監査実践論その6 臨機応変

11.11.06
まず、お断りをしておく。環境監査といっても毎年同じチェックリストで同じ質問をする内部監査とか、ISO審査前に形だけは内部監査をしておかなくちゃというレベルの話をするつもりはない。第一者であろうと、第二者であろうと、第三者であろうと、与えられたタスクを果たすための真剣勝負のレベルの監査について語る。もちろん真剣勝負といっても命のやり取りをするわけではない。しかし監査の成果物に会社と生活がかかっているということである。もちろん法違反かどうかもかかっている。
おっと、そんなことをいうと、「内部監査の多くはお遊びと思っているのか(怒)」という声が聞こえそうだが、正直言ってほとんどの内部監査は私から見ればお遊びである。

私の場合、初めて訪問する会社や事業所は多い。そんなときは、どのような環境側面があるのか、普通の言葉で言えば、その事業所がいかほどの規模か、従業員は何人いるのか、業種・業態はどうなのか、どんな設備や施設があるのか、使用しているエネルギーや社有車があるのかなど、分からないことは普通である。
そしてまた訪問先の方が、環境監査などを受けたことがないということも大いにありえる。そんなところにお邪魔して環境監査を行う場合に配慮すべきことについて語る。そんなことも以前語ったことがある。私はなんでも語っているのである。うそも語っているかもしれない。

電車やバスを乗り継いで目的の会社に着きました。訪問した旨を告げると、総務課長クラスの方が現れて名刺交換して、お互い自己紹介して相手の値踏みをするわけですな。まあ、どっちが目上かなんて心の中で比較検討するわけです。そんなことをした後、会議室に案内される。そこには訪問先のえらいさんと環境担当者が数人いるのが普通である。
../2009/table.gif ISO審査員は聴衆が大勢でないと気分を悪くする人が多い。だが見目(みめ)より心、外観よりも中身が大事であるから、私は大勢いなくても気にしない。むしろキーパーソンだけいれば、ほかはいないほうが良い。
某認証機関の取締役に聞いたが、その方がイギリスで審査したとき、管理責任者がすべて対応したとのこと。いやしくも管理責任者ならシステムも現場も、自分の手のひらのように知っていて当然であろう。いや、知らなければ勤まらないというべきか?
1997年頃、私が田舎の工場ではじめてISO14001審査を受けたとき、経営者と管理責任者と関係者を集めて待機していた。しかし、お見えになった審査員閣下が「これだけしかいないのか」とお怒りになり、ご機嫌を損ねて審査が始まらない。しょうがないので現場を回って人をかき集めた記憶がある。審査員のお名前は今も忘れません。うらみ骨髄に徹しております。まだ生きているなら、良い死に方をしないことを願います。

監査側が監査の意図と実施予定を説明したのち、受け手が会社の概要を説明する。まあ、そんな流れが普通である。 訪問前にこんなことを話そうとプランを立てていくが、挨拶のなりゆき、先方のお話を聞いてフィードバックをかけるのは当然だ。挨拶で話そうとしている話題が出てしまったら、出がらしを話してもしょうがない。また自分の目で相手の会社を見て、事例を話そうと予定していたものが似合わなければ、ギアチェンジして相手の会社に見合った話にするのも当然だ。
ギアチェンジなんて言い方もオートマ全盛の今では通用しないだろうか。
そういえば、昔結婚披露宴でお互いにダブルクラッチを効かせて・・・なんてことを言った方がいたが、シンクロメッシュが当たり前になると使われなくなった。

製造業、いや非製造業でも倉庫があったりPCB機器を使用していれば、まずその現場を拝見することになるが、純粋なオフィスであれば、会議室の中でヒアリングすることになる。
監査の原語は audit である。つまり聞くことである。聞くといっても先方が主体的に話すのではなく、こちらが投じた質問への回答を聞き取るのである。
世のISO審査員の大多数、いや正確にいえば私がお会いした審査員の大多数は、聞くことよりも話すことが大好きで、聞くよりも話す量が多いようだ。
「我々は規格をこのように解釈しています」「規格はそうかもしれないが、私たちはこうあるべきと考えます」「このようにすると良いでしょう」「他社にはこのような事例がありました」
そんなことはどうでもいい。当社のマネジメントシステムが適合か否かをはっきりと言ってくれ、もちろん証拠と根拠なく語るなら即刻異議申し立てだよ
きっと彼らは審査員(auditor)ではなくspeaker(発言者)であったのだろう。聞くだけでお金をもらうのは申し訳ないと考えて、一生懸命話していたのかもしれない。しかし、それは勘違いである。あなたは情報を収集し、それを分析して監査基準に適合しているか否かを報告することによって、賃金を得ているということを忘れてはいけません。
話を戻そう、年寄りは話がそれていけない。

まずこちらは知りたいことがたくさんある。でも何十とある調査項目をしらみつぶしに聞いていったら相手も気を悪くするだろうし、時間もかかる。そしてなにより面倒だ。
先方が事業概況などを話してくれると事業所の基本的なことは大体分かる。その後に、なにかご質問ありますかとなるのが普通だから、そのとき建設業の許可があるのか、なくても工事しているのか、人材派遣の許可あるいは届けをしているのかということを聞くと会社の基本的なことは分かってしまう。
建設業でなくても一定範囲の工事はできるし、いまどき特定を含めたら人材派遣をしていない会社はほとんどない。

さて、いよいよ知りたいことというか調査を始めることになるが、心がけなければならないことは一つである。自分が知りたいことを、そのまま質問するのではなく、相手にわかるように質問するということだ。
常に相手の顔を見て相手がこちらの質問を理解しているかを確認しなければならない。言葉の回答をそのまま鵜呑みにするのではなく、相手は分かって回答しているのか、聴きなおさなければならないか考えなければならない。
廃棄物の話をしていて、廃棄物は出ていないという回答であっても、リサイクルしていれば廃棄物じゃないと思っている人は多い。WDSの話をしていてMSDSのことと思っている人もいる。
「マニフェストって廃棄物業者が持ってくるやつでしょう。ちゃんとサインして渡していますよ」なんて話を聞いて、「いや、それはおかしい、マニフェストは排出者が・・」などと杓子定規の対応をしていたら、その会社が法を守っているかいないかを確認するところまでたどり着けないだろう。
「なるほど、そうですか、それじゃあ、そのとき控をとっているでしょう、見せてもらえますか」ととにかく法遵守しているか否かを確認するように努めるのが商売である。
誤解を恐れずに言えば、私は相手が法規制を理解しているかを確認することではなく、また相手を指導することでもない。相手が結果として法規制を遵守しているかだけを確認する。
相手のレベルに合わせて、相手のリアクションに合わせて、こちらの目的を達せるためにどうすべきかと常に考えてフィードバックをかけて成果を出さなければならない。
そのとき重要なことは、臨機応変というだけでなく、相手の利益になるということを示すことが大事である。利益といっても真に利益となるものもあるし、相手が興味を持つようにしなければならない。

ちなみに昨日と一昨日はTPP反対のデモに出かけてきた。私はインターネットでデモをするという記事をみてまったくの飛び入りの参加であって主催者とは縁もゆかりもない。それでも自分の主義主張と近いデモ行進に参加して、敵対する勢力になんらかの意味があると思えばこそではある。
デモというのは昔からそして右も左も変わらない。面白くもない演説が長々と続き、シュプレヒコールがあり、ぞろぞろと歩くということに過ぎない。
歩きながら考えた、なぜ演説が面白くないのか。といっても考えるまでもない。相手の立場で考えた話ではないからだ。今政府はこんな政策をとろうとしている。この政策はこんな問題があるから反対だ。というスタイルは必然として、例にあげる問題点が、発言者の立場での関心ごとであり、ご本人以外関係ないことだからだ。
デモに参加している一般人あるいは通りすがりの人たち、更には敵対する人の立場に関係する事例を話せば、聞いているほうも関心を持つと思うのである。そういう話なら面白く聞かせることができるだろうと思う。
そんなことは私が考えたわけではない。大昔、イエス・キリストが「あなたが他の人からしてほしいと思うことを、あなたがたも他の人にしてあげなさい。」(マタイによる福音書)と語っている。カーネギーも「道は開ける」や「人を動かす」で同じことを語っている。

更に可能ならば、こちらの意図を知られないように質問を考えることが大事である。例えばPCBの毎年の報告を聞こうとしたとき、電路に用いているPCB含有機器も報告しているか聞こうとしよう。そのとき少し知っている人を相手にすると、相手が電路に使っている機器が対象となると気づかせては、不適合を避けるために電路では使っていないと回答する可能性は私の経験からかなり高い。そのようなことが起きないように、何を聞いているかを悟られないようにバイアスをかけないように聞くということが大事だ。

ISO規格適合確認の内部監査において同じチェックリストを使ったにしても、相手の顔色を伺い、相手の関心は何かと考えて質問を切り出せば、より情報を引き出せるだろうし、それができなくても、お互いにもう少し面白い楽しい時間をすごすことができるのではないだろうか。

まとめとして、監査においては目的を常に忘れてはいけない。そして予定していた計画をそのまんま遂行するのではなく、常に相手の理解や考えを把握して、そして相手の回答によっては深堀りするか切り捨てるかなど、目的を達成するため常にフィードバックをかけていくことである。
そういう対応ができないと、何も成果が得られないみっともないことになる。

本日の反省
本日は監査実践論ではなく、コミュニケーション実践論かデモ演説実践論になってしまったか



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