「小室直樹の中国原論」

12.06.09
著者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
小室 直樹徳間書店4-19-860456-81996/4/301800円全一巻

1980年のことだと思う。タモリのテレビ番組で「ソビエト帝国の崩壊」という本が出たという話があった。当時はソ連が崩壊するなんて想像もつかなかった。ソ連は強力で、アメリカとは冷戦続行中である。
そして冷戦ではなく、熱い戦争であるアフガン侵攻でドンパチをしていたときだ。アフガンの戦火は拡大して、明日にも日本まで飛び火するのではないかと気が気ではなかった。
../tank.gif そんなときにソ連はあと10年で崩壊すると、小室直樹は語ったのだ。予言者か妄想狂かどちらかに違いない。私は興味を持ってその本を買った。細かいことは忘れたが、その本の中身は、兵器とか戦略がどうのとか論じているのではなく、文化とか、歴史から論じて、ソ連という国はやがて国を支えきれなくなるから内部から崩壊するという結論を導き出したように記憶している。それを読んで、そういう発想があるのだろうか? その予想は信用できるのか? 私には判断つかなかった。
それから10年後、ソ連は崩壊した。チェルノブイリの原子炉事故による大きな影響があったにしろ、ソ連の経済は軍備を支えきれずに内部崩壊したことは間違いない。
そしてアフガン侵攻も軍事的に敗北して引き上げていった。アフガンはソ連のベトナム戦争だった。
ともかく小室直樹は「ソビエト帝国の崩壊」で預言者の地位を確実にしたことは間違いない。彼はほら吹きではなくオオカミ少年でも狂人でもなかった。
だが、小室さんヤオハンを持ち上げているが、ヤオハンはこの本が出た1年後に中国で失敗し消滅している。小室さんの目が節穴だったのか、中国ビジネスがとてつもなく困難なのか、どうなのだろうか?

この本は中国原論とタイトルしているが、実際は日本人論であるように思う。日本人は特別だとか、異質だとか、日本の常識は世界の非常識だとか言われる。しかし、小室さんは決して中国人が異質ではないという。そして「どの国民もすべて異質なのだ」と論じている。そう言われると反論はできない。しかし若干、悪魔の証明的な論理にも思える。
この本を読んで、自分を振り返ると、思い当たるというか、まいったなあということがある。
小室さんは人の共同体はいろいろあるが、主なものとして血縁、地縁、宗教を上げている。
私の場合で考えると、血縁はとうの昔に希薄している。まず年賀状なんて叔父さん叔母さんは義理でやり取りしていたが、ほとんど鬼籍に入り今は二人くらいしかいない。従弟の関係になってはもう年賀状のやりとりもない。田舎にいた時は、お葬式や法要で呼ばれたりしたが、都会に来てからはもうそんなことはない。後で聞いて驚いたのだが、生存している叔母のところに田舎の友人が私に連絡を取りたいと住所を問い合わせたそうだが、叔母は知らないと回答したそうだ。その友人と私の関係を叔母はもちろん知っていたがめんどくさいというのがその理由だったと聞く。要するにもう叔母は私のことを赤の他人と思っているということだろう。
私の兄弟とは年賀状のやり取りはあるが、あとは甥や姪の結婚式のとき呼ばれた程度で、たかだか電車で1時間半程度の距離に住んでいるが、もう数年会ったことがない。
中国では共産革命や文化大革命でも血縁は影響されなかったというが、私の場合は兄弟は他人の始まりどころか、既に赤の他人のようだ。
地縁はどうかというと、これまたまったく縁がない。私は事情があって家を出たが、それ以降生まれてからずっと住んでいた隣近所とはまったく縁がない。田舎は都会と違い人に付き合いは濃厚だなんていう人もいるが、私の場合はまったくない。もっとも私が子供の時住んでいた長屋は、戦争後引揚者用として作られたところで、長い歴史があったわけではなかったこともあるだろう。私が生まれた時に作られた長屋だから、私がそこを去ったとき、そのコミュニティはせいぜい25年の歴史しかなかった。親が子供のころから生まれ育ったところならまた違ったかもしれない。
さて宗教となると、現在のお寺は葬式と法要以外お世話になることはない。お彼岸、お盆はお墓には行ってもお寺には寄らない。要するに宗教上の人のつながりは全くない。
小室は日本の戦後は、企業が共同体の役目を継いだというが、どうだろうか? トヨタは従業員を囲い込み冠婚葬祭から死ぬまで面倒を見ているらしいが、そういう企業は特別というか例外だろう。
普通の企業は勤務している時間だけの関係だろうと思う。
そう考えると中国人と日本人を比較すると、いかに日本人が個人主義ではなく個人個人バラバラに存在しているという感じがしてくる。それはある意味、自由で気楽だが、見方を変えると、さびしい人生ともいえるだろう。
そんなことを考えると、この本は「中国原論」ではなく「日本原論」である。
とりあえずの結論として、私は中国に行きたくない。観光旅行でも行くつもりは全くない。
別に中国が悪の国と思っているわけではないが、価値観や文化の異なるところにわざわざ行くことはあるまい。それは選択の自由だ。



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