せない!なんて語っているのではない。思想信教の自由を認めるくらいの度量はあるつもりだ。
有益な環境側面を抽出していないので不適合ですとのたまわく審査員を許さないのである。そんな審査員こそ不適合ではないか?

偉大なISO14001の宣教師、寺田さんが有益な側面などないと否定しているにもかかわらず、有益な側面がある、有益な側面がなければ不適合だと語る審査員は、寺田さんを超えたのか? はたまた邪教のやからか?
邪教と言っては言い過ぎかもしれない。でも私たちはISO14001の教義の中で審査を受けているのだから、ISO教以外のタブーを持ち出して、男女は同じところで食べてはいけないとか、日没まで食べてはいけないなど言われる筋はない。
有益な側面を語るアホ審査員に十字架を掲げれば逃げ去るのだろうか? それともニンニクは有効だろうか?

そもそも審査とは何のために行うのだろう?
ISO9001は原則論を語れば、不特定あるいは潜在的顧客に代わってその供給者が良い品質の製品を継続して提供できる仕組みがあるかどうかを点検し、その結果を社会に表明することだったはずだ。ISO14001は品質が環境に変わるだけだ。
じゃあ、規格にない有益な側面などというは邪教は論外として、品質方針に規格の文言がすべて織り込まれていなければならないことを要求することは、ISO規格を理解していないのであるから破門にすべきだろう。
もっと遡って規格の意図はなんだろうか?
なんていうまでもない。ISO9001の意図は顧客満足、ISO14001の意図は遵守と汚染の予防である。外部コミュニケーションの方法を確立とか、目的目標を設定する枠組みとか、ひたすら念仏を唱えても規格の意図は実現できない。その組織の風土や所属するメンバーのレベルに合わせた仕組みを作りそれを実施することによってその意図は実現されるだろう。
卑しくもお足をもらって審査を行うなら、規格の文言が漏れていないか調べるようなレベルではなく、規格の意図が実現されているかを見るレベルを期待したい。
おっと、規格の文言が書いてなければ不適合だなんておっしゃるお方は、不適合の定義を知らないようだ。不適合とは「要求事項を満たしていないこと(ISO9000:2006 3.6.2)」であって、「規格の文言が記載されていないこと」ではない。
えー、規格の文言が記載されていないことは要求事項を満たしていないって! もう鬼平を呼ぶしかない。

ofure.jpg 本日の定め書き
ISO9001の意図は是顧客満足、ISO14001の意図は即ち遵守と汚染の予防であることを申しおき候
これを知らずにISOに関わることを堅く禁じるものなり。禁を破り審査をいたしたるやからは曲事足るべきこと (御当家令條)
曲事(くせごと)足るべきこと=処罰する

嘆きの壁
ISO9001が制定されて早や24年、ISO14001が制定されて15年、規格に書いてあることをそのまま読めない人がなぜいるのであろうか?



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