品質目標と環境目的

11.12.18
最近、面白いことはないかとネットを歩いていたら、私と正反対の意見を見つけて驚いた。某ISOコンサルタントのウェブサイトであるが、そのコンサルの方は、ひとつの改善テーマを、品質目標と環境目的にあてはめるのは間違いだという。品質目標となるものと環境目的となるものは、厳然として異質であり、別個のものであるという。

2011年時点に有効な版のISO9001とISO14001の構造は同じではないが、どちらも改善テーマを掲げて改善活動を推進することを求めている。ここで面白いのだが、その改善テーマを、ISO9001では品質目標といい、ISO14001では環境目的という。
目的と目標は同じなのだろうか? いや、ISO14001では環境目的と環境目標がある。これはなにか深遠を語っているのか? メビウスの輪なのだろうか? なんて悩むまでもない。原語が同じ objective であるものが、日本語に翻訳された時期によって、目的と目標と違った理由は、せいぜい、翻訳者の趣味か、いいかげんさによるものだろう。更に環境では目標と目的という、日本語本来の意味とはずれた使い方をされたに過ぎない・・と思う。
JISに翻訳するとき、マネジメントシステム、コミュニケーション、プロセス、なんて訳しにくいところはカタカナに逃げたのだから、目的とか目標といわずに、オブジェクトとかターゲットといってくれたほうが、後々いろいろな問題が起きなかったと思う。
似たようなことだが、RoHS規制が始まったとき、アーティクルを成形品と訳して混乱したことがあった。あれも変に日本語にせずに、アーティクルで通すべきだった。当時を知る人は「あんな時代もあったねと〜♪」と中島みゆきを歌うことだろう。

さて、一度でも会社で管理者をしたことがあるなら、環境改善のテーマと、品質改善のテーマと、費用削減のテーマと、法改正対応のテーマと、その他もろもろのテーマを分けて考えることに意味があると思う人はまずいないだろう。いや、そんなことは会社だけでなく、家庭でも個人でも同じだ。やらねばならないことがあり、それをするだけなのだ。
もちろん、改善テーマが複数あってはいけないということではない。しかし、しなければならないことを、これは品質のためとか、これは費用削減のためと、分類する意味があるのだろうか?
このテーマは品質改善にもなるし、環境にもよいし、費用削減にもなると考えることが悪いとは思えないし、現実の改善とはみなそういったものである。
言い方を変えれば、品質改善になるが環境に悪いという目標を立てたなら、それははじめから間違っているということだ。もっとよく考えて、品質改善にもなり、環境も良くなることを目標にしなければならない。
これまた、会社だけでなく、家庭でも個人でも同じだ。環境によいからと、健康を害したり、余計にお金を使うことが、あるべき姿と考える人がいるはずがない。
親のためだからと子を犠牲にすることも誤っているし、子供のために親をおろそかにするのも間違いだ。要するに人は両方を立てるように行動しなければならない。
もっとも最近は、環境のためならお金がかかってもよいとか、苦痛であってもそれが気持ち良いという、不思議な新興宗教がはやっているようだ。

ともかく、このコンサルタントがいうように、ひとつテーマを環境向上と品質改善にあてはめるのが悪いという以前に、これは環境のテーマ、これは品質のテーマと分けて考えるという発想そのものが、間違いだろう。

もう30年以上前のことである。私がまだ現場監督にもならないペーペーのときのこと。私の直属上司が言ったことである。
「小集団活動も、安全も、原価低減も、ひとつのことをすれば良い。それぞれについてテーマをあげて活動しようとしても、息切れするのがオチだ。あれもこれもするのではない。会社ではプライオリティをつけて唯一つを追求する。それが安全につながり、原価低減につながり、納期短縮につながり、働きやすい職場を作る、それこそが小集団のテーマであり、会社の方針展開であるのだ。」
そして部下の作業者には、あれもこれもと複雑なこと、余計なことをさせなかった。その代わり、その唯一の目標は必達させた。
他の部署では、原価低減の目標、安全のテーマと活動、小集団活動、その他いろいろなことを推進していたが、私のいた職場では、各人が一度にしろと命じられることは、唯一つであった。
それを見ていて、管理とは複雑なことを単純化すること、少なくても部下にはあまり考えさせないといっては語弊があるかもしれないが、悩ませるようなことをさせないことだと思い至った。
その後、私はその方の後を継いで現場監督になったものの管理者としての能力がなくて、ほどなくしてクビになり、ISO認証の担当となった。
だが一度でもそういう指導を受けて、そう考える癖がついていたものだから、どこに行ってもそれ以外の考え方ができない。だから、ISO規格でいう品質目標など、わざわざ考えるものではないと割り切った。つまり私は、ISOの品質目標というのは、新しく考えだすのではなく、従来からの工場長の毎年度の指示・命令を各職場、各人に展開し実施していたことであると考えたのである。
それは、文書や計器管理やその他ISO規格要求すべてについて、新しく設けるのではなく、過去からしていたことを参照すれば済むと考えたことの一環でもある。

1992年に、初めてISO9001の審査を受けたとき、審査員のそばについていた。その審査員はラインのパートに「あなたのお仕事では、どのようなことが重要と考えていますか?」というようなことを質問した。 そのパートは「不良を後工程に流さないようにしようと考えています」というようなことを返した。 審査員は、品質方針の項目に、末端のパートまで工場長の方針が理解されているとかメモした。それを見て、品質方針の周知とは覚えることとかカードを配ることではないのだと確信した。
当時から、ISOの方針の周知とは方針のカードを配ることと言われていた。都市伝説は20年も健在である。
その方は岩■さんといい、外資系の某認証機関のエライさんであった。私が尊敬する数少ない審査員のお一人である。あれから20年も経つ、とうに引退しているだろう。

また、私は品質目標というものは、品質を良くすることに限定されるものではないとも考えた。そもそも品質とはいわゆる製品品質に限定されないと思ったし、職場ごとに内容が異なるべきものだと考えた。
私たちは、ISO規格の定義によって仕事をしているわけではない。
工場の受付の態度も、資材部門の他部門への対応も、植栽の手入れも、すべてを内部や外部の人が見ているし、それによって会社の評価がされるのだから、すべてが重要なのだ。
だから品質目標とは例えば、資材部門においては、納期短縮のこともあり、仕掛を減らすこともある。製造部門においては、ライン不良率を下げる場合もあり、安全目標であることもある。スタッフ部門においては新設備を計画とおりに導入することであり、新機種立ち上げを支援することでもある。情報システム部門においては、新しい情報処理システムを納期どおり稼動させることでも良いと割り切った。
その後、ISO14001が登場したときもそうとしか考えなかった。こちらは明白に、環境目的・目標なんて要求したほかに、それを実現するために環境マネジメントプログラム作成まで要求している。私はそれにも驚くことなく、今まであった新機種開発計画、新設備導入計画、安全対策などなどが、勤めている工場の環境実施計画であるとした。 つまり環境実施計画という固有名詞の書き物(オブジェクト)は存在しない。目的目標としては、従来から工場で進めている改善テーマをとりあげ、そこで引用する具体的スケジュールは、従来から存在していた開発計画や、新設備の導入から立ち上げの計画表などを参照しただけだ。
過去からしている活動テーマを目的目標に当てはめるというアイデアは、多くの人がしていると思うが、それぞれの計画表をサマリーして、ひとつの表にまとめているケースが多い。でも規格ではprogramme(s)と複数形も示していることから、まとめることをしないでそのままというこの解釈でも良いはずだ。

私は、「環境実施計画」に当たる会社の文書が、どのような名称であっても良いことは当たり前だと思っている。しかしそう思わない人も多い。
ISO14001が2004年に改定されたとき、「環境マネジメントプログラム」が「環境実施計画」と規格の中の呼び名が変わった。それを受けて、知り合いの多くが社内の計画表の「環境マネジメントプログラム」という表題を「環境実施計画」と改めた。私にはそんなことは、時間と手間の無駄としか思えなかった。
もっとも彼らは、ISO事務局の仕事はとても大変なのだというメッセージを発信したかったのかもしれない。
ISO9001の2008年改定のとき、要求事項の変更も追加もないと言われていたが、規格の変更に合わせて、手順書の表現を変えた会社も多いことだろう。それも無駄だ。
但し、マニュアルが規格と社内のシステムと文書をつなぐものという私の思想からすると、規格改定のたびにマニュアルを変更することはやむをえない。マニュアルなんてどうせ社内では、読まれることはないのだから。

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お断り、
ISO9001:2008の4.2.2からは、品質マニュアルとはそういう存在でしかない。マニュアルで仕事しろとも、社員がマニュアルを読めとも書いてない。ISO14001:2004ではマニュアルという言葉もない。多くの認証機関では、環境マニュアル作成を要求しているが、その目的と性格は、ISO規格と社内文書の対照表であり、業務手順書を意味しない。
その意味で、マニュアルに規格文言が足りないなんていう不適合は、アホとしか言いようがない。マニュアルは対照表なのだから、そこで引用している社内文書がISO規格を満たしているかをチェックするのが審査員のお仕事である。
マニュアルが立派でも、社内の文書にそれが展開されていなければ意味がないだろう。

私は、ISO認証が始まった初期の頃から、そのような解釈でISO9001もISO14001も審査を受けた。いちゃもんをつけるのが仕事の審査員の方々も、そのような私の解釈には異議を申し立てなかった。
異議を申し立てるというのは、通常、審査を受ける側が審査員に対して行うことだから、この場合は、不適合だという見解を示さなかったというべきだろうか?
目的のプログラムと目標のプログラムの両方が必要ですとか、目的は3年先でないとだめですという審査員は大勢いたが、環境実施計画が環境実施計画という名称でなければならないといった審査員は一人もなく、テーマごとに別個の環境実施計画ではだめですといった審査員もいなかった。
たぶん、それが正しいのだろう。なぜなら、会社は改善テーマをいくつも考えるほど暇ではなく、ましてISOのためにわざわざ余計なことをするほど余裕はないからだ。

もちろん、なかには納期短縮が環境目的・目標として不適だと考える人がいるかもしれない。著しい環境側面から環境目的を選ぶという理屈では、往々にしてそういう考えになるかもしれない。確かに納期は著しい環境側面にはなさそうだ。
だが、その発想は間違っている。
環境目的は著しい環境側面から選ぶのではなく、環境方針を実現するためのものだ。そして経営者の方針において、環境も品質も分けることもおかしな話だ。
品質目標と環境目標に、ひとつの改善テーマをあてはめることをとやかくいう前に、ひとつの改善テーマを、品質だとか環境だとかに分けることができるのだろうか?

いろいろ考えて見たものの、「品質目標と環境目標に、ひとつの改善テーマをあてはめるのは間違い」という考えを合理化する理屈は考えつかなかった。

本日の謎
ひとつのテーマを実現することが、環境目的であり品質目標であることが、悪いという理由はなんだろうか?
システムが単純化されて、コンサル料金が安くなってしまうのだろうか?



さっそく名古屋鶏様からお便りを頂きました(2011.12.18)
ひとつの改善テーマを、品質目標と環境目標にあてはめるのは間違いだという

以前に来た審査員閣下はその反対に「品質目標が環境目標であり、電炉の高効率化なんて紙ゴミ電気です。本業に眼をやりましょう!」と仰せでした。
品質を1%向上させるためにエネルギーを5%増やすこともありますが、猊下におかれましては「そうした行為を見過ごしてはいけません」と仰せのことも。私らは省エネのために生産をしてるんじゃないんですけどね。
アホの相手は疲れますわ。

鶏様 毎度ありがとうございます。
紙ごみ電気というのは、オフィスなどでの活動を揶揄すると思っていました。製造業においては、多くの場合、電気こそが最大の著しい環境側面となるのが当然でしょう。そしてそれこそが本業では・・
環境に限らず実際の仕事は一次方程式じゃなくて、高次の連立方程式であり、しかも解がないかもしれないのです。
審査員の相手をする甲斐がないなんて・・
そういう実態を理解しないと審査員以前に、会社員が務まらないように思います。


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