「ISO14001審査登録Q&A」

12.07.09
実を言って引退してから暇を持て余している。それで、あちこち出歩いているというか、家の中でゴロゴロでなく、外でブラブラしている。行先としては、フィットネスクラブ、市の図書館、大学の図書館、公民館など、あまりお金がかからないで長い時間いられるところが良い。今の時期はエアコンがきいているところならなお良い。
私はパチンコ、スロットというものはどうも肌に合わない。というかしたことがない。
ラスベガスのスロットマシーンは大好きなのだが・・・
あちこち行って気が付いたのだが、平日はいたるところ老人があふれている。健康な老人はフィットネスクラブに行き、少し体力が落ちると図書館に行き、更に体力が落ちると公民館に行き、もっと体力が落ちるとデーケアになるとみた。
フィットネスクラブに初めて行ったとき、私のような老人はいないだろうと思っていたらとんでもない。ひょっとしたら私が一番若いのではないか。プールでたまたま話をした方は80歳とのこと。今まで卓球をしていたがボールの速さについて行けなくなったので、今はスイミングを主にしているという。私の歳で第一線から引退したのは犯罪のように思えてしまった。
また18年ぶりに碁でも打とうかと老人福祉センターに行ったら、70過ぎたらおいでと言われてしまった。還暦を過ぎたばかりでは、まだ老人の仲間に入れないようだ。

ともあれ、そういうことで図書館で時間をつぶすことが多い。大学の図書館は子供たち(大学生)が多くて、落ち着いて本を探したり読んだりすることができない。 一方、平日の市の図書館はまさに老人ホームだ。ものすごい数の老人、それも70歳以上と思しき(おぼしき)方々であふれかえっている。
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年老いても勉学に励んでいるのかと思いきや、そうではない。観察すると、数独(ナンバープレース)をしていたり、携帯ゲーム機で遊んでいたり、俳句(川柳?)を考えてノートに書いていたり、することもなければ居眠りをしていたりという悠々自適、自由奔放、傍若無人である。
私は図書館とは本を借りるところという刷り込み思い込みがあるために、借りる本を探すという行為しかしない。そして、やっぱり癖というかしがらみというか、環境とか品質なんてコーナーを見ることが多い。

書庫をさすらっていて、この本「ISO14001審査登録Q&A」が目に入った。
著者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
EMSジャパン日刊工業新聞社4-526-04297-81998/12/251500円全一巻

タイトルを見るとマタタビを見つけた猫のように私は棚から本をとった。ずいぶん古い本である。発行日を見ると1998年である。ISO14001が制定されたのが1996年末、ISO規格のドラフトによる仮認証は1996年から行われていたが、本格的に広まったのは1997年末からだろう。
この本はISO14001初心者を相手に環境ISOってこんなものだよと啓蒙しようとして書かれて、そして売られたものだ。
さて、それから14年が経った。現在は5年ひと昔、10年前なら大昔、14年前ならジュラ紀かもしれない。その間にISO14001規格の改定は一度あったが、内容的には大したというか、全然変わりはなかった。この本は今でも通用するのであろうか。

表紙をめくると「推薦の言葉」とあり、そこで「巷には、ISO14001の取得のための評論家的解説書が氾濫する中で、当著書は実務者の手引書として利用価値が極めて高い書である」とある。
しかし推薦者の肩書が「ISO推進担当取締役」とあるのを見て、あまり期待できそうにないと感じた。「ISO推進」って何をするのだろうか? ISO認証を推進するのだろうか? でも認証なんて1回したらおしまいだし・・ISO活動を推進するのだろうか? でもISO活動ってなんだろう? 従来からしていた業務以外にISOのための仕事があるはずがない。
ISOの仕組みを推進すると善意に解釈しようとしても、ISO規格は仕様書であり設計図ではないから推進しようがないのではないだろうか? ま、そのような方が推薦するのだからきっと・・
某CSR先進企業にはCSR部門がないと聞いたことがある。購買、設計、営業などは事業そのものであるから担当部門がなくなるはずがない。しかしスタッフ部門は事業そのものではなく、支援するのが仕事であるから、その思想や手順が本来の職制に溶け込んでしまえば存在する必要がない。
ISO認証時にISO事務局が存在しても、数年すれば事務局は消滅するはずだ。もしISO認証して10年経ってもISO事務局があれば、その会社はISOに使われていると言っても間違いではないだろう。そして事務局担当者が無能であることも間違いない。
コンサルでなく、ISO認証業務を両手以上してきた私がいうのだから間違いない。

そんなことを考えると日が暮れてしまうから、とりあえず疑問はおいといて、このISO14001黎明期に書かれた解説書、ガイダンスが推薦文のように有用であったのかを検討しよう。
まず本の構成であるが審査登録とはどういうものであるかの解説というか、Q&Aがある。
当時は「認証」とは言わず「審査登録」と言った。私は「審査登録」という更に前の「認証」と言っていた時代からISOに関わってきた。ジュラ紀どころかそれよりはるか前の古生代から生きている化け物である。
 (注)シーラカンスはジュラ紀より下った白亜紀末の生き物である。
それから審査登録機関とはどういうものか、ISO14001導入する方法とそのQ&Aがある。
その後に審査登録の手順、審査の状況とそれに関するQ&Aが続く。
全Q&Aについて検討を加えても疲れてしまうし、審査登録から認証への制度の変化もあり、審査員研修機関の認定制度も現在は審査員評価登録機関の承認と大幅に変わっており、また認証の仕組みなどは今や常識となっているのでそういうものは論じることもないだろう。
ということで、私の独断で面白そうなものだけ、まな板にあげて論評することにする。
もし、みなさんがこの本を読みたくなったら、多くの図書館で埃をかぶっているようですから借りてお読みください。新品は手に入りませんし、アマゾンで古本を買うまではありません。
ちなみにアマゾンでは1円で中古本がでています。

    以下、色のついている文章は引用文である。
  1. ISO14001はどうやって導入するのでしょうか(p.61)
    「ISO14001導入」という表現をみると、私は本能的にツッコミというか、そのおかしな点を10,000字くらい叩きたい衝動に駆られるが、銭にならないから短文で止めておく。
    「導入」ってどういう意味なんでしょう?
    「ISO14001」を導入するってどういう意味なんでしょうか?
    この本を書いた人たち(著者として7名のご芳名が書いてある)はISO14001とは導入するものとお考えだったのでしょうか?
    それとも、何もわからない下々がそういう疑問を持つだろうとお考えになってQ&Aを設けたのでしょうか?
    「導入する」でググルと、ハイブリッド車を導入する、自動倉庫を導入する、クラウドを導入する、太陽光発電を導入、なんてのが出てくる。それらはそのまま利用できる仕組みなりハードなりソフトである。要求事項なり仕様なりが「導入」という文に用いられたものはない。
    ISO14001に限らずISOのマネジメントシステム規格は、仕様であり要求事項を羅列したものです。ですからそれを満たすシステムを作ることはできるけど、それを導入するということはありえません。
    たとえ話をすれば、お客様から製品の仕様書を出されたとき、それで制作することはできません。その仕様書を満たす設計して、はじめて制作することができるのです。
    だから日本語としては「ISO14001規格を満たすしくみはどうやって構築するのでしょう」としないと意味が通じません。きっとこの著者たちは言葉の意味を深く考えなかったのでしょう。

  2. 導入の範囲はどう決めたらよいでしょうか?(p.67)
    導入はもうあきらめよう。このクエスチョンについて異議を申し立てるのではない。
    そのアンサーの中に「ISO14001は継続的改善活動であるため、数年で改善対象がなくなるような範囲設定では、すぐに活動が行き詰まるでしょう」とある。(p.67)
    こんな論理をみると、私はアドレナリンがあふれてきて困る。このセンテンスを読んだだけで、これを書いた方はおかしいと思う。とても変な考えである。
    疑問点は多々ある。
    継続的改善とはなんでしょうか? 定義では「組織の環境方針に沿って全体的な環境パフォーマンスの改善を達成するための環境マネジメントシステムを向上させるプロセス(1996年版の定義)」である。意味を取り違えていませんか?
    大幅に譲ったとして、いかなる分野、いかなる組織においても、改善活動が終わってしまうということがあるのか?
    認証範囲は改善の有無で決定するのか! 新説である。あっつ、旧説だったね。
    このセンテンスに対して疑問はその他いろいろあるが、以下省略

  3. 推進体制の組織化はどのように進めたらよいでしょうか?(p.70)
    この文章を書いた人は間違いなく組織で働いたことがない。あるいは一度でも会社員、公務員、学校などで働いていたならば、組織というものをまったく理解しなかったのだろうか?
    すべての組織は、組織化されているから組織じゃないのか?
    会社なら社長あるいはイクイバレントを頂点にハイラルキーを形作っていて、それが組織そのものである。もしその組織においてそれ以外の指揮命令系統があるとすれば、それはまっとうな組織ではない。一度でも会社勤めをしたことのある人ならご理解いただけるだろう。命令も実施も報告もすべて命令系統に基づいて動く。
    昔、グアム島などで残留日本兵がいると言われたとき、天皇陛下が行って戦争が終わったと告げに行くべきだと語った人がいた。それに対して山本七平が「軍隊において命令を出せる人は直属上官だけであり、天皇陛下の命令でも従うはずがない」と解説していた。軍隊であろうとなかろうと、命令は直属上官から受け、自分の直接の部下に出す。報告はその逆なのは当然である。
    ISOを認証するならば、当然会社の職制に基づいて実施するのは当然ではないですか?
    ISOのための組織を確立するのが肝要というが、私は寛容できません。それとも何事か新しいことを始めるとき組織化と言い出すのは慣用なのでしょうか?
    最近は私のダジャレも力が弱くなった。年を取ったせいだろう

  4. 環境影響評価はどうやって行うのですか?(p.74)
    この著者たちはISO規格をしっかり読んでいるのかという疑問を払しょくできない。環境影響評価を実行するという(p.74)、著しい環境側面を特定する(p.75)という。
    1996年版にはそういう語句はない。ついで言っておくと2004年版にもない。規格にないことをやれ、やらなければならないというのは規格と異なることは明白で、発言者の意思がこもっているのではないか。
    まあ、これは言葉の問題である。単なる言い違いだよというなら、人間には間違いはある。
    もっとも間違いを教えてお金を得ることは道義上問題ではなかろうか?
    いや、道義上だけではない。規格にないことを言いだして、審査員ごとに異なるISO規格解釈が幅広く行われるようになって、この国のISOはダメになってしまったのです。
    私は審査で「私がいうのですから間違いありません」と審査員が語るのを何度聞いたことか・・・

  5. 環境目的・目標はどう設定しますか(p.80)
    著しい環境側面は、環境目的・目標として展開されるよう展開されるよう配慮することが望まれます。(p.80)
    まったくの間違いである。これは規格制定時から変わっていない。環境目的・目標は環境方針の実現であり、その際に環境側面もちょっとだけ気を使わなければならないということなのだ。
    環境目的・目標は組織の関連するあらゆる部門・階層で必要とされます。(p.80)
    完璧な間違いである。そして残念なことに間違える人が多かったから、2004年改定で言い回しが見直された。じゃ、この当時は間違えても仕方なかったのかといえば、そりゃ文字通り読めば、そうは読めないのだからやっぱり有罪だろう。
    だがその前に、この著者たちはISO規格がそういっているからしなければならないという天動説である。なぜ必要とされるのか? 自分たち、あるいは会社が必要でないことも実施しなければならないと考えるその頭の中が理解できない。
    企業人ならそういう発想をしないだろう。営利企業であれ、自治体であれ、NPOであれ、ISO規格に〇○することとあれば、無用なことでもするのだろうか?

  6. 監視測定はどうおこなったらよいでしょうか?(p.82)
    面白いというか、驚くべきというか、信じられない記述がある。
    「監視測定した結果はその実施者・部門の環境マネジメントシステム管理者、環境管理責任者へ伝える必要があること」(p.83)
    まず日本語として、実施者が実施者に伝えるという論理が不明だが、それは間違いとみなす。また環境マネジメントシステム管理者というものは、規格にないのでどんな者かもわからないが、それもどうでもいい。
    ここで問題とするのは、なぜ環境管理責任者へ伝える必要があるのかということだ。
    すべての組織は必要があって組織が決められる。スパンオブコントロールという言葉があるが、管理者は目の届く範囲には限りがある。そしてそれは仕事の内容によって異なる。
    単純作業や歩兵は一人の指揮官が30ないし50人を指揮監督できる。それで現場の班とか係と呼ばれる最下層のグループの大きさはだいたいそのくらいになる。軍隊でも小隊は50人前後となる。じゃあもっと人数が多くなったらどうするのかといえば、企業なら係をいくつかまとめて課、更に部というふうに、軍隊なら小隊を二つないし三つで中隊とし更に大隊、連隊と階層化するのである。
    当然報告は階層をさかのぼって行われる。各階層の責任者は単なる伝令ではなく、任せられた権限内の判断、命令を行う。 さて、監視測定項目とは、ひとつふたつではない。たくさんの監視測定結果をすべて環境管理責任者へ伝えるのだろうか?
    実際にすべての監視測定結果を管理責任者に報告したら、管理責任者は情報過多で適切な判断ができないだろう。
    ひょっとしてだが、監視測定結果とはEMS運用の情報すべてでなく、ISO審査で受け応えるために数件だけ見繕っておけばよい、それについては管理責任者に報告しておくべきだという論理なら納得だ。もちろんそれは間違いであるが。
    もう、この文章を書いたお方は、組織というものを全然知らないことが明白だ。

  7. 環境方針の作成はどうしたらよいでしょうか(p.84)
    規格で「〇○を含む」と記述された内容は、環境方針に述べられている必要があります(p.84)。
    こういう指導の結果、日本中の津々浦々に規格の文章そのままの環境方針があふれたのでしょうねえ、
    そして日本においてISO14001は斃れて再び立ち上がれなくなったのでしょう。悲しいことです。

  8. 文書体系はどう考えたらよろしいでしょうか(p.87)
    文書管理面では管理文書、非管理文書が明確に識別(スタンプ等)されなくてはなりません。(p.89)
    おお!そうですか、そうですか・・・私は嬉しくなってしまう

  9. 教育訓練はどのように行いますか(p.92)
    教育訓練は、事業者全体でISO14001をよく理解し、一致して環境目的・目標に取り組む等のために必要です(p.92)。
    この文章を書いた方は、間違いなく企業で働いたことがないだけでなく、ISO規格も理解していなかったに違いない。今はこの文章を反省しているのだろうか?
    知りたいものだ。

  10. 経営層の見直しをどう行いますか(p.97)
    イヤハヤ・・・(*´д`*)
    規格には経営層による見直しとあったように思う。いや、私がうろ覚えなのだろう。
    単なる言い間違えだよとは言えないだろう。なぜならこの本は規格解説を謳っているのである。企業の担当者が舌をかみそうだからと短縮していったわけではないのだ。
    ⊂(^ω^)⊃
    もっともこの本を参考にしようというアホな経営者なら、見直してしまうのが最善策かもしれない。

  11. 不適合の指摘・是正はどういうものですか(p.144)
    ISO14001の要求事項の1つ以上がシステムから完全に欠落している。
     例:教育訓練の手順が全くない(p.145)

    (*´Д`)
     規格では教育訓練の手順の要求以前に、教育訓練の要求もないのだが・・
このQ&Aをみて頑張った企業もあるだろう。いや、この本を読んで勉強した(つもりの)審査員もいたかもしれない。みんな悩んで大きくなったなんてコマーシャルもあったが、みんなこの本を読んで誤ったのでは困ったものだ。
もう14年も前の解説書は意味がないとおっしゃる方もいるかもしれない。しかし、私はそうは思わない。14年前にこういった思想を広めた人たちがいたという事実があるのだ。
ISO14001を理解する以前に、会社の仕組みや働きを理解していない人たちが、マネジメントシステム規格を解説しようとした蛮勇を称えたい。
そしてこのような本を「手引書として利用価値が極めて高い」と推薦した方がいる。
ISO認証の真実を教えなかったから、今のISO認証の惨状があるのだろうか? とそんなことを考えた。

「有益な環境側面」がないから、まだいいじゃないかとおっしゃる方がいるかもしれない。
1998年当時は、また有益な環境側面という理論(?)が考えられていなかったのだ。だから特にほめるほどのことはない。
なお、その後筆頭著者の黒柳要次氏は、「ISO14001規格の読み方」(2004年)、環境影響評価の考え方とその事例(2006)、アイソス誌2008年10月号、「ISOマネジメント」誌2009年11月号、などなどにおいて有益な側面を主張(宣伝)している。
また共著者の一人である寺田和正氏は2012年現在有益な環境側面特定・見直しサービスという業務を行っている。

お断りする。私が語ったことを後知恵といってほしくない。
そういったことは、ISO規格あるいは日本語のJIS規格だってよく読めば間違えない事実なのだ。
しっかりと規格を読まず、思い込みで誤ったというより、明らかに間違えた規格解釈を本に書いて、日本に広めた責任は取らなければならないはずだ。
それは単なる間違いというだけでなく、日本に誤ったEMS、ISO14001、規格解釈を広めたという責任は認識し、対応してくれないと困る。
あるいは誤ったのではなく、積極的にそういう主張をしたかったのだろうか?

この本より2年ほど発行日は遅いが「ISO14001環境マネジメントシステムの構築と認証の手引き」という本がある。これはその後2004年版対応も出ているが、初版だって現在でも通用するスバラシイものだ。今読み直しても新鮮であり規格の真髄を書き表している。
(株式会社システム規格社、ISBN-10: 4901476025、発売2000/8/1)

つまり、本というのは時が経って陳腐化するのではない。初めからダメなものと、初めからスバラシイものがあるということなのだ。誤った本は、読者を誤らせ、害をなすだけである。

うそ800 本日のまとめ
冒頭に「この本は今でも通用するのであろうか」と書いた。
結論は、「この本は当時だって通用するはずがない」ということだ。

うそ800 本日の疑問
普通の本は最低3,000部くらい印刷されると聞く。とすると、この本は何千人にも読まれたと思う。
そういった人々は、私のような疑問を感じなかったのだろうか?
ただ、ひたすらに・・聖書のように読んであがめたのであろうか?
あるいはかような本は無視したのだろうか

うそ800 本日の要請
拙文へのご批判、反論を頂ければ幸いである。
この本を書かれた方々なら一層うれしい。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012/7/10)
自分たち、あるいは会社が必要でないことも実施しなければならないと考えるその頭の中が理解できない。

このテの書籍に書かれていることに納得できない点は多々ありますが、まさにその通り。規格に書いてあるから不必要でも(あるいは害をなすものであっても)やるべしというのは、不可解の極みです。

たいがぁ様 おはようございます
結局、会社をよくしようとか社会に貢献しようということではなく、認証するということが目的なんでしょう
ということは、著者は「ISOとは認証がすべて」と考えているのでしょうね

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