監査実践論その3 サンプリング

11.10.15
本日は、だいぶ前に語ったことの繰り返しになる。
なにしろ、私はISOに関するほとんどのテーマについて書いてしまったようだ。ゲーテはすべてを語ったと言われているが、おばQはISOのすべてを語ったのだろうか?
まさか、そんなはずはない。 

内部監査について、テクニック、ノウハウ、アプローチの仕方、その他いろいろな切り口でさまざまなことを語っている人は星の数ほどいる。まあ、何を語ろうと、よろしい。それで飯を食っている人もいるだろうし、少しでもコンサルの客が付くようにと願っている人もいるだろうし、やがて名を上げて大学の環境マネジメントの先生になろうという人もいるかもしれない。
私は、そんなさまざまな内部監査についての論を、アイソス誌とかインターネットのウェブサイトとか、ISO研修機関の案内などで見ているが、まあ半分はまともでも、あとの半分は怪しいと思っている。
そして、そんなもののほとんどというか、全部が間違っていると思えることがある。本日はそれを語る。

監査で何かを確認する事例を考えてみよう。例えば言うのも恥ずかしいが、環境方針が従業員に周知されているかを確認することを取り上げよう。質問方法は最も初歩的な項番順の監査でも良いし、質問はクローズドクエスチョンでもよい。
さあ、あなたはどうするのであろうか?

ところで、ISO規格では「環境方針を周知しろ」とあるが、周知とはなんだろうか? おっと、広辞苑などで日本語の意味を調べても意味がない。英語のISO規格の意味と日本語のJIS規格の意味では異なることが多い。JISQ14001の「周知」はISO14001では「communicate」であり、それがどんな意味かというと、英英辞典を引くと語義がいろいろ書いてある。
一例を挙げると
 to make someone understand an emotion or idea
つまり、覚えるとかカードを携帯するなんてことではない。感情とか考えを相手に理解させることである。だから環境方針の周知とは、環境方針がもっている意味を理解させ、そして行動に移させることであり、環境方針の文言、文字面を知ることではない。ましてや環境方針カードを常に携帯していることではない。
当然、環境方針を周知するといっても、職階とか部門によって異なることになる。部長が環境方針を理解すること、あるいは実践することと、パートの女性が環境方針を理解すること、あるいは実践することとは違って当然だし、違わなければならないのである。
同じ環境方針から、購買部門の人が実践することと、設計部門の人が実践すること、製造部門の人が実践することが別でなければ周知されたことにならない。そんなことも知らずに内部監査をしている人が多いので、こちらが羞恥してしまう。

でも、そんなことを語るとおしまいまでたどり着きそうがない。本日は初歩の初歩で、環境方針の周知を、環境方針を知っているかを聞くこと、あるいは更に大幅に5割増しにゆるめて、環境方針カードを携帯していることを確認することまで譲歩することにする。
4.2 環境方針
トップマネジメントは、組織の環境方針を定め、環境マネジメントシステムの定められた適用範囲の中で次の事項を確実にすること。
a)組織の活動、製品及びサービスの、性質、規模及び環境影響に対して適切である。
b)継続的改善及び汚染の予防に関するコミットメントを含む
c)組織の環境側面に関係して・・・

そういう前提として、あなたは環境方針が周知されているかを、どのようにして確認するのだろうか?
とりあえず内部監査員の案内役の職場の人に断って、手近にいる人をつかまえて話しかける。
「あなたは環境方針をご存知ですか?」
たいていの場合は内部監査の際に、職場にいる人は監査を受ける職場で準備していたサクラだろうから、あなたの質問に驚くこともなく、ポケットからカードを取り出して環境方針なるものを朗読してくれるだろう。
../harub.gif
サクラとは偽客と書くそうで、芝居小屋で役者に声をかける見物人はパット派手に声をかけてパット消えるところから、桜の花に似ているのでサクラと呼ぶようになったという。
行列があると並ばなくちゃと思う心理の利用である。

あなたは環境方針を朗読してくれた方にお礼を言って、案内役に「じゃあ、次はゴミ箱の分別を確認しましょう」とか言うのだろうか? 大いにありがちである。
ここまでの情景を思い浮かべて、何か感じるところがありましょうか?
 もう少し聞き方を工夫したほうが良い、
 クローズドクエスチョンでなく、オープンクエスチョンでいくべきだ、
そんなことを思った方もいるかもしれない。まあ先ほど申し上げたように、前提として環境方針カード携帯の確認でも良いことにしたので、そういうコメントはとりあえず置いておこう。
では何がまずいのだろうか?

要するに、サンプルが少なすぎるのである。
ISOに関わっている人は、品質管理なんてことをしていた人も多いだろう。正直言って私が検査なんて携わっていたのは、今から20年も前のことである。抜き取り検査など完全に忘れている。今ネットで調べてみた。
受入れ検査で1000個ロットをAQL1%、消費者危険10%で検査しようとすれば抜き取り数はいくつになるだろうか?
インターネットでググルと合否判定基準はn=100(Ac=3,Re=4)とある。つまり、1000個からランダムに100個抜き取り不良品3個以下ならロット合格、不良品4個以上ならロット不合格となる。いやはや、大変な数を抜き取って検査しなければならないものだ。
数字はネットにあったものです。間違えていたらごめんなさい。
これだけ抜き取って調べても、予期したよりも不良品が多く混入している可能性が10%ある。そして、それを覚悟して行うのが抜取検査というものだ。

従業員が1000人いる工場で環境方針が周知されているかを確認するのに、抜き取り検査と同じ感覚で行うなら、知らない人が10人いる可能性を10%見込んだとしても、100人に質問しなければならないことになる。
一人や二人に質問して、その人たち(サクラである可能性はほぼ100%)が環境方針を朗読したとしても、環境方針の周知を確認したことにはならないことが理解できるだろう。
じゃあ、どうしたらいいのだろうか?
環境方針を知っていることが重要であるなら、ランダムに100人を選び「環境方針を知ってますか?」と聞くしかない。そして97人以上が環境方針カードをポケットから出すか、暗証してくれなければ不適合であるということにご同意いただけるだろうか?
../man7.gif もし「知らないなあ」「今カードを持ってないよ」と頭をかく人が4人いたならば、4.2f)項の不適合にしなければならない。
たぶん、あなたがそんなことをはじめたら、案内役の人はあなたの前を走しりながら、職場の人に環境方針カードを配って回るに違いない。

はっきり言って環境方針など暗記していようと環境方針カードを携帯していようと、ISO14001の意図である環境遵法や汚染の予防には結びつかないから、どうでもいいことにしよう。
しかし法規制に関わることや職務遂行上の重要なことは、点検精度を考慮して行わなければならないことはいうまでもない。
例えば排水の測定データを点検するとしよう。水濁法の規制を受けるなら排水量や排水の成分によって測定頻度が決まっているが、仮に毎週測定しているとして、内部監査を年に1回行うとすれば測定データは50件以上あることになる。ここで間違える可能性を1割以下にしようとするならば、抜き取り検査は理論的に無理で全数検査をしなければならないだろう。排水の測定データを全数出させて、測定項目、測定データ、測定者、決裁者、日付などに、おかしな点がないかをチェックすることになる。
あるいは廃棄物の契約書を点検するとするならば、大きな工場でも契約書がせいぜい30件くらいだろうから、この場合も全数点検しなければならないことになる。
当社は公害など関係ありませんとおっしゃるかもしれない。けっこうですよ、でも例えば環境の委員会があるとしましょう。毎月開催するとすれば、議事録は年に12件作られることになる。この場合も抜き取りで1件とか2件みて判定することはできず、全数12件見なければならない。そして1件でも議事録が作られていなかったり、定められた決裁者が行っていなかったり、紛失していたら、不適合になる。もっともそのとき不適合の根拠とする項番はどれになるのかはそのとき次第である。
多くの人は4.5.4記録の管理にするだろう。しかし会議を開催していなければ4.4.6かも知れず、議事録を作成することを知らなかったら4.4.2だろうし、主催者があいまいであれば4.4.1かもしれない。あるいはその他の項番が根拠になるのかもしれない。
別に内部監査が統計的抜き取りに従うことはないと、おっしゃる人はたくさんいるだろう。
ほう、統計的手法に従わなくても良い理由はなんだろうか?
もし受け入れ検査で「当社はJISあるいはMIL規格ではなく、当社独自の抜き取り方式で行います」なんて言った場合、よほどの理由があり、そしてその方式が正当でなければ笑われるだけです。
「当社は全員が環境方針を理解しているので、一人に聞けば十分です」とおしゃることが本当なら、そもそも調査することもないのではないだろうか?

ある意味こんなおバカな話をするのは実は理由がある。
昔、私はライン不良を直す役目を担当していたことがある。仕事に就いた初めは、不良が出れば一生懸命に手直しをしていた。少し知恵がつくと、不良が出るとその不良が発生した工程に行って、状況を眺めてどのような条件で不良ができるのかを調べて、そして不良がでないように対策するようになった。
そうこうすることにより、だんだん不良がでなくなると、ひまになる。喫煙家なら喫煙所に行ってタバコを吸うところだろうが、私は若いときからタバコを吸ったことがない。それで暇があると、不良が出ていないときの工程をじっくりとながめることをした。観察することはたくさんある。機械の音、エア漏れの音、作業者の状況、作業者が変わっていないか、材料の変化などなど
機械なら加工スピードが一定だろうなんて思うかもしれないが、そんなこともない。昼休み前にロットを完了したいと思う作業者は、NC機械のフィードを監督に隠れて120%くらいに上げていることもある。それによって加工がブロードになり、精度が落ちる。
普段の状況を見ていると、万が一不良が出るとその場に行くとすぐ原因が分かるようになる。それを力量という。
現場、現実、現物というが、観察がはじめにあって理屈はその次に来るのだ。

実は私は、監査において統計的手法を使えなんてことを言うつもりはない。ただ、サンプルをたくさん見なければ監査にならないということである。言い方を変えるとたくさんのサンプルをチェックすると必然的に問題が見えてくるし、その原因さえ分かってしまうのである。
だから、たくさんサンプリングしろと言うのである。
専門家でなくても良いのだ、たくさんサンプルを見ていると不思議とおかしな点が見えてくる。私は不具合箇所が光って見えるような気がする。
例えば、マニフェスト票を1000枚くらいチェックしてご覧なさい。
マニフェスト票1000枚とは、A票、B2票、D票、E票があるので、4000枚になる。積み替えの場合は、B4票とかB6票があるので6000枚になる。
仮にあなたはたった今マニフェストというものを見たとしても、1000枚見ていると、おかしな点、記載漏れ、カーボン紙の複写伝票であるのに一枚目と二枚目の記載がずれているのに気づくだろう。こちらのマニフェストには斜線が引いてあるのに、こちらは空欄だというものがあれば、どちらかが記載が間違っていることになる。
監査なんて知識とかテクニックだけではない。またきれいな仕事ではない。愚直に書類をめくり、現物をチェックすることの積み重ねでしかない。カーボン紙を1000枚もめくると指が黒く汚れるだろう。PCBトランスからの油漏れがないかどうかを見ようとすると、ホコリだらけのところを行かねばならない。
「その書類はもう倉庫に保管しています」なんて言われたら、「じゃあ、倉庫に案内してください」と立ち上がらなければならない。

「内部監査で、そんなことをしている時間はないよ」とおっしゃいますか?
じゃあ、役に立たず意味のないレベルの低い内部監査を続行するのなら、いっそのこと内部監査を止めてしまったらどうでしょうか?

内部監査を向上させようと語る人はたくさんいる。そして語ることはいろいろで、そんなことに従うとすばらしい内部監査ができるような仲人口を語っている。
はっきり言ってそんなものではありません。
内部監査とは、汚い仕事、愚直に自分の目で、自分の手で、証拠をひとつひとつ眺めることしかありません。でもそれが内部監査を良くする方法ではないのです。それは内部監査を実行する最低ラインなのです。

本日の教訓
「なにごとにも教訓というのは必ずあるものだよ、もし見つけることができさえすればね」
(不思議の国の公爵夫人談)


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2011/10/16)
内部監査とは、汚い仕事、愚直に自分の目で、自分の手で、証拠をひとつひとつ眺めることしかありません

この真理は内部監査に限った話ではないですね。値打ちのある仕事とはすべからくそういう物でしょう。書類に字を書けばエラいというものではありません。

名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。
おっしゃるとおり! 実際に汗を流して、手を汚して仕事をする人が値打ちがあると思います。
でもね、
世の中は、口先が達者とか、文才のある者が良いめを見ることが多いのですよね、
まあ、自分自身が納得、満足すればいいのですが・・平野権平長泰は己の人生に満足できたのだろうか?
沈思黙考

名古屋鶏様からお便りを頂きました(2011/10/16)
../2010/niwatori.gif 追伸。
鶏は以前に勿体無くもたいがぁ様から「文才がある」とのお言葉を頂戴したことがあります。また、同僚からは「口先の達者なヤツだ」と言われます。
しかし、およそ「良い目」というのを見たことがございません。嗚呼無常なり。

鶏さんは十二分に報われているじゃないですか
私なんか生涯一捕手ならぬ、障害一保守


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