歴代天皇総覧

12.01.09
著者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
笠原 英彦中公新書4-12-101617-32001/11/25940円全一巻

古事記を読んだことがある。もちろん、現代語訳である。いろいろな物語があるが、正直言ってわけが分からない。もちろん書かれている出来事は事実か否かはともかく、ストーリーはわかるのだが、その意味するところは分からない。
新約聖書の黙示録というのをご存知だろう。あれも同じで、書いてあることは分かっても、寓話の意味するところは全然分からない。
古代の物語は、そのときは深い意味があるのだろうけど、現在の知識だけでは文章を読んでもその意図するところは分からない。いや、利口な人はわかるのだろう。私にとってはわからない。
この本は、そんな神代の時代から現代までをつないでいる。

私は高卒で、行った学校が工業高校だったので、高校では歴史なんて科目はなかった。だから学校で歴史を習ったのは中学だけだ。中学では、日本の歴史を、縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、戦国、安土桃山、江戸時代と習った。人によっては南北朝時代というのを入れるのかもしれない。最近では日本にも旧石器時代があったというが、50年前は日本には旧石器時代はないと習った。
ともかく、上記の時代区分は王朝とか政体とかではなく、土器の形とか首都がどこにあったかという点によって区分している。

この本は、年末にたまたま神田に用があって行ったのだが、10分くらい前に着いて時間つぶしのために駅前の本屋に入り、ショバ代代わりに買ったのである。年末からお正月休みにかけて読んだ。
読んだ感想は、いや、日本の歴史は見方によって大きく違うのだなということである。見方といっても左とか右とか、唯物史観というものとは違う。首都の所在地から歴史を見るか、天皇を軸に歴史を見るかということである。
では本日の妄想の始まりである。

私の生まれは福島県である。当然父母とか祖先がある。
私の父は、明治の最後の年に地元の百姓の次男として生まれた。そして父の父、祖父は明治のはじめに、やはりオヤジが生まれた近くで百姓の次男か三男として生まれた。百姓は一軒分が食べていく土地しか持っていないから、その土地は長男が継ぐ。次男や三男は家を出て行くしかない。みなで分けたら、みなが餓死してしまう。
現在は、長男より次男三男が好ましいとされている。女性も結婚するなら長男はいやという人が多い。親の面倒を見る、お墓を守る、地元に住む、そういうことがネガティブなことだから。 だが、ほんの少し前までは長男というのは家も職業もある有利な立場であって、結婚相手としても好ましい相手だったのだ。
祖父は生まれた本家から2キロほど離れた開墾と呼ぶところに住んでいた。いや、正確にいえば2キロほど離れた雑木林を開墾して住んだのである。その開墾は父の兄が継いだ。父はもう開墾するところがないので、東京に行って丁稚になった。言い方を変えると祖父の代は、東京に出て行くという手段も発想もなかったのだろう。
親が死んで遺産相続などの手続きをしたとき、今は市役所の支所となっている古い村役場にいって、鬼籍謄本なども取り寄せたことがあったが、我が家の起源は祖父でおしまいである。それ以前は本家と呼ぶ家でないとわからない。
誤解があると困るので追加する。遺産相続したのではない。遺産など元々ないが、相続しないという手続きをしたのである。

高校の頃だろうか、本家に行って家系図を見せてもらったことがある。私には読めないような字で書いてあって、その家系図は敏達天皇(びだつ)から始まっていた。いくらなんでもというか、何の知識もない人だって、うそだってわかります。
本家に我が家の祖父以前の様子を聞いた。
本家にだって怪しいというより100%偽物に違いない家系図以外は、お寺の過去帳以外の証拠はない。そのときまで会ったこともなかった本家の人の話では、江戸時代に新潟のほうから流れてきたらしいという。
その頃は、江戸時代に百姓が移動するなんて聞いたことがなかった。最近、「逃げる百姓 追う大名」という本を読んで、百姓は圧政に苦しむだけでなく、殿様が気に入らなければ別の藩に逃げてしまったことを読んだ。どこの殿様も人口が増えることを望んだので、逃げてきた百姓を受け入れて保護したそうだ。父方の先祖は、そんなふうにして移動してきたのだろう。また移動したのはそんな状況だったのだろうから、それ以前の様子はわからなかった。
それだけが父方のROOTで知っていることである。
だいぶ前、アメリカに奴隷としてつれられてきた人の子孫(アレックス・ヘイリー)が、祖先を探してアフリカにいくROOTという本があったが、私は奴隷として連れられてきた人よりも短い家系しか明確ではないのだ。

母の方は、祖父は伊達家の侍だったそうで、明治維新になって仙台から福島に仕事を求めて流れてきた。その事実は間違いないらしく、母方の本家には何代もの家系図と本物の刀があった。鴨居には槍の木刀というのか、木製の槍がかけてあった。子供の頃、それがほしかったが、嫁に出た娘の子に形見分けはなかった。こちらは江戸時代までの系図はしっかりと残っていた。もう本家も私のいとこは死に絶えて、その子の代になっている。 祖母の家は千葉の漁師出身だったということは間違いない。私の子供の頃、母方の本家の奥さんを稲毛のおばちゃんと呼んでいた。子供にとってほんとうの叔母であろうとなかろうと、縁戚にある年上の女性はすべておばちゃんと呼んでいた。 こちらも、江戸時代のことは分からない。
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まとめると戸籍上はっきりしているのは、父方の父系は明治以降の三代である。母方の父系も三代である。明治初年までは現在の戸籍制度ではっきりしているが、江戸時代になるともうあいまいでとなる。簡単にいうと、我が家はどこの馬の骨か分からないという庶民というか下層階級である。
一般の日本の家系はどうなのだろうか?
日本の人口把握などは、大名が固定された後に整備してきたとのことで、皇族や貴族以外の普通の日本人は、江戸時代初期より前の系図をたどることは不可能らしい。昔からの貴族でなく明治以降に華族になった人も、一般人同様に江戸時代初期より先は分からない。それどころか、戦国武将や大名といっても、本当に清和源氏からの流れを汲むわけではなく、豊臣秀吉はもちろん、徳川家康にしても誰にしても、みな同じだ。

そういった一般庶民に比べて、天皇家というのはすごいものである。125代の記録があるということは、それだけで天然記念物といえる。もちろんはじめの方は神話か伝説であるが、それと現実の祖先がつながっているということ自体が不思議というか、年代を感じる。
考えて御覧なさい、あなたのお父さんはこんなことをしたのよ、そのお父さんはいつ生まれてこんなことをしたのよ、そのお父さんは・・そして、そのお父さんは天から地上に降りてきて日本の島を作ったのよ、という話を聞くということは、とんでもないことだ。
とんでもないとは、間違っているとかあほらしいということではない。私には、ものすごい時代の深さを感じる。
そして冒頭に述べたように、この本には時代の区分が出てこない。読みながら私は、奈良時代はいつから、平安時代はどこからと気になったが、そのようなことに力点は置いてない。著者は○○天皇は何をしたということを淡々と述べていく。平安京遷都などほんのひとことで終わりだ。

../sake.jpg お正月、酒を飲みながら読んだというのか、本を読みながら酒を飲んだというのか、まあそんな状況でこの本を読みおえた。
そこから思ったのは、天皇家とか日本の歴史ではなく、自分の先祖のことだ。父親もその父親も、それ以前ずっと続く先祖も、みんなケンカをして、恋をして、苦しい仕事をして、一生懸命生きてきたのだろうと思う。自分があるのも、そんな先祖のおかげだと感謝する。
そして時代の変化というのは確実にあるということだ。現代は持続可能性ということに価値があると思われているが、どの時代も進歩があり、その変化によって政治も経済も文化も価値観も変わっていく。だから持続可能性というのはありえないのではないだろうか。
「2001年宇宙のたび」の作者アーサーCクラークの本に「未来のプロフィル」というのがあります。この本の序文に「未来について確実な唯一の事実は、それが途方もなく風変わりのものになるだろう、ということである」とあります。持続可能なものは現在の暮らしではなく、今より良い暮らしをしたいという、人間の集団の意思だけではないのだろうか。
そんなことを思いました。



KEN様からお便りを頂きました(2012.01.13)
女性宮家の問題について議論していて、そうしたらなぜ女性天皇は構わないが女系天皇(正しくは母系天皇)がダメかと言う話になりました。結論から言いますと、日本人の殆どは先祖を30代くらい前に遡ったらどこかで天皇家と血がつながっているから、天皇家と血のつながりだけで即位できるのだったら誰でもなれることになってしまいます。だからだめ。
誰でも天皇に即位できるようになると、政治権力と分離された権威という智慧である立憲君主の天皇の権威は無くなり、政治権力と権威が同じである共和制と同じになります。そのためには即位できる人材を制限しないといけない。そこで父系男子だけという制限を加えて、先祖が辿れるようにして維持してきたわけですねえ。
その日本人の殆どは先祖を30代くらい前に遡ったらどこかで天皇家と血がつながっているという部分ですが、親からご先祖を遡ってゆくと、親で2人、祖父母は2の二乗で4人、曾祖父母で2の3乗で8人。23代遡ったら2の23乗で8306688人居ることになります。つまり夫婦4153344組のご先祖。8306688人の血を受け継いでいます。23代前と言うと一代を25年としたら15世紀半ばの室町時代。1600年当時の人口が1500万人だったらしいですから、15世紀半ば当時の人口は1000万人くらいでしょう。そういう時代にあって23代前のご先祖の人数が8306688人というのであれば、確率的におばQさんと私の23代前のご先祖は親戚です。
何せ日本と言う国の特殊性は、有史前から日本に流入する人口は途切れずにあっても、日本から出て行った人口は居ないに等しいくらいに少ないのです。このように流入一方の国ですから、江戸時代のご先祖が日本にいたという日本人は23代くらい前のご先祖はお互いに親戚ばかりです。
ご先祖と言うのは辿れる状況にあるかどうかという各家庭の差はありますが、今生きているということは辿れなくとも先祖が存在したということで、そうでなければ人造人間であって大変です。例え先祖を辿れなくても、ほぼ間違いなく我々の先祖はどこかでどこかの代の天皇様につながっており、日本人は皆親戚なのだなあと思ってしまいました。

KEN様 毎度ありがとうございます
なるほど、ある家庭の先祖は具体的にはたどれないかもしれないけれど、全体としてみればこの国の歴史のどこかにあるわけですね
そして人間みな兄弟ではなく、日本人みな親戚なのですね
そう考えると豊臣秀吉も源氏にこだわることもなかったろうにと・・・
私が敏達天皇につながっていることは間違いありません、キリッ


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