12.02.18
ISO14001とは何か? いや既に過去形としてISO14001とは何だったのだろうか?
私はISO認証が過去形であるのはもちろん、ISO規格も過去のものとなりつつあるように感じている。
いや、過去のものになったというだけではなく、そもそもISO14001規格とは、役に立つものだったのだろうか?
あるいは、はなから価値がないものだったのだろうかと・・
法規制で、企業に環境管理体制を要求するものはいろいろある。
まず、大気汚染や水質汚濁など公害を防止するためのものとして、公害防止組織法と呼ばれるものがあり、主として製造業の公害防止体制を規定している。
またちょっと切り口は違うが、安衛法でも災害を防ぐという観点から安全衛生管理体制というのを求めているし、省エネ法では明確に組織体制という言葉はないが、管理統括者以下のいろいろな役割と仕組みを要求している。消防法でも火災を主とする災害防止と火災発生時の体制を求めている。
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法律の正式名称は長ったらしいものが多い。消防法はそのままで短いが、他の法律は下記が正式な名称だ。
公害防止組織法・・特定工場における公害防止組織の整備に関する法律
安衛法・・労働安全衛生法
省エネ法・・エネルギーの使用の合理化に関する法律
法律の名称をそれが規定する内容を示そうとするとどうしても長くなるのだろう。ちなみにアメリカでは「法律名にない事項を定めた法は無効」という判決があったはずだ。
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そういうものが環境マネジメントシステム(EMS)かといえば、EMSのひとつの形態であるといって間違いないだろう。それらとISO14001を比較して、ISO14001が優れているとか、より高度なEMSであるといえる根拠を私は知らない。
エコアクション21とかエコステージも、もちろんEMSの一例だが、それらはISO14001のレプリカというか簡易版であり、ISO14001があってこそ存在するものと考える。ということで、とりあえずここではとりあげない。
もう15年も前のこと、ISO14001が制定された直後でまだ正式な認証審査が始まる前のことである。
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「正式な」というのは、既にISO14001のドラフトで審査も認証も行われていたからだ。
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名前と場所は忘れたが、ある環境関連の討論会で、ISO規格の関係者と長年企業で公害防止につとめてきた方の議論を聞いたことがある。
長ったらしいから、以下「ISO一筋氏」と「公害一筋氏」と呼ぼう。
ISO一筋氏は、ISO14001とはそれまでの公害防止の考え方の延長ではなく、環境マネジメントという新しい概念であると語った。公害防止などと同一視してほしくない、という強い意思が見えた。
それに対して公害防止一筋氏は、ISO14001が語っているものは、公害防止の延長に過ぎないと反論した。そして過去からの技術や考え方を変えることはないと語っていた。
お二人の意見の相違は、個々の論においても明白で、例えば環境側面の特定については、ISO一筋氏は組織の包括的な環境側面を把握して、その中から著しいものを選ぶ手順を決めなければならないと語った。公害一筋氏は、過去より公害防止のために管理してきた特定施設はもちろん、法規制や費用の観点から電気や水などを著しい環境側面と考えるべきであって、環境側面などわざわざ改めて特定や決定しなくても分かっていることではないかと論じた。
そのとき私は、ISO14001そのものがどんなしろものか分からないレベルであり、その議論を聞いても、どちらが正しいか判断できるはずはなかった。というか、私にとってそのような議論はどうでもよかったのである。
私は家族を養っていくために、ISO14001認証するというお仕事をしていたので、そういった形而上の高尚な議論はどうでもよかった。ただ、そういった講演会や雑誌の特集は常に注視していて、その中から使えそうな情報やアイデアをつまみ食いしていたのである。
それから数ヶ月して、現実のISO審査が大々的に始まると、審査は過去の公害防止的発想とは無縁の考えで行われた。いや、無縁というより現実離れしたバーチャルな世界で行われたというのが正しい。つまり、法規制が関わればしっかり管理するというごく当たり前というか常識的な考えは通用せず、法規制が関わるものをいかに著しい環境側面になるようにするロジックを考えるかということが重要なことになったのである。客観的に見ておかしいとか異常とかいえるものではなく、まったくの支離滅裂である。
そして今でもISO審査では、環境側面を特定し著しい側面を決定する手順を徹底的に調べるが、その結果決定された著しい環境側面をしっかり管理しているかを調べることはほとんどない。
審査員は環境側面を決定する手順を審査する力量はあっても、環境側面が適切に管理されているかを審査する力量がないのかもしれない。(皮肉である)
なんで改めて著しい環境側面を決定するのか? 決定する前に管理しなければならないことは分かっているのではないか、それをISO14001では著しい環境側面と呼ぶだけじゃないのか?
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環境側面の特定決定についての書籍は多々あるが、中には「決定された著しい環境側面が、過去から管理していたものに合っているかを確認する」なんて書いているものもある。この文章を読んでおかしいと思わない人は頭がおかしいことを保証する。そしてこの文章を書いた人は狂っていることは間違いない。
もう、審査する側も企業側もコンサルも、みんなでママゴトをしているに過ぎない。幼稚園児のママゴトはかわいいが、大人のママゴトは見苦しい。
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だが実際の審査においては、このような真っ白なところから自分の工場の環境側面を特定し、その中から著しい環境側面を決定するという流れでなければISO規格適合とは判定されなかった。
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本当を言えば、規格にはそんなことは書いてない。某認証機関がそう考えて、そのような審査が大勢となったのである。そのような環境側面に関わる手法を、その認証機関の名前を冠して軽蔑を込めてJ△○○流と呼ぶ。
北辰一刀流はかっこいいし、小笠原流は格調高いが、J△○○流はどうだろうか?
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審査員も企業も、そのようなアホなことを真面目な顔をして質問し回答して審査は意味のないお芝居でチャンチャンと進行していたのである。そして現在も多くの審査はそのように行われているのだろう。
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現在、私の勤め先では、審査のたびに事前に審査員に会って「アホな審査はしないでね」と釘を刺している。言い換えると、そう言っておかないと今でもアホな審査を受けることは間違いない。
それと、我々は異議申し立てに躊躇しないことを付け加えている。
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企業のISO担当をしていた私は、毎年そのような審査を受けるたびに、フラストレーションが溜まった。「人はパンのみにて生きるにあらず」である。くだらない審査を受けても月給がもらえればいいじゃないかという割り切りが私はできない。自分の働きが会社に貢献していること、その貢献と賃金が見合ったものでなければ腑に落ちない。仕事に比べて賃金が安いことが不満なのは一般的だが、己の仕事に対して賃金が高いということを不満としなければまっとうな労働者ではない。
そんなアホというか、意味のない審査を繰り返していて、私には公害一筋氏の考えが正しいと思い、ISO一筋氏の発言が間違いであると確信した。
もちろん公害防止組織法は、製造業を対象として守備範囲も典型7公害に限定している。環境問題といっても法律が制定された当時と今ではまったく変わっている。現在の最大手の環境問題は地球温暖化ではなく、廃棄物問題である。典型7公害も、地盤沈下は日本国内でわずかに数箇所あるだけだし、大気の苦情の多くはダイオキシンがらみ、騒音は工場騒音よりもカラオケや生活騒音である。そして環境性能という言葉も一般化し、製品含有化学物質規制も厳しくなり、ライフサイクルを通じた拡大製造者責任が問われるようになった。このように、1970年頃とは様変わりしている。
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2011年以降、最大の環境問題は放射能である。ところが日本の法律では放射能は環境問題ではなく、エネルギー問題なのである。
不思議な国である。アリスに会えるかもしれない。
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だが、公害防止基本法(1967年制定)が1993年に環境基本法に抜本的に変わったように、公害防止組織法を例えば環境管理組織法と変えて、購買も設計も、いやサービス(役務)を提供する企業も含めた企業における環境管理を定めても良かったのではないだろうか。
そのように公害防止組織法を見直して、対象とする企業と環境問題の範囲を見直せば、ISO14001よりははるかに有用であると私は思う。
「いや、ISO14001は本来すばらしいものであるのだが、環境側面や目的目標などの解釈と運用において間違いが多々あり、それがISO14001の良さをスポイルしたのだ」という理屈もあるかもしれない。だが上手な使い方でなければ使えないしろものよりも、誰にでも使えて、どんな使われ方でもロバストで機能を果たす方が役に立つことは間違いない。
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ロバスト(Robust)とは、強靭とか頑健さのことで、外乱やプロセス内部の変動があっても、その影響を受けず、役目を果たすこと。
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いやそれとも、15年前に公害一筋氏が語るように、オママゴトをしないで、過去より管理してきたものが環境側面だという単純明快な発想でISO14001を広めたらISO14001の方がより有効だったのだろうか? 今のISO14001の惨状をもたらしたのは、規格を理解できなかったせいなのだろうか?
だが、実際にISO規格と公害防止組織法の文言を読み比べると、法律の方が分かりやすく、あいまいなところがないことは事実である。とすると、ISO14001のEMSはそれほど優れてもいないし、読む人によって解釈が異なりやすく誤解を招きやすい、つまりロバストでないことは間違いない。
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公害防止組織法や水質汚濁防止法を誰が読もうと、公害防止管理者が必要か否か、ノルヘキが5mg/m3なのか5mg/Lなのか解釈が異なることは絶対にない。
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ISO14001認証が始まったとき、業界団体が雨後のたけのこのごとく業界御用達の認証機関を設立した。そしてその認証機関の幹部以下審査員として業界各社から環境関係の経験者が出向して認証ビジネスをはじめた。
そんな認証機関の取締役や審査員の経歴を見ると、東証一部の有名企業で環境管理部の部長といった役職経験者のそろい踏みであった。しかしひょっとすると、それらの人々は、ISO一筋氏と同様に、企業で実際の環境管理をしたことがなく、ISO認証をしただけではなかったのだろうか? とすると環境側面の特定や決定方法の専門家であったかもしれないが、環境管理の素人であった可能性が高い。そうでなければ遵法と汚染の予防に無縁の審査をした理由が思いつかないのだ。
1990年代初め、当時私が勤めていた会社の上長が会社を辞めてISO9001の審査員をしていた。そしてISO14001が現れるとすぐにISO14001の審査員になった。その方が企業で環境管理をしたことがなかったことは明らかである。環境側面の決定方法や是正処置の仕組みがISO規格に適合しているかを審査できても、その仕組みが本当に公害防止や環境管理に有効であるかを判断できるとは思えなかった。
私の邪推であるが、ISO14001という環境ビジネスに群がった人たちは、環境管理など知らないので、とにかく傍目に難しそうでありがたみがあるように振舞っただけなのではないか?
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お経や祝詞(のりと)の意味が分かったら、ありがたみは半減どころかなくなってしまうかもしれない。
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本日の総括
ここでISO一筋氏とか公害一筋氏と書いたが、お二人のお名前は今でも覚えている。
顧みるとISO一筋氏は現実の環境管理を知らなかったがゆえに、ISO14001は公害防止の延長ではなくマネジメントシステム規格は経営の規格であると語ったのではないだろうか。それは環境管理の実務を知らない人の現実からの逃避だったのだろうか? あるいは公害一筋氏にドッグファイトに引き込まれると負けるのが必定なので、先手を打って議論を自分の有利なところに持ち込んだようにも思う。
ISO一筋氏と公害一筋氏はいまだご存命であるから、お二人で改めてその議論の続きをしてもらいたい気がする。
蛇足
ISO14001は経営の規格だとおっしゃる人も多い。経営といっても人によって考えるものが異なるので、発言した人がどのようなものを経営と考えているのか私は分からない。しかし仮に経営の規格だとしても環境の範疇に限定されるはずだ。そうでなければMS規格はひとつあればいいわけで、あまたのMS規格(マネジメントシステム規格)があるはずがない。だからISO14001は経営の規格だと言って、経営の一般論を語るだけで現実の環境管理を重視しないなら、それは正しい理解ではないように思う。
じゃあ、お前はどう考えているのかと問われれば、私の答えははっきりしている。
ISO14001は良くも悪くも「環境管理の規格」で、遵法と汚染の予防(規格の序文)を確実にするために企業(組織)が具備する条件を記述したものである。但し、汚染の予防とは公害や事故に限られず省エネや省資源を含むものであり、製品やサービスのライフサイクルを通じた本質環境配慮化と理解している。それはISO14001の定義3.18そのものである。
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本質環境配慮化という言葉はない。本質安全化という言葉のアナロジーとして、私が今ここではじめて使った。
本質環境化では意味が通じないように思う。
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更なる蛇足であるが
今ISO50001「エネルギーマネジメントシステム」なるものが出現した。一部の団体や人々はISO50001の認証をするべしと大声を出している。はて、そのような認証、すなわち会社の仕組みが規格にあっていることをよその人に確認してもらうことにいかなる価値があるのか、私にはわからない。
オイルショック以来、省エネはコスト削減の圧力として工場の経営者も担当者も常に意識して努めなければならないことであった。そして数年前の法改正により、工場のみならず、ビル、劇場、大規模店舗にとって、省エネ規制はコスト要因だけでなく努力義務に変わった。更に東日本大震災以降は、努力義務どころか、事業継続の基本的な要素になった。すなわち粉飾や脱税をしてはいけないと同じレベルで、省エネをしなければならないことになったのだ。
さて、ISO50001は省エネを進めてくれるのだろうか? 省エネにいかほど役に立つのだろうか? ひょっとして、ISO50001のための余計な費用と手間のために、真の省エネ活動が阻害されるのではないだろうか?
ISO50001とは、真の省エネができない人の逃げ場ではないのだろうか?
私を論破するのは簡単である。
ISO50001によって、それ以外の方法では達成できなかった省エネができた事例を示すだけでよい。もしその省エネが、過去からの現場の工夫、管理の仕組み、組織の意欲、そして技術革新で達成できたものであれば、それはISO50001のおかげではない。
本日のエンディング
ISOとは現実からの逃避だったのか?
よしりん様からお便りを頂きました(2012.2.18)
オバQ様 初めまして、よしりんと申します。
いつも楽しく拝見させていただいております。
数年前、某JQAからいらした審査員のことをバラしておきます。
開口一番
「私はJQAで教育本部長をしてました(おっほん)。」
(偉かったと言いたいの?)
「お宅、何年やってるの? レベル低いね〜! ん〜私が何とかしたい!」
(?コンサルでもやってくれるのかしら)
サイトツアーで、会社の裏側の花壇のコスモスが枯れていたのを見て
「ISOの審査員が来るときぐらいきれいにしておきなさいよ!」
(は〜それって要求事項?・・・)
未だにこんな化石みたいな審査員が来るとは思いもしませんでした。
これを機にJQAとの縁が切れました。 (めでたし)
審査の後、間違いなく審査をやったという変な書類にサインを求められましたが、何か問題のある審査員だったんでしょうかね〜?
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よしりん様
うそ800の管理人でございます。お便りありがとうございます。
お互いにISOでは苦労していますね 笑
風邪にも雨にも審査員にも負けずにがんばるしかありません。
ところで、審査の後に記載された書類は、審査員が次回審査員登録を更新するときに、まっとうな審査員であるという証明書として必要なのです。ですから企業は、サインを拒否することもできますし、そうなると審査員が次回登録はむずかしくなります。
もっとも審査員の登録更新に必要な記録は5回だったと思います。普通の審査員は年に6回以上審査するでしょうから、他の5人がサインすれば更新はできます。
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