内部監査実践論 その8 帽子掛けではないぞ

11.11.27
最近訪問した会社のことである。その会社は1998年にISO14001を認証したという。認証してから14年となれば、ISOの大ベテランのはずだ。
だって考えてご覧なさい、囲碁を習って14年経てば、どんなヘボだって初段くらいにはなりますよ。蕎麦打ちだって14年もそば粉をこねていれば、そばがきからは卒業して、食えるそばは作れるでしょう。おっと、プロ野球なら14年もすれば引退だよ、

さて訪問した目的である環境監査を始めると、ちょっと見ただけで、重大問題ではないが似たような問題が何度も起きているのが分かった。内部監査はどのようしているのかと聞いた。
先方は、内部監査の計画から、チェックリスト、報告まで一連の内部環境監査の記録を持ち出してきた。
まず毎年度、内部監査を計画したのち、経営者にその計画の説明と決裁伺いをしている。仕組みとしては立派なものだ。その中で前年度は、これこれこういった問題が発生し、また内部監査でこのような不適合があったので、それを重点にチェックしますと書いてある。なかなか良い。まさにISO規格を地でいっている教科書のようだ。少し期待が持てる。

ではそれがどのようにプログラムに反映されているかみようとして、監査プログラムを見せてというと、出てきたのは部門と日程と担当監査員氏名があるだけの表である。まあ、こんなものかと・・多少期待はしぼんだ。
それではチェックリストを見せてというと、出てきたのは4.1から4.6まで規格の文言が並んだ紋切り型で、いわゆる内部監査のテキストにあるようなものである。つまり「環境方針を、働く人すべてに周知していますか?」「環境方針は、一般の人は入手できますか?」というやつだ。私なら恥ずかしくて・・

だんだんとファイトというか、期待がなくなってくる。
まあ気を取り直して「計画書で重点にチェックしますとある、前年度の監査の結果は、どこに盛り込んでいるの?」と聞く。
指さすところをみると
「前年の不適合について、是正がされているかを確認すること」とある。
もうショックは受けなかった。ここまでの流れを見ると落ち着くところはこんなものだろうと予想がついていた。
それでも一応は最後まで聞かなくてはいけないだろう。もちろん期待はしていないけど。
「経営者への監査結果報告を見せてください」と私もけなげである。しつこいというのかもしれない。職業病である。
出されたものをみて、もう感動もショックも受けなかった。
そこには、「環境監査をしました。不適合が○件、観察事項が○件ありました。不適合の主なものは文書の旧版があったものと、教育計画通りに実施していなかったものです」と書かれている。
さもありなん、そうこなくっちゃいけません。
なにがそうこなくっちゃなんだ? なんて突っ込んではいけません。内部監査のレベルの低い会社は、計画だけ低いとか、チェックリストだけ問題だなんてことは絶対にない。計画も悪ければ、作業文書(チェックリスト)も悪いし、報告書だってまともじゃないのが普通なのだ。一人の人、あるいは同じグループが仕事をしていれば、その成果は同じレベルになるということだろうか。もちろんそれは内部監査に限らないわけだが・・
もちろん、過去の不適合や前回の監査結果を反映してチェックした(はずの)結果について書いてあるはずがない。
伺い出て決裁を受けたということは、工場長の命令である。命令に対して報告が見合っていないということは仕事をしていないということである。だってそうでしょう? A型製品を作れと言われたのに、B型製品を作ったら懲戒ものですよ。あるいは、示された設計仕様とは違った製品を、設計者の趣味で開発したらクビでしょう、普通は。
内部監査においてなら、命令されたことをぜずに、監査員あるいは事務局の趣味で違ったことをして良いということはありえない。

しかし計画のときに過去に発生した不適合について点検しますと書いてあるのに、報告書ではまったくそれに言及していない報告書を見て、その工場の工場長は何を思っているのだろうか?
いや、何も考えていないのだろう。あるいは内部監査報告書など読んでないのかもしれない。なにせ内部監査を、いやISO認証そのものも、町内会への寄付金程度に考えているのだろう。そんなものには期待しておらず、悪ささえしなければ良いと思っているに違いない。
だから、こんな内部監査に文句も言わず、それなりの担当者を配しているのだろう。
お仕事をしっかりと行うような人に、内部監査を任せるとは思えない。そういった有能な人は、営業とか開発とか製造といった重要な職務に配置して、会社に寄与する活動をさせているはずだ。
内部監査が評価されるには、評価に値する成果物を出さなくてはならない。設計なら立派な成果物を出さなくてはもっと有能な担当者入れ替えるだろう。だが、内部監査に何も期待せず、単にISOのためと割り切っているなら、担当者を質の低い人に入れ替えるというのは経営的には正しい判断であろう。

ところで、過去13回行われたISO審査で、このプアな内部監査はどのように評価されていたのだろうか?
好奇心満点の私であるから、お相手してくれた方に、過去のISO審査記録を見せてもらった。始めの数年は軽微な不適合というのが散見されたが、その後はずっと不適合はない。ISO17021が制定された以降はどの会社でも名称上は不適合はないが、是正を求める観察という摩訶不思議なものを見かける。しかしこの会社では名称に関わらず、是正を求められたものは1件もなかった。
審査員はこの内部監査を見てどう思ったのだろうか?
以下のどれに該当するのでしょうか?
 ・この内部監査が不適合であると気がつかなかった
 ・あまり厳しい要求をしてもお客様に逃げられても困るから
 ・話してみたものの相手のレベルが低いので手に負えず放置した
 ・口頭では毎回指導を行っている
 ・どこもこんな程度ですよ、気にしちゃいけません

あまり大きな声では言えないが、ISO事務局とか内部監査なるものを担当している人はどこも超エリートとか、優秀という人はいません。もちろんISO認証するときには、短期間切れ者をアサインするケースはある。しかし認証して何年も経てば、他部門では使い物にならない人とか、定年直前の姥捨て山的な職場であることは事実である。
いや、ISOばかりではなく、環境という業務もそんな風に見られているようだ。
別の会社の環境課長がこぼしていた。
「人がほしいといっても、やる気のない奴とか、病人しか回してもらえないんだよね。○○君なんてさ、ISOを担当をしてもらっているんだが、審査の前になると必ず病気になるんだ。審査が終わるとけろっとして出勤してくるよ。おれの気持ちが分かるか!」
分かるよ、その気持ち・・、○○君の気持ちも分かるような気もするが・・
彼は、バタ休することで、あまり難しい仕事をさせないでくれというメッセージを伝えたいのだろう
あるいは体は健康そのものでも、頭のほうはあまり丈夫でなかったりする。
医薬用外
劇 物
監査結果、「第1工場の東側の危険物庫で劇物を保管している容器に、毒劇物法で定める劇物の表示がない」という不適合があったとしよう。
その是正報告に
「原因はそういう法規制があることを知らなかった。対策として表示をつけた。また危険物保管庫の要領書に表示をすることを記述した」
なんてのが来る。
私にはどうも原因と対策が見合っていないように思える。深堀りしろなんてはいわないが、法規制があることを知らなかったなら、今後は「どのような法規制が関わっているかを知る方法を考えること」が是正処置(再発防止)ではないかという気がする。だって、劇物の表示がないのは再発しなくても、法規制の見逃しは再発するような機がする。いや、気がするだけだから私の間違いだろう。
そういった文章を書いてくる人に、いくら言葉を尽くして説明しても理解してもらうことは困難である。あるいは、ひょっとして分からない振りをしているのかもしれない。

私は監査をしていて、理詰めでドンドン追い詰めたりすることはしない。そんなことをしても相手も辛いだろうし、私も楽しくない。だから東北弁でこれはおかしいんじゃないかということを言い、相手に気がついてもらうという方法を取ることが普通だ。でも、今言ったように、そんなアプローチでは知らない振りをしているのか、本当に理解できないのか、どうにもならないこともある。
じゃあ、理詰めでいけばよいのかといえば、そういうアプローチでも理解できない振りなのか、理解できないのか、わかりませんねという人にはもう手がない。
「化管法が変わって、MSDSは2009年10月以降のものを入手しておかなくてはならないんですよ」
「はあ、それは知りませんでした。どこに決まっているのですか?」
「環境省と経産省、厚労省などの共通の告示が出てまして・・・」
「それで何をしなければならないんですか?」
「ですから、おたくで使用している化学物質について新しいMSDSを取り寄せなければならないんです」
「はあ、なんのために、そんなことをしなければならないんですか?」
「安衛法などで雇用者は使用している人の安全のために化学物質の情報をですね・・・」
「それでどうすればいいんですか?」
「ですから、2009年以降のですね・・・」
そんな応酬をすると、私は疲れきってしまう。相手はそれが目的なのかもしれない。でも、行政に見つかったり、あるいは事故が起きたら困るのは相手だ。もっともそのときは病気休暇という切り札があるから怖いものなしなのだろう。職業倫理とか、仕事に対する誇りとか言ってもせんのない話である。

良い監査をするには、良い監査員だけでなく、良い被監査者が必要だ。オーケストラは、良い演奏者だけでなく良い観衆が必要だ。サッカーでもプレイヤーだけでは良い試合ができず良いサポーターが必要だ。

本日の一言
ひょっとして、お嬢様の頭は帽子掛けでございますか?

本日の弁明
おばQの口からでまかせの創作ではないのかとお疑いのあなた・・
残念ながらそうではありません。世の中は広い、驚くようなことがたくさんあることを知りました。


さっそくぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2011.12.04)
要は、(会社としての)やる気の問題ではないでしょうか。
もちろん、認証維持とかそんなチンケなことではなく、いい会社にしたい、儲かる会社にしたいということでのやる気です。

まいどありがとうございます。
世の中には帽子より帽子掛けが多いようです。

名古屋鶏様からお便りを頂きました(2011.12.04)
鶏的には「頭は帽子の台ではない」は「謎解き〜」よりもパタリロの方が印象が強いですね。
../pat1.gif 90年代のプロレス会場は観る側もプロでした。機微をわきまえているというか、ノリが良かったというか。アメリカのWWEプロレスなんかを観ていると観客のリアクションが如何に重要なのかが良くわかります。
「楽しみたい」と思えば、まず自分が積極的に「楽しむ」ことでしょうね。「良くしたい」と思うのであれば自分から改善しないと。受身ではダメだと思います。

鶏様 毎度ありがとうございます
すると、被監査側が良くしたいという思いがないことが最大理由となります
しかし認証を維持するだけという意識なら、現状が最小のインプットで効率的なのでしょうか?
しかし遵法は良くしたいという問題でもないし・・・悶々


外資社員様からお便りを頂きました(2011.12.05)
佐為さま
いつも生々しく、かつ参考になるお話を有難うございます。
認証して何年も経てば、他部門では使い物にならない人とか、定年直前の姥捨て山的な職場であることは事実である。
いや、ISOばかりではなく、環境という業務もそんな風に見られているようだ。

この見方から、思い出したダメ文句があります。
「輜重輸卒が兵隊ならば、トンボ 蝶々も鳥の内」
旧軍の この思想から、どれだけの兵隊が、戦いもせずに餓死した事か...
当たり前の事ですが、会社の中には、ダメで良い部門や、役割はありません。
姥捨て山的な職種や部門を作っているならば、それは経営が怠慢な証拠と思います。
私みたいな外資の場合には、来年の雇用契約が無いか、職責相応に減給です。

結局は、ゆるい体制を 当たり前としているのでしょうね。
それでも会社が成り立つのですから、結局は 内部留保があるとか、余裕があるという証明にはなるのだと思います。

外資社員様、こちらこそいつもご教示いただいております。
「輜重輸卒が兵隊ならば、トンボ 蝶々も鳥の内」
昔、私が社会人になった頃、年配の人がこの言葉を節をつけて歌ったことを思い出します。
湾岸戦争で多国籍軍がいかに犠牲者が少なく短期決戦で勝利したのかということについて、当時のパウエル統合参謀本部議長が兵站を整えたことによるといわれています。戦争でも会社でも輝いている人たちも、それを支える人たちがあってこそです。
日本の太平洋戦争の戦死者の多くは戦死じゃありません。病気や餓死でした。マラリヤでやられた兵士も多かった。アメリカはDDTでマラリヤ蚊を駆除したし、栄養が良かったので病気などによる死者はほとんどいません。
悲しいけどそれが実際でした。
私の叔父二人が靖国に祭られていますが、一人は中国で戦死しましたが、もうひとりはマレーで病気で亡くなりました。本人としては死んでも死しにきれなかったのではないでしょうか。

おっと、今まではISOに捨扶持を与えていても会社は成り立っていたかもしれません。しかし今現在は世界的に非常に経済情勢が厳しい状態です。役に立たないISOなら止めろ、役に立たない人なら会社はいらないということになるのは必定でしょう。
そのときこそ、本当に役に立つISOになるかもしれません。そして元々会社にいらない人なら、義務で雇用することもなくなるでしょう。社会主義でもなければ、それが当たり前のことですね。


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