読書雑感

12.04.29
このところ、戦争ものを読んでいる。戦争ものといっても、戦争論あり、戦記ものあり、過去の戦争を分析したものなど多種多様である。そういうものを読むようになった理由は特段ないが、ひとつあげるとすれば暇というか自由な時間が持てるようになったことだろう。それとISOマネジメントシステム関係を読んでも学ぶものがない、いや、それは言い過ぎか、じゃあ今更ISOを学んでも実践する場がない。
じゃあ、なぜ戦争ものを読んで、恋愛ものやミステリーを読まないのかというご質問を予測する。実は私はここ10年、いかなるカテゴリーであっても小説あるいはバーチャルなものを読んでいない。というのは最近では、事実は小説より奇なりどころか、現実のほうが小説の先を行っている。例えば前世紀末に常温核融合というものがあったが、その前半はSF小説を超え、後半はミステリー小説を超えた。あのいきさつを丹念に読めばSFもミステリーも色あせる。
wtc20001アルカイダはテロ攻撃をした スパイ小説や戦争小説においても、現実のステルス機や時間をかけずに動く兵士の存在は、もはや小説をはるかに先んじていることは間違いない。もっともそのようなSF小説を書いても、あまりにもトッピなので、誰も振り向いてくれないかもしれない。
テロをテーマにした小説もWTC事件以降、あれを超えるものは考えられないのではないか。ダイハードもスケールが小さい。
若いとき、ジョン・ル・カレやイアン・フレミングをわくわくして徹夜で読んだのが懐かしい。
007シリーズは、本と映画は別物である。どちらもエンターテーメントではあるが、本はシリアスというかまじめで、映画は子供だましだ。映画を見てフレミングを読んだ気になってはいけない。

さて、最近読んだ本といっても多数あるが、日露戦争関係が多い。司馬遼太郎が乃木無能、秋山有能という刷り込みをした結果、多くの人がそう信じているだろう。 戦艦三笠 私ももう20年くらい前に、司馬作品をほとんど読んだ。その結果、司馬史観に洗脳されてしまったが、最近、洗脳が解け始めてきた。
そのきっかけは、以前、外資社員様と飲んだ時、外資社員様が「司馬遼太郎なんて私生活はトンデモナイ野郎だ」とおっしゃったのをきっかけに、司馬遼太郎とはどのような人物だったのかを調べた。その結果わかったことは、どうも私が好きになれないような御仁のようだ。いや、はっきり言えばトンデモナイ野郎だったのだ。
もちろん、その人がいかなる性格であろうと、どのような心情であろうと、その人の作品や成果の価値は影響されない。オリンピックの優勝者が殺人を犯そうと、その記録は人類の記録としての価値は変わらない。ノーベル賞受賞者が人種差別主義であろうと、性犯罪を犯そうと、発明発見の事実は変わらない。
現実に、そういう例は多々ある。
しかしスポーツ記録や発明発見の成果ではなく、文学作品の場合はどうだろうか? この場合は、作者の人格が作品の評価に若干ではなく大いに影響すると思う。なぜなら文学の価値とは、文字(もじ)そのものではなく、そのものを読んだ感動であるから、影響されないということは無理であろう。
そうではないというご意見もあるだろう。文字作品であっても文学作品でない場合は・・探検記や調査報告など・・著者の性癖がどうであれ価値は変わらないと私は考える。しかし仮に歴史の舞台を借りても、作者の感情や意志が過半を占める小説であれば、私は著者の性癖や現実の行動を無視いて読むことはできない。
そして作者の意思が入らないのであれば、それは文学ではないだろうと思う。
それと司馬の頭の構造は、彼が戦車兵であったということが色濃くある。もし彼が歩兵あるいは水兵であれば、また違った戦争観、戦争論を書いたことは間違いない。
と、ここでは司馬遼太郎を論じるのではない。最近私が戦記物、戦史物その他を読んでいるということから駄文を書く。

最近読んだ本の一部
書名著者出版社ISBN初版年定価
日本海海戦100年目の真実菊田慎典光人社4-7698-1223-X2004/12/121800
旅順攻防戦別宮暖朗並木書房4-89063-169-02004/3/101800
日露戦争日記多門二郎芙蓉書房4-8295-0347-52004/11/153300
坂の上の雲の真実菊田慎典光人社4-7698-1181-02004/4/271800
日本海海戦とメディア木村 勲講談社4-06-258362-32006/5/101600
日本海海戦悲劇への航海(上・下)コンスタンティン
プレシャコフ
NHK出版978-4-14-081439-0
978-4-14-081440-6
2010/10/25
2100
日露戦争が変えた世界史平間 洋一芙蓉書房4-8295-0354-82005/1/152500
教科書が教えない日露戦争松村 劭文芸春秋978-48903620972004/81680
日清戦争『国民」の誕生佐谷 真木人講談社978-4-06-287986-62009/3/20740
詳解戦争論 : フォン=クラウゼヴィッツを読む柘植久慶中央公論978-41220450402005/31200
あゝ飛燕戦闘隊小山 進光人社4-7698-2305-32001/4/8657
蒼空の航跡久山 忍産経新聞978-4-8191-1060-02009/6/291800
蒼空の河穴吹 智光人社4-7698-2111-51996/2/6952
攻防:ラバウル航空隊発進篇森史朗光人社978-47698116642004/12415
歴史群像 帝国海軍潜水艦史 学研978-4-05-606301-12011/4/151238
あくまでも一部である。
図書館から借りた本は、書名を記録していないのでここにありません。

戦争を書いているから、内容が好戦的とか戦意高揚、イケイケどんどんということはない。もちろんそういうものもあるが、厭戦、反戦をつづったものもある。また日本海海戦の圧倒的勝利が優秀な提督と参謀の賜物という見解もあるし、たまたまの偶然にすぎないという見解もある。 戦闘機太平洋戦争の戦闘機乗りの敵が、敵戦闘機だけでなく、上官や戦友との戦いのあけくれで、むしろそちらとの戦いのほうが激しく陰湿だったりする。
階級が高くても、無能で部下を怒鳴ることしか能がない上官は、現在のどの企業でも見かける。人の手柄を横取りする人もめずらしくなく、真の敵に勝つよりも、同僚に勝つことが目的の人も珍しくない。
地位を得るのに、戦功を積んでいくアプローチは遠回りであり、縁故、義理人情、そしてなによりもゴマすりが有効なのも現在と変わらない。そしてそれは洋の東西を問わないようだ。
そんなものを多く読むと、人間は時代が変わっても変わらないものだと感心するとともに、将来人類が知恵を持つことに期待は持てないこともわかる。
飛行機や船の機械や構造の説明を読むと、原始的で技術が低く悲しくなってしまうような記述も多い。飛行機は油漏れや機械不調で稼働率は低い。機体のジュラルミンも錆びやすく、塗料も今では考えられないほど、錆び止め効果もなく、色あせする。機関砲も二重装弾や不発弾が頻発する。撃墜した敵戦闘機P40の計器をみて、その素晴らしさに撃墜したパイロットがため息をつく。もう少し武器弾薬の性能が良かったらと思う。もちろんそれは後知恵であり、そのときの関係者は精一杯仕事をしていたことは間違いない。そんな性能が低く信頼性も頼りない飛行機や軍艦で戦った人たちの勇気と才気を尊敬する。
反面、連絡ミスで物資が余っているところ足りないところが発生しているとか、上官の命令が末端まで伝わらず船の燃料である石炭の積み込みが遅くれたなんて記述を読むと、現在の原子炉事故も変わらないような気もする。
戦艦三笠

しかしどの本を読んでも感じることがふたつある。
一つは、歴史というものは人の立場や状況によって異なるものであるということ。そして正しい真実などというものを求めること自体間違いであるということ。
一つは、いかなる状況においても、人は努力しなければならないし、それこそがその人が生まれてきた目的であるということだ。成功するためではなく、ただ努力するために生まれてきたと考えなければすべての人は主役になれない。そして苦労するために生まれてきたのではないと考えなければあまりにも悲しいではないか。
クーベルタンは正しいのだ

なぜ歴史を学ぶのかということは多くの人が問い、多くの人が答えている。
ある人は、「来し方を顧みて、行く末を考え、進むべき方向を断じることが、歴史を学ぶ事の意義」と言う。その意味でも正しい歴史いや、一つの歴史というものは存在しない
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韓国は侵略戦争をしてきたという事実がある。
日本人は騙されるな
韓国が竹島を自国の領土と言い、従軍慰安婦の謝罪を求め、強制連行されたというのは彼らの歴史だろう。自己を正当化し、誇りを持つためにはそういう歴史を必要とするというのが彼らの論理だろう。
北朝鮮は、朝鮮戦争は南からの侵入によって始まったという。これも北朝鮮が自己を正当化するための歴史であることは言うまでもない。
尖閣列島は中国領だというのは彼らの論理である。中国人はそこに海底資源が見つかるまで自国の領土とは主張しなかった。お金や資源のためなら歴史を変えるのは中国人の論理だろう。
我々日本人はそんな外国の考える歴史に拘泥されず、自分の歴史がある。その歴史に確信をもって行動することでよいのだと、これらの本を読んでそう感じた。
いや、国の立場の違いだけでなく、ある参謀は己の指揮が正しかったと信じ込むのも無理はなく、ある参謀は作戦が間違いだったと信じることもありえる。そしてそれを評価する上官や大本営も実態はわからない。信じる者が救われるではないが、信じることが真実なのだ。

そしてもう一つに関しては、人は常に努力し、向上に努めなければならない。ひとつだけ引用させてもらう。
隼戦闘隊で多くの撃墜をした穴吹軍曹が、人からなぜそのようなことができるのかと聞かれて次のように答える。
「私の場合は努力がすべてです。人が一度やることを、三度しました。自分の腕がまずいことを十分に知っていましたから」
いかなる時代であっても、いかなる立場であってもこう言われたら返す言葉はない。出自も縁故も運も関係ない。すべては己の努力次第であるという。私が今あるのは私の努力の故であり、私が至らないのは己の努力不足である。誉も恥もすべて己の責。

本日の誓い
おばQ、還暦を過ぎたとはいえ、精進しこの日本のために精一杯尽くすことを誓います。




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