さらば友よ

11.11.19
数日前のこと、ISO関係の知り合いと飲んだ。今の季節はビールを一杯キュウとやってから、お酒なり焼酎なりに切り替えるのがよさそうだ。中ジョッキを一杯飲み干した頃、その人が言う。
酒のない人生は・・ 「Nさん、亡くなったって知ってるか?」
私はたいそう驚いた。

Nさんと知り合ったのは、もう15年も前のことである。当時はまだ私は田舎に住んでいてそのとき勤めていた会社でISO14001の認証をした少し後のことである。審査のたびに、審査員の語るのがあまりにもおかしいので、大いに悩み苦しんでいた時期であった。

ウィンドウ95が現れたのはもちろん1995年であるが、実際に一般人が使ってインターネットを始めたのは1996年からである。当時私が買ったパソコンは富士通のFMVで、ブラウン管モニターが15インチ、CPUがペンティアムのなんたらで、まあ普及品であったが当時12万円以上もした。お値段はともかく、私も自宅でもインターネットという手段を手に入れそしてメールもブラウザも楽しめるようになった。そしてまっさきにISO14001の悩み事、トラブルの同志を探したのである。
何がきっかけかは既に忘れた。たぶんどこかISO関係の掲示板かなにかで、お互いに書き込んで知り合ったことには間違いない。今は掲示板なんてものはめったに見かけないが、当時は掲示板というのはインターネットの情報交換の場として重要な位置を占めていた。
私の悩みをNさんが解決してくれたわけではないが、その悩みはもっともだというようなことを書いてくれた。私は、自分が考えていることが間違いとか例外とかではないということに安心した思いがある。
傷口をなめあっても仕方がない。Nさんばかりではないが、ISO14001規格の読み方とか、実際の環境管理についての不明点などをネットで大いに議論した記憶がある。
Nさんとははじめから本名でやり取りしていた。
2001年に私がこの「うそ800」を始めたときは、絶対にそれを知られたくなく、Nさんが「うそ800」について言及したときも赤の他人を装っていた。
2002年になり、私が都会に出てきてから、はじめてNさんとオフラインで会い、東京駅の地下で飲んだ。いや、1階だったかもしれない。丸の内側の改札の外に、ビールを飲めるところがあったような気がする。工事中の今はそんなものはない。
そのとき私が「うそ800」を主宰していることを話した。Nさんは「ああ、そうか」と言った程度でなにも感じなかったようだ。
うそ800とはその程度のものなのである。

Nさんは品川あたりの工場地帯の中堅企業で働いていた。遠くはないが近くでもない。時々飲んだことがあるが、たびたびではない。過去10年間で、せいぜい6・7回くらいだと思う。Nさんと二人で飲むということもあったし、やはりネットのISOの仲間が参加して、三人とか四人で飲んだこともある。5年ほど前から、会って飲むということはなかったように思う。仲が悪くなったわけではないが、二人ともISO審査を軽く流すようになり、もうISO14001の理想や問題点を熱く語ることもなくなったからだろうか?

Nさんは私より2・3歳上だったが、嘱託とかなんとかでずっと働いていたはずだ。
一緒に飲んでいた人に、Nさんが病気だったのかどうか尋ねたが、彼もそれ以上のことは知らなかった。ちょっとしんみりしてしまった。
思い返すと、私もISOに関わって20年、ISO14001でも15年になる。ISOのおかげで社内失業者から脱することができたし、リストラのときでもなんとか次の仕事にありついた。ISOには感謝している。皮肉な言い方をすれば、ISO審査で問題が多ければ多いほど、私の出番があり、存在感があったわけだ。ISOのトラブルに大いに感謝しなくてはならない。
そしてISOのおかげで大勢の人と知り合い、その中にはネットのコミュニケーションだけでお会いしたこともない人もあり、何度も飲んだ人もいる。ISOは、大勢の友人、知り合いを私に与えてくれた。そういう意味でも感謝している。
しかし、我が同志でお亡くなりになったのはNさんが始めてではないかと思う。もちろん、ネットだけの知り合いでその後音信のなくなったかたの消息はわからないが、会って飲んだ人では初めてだろうと思う。
Nさん、まもなく私もそっちに行くので、またISOの議論でもしましょうか。しかし、ISOのだめさを嘆くのもあほらしいね。

本日のエンディング
Nさんはタバコを吸っていた。最後のタバコに火をつけてやりたかった。
このフレーズがないと、さらば友よにならないでしょう?
ナンマイダブ

本日のお誘い
私は誰とでも見知らぬ人からお会いしたい、飲みましょうと言われれば拒否したことはない。まさか私を殺そうという人はいないだろう。ISO関係者なら大歓迎である。



N様からお便りを頂きました(2011.11.20)
さらば友よ を読んで
おばQ様
このサイトの歴史の一端を見たような気がします。
少ししんみりしますね。

実際に審査の現場を経験すると、第三者たる審査員が外部から見たマネジメントシステムの形を現場の人と話をすることは、価格に見合うかどうかはともかく、役に立つと感じています。(期待しています)
一方で、ISOとは関係ない世界から紛れ込んだ身としては、マネジメントシステムに第三者認証を行うというのは、とても変な世界だと感じています。
目下の悩みは、そのような疑問を認証機関の人間にぶつけてわかるのだろうか?あるいは、他の審査員に本音で話しても良いのだろうかと迷っていることです。
なぜかといえば、何となくなのですが、こうした人たちと話すと、審査はえらいものだ(お金をもらって当然だ)というオーラを感じていてしまっている自分がいるためです。
そのため、慎重に相手を見ながら話をしています。

おばQ様のブログやサイトは自分の審査に向かう時のスタイルづくりに参考になります。
今後ともめげずに頑張ってください。

N様 毎度ありがとうございます。
ここに書いたN様はもちろんあなた様とは違うN様です。それはまずご容赦願います。アルファベットは26文字しかありませんのでN様がたくさん生じてしまいます。
私は、ISOの価値とはなにかと考えると、審査の結果、会社がなにを得るのかではないと思います。
私は第三者認証つまり、外部に対してこの組織は規格適合ですよと裏書することだと思います。
ですから、N様が審査してその会社を認証することがISOの価値であり、それによってその企業がビジネスや、投資家から評価されれば元は取れるはずです。
企業を良くするということは、簡単にいきません。
サポーズ、自分の子供をしつけ、育てることはきわめて困難であり、十分にやったといえる人などいないのではないでしょうか。しかし他人の子供を見て、しっかり教育されたか(学校の成績のことではありません)を見極めるのは簡単です。
ISO審査もそれと同じことではないでしょうか。


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